弟子、ケーキを食われる
「おぉ、ちょうど良」
母親が来たものだと思い扉の方へ笑顔を向けたピーリカだったが、すぐに表情を歪めた。
「ひょあーーーーーーーー!」
娘の叫ぶ声が聞こえたパイパーは本を閉じた。
「あら、ピピットだけじゃなくピーリカまで騒いでるわ。マージジルマ様、申し訳ないですけど下へ戻りましょう」
マージジルマは内心ほっとしながら大きく頷く。
「そうだな。ピーリカが何かしでかしたら困るからな」
早歩きで一階へと向かったマージジルマが、ニコニコしながら後ろを追って来るパイパーの表情を見る事はなかった。
リビングに戻ったマージジルマが目にしたのは、ソファの上で弟子の父親パメルクが高らかに笑いながら哺乳瓶片手にピピットへミルクを与えていた姿だった。マージジルマの後ろから顔を出したパイパーは、全く驚いた様子もなく微笑んだ。
「あらパパ、お帰りなさい。早かったのね」
「ただいま帰って来てやったし。おれ天才だから、早く仕事が終わっただけだし。早く家族の所に帰りたかったとかそんなんじゃないし」
「はいはい。それよりピーリカをいじめないで」
「いじめてないし。腹をすかせたピピットにミルクを与えて何が悪い」
ピーリカは父親の隣に膝立ちし「ピピットちゃんを離せですよ!」と彼の頭叩いている。
娘の攻撃はさほど痛くないのか、パメルクはマージジルマを見つめニヤニヤしながら自身の現状を自慢する。
「はーっはっはっは! 見ろ。娘達に囲まれてるのは父親であるこのおれ! お前が入る隙間なんてどこにもないし! やーい独り身!」
マージジルマは自分の心情に驚いていた。今までは弟子の父親に対し「俺はこんな奴にあの人をとられたのか」という思いの方が強かった。だが今現在彼が感じているのは「俺はヤれないのにコイツはヤれるのか」というイラつきのみ。今まで感じていた未練のようなものは完全に断ち切れたようだ。それでも、やはりイラつきはあるので。
「そうか、入る隙間が無いんじゃあ仕方がない。大人しく帰るとするか。よしピーリカ、帰るぞー」
マージジルマはピーリカの父親に、笑顔で喧嘩を売る。
途端に青い顔をしたパメルクは妻に哺乳瓶ごとピピットを手渡し。素直さは出せないままピーリカを留まらせようと考える。
「ピ、ピーリカはチビだからいても邪魔にならないし。何なら置いて帰っても良いし。独り身の所に子供がいるのは何かと大変だろ?」
マージジルマは笑顔のまま首を横に振り、ピーリカを指さす。
「どうせチビだからいても邪魔にならないし。赤ん坊がいる所に置いて帰る方が悪いし。子供だけど自分の事は自分で出来るくらいにはデカいからそこまで大変じゃない。何よりほら、本人がもう帰る支度を始めてる。やっぱりお前より俺の方が良いらしい。アイツ俺の事超好きだからな」
ピーリカは母親とピピットに手を振り「ママ、わたしの代わりにピピットちゃんをパパから守って下さいね」と言いながらバイバイしている。本当に帰ろうとしていた娘を見て、父親の青い顔がさらに青色になった。
「ぴっ、ピーリカ、もう少しなら居させてやってもいいし。おれのかわいい娘ピピットを見て崇めろ。ピーリカだって他に行くところがないだけで、あの男の所なんざ本当は帰りたくないだろ」
「確かにピピットちゃんとバイバイするのはとても名残惜しいです。でもわたしは、かっこよくてかわいいお姉ちゃんになるため修行に戻ります。決して師匠がしゅきとか、そういうんじゃないですけどね。師匠はわたしがいないとダメなので、仕方なく師匠と帰ります。さよなら」
ピーリカはほんのり赤く染めた頬を見せながらパパにもバイバイする。それは誰がどう見ても、仕方なくな態度ではなかった。
とはいえ父親だって諦めない。
「待てし! どんなに頑張った所で無意味なんだ、だから」
「何言ってやがるですか。まぁ、わたしも成長してますからね。パパの言いたい事は分かってますよ」
「い、言いたい事って」
本当はちゃんとピーリカの事をかわいいと思っている事だろうか、パメルクはそう思った。
ピーリカは口元に手を当て堪えきれない笑みを隠そうとしている。
「わたしだけがかっこよくてかわいいと思われるのが、羨ましいんでしょう?」
「誰が!」
ピーリカの父親であるパメルクは自分の事をかっこよくて素晴らしい父親だと思っているので羨ましさは本当に全く感じていない。
母親はピピットにミルクを飲ませながら、机の上に置かれた白い箱を見つめた。
「ピーリカ。帰るのは仕方ないけど、その前に教えて。この箱の中身はパパにあげるの?」
それはピーリカが買ってきたケーキの箱。ピピットを抱く前にピーリカが置いたものだった。
「あげたくないけど師匠があげろって言ったから仕方なくあげようと思ってました。でも意地悪するパパにはやっぱりあげたくないですね」
