弟子、胸が痛い
赤、青、黄、桃、緑、白、そして黒の、七種の民族が暮らすカタブラ国。
その国の安全と平和を守るのは、それぞれの民族代表である七人の魔法使い。
「やっぱり……絶対変ですよ」
平和であるはずのその国で、身長142センチの少女がある悩みを抱えていた。彼女の名はピーリカ・リララ。黒の魔法使いの弟子である。
早朝ベッドから起き上がった彼女は、薄いピンクのパジャマを脱いでキャミソール姿になる。薄着になった事で、少しだけ膨らんでいる胸が目立った。
大きくなりたいと願っていた彼女にとって、ただ膨らんでいただけなら喜ばしい事だった。
だが彼女は浮かない表情で、自身の胸元を見つめる。そっと両手で胸を触ると、胸の奥にグリグリした固い何かがあった。
「痛っ」
そのグリグリのせいなのか、ここ最近、彼女はうつ伏せになったり走ったりすると胸の痛みを感じていた。
痛みが気のせいではない事を確認したピーリカは、表情を歪める。もしかしてこれは病気なのでは……? と。
「いくら大きくなりたいと言っていたとはいえ、病気で腫れても嬉しくねぇですよ……」
誰かに相談したくとも、勿論師匠に言える訳ないし。母親の元へ行けば嫌っている父親と鉢合わせする事になる。
次に相談できそうだと思い浮かべたのは、青の魔法使い代表であり女性であるイザティの顔。だが噂好きの青の民族である彼女に言えば、たちまち話が広まってしまうかもと思い。首を左右に振り、イザティの顔を頭から消す。
かわりに思い浮かべたのは、緑の魔法使いの弟子エトワールだった。
「エトワール……そうだ、エトワールならお勉強いっぱいしてますし、何か知ってるかもしれねーです!」
最悪エトワールが知らなくとも、その師匠であり老婆でもあるマハリクに聞けば何か分かるかもしれない。
なんとか気を明るくさせたピーリカはすぐさま着替えた。黒のワンピースはピンクのパジャマより胸の膨らみが目立たなかった。頭に白いリボンをつけて、黒いショートブーツを履く。
「大丈夫、今日も美少女です」
自分に言い聞かせるように言った言葉は、少しばかり不安を孕んでいた。
身支度を整えリビングに向かうと、そこにいたのはシワだらけのローブを着た、身長158センチのボサボサな黒髪の男がいた。彼の名はマージジルマ・ジドラ。黒の魔法使い代表である。今まさにキッチンで朝食を作りに行こうとしていた彼の足を、ピーリカは言葉で止めさせた。
「おはようですよ。師匠、今日はちょっと緑の領土に行きますね。大丈夫、一人で行けます。エトワールとお話してくるだけなので」
「何だよ突然。何話すんだよ」
「それは、その。怪我とか病気とかのです」
「お前……どっか具合悪いのか?」
怪しまれたピーリカはすぐさま否定した。おっぱい大好き師匠に胸が病気だと知られたら嫌われるかもしれないと思っている。
「悪くないですよ。ほら、わたしは優しい心の持ち主なので、国民が怪我や病気をした時に治せたらいいなと思ってるだけです」
「……黒より白の魔法を知りたいのか?」
「白? そりゃ知ってて損はしないでしょうけど、わたしは黒の代表になりますから。黒の方が知りたいですよ」
マージジルマは以前未来から来た少女ミューゼから、いずれピーリカが白の魔法使いになると聞いている。
だがそれをピーリカ自身に伝えた所で何かが変わるとも思えずに。今はただただ弟子の相手をする。
「何でエトワールに聞くんだよ。だったら……白の、回復魔法使えるテクマの方がいいだろ」
「真っ白白助が女だったら聞いてましたが、どっちか分からないんですもん」
「女だったらって、お前男には見せられないような所怪我してるんじゃ」
「違いますって!」
本当に具合が悪かったりしているのなら、白の魔法を使ってこっそり治そうと考えていたマージジルマ。だがどこが悪いのかも分からないのに、変に魔法をかけるのもリスクが大きい。そう思って、今はエトワールとマハリクに託す事にした。
「元気ならいい。行って来い」
「えぇ。その前に朝ごはんをいただきたいのですが。お腹すきました」
「メシ食う元気があるならまだ大丈夫か」
「そうですね、今日もわたしはかわいいです」
あまりのピーリカの図々しさに、マージジルマは内心「本当に大丈夫なのかもしれない」と思っていた。
朝食を取り終えたピーリカは、ほうきに乗ってゆっくりと緑の領土へ向かった。急ぎたい気持ちはあったが、あまり動くと胸が痛む。もどかしい思いをしつつも、彼女はいつもより倍の時間をかけて飛んで行った。
「ごきげんようエトワール、ちょっとお話聞きやがれです。ばーさんも聞いてくれてもいいんです……よ」
木で出来た円形の家の扉を開けるなり、ピーリカは目を点にした。部屋の中心に置かれた丸い机の上にはたくさんの本が積まれていた。その後ろで黄の魔法使い代表であるパンプルの息子、ポップルとシーララがエトワールを挟むように座っている。
挟まれていても嫌がってる様子のないエトワールは顔を上げ、扉の前に立つピーリカに目を向けた。
「あらピーリカさんごきげんよう。お師匠様は本日、食物管理のお仕事のためお留守です」
「食物管理?」
