弟子、覗く
ドアをノックする音が聞こえた。
マージジルマは急いでピーリカを外へ出し、カーテンを閉じた。ピーリカも今は見つかる訳にはいかないと、口元を両手で押さえる。
「マージジルマー、相手様がお見えに……何してんだぁ!!」
血まみれの部屋の中に入って来たシャバが叫んだ。マージジルマはしれっとした顔で否定する。
「俺じゃねぇし。俺は汚れてないから良いだろ」
「良い訳ないだろ、血ぃ踏んでるし! イザティー、早いとこ部屋にお連れしろ! マージジルマが服汚す前に!」
廊下に向かって叫んだシャバは、同じ建物内にいると思われるイザティに声をかけた。
「部屋って、まさかここじゃないのか?」
「そうだよ。ここメイク室代わりだもん」
「準備が良いじゃねぇか。そんなに俺に結婚させたいか」
「外交問題に発展するのが面倒なだけだっての。それより靴の裏拭いて!」
マージジルマはシャバに連れて行かれた。ピーリカは召使を呼ぶお嬢様の気分で、手を叩いてウラナを呼んだ。
「ウラナ君、どこですか」
「はい、ここに」
ラミパスを抱いたウラナは、まるで執事のように颯爽と曲がり角から飛び出してきた。
「師匠は別のお部屋に連れて行かれました。行きましょう」
カーテンは閉まっていたが窓は開きっぱなしになっていた。おかげでそこから侵入出来たピーリカ達は、血まみれの部屋を通り抜け廊下へと進む。気分はスパイだった。
「別のお部屋ってどこにあるんですかね」
「下手に捜し歩いてお見合いが進んだら大変ですからね。ここはあの方に聞いてみた方が良いかと」
ピーリカはウラナが見ている方へ目を向ける。そこには廊下の奥から荷物を運んでいる従業員の女がいた。ウラナは客のふりをして堂々と歩き、女の顔を覗き込むように近づいた。
「すみません。マージジルマ様がどこのお部屋にいるかご存じありませんか?」
一般的に見れば、ウラナは顔が良かった。わたしの方が素敵なお顔と思っているピーリカがウラナの顔になびく事はないが、女はポーっとしている。
「こ、こちらです」
「ありがとうございました」
部屋の前へと案内されたウラナは、甘い顔で微笑んだ。照れた女は逃げるように荷物運びに戻った。モテない黒の民族が見れば、イケメンなんて滅びればいいくらいに言われていただろう。
あっさりという事を聞いた従業員の姿を見て、ピーリカはある可能性を考えた。
「ウラナ君、今桃の魔法使いました?」
「使ってませんよ? というか僕、普通に桃の魔法をかけるのが下手で……学び舎と独学で勉強したせいか、普通じゃない使い方なら出来るんですけど……」
「普通じゃない桃の魔法って?」
「後で説明します。それより今は、マージジルマ様ですよ」
「おっと、そうでした」
ピーリカはウラナなど気にせず、師匠がいるはずの部屋の前にしゃがみ込む。引き戸のドアを少しだけ開けて、隙間から覗き見た。ウラナもピーリカの後ろに立ちながら、部屋の中を様子見る。
部屋の中では座敷の席に胡坐をかいて座るマージジルマの姿が見えた。マージジルマの隣に座るシャバもいつも通りの黒マスクはつけているが、場の雰囲気に合わせたのか灰色のスーツを着ていた。
彼らの正面には、お見合い相手と思われる女と仲人らしき男が座っていた。
女の巻かれた髪には、桃色の宝石で作られた花が付けられている。胸元が大きく開いた黄緑色のドレスにも至る所に小さな宝石が散りばめられていて、輝きを放っている。目元も口元も濃い目の化粧がされていて、全体的に派手な女だった。
ピーリカは思った。やっぱりわたしの方がかわいい!!!!!!
