弟子、裏切られる
城のような建物の中に連れてこられたピーリカは、真っ白な部屋へとやって来た。
部屋の左側はカーテンで仕切られており、めくると一人が寝れる程の大きさのベッドが置かれていた。ピピルピは壁際に設置してある棚から包帯を取り出し、ピーリカをベッドの上に座らせる。
「誰もいませんけど、勝手に入って良いんですか?」
「大丈夫よ。えっちな事してたら流石に怒られるでしょうけど、今はピーちゃんの痛みを取り除くために来たんだもの。怒る人なんていないわ。それよりワンピースめくって、腕上げて?」
ピーリカは言われるがままワンピースの裾を持って、腕を上げる。思いっきりお子様ぱんつとキャミソールを見られているが、背に腹は変えられない。
ピピルピはピーリカの着ているキャミソールの上から、胸元を隠すようにグルグルと包帯を巻く。
「はい、応急処置」
ピーリカはワンピースを降ろし、ベッドから降りる。試しにピピルピの周りを軽く走ってみた。包帯によって固定された胸は、痛む事はなく。思わず笑みを零した。
「おぉ、痛くないです!」
「良かった。でもピーちゃん、痛かったなら相談してくれれば良かったのに。マー君には言いづらいかもしれないけど、私にならまだ言えるでしょ?」
「いえ、貴様に何かを相談するという考えが思いつきませんでした。エトワールやイザティへの相談は思いついたんですけどね」
「んもぅ、お姉さん悲しい」
ピピルピの正面に立ち止まったピーリカは、少しだけ俯いた。
「しかし痴女、この痛み……やっぱり病気ですか?」
「違うわ。でもこのまま放置すると大変な事にはなるわね。今日はもう遅いから、明日にしましょう。明日マー君の家に行くから、その時教えてあげる」
「……分かりました。ちなみに、この事師匠には内緒にしろですよ」
「この事って」
「む、胸が痛い以外何を言えというのですか」
「そうね。分かったわ、胸が痛いって事だけを内緒にすればいいのね」
「えぇ、肝に銘じろです」
顔を上げたピーリカを見て、ピピルピは微笑みながら頷く。
「さて、じゃあデートの続きをしましょう。マー君コーヒーとジュース買いに行ってると思ってるから、本当に買ってあげないと疑われちゃう」
「それはそれ、これはこれですよ。一人で買ってこいです。わたしは先に師匠の元へ戻ります!」
ピーリカは逃げるように走った。包帯によって固定されたお陰で、走っても痛みを感じる事はなく。どんなにピピルピが名前を呼んでも、ピーリカが止まる事はなかった。
ピピルピを置き去りにし、ドームの前にやって来たピーリカ。歩きながら自身の胸元に目を向けている。
明日になればピピルピが教えてくれるとはいえ、一体この痛みの正体は何なのだろうか。包帯を巻いて治ったという事は、やはり怪我や病気なのか。
なんて事を考えながら歩いていると、生徒の一人がものすごく薄い冊子を落とす姿を目撃した。後ろ姿を向けている上、名前も知らない相手故。ピーリカは落とし主の髪色で呼んだ。
「そこの桃の民族、落ちましたよ」
ピーリカは薄い本を拾い上げ、開いていたページに目を向けた。
『彼の事を思うと、胸がギュってなって痛い。もしかしてこれが――恋、なのかな』
「ふぁっ!?」
可愛らしい少女の絵と、その少女が発したと思われる文で描かれた本は、思わずピーリカをときめかせた。
「すみませんピーリカ嬢」
照れにより本を勢いよく閉じたピーリカが、本の落とし主の顔を見る事はなく。ただ目の前に広げられた手に向けて、投げつけるように渡す。
「もっ、桃の民族め、変な本を持ち歩くなですよ!」
ただ相手を叱ってその場を去ったピーリカだが、心内では本の内容がものすごく気になっていた。
もしやこの胸の痛みも恋のせいでは!? だとしたら師匠のせいか師匠この野郎、と勝手に怒り出す。
師匠の事ばかり考えていたピーリカは、本の落とし主に「かわいい人だなぁ」と呟かれた事には気づかなかった。
怒りながら戻って来た弟子を見たマージジルマは、首を傾げた。
「何かあったのか?」
「いいえ、ないです!」
「じゃあコーヒーは」
「痴女が買ってきますよ、わたしは師匠を監視しないといけないので先に戻って来たんです。感謝なさい!」
「感謝する意味が分からんが、弁当も食ったし出番も終わったし。コーヒーもらったら帰るぞ。閉会式なんざ俺らがいてもいなくても変わらないだろうからな」
「もう終わりですか? 待ってる方が長かったですね」
「そんなもんだよ」
ピーリカは少しだけ悔しがった。もっと早くピピルピに相談しておけば、自分も運動会を楽しめたかもしれない。
