弟子、チャンスを逃す
「……そんなの、師匠の家でやっても良いじゃないですか」
「俺が近くにいたらお前偉そうにしつつもすぐ聞いてくるだろ。自分で考えるよう、聞けないよう距離を保つ。巣立ちってこった。まぁ、弟子じゃなくなる訳じゃない。本当に困った事がありゃいつでも来ていい。ただ俺が代表辞めるって時までは、お前はお前で仕事してみろ」
「でも家にはパパがいますよ」
「嫌いって言っても昔よりはマシに思えるようになったろ。嫌な奴相手に仕事しなきゃならない時だってあるからな、その練習もしてみろよ。どうしても嫌だったらこの間みたいにボコボコにすりゃあ良い」
弟子だったらずっと一緒に暮らしていられると思っていたピーリカは、強く当たる。
「そんな事言って! わたしがいなくなったら師匠が困っちゃうでしょう。師匠寂しんぼなんですから」
「寂しんぼじゃねぇよ。まぁ、ピーリカみたいな存在感のデカいのがいなくなったら寂しくなる可能性もなくはないが」
「ほれみたことか! ものすごくかわいいわたしがいなくなったら寂しいだなんて言うなら、追い出そうとするなです!」
「存在感のデカいをものすごくかわいいと訳したか。でもあながち間違いでもない。お前はかわいい、というか顔が良い」
「えっ!? な、なんです突然。事実を言わないで下さい」
かわいいと言われ、ちょっと嬉しかったようで。ピーリカの口角が、少しだけ上がっている。
マージジルマは少し照れた様子で、心の内を話した。
「だからだよ。顔の良いお前がこれからもっとデカくなって、もし俺が間違いを起こしたらどうするんだ」
「間違いって?」
「エロい事させろって言うとか」
「そ、それは……困っちゃうですね。かわいいって罪ですね」
「そういう事だよ。その辺、お前の母親も心配している」
実際は心配ではなく「その気があるなら手を出しても構わない」とも言われてはいるマージジルマだが、そこは伝えない。
「とにかく、意地悪で追い出そうとしてんじゃねぇよ。お前のためだ、分かれ」
ピーリカは膝を抱える。師匠の言葉も理解は出来た。ただ、納得はしたくない。
「やっぱり実家には帰りません。お仕事に関しては師匠がわたしを見なければ良いだけの話ですし、えっちな事させろと言われたら殴ればいいだけの話! 一緒に住みたい訳じゃあないですよ。師匠が寂しすぎて、皆が知らない内に死んだら可哀そうという優しさです」
「仕事に関しては見なければ良いのかもしれないし、殴るのも構わないけど。お前が仕事するようになったら養育費貰えないだろ。それなのに一緒に住むのはどうなんだ」
「ママにはわたしから説得してやるですよ。何ならわたしが師匠に養育費、いえ、今度から家賃ですね。払えばいいでしょう」
「簡単に仕事もらえるとも思うなよ。新参魔法使いの仕事で得られる報酬なんざドングリ一個くらいだかんな」
「じゃあ師匠にはそのドングリ一個分くらいのお金を払ってやるですよ。人の全財産奪うんだから、住まわせろです」
「お前の親が俺に払ってた養育費、ドングリ換算すると毎月三万くらいなんだけど」
「そんなに……?」
黙って聞いていたラミパスだが、心の内では「何で二人ともドングリ換算してるんだろう」と疑問に思っていた。
マージジルマは呆れた様子で返事を述べる。
「だから帰れって言ってんのに。あと皆が知らない内に俺が死ぬ事はねぇよ。前にもあったろ。具合が悪くなっても、魔法使い代表特有の地味に嫌な事が起こるから。誰かしら気づくだろうよ」
「師匠はどんくさいから、山の獣に襲われて急に死ぬかもしれないじゃないですか!」
「今更そんなヘマはしない、と言いたい所だが。その可能性は否定出来ないからな。その時はその時だ。ちなみに、先代が急死した時だけ他の代表が印をつけられる特例もあるから。もし俺がお前に代表を引き継がせる前に死んだら、他の奴に黒の代表印つけてもらえよ。黒の代表の場合、急に死んだら地味にじゃなくて普通に嫌な事が続くらしいから。やっぱり誰かしら気づくだろ、シャバとか」
「急に死んだ時の事なんて悪い事考えないで下さい。不吉な!」
「お前が言ったんだろうが。無理やり帰らせるぞ」
長々と話している間に、黒の領土にあるマージジルマの家の前へ着いた。地面に足は着けたが、二人の心はどこか落ち着かない。
マージジルマはピーリカに背を向けて、サーフボードを家の外壁へ立てかける。日が落ち始めて、細長い影が伸びていた。
ピーリカは師匠の背中に向かって、別の案を伝えた。
「帰りません。そうだ、じゃあ魔法のお仕事とは別に師匠の世話見てやるです。家政婦さんのお仕事しましょう」
「家政婦雇わなくとも俺は一人で出来るんだが。お前来る前全部やってたし」
「何を言いますか。師匠、人間というのは必ず老いるのですよ。昔出来ると思っていた事もしばらくすれば出来なくなってるなんて事もあるのです。老いを認めなさい」
「そんな事言われる程老いてねぇよ」
「老いてないなら尚更帰りません。また見合いの話が来たら追い返さないとですし!」
