弟子、未来の部下に喧嘩を売ろうとする
朝食を食べ終えたピーリカは支度を整え、白いカーディガンを羽織った。部屋の中では我慢できない程ではないとはいえ、まだ少し暑く感じる。
そんな彼女の隣でファイアボルトが反復横跳びを始めた。ピーリカは眉間にシワを寄せる。
「ちょっと、余計暑くなるから止めろ下さい」
「仕方ないだろう。出かける前のウォーミングアップだ」
「出かけるって、クソボルト様も一緒に行くのですか?」
「ファイアボルト様と呼べと言うのに。これから行く仕事はマージジルマにとって本当に負担なんだ。俺が手伝ってやらないと」
「なんだ、それなら安心してくれて構いませんよ。なんたってわたしがいますからね。わたしがいれば師匠は百人力ですから」
胸を張るピーリカを見て、ファイアボルトは頭を掻いた。彼はまだマージジルマがピーリカを嫁にするつもりだと思い込んでいる。
「本当にそんな気もしてきたな」
「お? 褒めるならちゃんと褒めてくれていいんですよ。かわいいって」
「俺もか? マージジルマ以外にかわいいと言われて嬉しいか?」
「嬉しいですよ、わたしがかわいいという事実を再認識出来ますから。そりゃ師匠に言われる方がうれし……い事もなくもなくもないんですけどね!?」
照れを隠しきれていないピーリカだが、そんなものはファイアボルトにとってどうでも良かった。
「魔法使いの弟子という立場に代表の隣を任せるのは、まだ心もとない。ただ全部が片付いた後、傍にいる役目はお前に任せよう」
「なんだかよく分かりませんけど、全部わたしに任せておけばいいんですよ」
「それは無理だ」
「なにおう!」
怒って叩こうとしてくるピーリカを、ファイアボルトは反復横跳びで素早く避ける。
リビングへと戻って来たマージジルマが二人の姿を見て顔をしかめるのも無理はないのであった。
ラミパスに留守番を任せて師匠達と共に外へ出てきたピーリカは、目の前に聳える崖を見つめた。彼女達が立っている場所は黒の領土だが、崖の上から見える緑の木々は白の領土のものだ。
「崖しかないです」
「それでいいんだよ。ここが目的地だからな」
「本当にここですか?」
「あぁ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
洞窟の壁の前で魔法陣が光る。するとそこから、ゴゴゴゴゴゴゴっという低い音が響き渡った。
壁の一部が地面へと潜っていき、空洞の道が現れる。二人が並んで通れる程の広さだ。
「洞窟が現れましたよ!」
「普段は悪い奴閉じ込めるために隠してるんだよ」
そう言いながら洞窟の中へ入っていくマージジルマをピーリカは追う。薄暗い洞窟の中からは、冷気が零れた。
白いカーディガンを着ていたピーリカだが、それでも寒さを感じた。自身を抱きしめるように、二の腕を擦る。先ほどまで暑いと感じていたのが嘘のようだった。
「寒いですね。あっ、師匠も寒がりですもんね。やせ我慢しなくていいんですよ。おてて繋いであげます」
マージジルマに右手を差し出したピーリカだが、どうせ断られるのだろうなと思っていた。
しかし。
「よし。行くぞ」
マージジルマは彼女の手を握って進み始めた。
一瞬トキめいたピーリカだったが、その感情はすぐに不安へと変わる。いつもの師匠じゃない。いつもなら繋いでくれたとしても「そんなに繋ぎたいのか、ほんと俺の事大好きな」なんて、からかいの言葉もセットで言われる。新手のいじわるとも考えられなくもないが、その割には師匠から握られた手の力がいつもより強い気もする。
やっぱり寒いのだろうか。それとも、本当にこの仕事が嫌なんだろうか。弟子だけがそんな不安を感じながらも手を繋いだまま前へ進む師弟。ファイアボルトはただただ黙って二人の背中を見守っていた。
しばらく歩いていくと、道の左右に火のついたろうそくが等間隔で置かれていた。冷たい風が吹いているのに消えそうにない火の数々を、ピーリカは不思議そうに見渡しながら歩いている。
火に照らされた洞窟の白い壁は、所々に色のついた小石が挟まっていた。少しかわいいと思いながら壁に目を向けて歩いていたピーリカだが、師匠の背中にぶつかって止まった。
ピーリカは鼻をさすりながらマージジルマの脇から顔を覗かせる。現れたのは、大きな鉄の扉。その扉の前に、一人の男が立っていた。おかっぱ頭の男は低姿勢でマージジルマに近づく。
「これはこれはマージジルマ様に……ファイアボルト様!? よ、ようこそいらっしゃいました」
男はマージジルマだけでなくファイアボルトにも腰を低くした。
「おぉ、久しいな。元気そうで何よりだが、もう少し筋肉をつけた方がいい。なんなら俺が特訓をしてやっても」
「そそそそんな、ぼくなんかがファイアボルト様のお手を煩わせるなんてとてもとても。そうだ、その特訓はピーリカ嬢にしてあげて下さい。いやぁ、マージジルマ様の弟子になっただけでも頭おかし、いえ、立派だなと思っていたピーリカ嬢がファイアボルト様の特訓を受けたらすごい事になるんだろうなぁ。見てみたいなぁ」
ピーリカはおかっぱ頭を指さしながらマージジルマに問うた。
「かわいいわたしに特訓を押し付けてるこの無礼者は何なんです?」
「現状俺の部下だから、お前が代表になれたらお前の部下になる奴」
「これがぁ?」
「これが。それにコイツは一時期だけだが代表に立候補してた奴だから。万が一俺に弟子が……お前が来なかった時に俺の弟子になる予定だった男だ」
マージジルマの答えに驚くピーリカ。弟子になる予定だったと聞いては、黙ってはいられない。
「つまりライバルという事ですね? かわいい弟子の座は渡しませんよ!」
「いらないよ。ぼくにはもう素晴らしい魔法使いという地位があるからね、代表にならなくとも程よく出世してる! むしろその方がプレッシャーも少ない! そもそもマージジルマ様の弟子候補になんてなりたくなかったからね、ピーリカ嬢が来てくれて良かったとさえ思っている! 将来ピーリカ嬢の下に着くのはちょっと不安だけど!」
「貴様さてはクズですね?」
「全然。賢いと言っていただきたい」
「全く賢くないですよ。わたしの下に着くのが不安だなんて、おかしいとしか思えません」
「え? 引っかかってるのそこなの?」
怪訝な表情を見せるおかっぱ頭の顔を見たピーリカは、その顔に見覚えがある事を思い出す。
「貴様、もしかしてわたしの夢の中で師匠の事攻撃してたおかっぱですか?」
「ピーリカ嬢の夢の中での事なんか知らないよ。確かに昔マージジルマ様を倒した事はあるけど、その後倍返しにしてボコられたし今じゃもう敵わないから。速攻でひれ伏すよ」
「そうですか。まぁ、国民全員わたしの部下のようなものですし」
「まだピーリカ嬢の下についてもいいと思った事はないよ」
「なんだと!」
おかっぱ頭に喧嘩を売ろうとしているピーリカを、マージジルマは言葉で止める。
「ピーリカうるさい。安心しろ、俺もコイツが弟子になるの嫌だったから」
それはそれで不服だなと思っていたおかっぱ頭だったが、ここはあえて黙っておいた。




