師匠、警戒される
一応は娘をかわいいと言ったおかげか、パメルクの腹痛は治まり、足元の泥沼も消えた。ホッとした表情を見せたのも一瞬。
その隙を見逃さなかったピーリカは、すぐさま次の呪いを発動させる。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ!」
父親の頭上に浮かび上がった魔法陣。その中から、大量の泥水が溢れ出た。滝のように勢いよく出てくる泥水は、庭先をも汚す。卑怯な事に師弟だけは召喚した絨毯に乗り、浮いているため汚れる事はない。
パメルクが移動すると魔法陣も移動。泥水をかき分け、限られた酸素を吸ってはいるが。
降り注ぐ量との比率が悪すぎる。泥水を大量に飲み込んだ父親は、バタンと、倒れた。
「ざまみろ! でももっと流暢に言えるようになりやがれです!」
父親を倒す事が出来たと、ピーリカが喜んだと同時に魔法陣が消える。
絨毯から飛び降りたマージジルマは、彼女の父親が死んでまではいないかを確認した。
「やり過ぎましたかね?」
父親の脈を測る師匠の姿を見て、流石のピーリカも少しばかり不安になった。父親の事は嫌いだが、死んでほしいとまでは思っていないらしい。絨毯を地面の上に降ろし、そっと父親の顔を覗き込む。目を回している父親は、なかなか起き上がりそうにない。
マージジルマは首を左右に振って、ニッと笑った。
「気絶だけだ。テクマだったら死んでただろうな」
「ほ、ほう。それだけわたしが強くなったという事ですね。流石わたし、天才! よし、満足しました。これで本番はバッチリですね」
「バッチリだけど……お前、さっきのもやるのか?」
さっきのというのは、勿論「結婚したくなってきちゃったなー」の事だ。
ピーリカは目線を反らしながら誤魔化した。
「じょ、状況によります。今の呪いは、わたしがされたら嫌だからパパもされたら嫌かなって思ってやっただけなので。相手の女が師匠をそこまで好きにならなさそうだったらやる意味ないですからね。あぁ、我ながら恐ろしい呪いでした。パパが倒れたから、もうわたしの呪いも解けたですよ。良かった良かった」
「お前は今の呪いをかけられたら嫌なのか」
「め、目の前でイチャイチャされたら腹立たしいじゃないですか。それよりほら、今までの憎しみをぶつけるなら今ですよ」
満足したと言っていたのに、ピーリカはここぞとばかりに倒れている父親の背中を踏んでいる。
そこまで重くもないのか、父親は気絶したまま起きない。
その時、家の玄関が開いた音が聞こえた。
「あら、ピーリカお帰り。マージジルマ様も、いらっしゃいませ」
ピーリカの母親、パイパーが赤ん坊を抱いて家の中から出てきた。ピーリカは倒れている父親を指さし自慢する。
「ただいまですよ。見て下さいママ、パパをボコボコにしました。あと、わたしの事かわいいって言わせてやりました」
「まぁ、凄いじゃない」
ピーリカは凄いと言われ気を良くしたのか、これでもかという程ふんぞり返る。
「そうでしょう、わたしは凄いのですよ。あぁママ、ピピットちゃん抱っこさせて下さい」
「いいわよ。気を付けてね」
ピーリカは妹のピピットを両手で抱えると、その重さと湿り気に感動した。
「おぉ、前より重くなりましたね。流石わたしの妹。さぁピピットちゃん、よく見なさい。お姉ちゃんが悪いパパを懲らしめたんですよ」
倒れる父親を見せつけるピーリカだが、肝心のピピットはピーリカのつける花冠リボンの先端に夢中だった。
パイパーはマージジルマの隣に立ち、にこりと微笑んだ。
「凄いですねぇピーリカ。あんなに強く、大きくなって。あれなら今後、うちに戻って来てパパと喧嘩しても、うまくあしらっていけるかしら。そういえばこの間、ピピルピ様にも面倒見ていただいたみたいなんですよ」
そう言われたマージジルマは、少し気まずそうな顔をする。
ピーリカが大人になりつつある。パイパーはそう言いたいのだろう、とマージジルマは理解していた。