「マージジルマ様が畑仕事をしているのは趣味でしょうけど、農家として職業にしている者もいらっしゃるでしょう。我らが緑の魔法使いは植物を自由に生み出せますが、お野菜や果物、薬草など数ある植物を全て魔法で生成するのは疲れちゃいますし、多く作り過ぎても無駄なジャングルになってしまうだけですからね。だから代わりに、普段魔法を使わない人に職業として育ててもらうのです。緑の魔法使い代表のお仕事には、そんな農家や酪農家の方々の管理もあるんですよ。需要があるものを多く、需要のないものは少なく生成するように調整させる事が必要なんです。需要の多い品を作る人には多めの予算と土地を与え、逆に需要の少ない品を作る人には少ない予算と土地の他に別の仕事を与え」
「分かりました分かりました、もう大丈夫です。それより、何で次男と三男がいやがるですか」
緑の魔法使いの仕事には興味のないピーリカは、とっとと本題に入りたかった。
だが野郎二人がいてしまっては、胸の話が出来ないと苦い顔をしている。
「「エトが一人でお留守番とか可哀そう」」
声を揃えて答えた野郎二人に、ピーリカは苦い顔をしたままエトワールに問いかける。
「わたしだって一人でお留守番とかよくします。本当はエトワールだって、一人でお留守番くらい出来るんじゃないですか?」
「えぇ。一人でも大丈夫です。ですがお兄様方のご厚意を無駄にするのも心苦しく」
「大丈夫ですよ。一人が寂しいならわたしがいてやりますから、早く帰らせて下さい」
「だそうです、お兄様方。お帰りになられますか?」
ポップルとシーララは首を左右に振った。
「アカンよエト、お兄様達を無下に扱ったらアカン」
「そうだよ。大体僕ら普段は学び舎行ってるんだもん。休みの日くらい妹と一緒にいて何が悪いの。ピーリカ嬢こそ今日は帰ればいいじゃない。ピーリカ嬢はいつでも来られるでしょ」
言われてみれば今日は二人とも制服姿ではなくピーリカの父親が手掛けるブランドの服を着ている。どちらも今時の若者向けファッションで、自称オシャレ魔女ピーリカとしてもパパの服でなければ師匠の次くらいにはかっこよかったかもしれないのにと思う程だった。
シーララがピーリカの父親を尊敬しているのは知っていたが、ポップルまでパパブランドの服を着るなんて。その事がピーリカの顔を余計苦くさせた。
エトワールは空気を読んで、ピーリカを手招く。
「ピーリカさんもよかったら居て下さい。皆でお勉強しましょう」
ちなみにエトワールはピーリカの着ているものと色違いの、深緑色をしたシンプルなワンピースを着ていた。エトワールはさほど服に興味がなく、親(最近では兄達)に買い与えられた服を適当に着るような娘だ。
「エトは優しいなぁ」
「そうだね。流石僕の妹」
兄達はエトワールの頭を優しく撫でる。エトワールも慣れた様子でそれを受け入れている。
実の兄妹ではない三人は、兄妹の距離感を間違えていた。ポップルだけはわざと間違えている。
ピーリカは強引に本題へ入った。あまり遅くなると師匠が心配して迎えに来てしまう、そう思ったせいだ。
「今日は遊びに来たのでもお勉強しに来たのでもないんですよ。その、エトワール。体が痛くなる事ってありません?」
流石に男の前で胸と言うのは気恥ずかしく、ピーリカは胸とは言わず体と言った。
「体ですか? ずっと本を読んでいると首や肩が痛くなる事はありますが」
エトワールの言葉を聞いた兄達は、妹を横向きに座らせた。それからシーララは背後から彼女の肩を揉み、エトワールの正面に立ったポップルは彼女の首裏に手を伸ばし優しく揉む。
「お兄様方、ありがとうございます。今は大丈夫ですよ」
そう言われても彼らは手を止めない。単にエトワールに触れていたいだけなのである。「あの、お兄様方?」と動揺の声を漏らすエトワールの事は気にせず、シーララはピーリカに顔を向けた。
「ピーリカ嬢のはさ、成長痛じゃないの? 僕もなった事あるけど、あれ痛いよね」
「成長痛……?」
ピーリカはエトワール程本なんて読まないだろう、遠まわしにそう言われている事にピーリカは気づいていない。
シーララと同じようにエトワールから手を離さないポップルは、ピーリカに合わせて黄の言葉ではなく標準語で喋る。
「体の成長に骨やら筋肉が追い付かなくて痛くなるんだよ。転魔病の体版ってとこかな、性格が真逆になる事はないけど」
「じゃあ、すぐ治りますか?」
「個人差あるけど、大体はすぐ治るよ。あんまり続くようなら違う病気かもしれないから、その時は病院行きな。いくらマージジルマ様だって病院代くらいくれるでしょ。それともそれすらくれない程ケチなの?」
「そんな事ないですよ。師匠は優しいですから。でも……それじゃあ師匠に病院行くって言わないとですね?」
「うん。言わないでもっと悪くなったら大変だからね。そこは素直に言わないと。強がっちゃダメだよ」
「そうでしたか……分かりました。聞きたい事聞けたので帰ります! さよなら!」
本当にそれだけを聞きに来たのかと疑問を抱く兄妹達を残し、ほうきで空飛んだピーリカはゆっくりと帰る。
「おっぱいが成長して痛いって事は、もうすぐ大きくなるって事ですね。あとはすぐ治る事を祈りましょう」
これが半分くらい勘違いである事を、彼女はまだ知らずにいた。




