弟子、素直な気持ちを伝える
ふとピーリカが目を覚ますと、辺りは朝日に包まれていた。自分の部屋のベッドにワンピースのまま寝ていたピーリカは、そっと起き上がった。まだ少し疲労感はあるが、昨日とは比べたら全然元気。視界も良好、全てがクリアに見える。
「そうだ、師匠!」
部屋を飛び出したピーリカは、真正面の階段から地下室へと降りる。地下室に誰もいない事を確認すると、すぐさま階段を上る。階段を上るのは昨日と同じ位辛いかと思ったピーリカだったが、むしろ一段上る度に元気になってきたような気がした。
リビングにやって来たピーリカだが、そこにマージジルマの姿はなかった。代わりにソファの上で横たわっている白いフクロウが、大きな窓から入る朝日に照らされていた。
「ラミパスちゃん、ラミパスちゃん!」
目を閉じていたフクロウは、ピーリカに起こされ目を覚ます。しばらくボーっとしていた様子のフクロウだったが、突然目を大きくあけ翼を広げる。勢いよく飛び出しリビングを出て行ったラミパスは、玄関の方へと向かう。
「ラミパスちゃん、どこ行くんですか!? 具合悪いなら飛んじゃダメですよ、具合が悪いのに動き回ったら悪化するだけです! ラミパスちゃん!」
ラミパスは器用に玄関の扉を開け外へと飛び出す。ピーリカは走ってラミパスを追いかけた。そのラミパスが向かう方向に、赤紫のキラキラが飛んで行く事に気づく。そのキラキラが何だかは分からなかったピーリカだったが、今はラミパスの事だけを考えていた。
山を下りて、街中を走って、やって来たのはバルス公国との境目の森だ。
バルス公国製だろう。絶対に誰も入れないと言わんばかりに、大きな鉄の壁がそびえ立っている。赤紫のキラキラは壁の向こうへ飛んで行くが、それはピーリカにとってどうでもよかった。
ピーリカはその壁の前に立ち、こちらを向いているマージジルマを見つけた。
「起きたか」
なんだ、ラミパスちゃんは師匠に会いに来たのか。そうピーリカが安心したのも束の間。
ラミパスは彼の顔の前で翼を羽ばたかせたまま、嘴を開いた。
『何てことをしているんだ君は!』
ピーリカは目を丸くして足を止める。少し呼吸を整えてから、驚きを口にした。
「ら、ラミパスちゃんが喋った!」
「おい喋るなよ。ピーリカにバレただろうが。まぁ、それでもいいけど」
冷静に、淡々と喋るマージジルマに、ラミパスは怒りをぶつける。
『それどころじゃない! こんな魔法を使ったら、君は、君は!』
「うるせぇな。しょうがねぇだろ、ピーリカが回復させたのは俺だけだったんだから。これで俺が他の代表とか国民回復させたとしても、相手が兵用意して待ってるらしいじゃん。全員回復させてたら俺疲れるし、そんなんで戦ってもボロボロになるの目に見えてるんだよ。だったらまとめて、俺が片付けてやる」
『優しすぎるのもいい加減にしてよ、君一人が犠牲になるのを皆が喜ぶとでも思っているなら大間違いだ!』
「そう大声出すなよ。お前だってまだ回復しきってないんだろ、もう少し寝てろよ。んでもって、頑張って長生きしろよな。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ラミパスの目の前に魔法陣が光った。
『ダメだよマージジルマくん! ピーリカ、お願い、止め、て……!』
地面に落ちそうになったラミパスを、マージジルマは両手で受け止める。ただ眠っているラミパスを見て、ピーリカは少しだけ安心した。
「師匠、ラミパスちゃんの言ってた事って一体」
「気にすんなよ……って言っても、お前が大人しくしてるとは思えないしな。よし、ピーリカ。ちょっと座れ」
その場に胡坐をかいて座ったマージジルマは、隣にラミパスを降ろす。
真正面に座るように言われたピーリカだが、その表情は不満げだった。
「こんな地面に座れと?」
「それが嫌なら俺の膝上に座ってもらうしかねぇな」
「し、師匠の膝上なんて地面より汚い」
「本当に失礼な奴だな」
ピーリカは土の上に正座した。師匠の膝上も座りたい気持ちは勿論あったが、素直には言えなかった。
「何ですか、一体」
「詳しい事は、多分テクマが説明するだろうよ。ラミパスかもしれねぇけど」
「そうそう。気になってたですよ。何故ラミパスちゃんが真っ白白助の声で喋ってるんですか」
「同一人物だからな」
「ど!?」
「とりあえず静かにしろ。いくぞ。リルレロリーラ・ロ・リリーラ――ラ」
ピーリカとマージジルマを、金色に輝いた魔法陣が包む。星屑のような小さな光の粒が魔法陣から溢れ、ピーリカの周りをクルクルリ。
「何ですかこれ!? これ白の魔法じゃないんですか、何で師匠が」
「うるさいんだよ。全部テクマに聞け。あ、あと伝言頼むわ。シャバとイザティには気にすんなよって言っといてくれ。他の代表には俺がいなくても精進しろよって」
「師匠が自分で言えばいいでしょう。あと、俺がいなくてもって何ですか。どっか旅行にでも行く気ですか? もしかしてクソボルト様の所? それならわたしもついてってあげますよ。男二人旅なんてむさ苦しいでしょうから、わたしのような華の存在が必要でしょう?」
