師匠、求婚される
「それよりマー君、行かないとダメなんじゃないの?」
「あぁクソ……とにかく、それピーリカには見せるなよ!」
走り去るマージジルマを、ピーリカは名残惜しそうに見つめた。
「あぁ待てです師匠……行ってしまいました。ところでウラナ君、師匠と話してたのは長々しくてよく分かりませんでした。とりあえずわたしにも本を見せろです」
「ダメです。この本の内容は将来マージジルマ様に実演してもらって下さい」
「師匠がわたしを怖がらせる訳ないでしょう」
マージジルマのせいでピーリカは本の内容を「なんか怖いやつ」だと思っている。ピピルピはピーリカに抱きついて、頬をすりすり。
「怖いだけじゃないのよピーちゃん。どうせなら私が教えてあげたいわぁ」
「離せ変態!」
ウラナはピーリカからピピルピを離した。ピピルピは抱きつければ誰でもいいので、そのままウラナに抱きつく。
「いけませんお師匠様。そういうのは相手がいない方かシャバ様だけにしてください。ところでシャバ様はどうされたのですか?」
ウラナもピピルピに一途になれというのは諦めているらしい。彼は他人同士の恋愛が好きなので、複数人同士の恋愛でも誰かが悲しい思いをしてなければそれでいいと思っている。とはいえ一途に想い合う二人というのも大好きなので、ピピルピがシャバあたりとくっ付けばそれはそれで美味しいと思っていた。
ピピルピは眉を八の字にし、口を尖らせる。
「今お仕事中だからダメって。チューだけしてイザちゃんの所に戻ったわ」
「おやおやまぁまぁ、ちゃっかりキスだけはして行ったですね。リリルレローラ・リ・ルルーラ」
「んもぅ、息を吐くように本を作らないで」
地面の上にまた薄い本が落ちる。今度こそと思ったピーリカは、すぐさま本を拾い上げた。
「ちょ、ちょっと! この本の痴女と黒マスク、ちゅ、チューしてますよ!」
表紙に描かれたちょっとえっちな絵(ピーリカにとってはキスもちょっとえっちの部類に入る)に、ピーリカは思わず動揺。キス如き日常茶飯事の桃の民族は、ピーリカの言動を微笑ましく見ていた。
「ウラナ君ったら、表紙から過激なの出しちゃダメじゃない」
「服着てるだけマシだと思って下さぁい」
「それもそうね。ピーちゃん、私と一緒に本読みながら実演しましょ」
ピーリカに抱きつこうとしているピピルピの腕を、ウラナは両手で抑え込み。自分に抱きつかせて留めさせた。
ピーリカは足元で大人しくしていたラミパスを連れて、一足先にマージジルマを追いかける。
「実演って、何故わたしが貴様とチューしなきゃならねーですか。それより師匠を追いかけるんですよ!」
「あっ、待って下さいピーリカ嬢!」
一緒に追いかけようとしたウラナだが、皮肉な事にピピルピに抱きつかれて上手く走れなかった。
マージジルマが戻って来た時には、エレメントは既に化粧を終え戻って来ていた。化粧を終えたと言っても、大して見た目は変わっていない。相変わらずキラキラがゴテゴテ。
「マージジルマ様どうなさって? お顔が赤いように見えますけど」
「何でもない」
強がるマージジルマはエレメントに目線を合わせない。
そんな彼らの元へ、シャバが馬車に乗って合流した。馬車から降りたシャバはエレメントへ謝罪を入れる。
「桃の領土では失礼しました。ここで一周したかと思いますが、いかがでしたか?」
「えぇ、すばらしい所が多くて感激しましたわ。マージジルマも面白い方ですし。このエレメント、気に入りましたわ」
エレメントはマージジルマの腕に抱きつく。自身の大きな胸を押し付けているが、マージジルマは全く嬉しそうにしていない。
追いついたピーリカは、エレメントの姿を見てつい表に出た。
「残念でした、師匠は貴様を気に入っておりませーーん、帰れですよーー!」
エレメントは突然出てきたピーリカを見て、眉を歪める。
「な、なんて無礼な」
「あぁ、あれ俺の弟子」
「弟子? 先ほど言ってらした?」
「あぁ、魔法使いのな。万が一俺と結婚ってなったらアレがついて来るぞ」
マージジルマの言葉を聞いたピーリカは「わたしがついて来るとかお得ですよね。でも結婚反対です」なんて言っている。
中腰になったエレメントは、口元だけ笑みを作ってラミパスを抱きしめるピーリカと対面する。
「お弟子さん? 邪魔しないで下さる?」
「仕方ないでしょう。貴様を追い出すためです」
「追い出すなんて。マージジルマ様と一緒になったら一生この国にいる事になるんですのよ」
「ご安心を。貴様が師匠と一緒になる事などあり得ません。お帰れ下さい」
「まぁ、野蛮な方。マージジルマ様ぁ、エレメントこわぁい」
対立するより味方をつけた方がいいと判断したのか、エレメントは再びマージジルマの腕に抱きついた。
「貴様! 師匠におっぱいを押し付けるなですよ、師匠はおっぱいが大好きなんです。貴様には興味なくともおっぱいに興味を抱いてしまうかもしれません、離れろ!」
「まぁ、そうでしたの。確かに……お弟子さんには出来そうにない事ですものねぇ。興味を抱かれても仕方ありませんわぁ」
エレメントはラミパスの後ろから覗くピーリカの胸を見て言った。確かに少しは大きくなったとはいえ、エレメントと比べてしまうとピーリカの胸なんてとてもとても。