そこへピピルピが缶を両手に戻って来る。
「お待たせ。はいピーちゃん、ご褒美。マー君にも……あぁちょっと待って。良い事を思いついたわ。はいどーぞ」
自分の胸の間に缶を挟んだピピルピ。マージジルマが「普通によこせ」と怒り、ピピルピは残念そうに手渡した。
マージジルマはピーリカも缶を受け取った事を確認すると、魔法で絨毯を召喚する。
「あらマー君、閉会式見ないの? ここの学び舎の閉会式は、生徒達が無事に終わった事をお祝いするダンスを踊るの。かわいいのよ」
「まだ踊るのかよ。興味ねぇな。帰る」
「残念。じゃあ二人とも、また明日ね」
また明日の意味を理解したピーリカは、小さく頷く。
彼女達の約束など全く知らないマージジルマは、眉間にシワを寄せた。
「明日? 会議ないよな」
「遊びに行くわ」
「来なくて良い。行くぞピーリカ」
絨毯に乗った師弟は、ゆっくりと宙へ浮かぶ。
こっそり振り返ったピーリカは、ピピルピに向けて小さく手を振る。ピピルピは喜びのあまり両手を使って振り返した。
翌日、ピピルピは本当に黒の領土へとやって来た。
赤い屋根が印象的な家の前で、肩に白フクロウを乗せたマージジルマ。彼は不満げにピピルピを見つめる。
「来なくて良いって言ったろ」
「行かないとは言わなかったわ」
屁理屈を言ったピピルピは、マージジルマの横に立っていたピーリカの前にしゃがみ込んだ。
ピーリカは分かっていた。この後きっとうまい具合に胸の痛みについて教えてくれるのだろう。もしかしたら恋についても色々アドバイスしてくれるかもしれない、と。
今までならピピルピになんて絶対教わらないと思っていたピーリカだが、昨日の事もあってほんの少しだけピピルピを信頼するようになった。
だがピピルピは申し訳なさそうにピーリカを見つめた。
「ピーちゃん、先に謝っておくわ。ごめんなさい」
「何だかよく分かりませんが、良いでしょう。わたしは心が広いので許してやります」
「そう。それは良かった。じゃあ早速。マー君、ちょっとピーちゃんの下着買ってくるわね! 下着ってあれよ、ブラジャーの事よ!」
ピピルピはピーリカの期待を裏切り、マージジルマに向けて満面の笑みで爆弾を投下した。
「ぅわあああああああああ!? 何言ってやがるですか貴様ぁあああああ!」
両手を伸ばし魔法攻撃をしようとしたピーリカだが、その両手はピピルピの手によって塞がれてしまう。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「だから謝ったじゃない」
「内緒って言ったじゃないですか!」
「胸が痛いって事は内緒のままよ」
「同じ意味です大馬鹿者!」
マージジルマはマージジルマで、赤い顔してピピルピを指さしながら怒る。弟子といえど初恋相手であり好かれている相手でもある事を知っているせいか、多少は意識しているらしい。
「お前、お前、お前!」
「怒らないでマー君、落ち着いてよく考えて。このままにしておいたらピーちゃんがノーブラのまま家の中をウロウロする事になるのよ。今はまだしも、これからどんどん成長した時、マー君は耐えられるの? 私は耐えられない。白いシャツにノーブラ姿で外に出かけて、そこにゲリラ豪雨がきてびしょ濡れになってほし」
「途中からお前の願望になってるじゃねぇか! もういい、分かった、連れてってやってくれ」
「ありがと。ところでマー君、何色が好き?」
「あ? く…………白だな! 黒ではない!」
突拍子もない質問の意図を一瞬考えたマージジルマだが、すぐさま察して答えた。
その答えに疑問を抱いたピーリカは師匠に指摘する。
「師匠黒の方が好きでしょう?! 何言ってるんですか!」
「違う。白だ。今日だけは白だ」
「今日だけは白!?」
「……ピピルピに何言われても派手なのは止めとけよ」
「何の話ですか?!」
ピピルピはピーリカの腕を組んだ。
だがピーリカはその腕を払いのける。
「さ、恥ずかしがらないでデートしましょ」
「恥ずかしがってません。誰が貴様なんかと!」
「ふふ、リリルレローラ・リ・ルルーラ」
ピーリカの瞳の中に魔法陣が浮かび上がる。桃の魔法である操り魔法だ。
フッと笑ったピーリカは、率先してピピルピの手を取った。
「仕方ない奴ですね。してやっても良いですよ、デートというやつを」
「じゃあマー君、行ってきまぁす」
ピピルピはピーリカと手を繋いで外へと出て行った。
マージジルマは誰もいない家の中に入っていく。静な時を破ったのは、彼の肩に止まっていた白フクロウだった。
『いやぁ、ピーリカも成長してるんだねぇ』
「うるさい!」