「素直に連れてけって言えないのか」
「言いませんよ」
「じゃあ連れて行かねぇよ。別にクソジジイの所に行く訳でもないしな。あぁ、もしクソジジイが帰ってきたら野菜も食えよって言っとけ」
「だから自分で言えと」
「あ、もう終わるわ。我慢しろよ。リルレロリーラ・ロ・リリーラ――ロ」
「我慢ってなっ!」
突然、ピーリカの左胸に痛みが生じた。安定しない痛みではないが、焼けるような痛みが。
マージジルマはピーリカのワンピースの襟を掴み、中を覗き込んだ。ピーリカの着るハーフトップのブラで半分隠れてはいたが、間違いなく彼女の胸には代表印の三日月が刻まれていた。
そうとは気づいていないピーリカは、ただ胸を見られたと思い師匠の右頬をビンタする。痛みよりも恥ずかしさが勝ったらしい。
「何するですか! ドスケベ!」
「悪い悪い、代表印がちゃんとついてるか確認しただけだ」
「そんなのついてる訳……」
そう言ったものの、他に先ほどの痛みの理由が見当もつかず。ピーリカは自分でも覗いてみた。本当に印がついているという驚きと、どうしてノンワイヤーのちょっぴりかわいいブラの時に見てくれなかったんだという気持ちが生まれる。
ただ疑問だったのは、師匠の印は腹だったような。
「何ですかこれ、まさかおっぱいが見たくてワザとおっぱいに印つけたんですか」
「違うっての。それ白の印だからだよ」
「は? 白?」
「それもテクマに聞けっての。さて、乳見たお詫びにキスでもしといてやろうか?」
「そっ、そんなのお詫びにならない!」
「ははっ、あん時しときゃあ良かったって言っても知らないからな」
「絶対言いませんから!」
プイっとそっぽを向いたピーリカは、赤紫の光の膜がバルス公国を壁ごと覆うように張っている事に気づく。彼女の視線に気づいたマージジルマも、立ち上がって空を見た。
「回収終了ってとこだな。お前もう元気だろ?」
「うん? おぉ、本当ですね。なんだか体が軽いです」
いつの間にか疲労感がなくなったピーリカは、その場に立ち腕をブンブン回す。
その時、鉄の壁が左右に動いた。半透明な赤紫色の膜の向こうで、人々がもの凄い剣幕でその膜を叩いている。人々の中には、鎧を着た者やピーリカが見た事のある者の姿もあった。
「何ですかあれ。バルス公国の奴ら、閉じ込めてるんですか?」
「まぁそんな感じだ。あれをどうするかはお前に任せた。頑張りたきゃ頑張れ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマの前に現れた魔法陣のせいで、ピーリカの体が吹っ飛ばされる。
「うわぁあっ」
地面に背中をつけたピーリカは、師匠に怒りながら体を起こす。
「師匠! かわいい弟子に何するです、か」
次にピーリカが目にしたのは、赤紫の膜の中へ入っていくマージジルマの後ろ姿だった。
バルス公国の人々はマージジルマに群がる。だが彼が呪文を唱えたのか、群がっていた人間の体は弾き飛ばされていた。倒れた人々を踏みつけながら、師匠はバルス公国の奥へと進んで行く。
「師匠……?」
ピーリカは気づいた。バルス公国の者達を閉じ込めたら、きっとカタブラ国の者達は助かり、喜ぶだろう。
だが黒の魔法は呪いの魔法。人を助けるための魔法は、人々が喜ぶための魔法使えない。
だからこそ、もし黒の魔法で人々を助け喜ばせるのならば。
何かしら、大きな犠牲が必要になる。
嫌な予感がしたピーリカは、急いで走り出した。
「待てです師匠、何するつもりですか! バルス公国を殴り込みに行くなら、わたしを置いていくなんてズルいですよ!」
バルス公国を囲うように、いくつもの魔法陣が光った。
「ちょっと、聞こえてないんですか!? わたしを忘れていくなんて、師匠のうっかりにも困ったものですね! 師匠ってばっ!?」
地面に置かれたままになっていたラミパスを避けようとして、べしゃっと転んだピーリカ。
痛んだのは膝か心か。彼女の目から涙がこぼれた。
「行かないで……!」
ピーリカがようやく素直に呟いたのが聞こえたのか。
振り向いたマージジルマは、苦笑いをして彼女を見つめた。
カッと強い光が、彼の顔を隠す。
あまりにも眩しすぎる光に、ピーリカは思わず目を瞑った。
しばらくして、眩しさが和らいだような気がしたピーリカは、そっと目を開ける。
穴。
ピーリカの目に映ったのは、巨大な穴だった。
「……師匠、どこ、どこ行ったんですか、師匠、ねぇ。かくれんぼなんてする歳じゃないんですよ、ちょっと。かわいい弟子を困らせないで下さい」
起き上がったピーリカは穴に近づき、近くに見当たらなくなってしまった師匠の姿を探す。
壁もない。建物もない。人々もいない。
そんなのまるで、バルス公国が消えてしまったみたいじゃないか。
「師匠、師匠ってば、嫌ですよ、嫌だ、そんなの。返事しやがれですってば。師匠っ、師匠ーーっ!」