「くっ、きっ、貴様! これでもわたしだってブラジャーつけてるんですからね!」
悔しすぎて恥ずかしげもなく自身の体の事を言ったピーリカだが、誰がどう聞いても負け惜しみにしか聞こえない。
エレメントは高笑いをしてピーリカを見下す。
「あら、そうでしたの。貧相すぎて分かりませんでしたわぁ」
「ひっ!? 貧相!? このわたしを貧相と言うですか貴様!」
「えぇ。お可哀そうな程小さいですわね。まぁわたくし、生まれつき大きいのでそのお悩みの解決方法は存じ上げませんの。ごめんなさいね」
「結構です! もう少し大人になれば大きくなりますから!」
「そうですか。まぁ努力するだけ無駄なような気もしますが、頑張ってくださいまし。このエレメント、マージジルマ様と共に応援して差し上げますわ」
潰れた梅干しのような顔で怒るピーリカを前に、エレメントは高笑いが止まらない。
そんな彼女の隣で、マージジルマはボソッと呟いた。
「よくもまぁいけしゃあしゃあと……」
「はい?」
マージジルマはエレメントからスッと離れると、深々と頭を下げる。
「丁寧になら良いんだっけか。俺嘘つき嫌いなのでこの見合いは断ります、ごめんなさい。ジャケット返せ下さい。では失礼します」
顔を上げたマージジルマは、エレメントが羽織っていたジャケットをはぎ取った。ジャケットについたキラキラを叩き落とし、スタスタと黒の領土に向かって歩いていく。ラミパスはピーリカの元を離れ、マージジルマの肩に乗った。
様子伺いを兼ねて追いかけてきたシャバに、マージジルマは顔を向けないまま話しかけた。
「これなら文句ねぇだろ」
「いいよ。ありがとありがと。で、何が嘘だったの?」
「あの胸作り物」
「……えっ!? マジで!?」
「まぁ本物じゃないのは別に良いんだよ。本物じゃないくせに本物と言って小さき者を苛める神経が気に入らない。からかいの範疇を超える苛めは宜しくないしな」
その小さき者は師匠が結婚しない事に喜んで万歳をしている。ピピルピを連れてようやく追いついたウラナも、状況を察し一緒になって万歳をし始めた。
「お待ちになって! わたくしのどこがいけないと言うのですか!」
ピーリカは両腕を下ろし、マージジルマを引き留めようとするエレメントに怒りをぶつける。
「しつこい人ですね、師匠は貴様のような厚化粧ババア好きじゃねぇんですよ!」
「なっ、なんですって!」
ピーリカの罵倒が聞こえたマージジルマは、彼女の元へ戻る。その場にしゃがみ込んで、ピーリカを叱った。
「ピーリカ! 何言ってんだお前は。ババアじゃないだろ!」
「マージジルマ様、わたくしを庇って下さいますのね。エレメント嬉しい」
感動している様子のエレメントを、マージジルマは親指で指さす。
「どう見たってオバハンだろうが!」
マージジルマにはデリカシーがなかった。もはやデリカシーどころではない気もする。
顔を引きつらせたエレメントは、ぎこちない動きで馬車に乗り込んだ。
「……冗談じゃありませんわ。あんな人と結婚なんてあり得ません。なかった事にしてくださいまし!」
エレメントは仲人の男だけを馬車へ乗せて、青の領土へと帰って行く。
シャバは「思ってても言うんじゃない!」と言いながらマージジルマの頭を叩き。もの凄く嫌そうだが、イザティと共に一応見送りのため馬車を追いかけた。
恋する乙女の気持ちに寄り添うウラナは、今もピーリカの味方についた。
「今のはいけませんよマージジルマ様。間違ってもピーリカ嬢には言わないで下さいね」
「大丈夫ですよウラナ君。わたしは年をとってもかわいい自信があります」
ピーリカは自画自賛をしながら魔法で塩を出し、エレメントが去っていた場所へ撒いた。地面にはエレメントが落としたキラキラと塩が混ざって落ちる。
エレメントの事は気にも留めていないマージジルマは、ピピルピに言った。
「ピピルピ、ちょっとの間弟子交換しよう。ピーリカの事好きにしてていいぞ。ウラナはちょっと顔貸せ」
「師匠!?」
ピピルピは嬉しそうにピーリカへ抱きついた。
二人を引き離そうとしたウラナを引っ張ったマージジルマは、ピーリカ達から少し離れた場所へ無理やり連れて行く。
「ウラナお前、本当にピーリカの事好きだったりすんじゃないのか」
マージジルマはピーリカ達から離れた場所で、ウラナから本音を聞き出そうとしていた。
「マージジルマ様、誤解なさらないで下さい。確かに僕はピーリカ嬢の事が好きです。でも僕が好きなのは、マージジルマ様の事が好きなピーリカ嬢なんです」
微笑むウラナを見て、マージジルマは苦い顔をする。勘違いだったとはいえ、好きな人が幸せならそれでいいと身を引いた事のあるマージジルマにはウラナも同じように考えているのではと思ったのだ。
「それはあれか、遠慮してるみたいな。それなら別に、気なんか使わなくていい」
「違うんですマージジルマ様。遠慮なんてしてません。その証拠に、僕はマージジルマ様に頼みたい事だってあるんですよ」
「頼みって、何だよ」
ウラナはマージジルマの手を握った。真剣な顔つきで、彼の目を見つめる。
「結婚して下さい」




