師弟、高級弁当を要求する
それから一か月後の早朝。
ベッドから起き上がったピーリカは、相変わらず胸に痛みを感じていた。わたしの祈りを聞き入れないとは何事だと神に対して怒りまで抱いていた。
「やっぱり師匠に……いえ、ここはいっそラミパスちゃんに……」
迷走している彼女はフクロウに相談しようとしている。
ひとまず服を着替えたピーリカ。
鏡の前で頭にリボンを結び笑顔を作るも。複雑な心境があるせいか、その笑顔には若干のゆがみがあった。
「なぁ頼むって」
「ぶちのめすぞ」
ピーリカがリビングの沓摺を跨ぐと同時に、低いトーンで怒る師匠の声が聞こえた。見れば一人掛けソファに、赤の魔法使い代表シャバが座っていた。
シャバはピーリカが来た事に気づくと、顔だけを彼女に向ける。
「ピーリカおはよ。なぁ、ピーリカからもマージジルマに頼んでくれよ」
「おはようですよ。何だかよく分かりませんが、良いでしょう。きっと師匠も貴様よりわたしの言う事を聞くでしょうからね」
「はいはい、この際何でもいいよ。急いでるからさ」
「貴様はわたしの扱いが雑なんですよ。で、何を頼むんですか?」
「借り物競争の借り物になってくれないかって」
「貴様はバカなんですか?」
そもそも師匠は物じゃない。仮に物だったとしても、誰が貸すものか。これはわたしのものだ。
なんてピーリカは思っていたが、勿論口にはしない。
シャバの向かい側に座るマージジルマは、ため息を吐いた。彼の持つコーヒーカップの表面が、息によって揺れ動く。
「シャバの頼みもピーリカの頼みも聞かねーよ。何だそのふざけた依頼内容は」
疑問を抱かれたシャバはさも当然のように答える。
「仕方ないじゃん。オレ急な出張になっちゃったんだもん。学び舎側、もう借り物のお題の中に代表様って入れちゃって取り出せないって言うんだもん」
「仕方なくねぇよ、朝っぱらから変な依頼して来やがって。百歩譲って借り物競争に出ろなら分かる。何だ借り物って。恥以外の何者でもないだろ。どうしてもってんなら、別の奴に頼め。代表なら誰でも良いんだろ。俺とお前抜いたってあと五人はいるじゃねぇか」
「無理無理。イザティはオレと一緒に出張行くし。ばーさんやテクマに頼むのは体力的に厳しいだろうし。パンプルは息子達が違う学び舎通ってるからなんか頼みづらい。そしてピピルピには別の事頼んであるから。マージジルマじゃないと無理なんだって。楽しいから大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだよ。きっとパンプルは息子達の学校じゃないからって気にしねぇよ、パンプルにしろよ」
「そっちじゃないよ、学び舎側が気にしてるんだよ」
「それこそ気にすんなよ。なんで俺が金の出ない戦に行かなきゃならねぇんだよ」
「運動会を金の出ない戦っていうのやめてくれる?」
ピーリカはシャバの肩をポンと叩いて宥めてやった。上から目線である。
「諦めなさい黒マスク。師匠はわたしの面倒を見るので忙しいんです。親友よりかわいい弟子なんです」
親友より弟子を選ぶという訳でもないのだが、借り物になりたくないマージジルマは黙ってコーヒーを口にした。
しかし、シャバもここで引き下がれはしない。
「分かった、こうしよう。学び舎に頼んで昼飯に弁当を出させる」
「貴様! 庶民のお弁当で師匠が動くと思うなですよ! 師匠はおにぎり二個のお弁当じゃ動かないんですからね、出すなら柔らかいお肉が入った高級弁当!」
マージジルマはコーヒーカップを降ろし、フッと笑う。
「ピーリカ、おしい。飲み物とデザートも出させようぜ」
「なるほど」
なんて図々しい師弟なんだ、そう思ったシャバだがどうやら本当に時間がないらしい。
「分かった分かった。出させるから。後日お礼もするから。本当にお願い。子供達から笑顔を奪うなんてギルティすぎるだろ?」
「そんな程度じゃ罪にはならない。言っておくが、借り物だけだからな。それが終わったらすぐ帰る」
「せっかくなんだから運動会見てげばいいのに。見て応援するの祭りみたいで楽しいよ」
「俺だって他の仕事あるんだっての」
行く気になったマージジルマの姿を見て、ピーリカはやれやれと首を左右に振った。
「仕方ない、そういう事なら師匠を貸してやりましょう。わたしの分のお弁当も出るんでしょうね?」
さも当然といった態度で問うピーリカに、シャバはフルフルと首を動かす。
「えっ、いいよピーリカは。留守番してて」
「何てこと言うんですか貴様。わたしは師匠の弟子なんですよ。師匠が無事借りられていくか見守る義務があります」
「そんな義務ある訳……あぁもう、分かったよ。ピーリカの分も用意させる。だから後は任せた」
ソファから立ち上がったシャバ。
マージジルマも少し遅れて立ち上がる。彼は空になったコーヒーカップを片付けながら、シャバの要求を受け入れた。
「ったく、しょうがねぇな。で、その運動会っていつやるんだよ」
「はっはっは、この後すぐ」
本当に突然すぎる依頼に目を丸くさせたマージジルマは、もう帰ろうとしていたシャバの尻に蹴りを入れたという。
師弟は城のような外観の建物の前にやって来ていた。ここは赤の領土にある学び舎『オープンジュエルハート』である。黄の領土にある学び舎『ビビディ・バビディ』の校舎も、若干の形色は違うものの城の形をしていた事をピーリカは思い出す。
「学び舎というのはどこもお城の形をしているのですね」
「そうじゃない学び舎だってある。まぁお前には一生縁のない所だろうけどな」
「そうですね。お金かかりますもんね」
「おう。行くだけ無駄だ。勉強なら俺から教われば十分だろ」
自分の師は師匠だけか。当たり前の事を改めて考えて、少しドキドキしたピーリカはプイと顔を背けた。
「し、師匠の教えなんて少し頼りないですけどね」
「失礼な奴だな」
「それより、早速運動会しましょう。赤の領土のお外は熱いですし。この城の中でやるんですか?」
「いや、シャバ曰く運動場ってのが別であるらしい……あれだな」
城から数メートル離れた場所にある、灰色の平べったいドーム型の建物。
「変な形ですね」
「だな。建設費用バカみたいにかかってそうだ。もったいねぇ」
それでも全ては高級弁当のため。師弟は躊躇う事なく、その変な形の建物の中に入っていく。
室内とは思えない程広々としたドームの中。人工芝が敷き詰められた広場。そこを囲うように並べられた椅子は、一万以上の数が用意されている。天井には逆三角形の形を旗が連なって飾られていて、とても楽し気な雰囲気だ。
ドームの入口に立ち、中を見渡していた師弟の元へある人物が近づいて来た。
「あらマーくん、こんにちは。貴方の恋人ピピルピです」
「違います!」
「まぁピーちゃんまでいる。大丈夫、私は貴女の恋人でもあるわ」
「それも違う!」
ピーリカに絡む桃の魔法使い代表、ピピルピの姿を見てマージジルマは口を尖らせた。
「何だよ、ピピルピいるなら俺来なくても良かったじゃねぇか。だったらもう弁当もらって帰っていいよな」
「何もしてないのにお弁当だけ持って帰らないで。マーくんが来たのって借り物競争の件でしょう? それならダメなのよ。わたしは別の借り物として出る予定だから」
「別の借り物って、代表以外って事か? 何として出るんだよ」
「痴女よ」
「お前は本当にそれでいいのか?」