「エレメント・クルダウンですぅ。お会い出来て光栄ですぅ」
女は妙に甘い声で自己紹介をする。やる気のないマージジルマは自己紹介を返さない。
「はぁ。お会いになってガッカリされた事でしょう。帰りますね」
「面白い冗談ですこと。ガッカリなんて思ってませんわぁ。お話に聞いた通り、素敵な殿方ですぅ」
腕を寄せ胸を強調させるお見合い相手、エレメント。彼女の胸はピピルピと同じくらいの大きさがあった。マージジルマもシャバも、大きな胸をジッと見つめる。シャバはマージジルマが胸がないとという心配はないなと安心していた。普通はその視線が失礼だとは思ってもいない。
エレメントはマージジルマの視線に気づき、照れた様子を見せる。
「いやん」
「じゃあどうぞ」
マージジルマは着ていたジャケットを脱ぎ、エレメントに放り投げる。エレメントは嬉しそうにジャケットを羽織り、ピーリカは歯を食いしばって悔しがった。
「マージジルマ様ってお優しいんですね」
「いや、知り合いに痴女がいるのでよくやる手段です」
「ち、痴女って。いやですわ、ご冗談を」
「確かにご冗談みたいな存在だけど。実在します」
マージジルマ達の話を聞いたピーリカは、小声でウラナに問う。
「ウラナ君、今すぐ痴女を投入出来ませんか?」
「今日はうちのお師匠様珍しくお仕事してるのでダメです」
こそこそ話す二人の背後に、一台のワゴンを押す一人の女が立つ。
「ピーリカちゃん、何してるのー?」
「イザティ! 見なかった事になさい」
「無理だよー。様子見に来たの? やっぱりマージジルマさんの事好きなんだねー」
「違います!」
動きやすそうなスーツワンピースを着たイザティは、楽しそうに「照れなくていいのにー」と呟く。
だがピーリカの言葉を聞いたウラナは、もの凄い剣幕で怒った。
「嘘を言ってはいけませんよピーリカ嬢! 僕のためにもマージジルマ様が好きだと言って下さい!」
「何を言い出すんですかウラナ君! わたしは師匠なんて短足としか思ってませんし、っていうか何でウラナ君のためにそんな事言わなくちゃいけないんですか!」
マージジルマ達に気づかれてもおかしくない程、大きな声で小さな喧嘩を始める。
ウラナの言動を見て、イザティはある可能性を口にした。
「この前も思ったけど、ウラナ君もしかしてピーリカちゃんの事好」
「いいえ違います!」
食い気味に答えたウラナにたじろぎながらも、イザティは未だ疑っている。
「く、食い気味だねー。でもそれならどうして僕のためだなんて言うのー?」
「それはまた今度お話しますよ。それよりイザティ様、その手に持ったお料理を早くお届けした方が良いのでは?」
「そうだったー。じゃあ今度聞かせてね。邪魔しちゃダメだよー」
そう言ったイザティは部屋の中に料理を持って行く。邪魔をするなとは言ったが、見てはいけないとは言わずに。ピーリカ達が見られるよう、ほんの僅かに扉を開けておいたままにした。
イザティが置いたのは新鮮な生魚の料理。他にも呪いはかけられていない、ただただ美味しそうな料理が並んでいる。ピーリカも口の端からよだれを垂らす。
「カタブラ国自慢のお料理ですー。お召し上がりくださいー」
マージジルマは並べられていくと同時に箸を伸ばし、シャバに引っ叩かれる。
エレメントは「マージジルマ様ってば、面白い方」とマージジルマの言動を一通り笑った後、笑顔のまま料理を拒否した。
「わたくしダイエット中ですのでお料理は結構ですわ。ずっと目の前にあるのも生臭いから下げてくださらない?」
「お、お魚ならヘルシーですよー? これでも生臭さは抑えてありますしー」
「下げてくださらない?」
「……はいー」
イザティは下がり眉で料理を片付ける。下げるという事は、せっかく作った料理を処分しなければならないのと同じだった。
「イザティ」
マージジルマが優しく彼女の名前を呼ぶ。
イザティは察した。これは「俺が持って帰るから残しておけ」を意味している、と。優しさも多少はあるかもしれないが、それ以上にコイツは金に汚い事をイザティは知っていた。
「……はいー。冷やしておきますー」
やれやれといった様子で料理を片すイザティだが、下がり眉は解消された。




