弟子、師匠を起こす
「と言っても、大掃除をするのはあと二ヶ月は先だからな。それまでに体を鍛え、勉学に励むと良い」
「ふむ。いつも通りのおりこうさんでいればいいという事ですね。では師匠にお勉強を教えさせてやりに行きましょう」
「待て。今日は俺様が見てやる」
「結構です」
ファイアボルトの教えは大抵体を動かすものだと、ピーリカは十分理解していた。だがファイアボルトはピーリカの答えを断る。
「遠慮するな。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
「ふぎゅっ」
マージジルマの元へ行こうとしていたピーリカは、ファイアボルトの魔法のせいで盛大に転んだ。
「かわいいわたしに何てことしやがるですか!」
ピーリカが怒ったと同時にファイアボルトは外へ向かって走り出す。やられっぱなしではいられないと、ピーリカは怒りながら追いかける。そのまま二人は魔法で攻撃をし合う。
ファイアボルトの作戦にまんまと引っかかった彼女が、マージジルマの態度に違和感を抱く事はなかった。
日に日に勉強と悪行を重ね、あっという間に二ヶ月が経った。
いつも通りに起きたピーリカはリビングへと向かう。
「おはようですよ」
「おぉピーリカ、おはよう」
ムキムキな筋肉のせいでサイズの合わないエプロンを着けていたファイアボルト。今まで見た事の無かった姿に、ピーリカは疑問を抱いた。
「おや? クソボルト様がご飯を作ってくれるのですか?」
「変な略し方をするな! まぁ、今日は特別にな」
「特別? お誕生日か何かでしたか?」
彼女からの質問にファイアボルトは首を左右に振る。
「いや、前に言ってた大掃除の日だ。今日のマージジルマは忙しくなるからな、ギリギリまで寝かせておこう」
「そうですか。ではわたしももう少し寝るとしましょう」
「さては自分とマージジルマが同等だと思っているな?」
「当たり前な事言わないで下さい」
自分の部屋に戻ろうとしたピーリカだが、リビングの隅にいたラミパスの姿を目にしその場へ留まった。いつも丸い目でピーリカを見つめているラミパスの目尻が、今日は下がっているように見えたからだ。
「どうしたんですかラミパスちゃん、なんだか元気がないみたいです」
ファイアボルトはキッチンに立ちながら彼女の疑問に答える。
「まだ寝ぼけているんだろう。そいつは特殊なフクロウだから日中も起きてるが、本来フクロウってのは夜行性だからな。そういう日もあるだろう」
「そういうものですか? じゃあラミパスちゃん、今日はゆっくりしててください」
ラミパスを抱きソファに座ったピーリカは、そっとラミパスの背中を撫でる。ふかふかなソファと動物の温かさを掛け合わせた心地よさと言ったら最高でしかない。ピーリカは次第にソファの上で眠ってしまった。
「おら、起きろピーリカ。マージジルマを起こすならお前が行け。俺が行っても良いなら俺が行くが」
「んにゅ、ダメです。師匠を起こすのはわたしの役目」
ファイアボルトに起こされたピーリカは、眠い目を擦りラミパスをソファの上に降ろす。廊下を歩き地下へと続く螺旋階段を一段一段降りていく度に、目を覚ましていった。
師匠の部屋の前へ着く頃には完全に目の覚めたピーリカは、引き戸を開けて散らかった部屋の中へ飛び込む。
「師匠、朝ですよ。そろそろ起きないと遅刻ですってよ」
目の前の光景に、ピーリカは少しばかり驚いた。椅子に座ったまま眠る事の多いマージジルマが、珍しくベッドで寝ている。しかも頭から布団をかぶって、まるで団子のようになっていた。
「お? 変な寝相ですね。ししょーぅ、朝でーす」
ピーリカは団子の中に上半身を突っ込む。うつ伏せになっているマージジルマは、腕で顔を隠していた。
「師匠。ほら、お仕事ですよ」
ピーリカはマージジルマの背中を揺すり、起きるよう促す。
「行きたくねぇなぁ……」