そもそもピーリカがマージジルマの元へ預けられたのは、ピーリカの家出を引き留めさせるための妥協案。子供であるピーリカなら、巨乳好きで有名なマージジルマが手を出す事もないだろうと考えられての事だった。だがそれもピーリカが大人になってしまっては絶対に大丈夫とは言い切れない。
加えて誤算だったのは、ピーリカが師匠を異性として見た事だ。だからこそ師弟愛を超える何かがあるのではないかと思われていた。
弟子からの好意も母親の気持ちも分かっていたマージジルマは、弟子には聞こえない程の小声で確認を取る。
「……ピーリカ、帰した方が良いか?」
「マージジルマ様がそれでよいのなら。私から頼んだ事ですから、やっぱり帰せとは言えません。ただ、泣かせるくらいなら帰して欲しいとは思います。前もお伝えした通り、手を出す気があるなら帰さなくって良いですよー」
言えるはずもないが、彼にとってピーリカは初恋相手であり、もう手を出した事もある。だからこそマージジルマは、絶対的な否定が出来なくなっていた。
とはいえ、まだピーリカも完全な大人ではない。
「とりあえず様子見で」
「えぇ。お待ちしてます。あ、パパの事は気にしなくて結構です。私が言い聞かせますからー」
問題を保留にさせたマージジルマは呪文を唱えて、再び絨毯を浮かび上がらせた。絨毯に乗って、赤子を抱いたまま父親を踏みつけている弟子に声をかける。
「おらピーリカ、帰るぞ」
「分かりました。ママもピピットちゃんも、バイバイですよ」
ピーリカは母親に妹を手渡す。だがピピットはピーリカの着けている花冠のリボンから手を離さない。小さな手で、ギュッとリボンを握りしめている。
「ピピットちゃん、おリボン離せですよ。千切れたらいくら心優しいお姉ちゃんでも怒りますよ」
母親もリボンを離させようとするが、ピピットはグズるだけ。離す気は一向になさそうだ。
「ピピットったら、そのリボン気に行っちゃったみたい。ピーリカ、貸してあげてくれない? なんならピーリカには、パパがお仕事で使ってる用の可愛くて新しいのもらってあげるから」
「だ、ダメですよ。これはケチな師匠がくれた貴重なものです。いくらピピットちゃんでもあげられません!」
娘の言葉を聞いて母親は驚いた。たかだかリボンとはいえ、アクセサリーである事に変わりはない。
パイパーはにっこり笑った。かと思えば、マージジルマに目を向ける。
逆にマージジルマは、彼女の母親から目を背けた。
「マージジルマ様? 女の子にアクセサリーを贈っておいて、その気がないというのはいかがなものかと。もてあそぶのだけはやめて下さいねー」
「分かってる、それは謝る。俺が軽率だった」
「置いていきます?」
「……もうちょっと時間をくれ」
ピーリカは頭にハテナを浮かべている。師匠と母親の話を理解出来なかった。
詳しく聞こうと思ったピーリカだったが、ピピットがリボンの先を口に入れようとしている姿を見てそれどころではなくなり。ピーリカは慌てて頭から花冠を外し、花の羅列だけをピピットに渡す。
「お花はあげます。リボンは返して下さい」
ピピットは花で満足したのか、リボンを手離した。ピーリカは急いで、いつも通りにリボンを結んだ。
「ほらピーリカ、行くぞ」
「分かってますとも。じゃあママもピピットちゃんも、今度こそバイバイです」
マージジルマはピーリカが絨毯の上に乗った事を確認すると、急いで絨毯を飛ばした。
ピーリカは母と妹に手を振り続け、その姿が見えなくなったと同時に師匠の背に掴まる。
掴まれたマージジルマは、この姿を見られたら何か言われただろうかと考えたが離させようともしない。
そんな風に思われているとは思ってもいないピーリカは、先ほど聞けなかった質問をする。
「ママと何話してたのどういう意味ですか?」
「警戒された」
「警戒? 師匠が? 師匠なんざ警戒しなくともワンパンチでどうにか出来るですよ」
「ほざけ。とりあえず見合いの日まではいろよ」
「どこに?」
「うちに」
「言われなくともいますけど?」
「あっそ」
師匠の言っている事の意味が分からず、ピーリカは首を傾けた。