ふり返ったマージジルマの顔を、夕日が照らす。空気を読んだラミパスは、一足先に家の中へ入った。
ピーリカの前にしゃがみ込んだマージジルマは、彼女の顔を見上げる。
「お前、それが狙いか?」
「ち、違いますよ。師匠がどうしようもない奴だから」
「……お前が正直に言ったら、もう帰れって言わない」
ピーリカの心臓が大きく跳ねた。
正直にというのは、お見合いをして欲しくない理由だろう。
そんなの、もう告白じゃないか。
ワンピースの裾を掴んだピーリカは、口を開いた。
「待って! 準備とかいるんです!」
「おう。お前の親にも別にいつ帰らせるとは言ってないしな。荷造り終わり次第帰れば良いだろ。今日は疲れただろうし、明日以降やれ。さ、夕飯……あっ! イザティから残り物回収すんの忘れた! 仕方ねぇ、虫か何かと交換するか」
立ち上がり家の中へ入っていく師匠を見て、ピーリカはもの凄いチャンスを失った気がした。準備は準備でも心の準備だ。そうすぐに準備出来るかどうかも分からない。
どうする事も出来なくて、ピーリカは思わず八つ当たりをしてしまう。
「違いますよ、師匠のバカ!」
「はいはい、バカで結構」
その後夕飯と入浴を終えたピーリカは、そそくさと自分の部屋に戻った。ベッドの上でジタバタして、自己嫌悪に陥る。
さっきのはどう考えてもチャンスだった、素直になれるチャンスだったのに! と。
だがしばらくして、こんなにもかわいいわたしを困らせるなんて、師匠はどうかしている! くらいに思い始めた。
世界で一番自分がかわいいピーリカは、自分を甘やかしている。
それどころか。
「待てよ? そもそも何でわたしから言わなきゃいけないんですかね?」
師匠から言っても良いじゃないか、師匠がわたしに結婚しろって言えば流石のわたしも出て行けないし。なんて甘い考えまで抱き始めている。
ピーリカはベッドに潜って、すぐさま目を閉じて。独り言を呟く。
「明日の朝ごはんはわたしが作ってやりましょう。やった事はないけれど、天才なので卵くらいは焼けるはずです。ずばり、わたしから言わないでも、嫁にさせてほしいと思わせる作戦!」
***
バルス公国へと戻ったエレメントは、仲人の男を連れて女子更衣室と描かれた部屋へ入っていく。
「なんて最低な男なの! まぁ最も最初から好意など抱いてませんからね、悲しくなんてありませんけど。奴を落とせば無理にリスクを背負ってまで作戦を決行しなくても魔法が好きに使えると思っての事。あんなダサい男好きになる事なんてあり得ませんわ」
仲人の男の前でも恥じる事なくドレスを脱いだエレメントは、クリーム色のスーツと白衣に着替えて部屋を出る。窓から見える景色は灰色ばかりで、どこか荒んでいた。
エレメントは仲人の男と共に第四研究室と書かれた部屋の中へ入って行った。大きな液晶パネルの前に立っていた義足の男が、彼女の事を出迎える。
「おぉエレメント博士。こんなに早く戻ってきたという事は、作戦は失敗に終わったご様子。我が愛しき桃の乙女とはお会いになりましたかな?」
「これ以上喋らないでいただきたいですわねシャマク団長。あぁ失礼、元団長でしたわね。貴方の愛しき人なんてどうでも良いですわ、わたくしには関係ありませんから」
エレメントは男、シャマクを見下しながら一つの机の前に座った。机の端に乱雑に置かれたクレンジング用品に手を伸ばし、コットンに液体を含ませる。
派手だったメイクを落としていくエレメントに、シャマクは悪態をつく。
「可愛げのない女だな、そんなだから嫁に行き遅れるんだ」
「負け犬が喋らないで下さいまし。それにわたくしの作戦はまだ失敗しておりません。むしろこれから。この計画で成功を納めれば、全ての名誉はわたくしのもの。わたくしよりレベルの低い男との結婚なんて最初から眼中にありませんの」
キラキラなコットンを捨てたエレメントは、仲人の男を椅子の上に座らせる。男の靴を掴んで脱がし、機械で出来た足を露わにさせる。脱がせた靴の底には、直径三センチの穴。その淵には僅かに、エレメントが肌に付けていたキラキラが付着していた。
「計画通り、ちゃんと減ってますわ。むしろ本番はここから。さぁ、決めるわよ」
靴を放り投げたエレメントは、液晶パネルに触れた。椅子に座っていた仲人の男が、ガチャンガチャンと音を響かせながら体を変形させていく。最終的に筒の形になった機械は、高い女の声で喋った。
『魔力暴動装置、始動――』
直後、エレメントが捨てたコットンについたキラキラが赤黒く変色した。
***
翌朝、ピーリカは体に熱っぽさを感じて目が覚めた。
「風邪でも引いちゃったですかな。可哀そうに……」
これじゃあ師匠に朝ごはんなんて作れない。下手したら師匠がもう作ってしまっているかもしれない。
ピーリカはめそめそしながら部屋を出て行き、壁に手をついて歩き始めた。
熱のせいなのか、妙に体が重い。時間をかけてリビングにやって来たピーリカの目に、床に白い塊が落ちているのが映る。
「……ラミパスちゃん!?」
白い塊の正体は、明らかに弱っているラミパスだった。