ポツリと呟いたマージジルマの姿に、ピーリカは目を丸くする。面倒だと行きたがらなかった姿は多々見て来たが、布団に包まってまで嫌がった姿は見た事がない。
「そんなに嫌になるくらい忙しいんですか。でも師匠、行かないとお金貰えないんでしょう? それでもいいなら止めませんけど。代わりにわたしが行ってやってもいいですし、もしくはクソボルト様に行ってもらってわたしのお勉強見てくれてもいいんですよ」
「……いや、金額的にはバカみてーにデカいからな……行くかぁ」
嫌々ながらも体を起こすマージジルマ。
ピーリカは自分の勉強を見てもらえない事をちょっぴり残念に思いながらも、一緒にお出かけ出来るのだからと切り替える。
「さぁ、クソボルト様がご飯作ってくれたみたいですよ。早く食べるです」
「あのクソジジイ、余計な気を使いやがって」
そう言いながら部屋を出た師弟の元へ、香ばしい匂いが漂って来た。
リビングへ到着すると、その正体が机の上に並べられていた。
こんがり焼かれた鳥の肉。その横には茹でた卵が輪切りに切られて添えられている。グラスに入ったオレンジ色のドリンクは、先日マージジルマが果物をベースに作った甘めの野菜ジュースだ。これなら野菜でも飲めるとファイアボルトも気に入った逸材。
緑色がないせいで、一品一品は美味しそうだが食卓全体の見た目の色味は偏っている。
マージジルマは、ふっくらとした白米が山のように盛られているお椀を持ち上げた。ピーリカも自分の分と盛られたご飯の量を見て「こんなに食べたらかわいいお腹が破裂するんですけど」と嘆いている。
マージジルマはファイアボルトの隣に座り、眉をひそめた。
「朝からこんなに食えるか」
「食え。筋肉をつけるためだ」
ピーリカもマージジルマの真正面に座り、彼と同じ顔をした。ファイアボルトの想いは全く伝わらない。
呆れた様子のマージジルマは、まだ口のつけていない箸で自身のお椀に盛られたご飯をファイアボルトの分として盛られたご飯の上へ盛る。
「俺はジジイ程つける気はねぇよ」
それを見たピーリカも、自身のお椀に盛られたご飯をファイアボルトの分のご飯の上へ更に盛った。それでは悪いと思ったのか、彼女はファイアボルトの皿から卵を奪う。交換のつもりらしい。
「やめろお前ら、それくらい食べろ。俺に押し付けるな。あとピーリカは人の分の卵を盗るんじゃない!」
一緒に怒られたマージジルマが知らん顔で食べ始めたため、ピーリカも知らん顔で朝食を食べ始める。卵も食べた。
ファイアボルトは怒りながらも、こんもり盛られたご飯を完食した。
食事を終えたマージジルマは食器を片しながら、まだ肉を頬張っているピーリカに顔を向けた。
「ごっそさん。じゃあ準備するか。ピーリカ、これから行く場所は肌寒くなるように設定してあるから。食ったら一枚羽織れるようなもんを持っていけ」
「んぐんぐ、カーディガンでいいですか?」
「あぁ」
師弟の会話を聞いていたファイアボルトは不満げな顔を見せた。
「寒かったら動けばいいだけだ。余計な荷物なんて持たなくていい」
「わたしはデリケートなので寒さには弱いのですよ」
偉そうに答えたピーリカを庇うように、マージジルマはファイアボルトを睨みつける。
「余計な事言ってんじゃねぇぞジジイ。またババア達に言いつけるからな」
「やめろ。大人になって叱られるのは恥ずかしい」
「恥じるような事をするなよ」
マージジルマはそう言いながらリビングを出て行った。
その場に残されたピーリカは斜め前に座るファイアボルトに顔を向ける。
「ところで、師匠は何を準備するんですかね。魔法でお仕事だったら道具もいらないですし、師匠がお出かけする時は基本手ぶらなのに。あ、師匠もカーディガン着るんですかね」
「さぁなぁ。何だろうなぁ」
ピーリカには曖昧に答えたファイアボルトだが、追加の言葉を心の中でだけ呟いた。
覚悟かもしれないな、と。