「おれだってピーリカからのプレゼントなんて嬉しくないし。ましてや、その男があげろって言ったものなんて。どうせロクなもんじゃないだろうし」
「失礼な事言うなですよ。聞いて驚け、見て跪け。これはわたしが初めて得たお金で買ったケーキなのですよ」
娘の言葉を聞いて、パメルクの表情が固まる。
かわいい娘が初収入で買ったケーキ。親にとってそれ程嬉しいものはない。だが素直に「食べさせてお願い」なとどは言えずに。
迷いに迷って、彼はケーキを手づかみし。勢いよく自身の口の中へ放り込む。
「あーーっ!」
勝手に食べられるとは思ってもいなかったピーリカは、驚きの声を上げる。
「ふっへやっひゃわ。ふぁああみふぉ」
租借しながら「食ってやったわ、ざまぁみろ」と言っている父親に、ピーリカは怒りをぶつける。
「師匠の分にしようとしてたのに! 泥棒、ケーキ泥棒!」
予想外の答えに、ケーキを飲み込んだ父親も怒りをぶつける。
「何でお父様の分がなくてこんな奴の分のケーキがあるんだし! おれは絶対泥棒じゃないし。ところで、もう一個はママの分だとして、残りの一つは何だ? ピピットの分か?」
「赤ちゃんがケーキを食べられない事も知らないんですか? それはわたしの分です!」
「何でピーリカの分があるのか分からないが……そういう事ならもう一つもおれが食ってやるし。ピーリカのものはおれのもの。おれのものもおれのものだし」
「なんて自分勝手な!」
自分の日頃の行いは棚に上げて怒るピーリカ。そんな彼女に、師匠からのアドバイス。
「それだったら奪って食っちまえ。お前のパワーアップした姿を見せつけてやれ」
「なるほど。師匠にしては良い案です。とびっきりの不幸をお見舞いしてやるですよ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ!」
ピーリカ唱えた呪文によって、ケーキの箱下に現れた魔法陣が光る。箱の中に残ったケーキの内、一つだけが宙に浮いた。
そのままケーキは勢いよく――マージジルマの口の中へ飛んだ。
「「あっ!?」」
親子二人は同時に驚きの声を上げた。そう、パメルクにとってはピーリカにケーキを奪われるよりもマージジルマに食われる事の方がとびっきりの不幸だったのである。
マージジルマは自分の意思に反して口内へ飛び込んできた塊を吐き出そうかとも考えたが、ケーキ代の事を思い出し留まる。吐き出した所で誰かが食べられる訳でもない。処分せざるを得ない事を考えると、金に汚い彼が選ぶ選択肢は一つだった。
口を閉じ舌の上に広がる甘さを味わい、ゆっくり咀嚼する。柔らかなスポンジの間に敷かれていた薄いチョコレートが、小さくパキポキと音を鳴らしながら砕かれていく。
パメルクはマージジルマの胸倉を掴み、ピーリカに聞こえない程の声量で怒りをぶつけた。
「なんでテメーが食うんだ、ピーリカの買ったケェキはおれが食うべきなんだし。お前なんか泥でも食ってろし!」
想像と同じ事を言ったパメルクを、うるせぇなぁと思いながら見つめるマージジルマだが。ここで謝罪するつもりはない。ケーキを飲み込んでからパメルクの手を払い。
ケーキが食べられずに落ち込むピーリカの前へしゃがみ込み、彼女の頭をポンと撫でた。怒るパメルクの事は無視している。
「諦めろピーリカ。そのうちケーキなんざ何個でも買えるようになればいいだろ」
「でも人生で初めて買ったケーキはあれだけでしょう。流石にママのは奪えないですし」
「そうか。そうだよな。ところで、まだ俺ケーキ食ったばっかで口ん中チョコ味だからさぁ。今俺とキスすれば味だけは楽しめると思うんだよ」
そう言ったマージジルマは、彼女の頭の上に乗せていた手でピーリカの顔を自分の顔の方へ近づけさせる。あと数センチで、本当にキスが出来そうな距離。
ピーリカは突然の出来事に驚きながらも、ギュッと目を瞑った。
「うわーーーーーー!」
父親は叫び声を上げながらマージジルマを突き飛ばし、ピーリカを抱き寄せる。大体想像がついていたのか、マージジルマは小ばかにした態度でパメルクの前に立つ。
「何しやがるクソ野郎」
「こっちのセリフだし! おれの娘になんてことすんだ、このケダモノ!」
「テメーが娘のケーキ勝手に食うからだろうが」
父親に抱き寄せられているというのに、ピーリカは大人しくしている。それほど動揺していた彼女だが、母親から「ピーリカ、残りのケーキママと半分こしましょう」と言われると父親を突き飛ばしすっ飛んで行った。それ程ケーキを食べたかったようだ。
ピーリカは箱からケーキを取り出し、付属していたプラスチックのフォークで一口食べる。だが食べたら食べたで問題が発生した。
もし師匠とチューしたらこの味だったのか、なんて考えてしまい、味なんて分からなくなってしまったのだった。
そんな彼女の後ろでマージジルマとパメルクはまだ言い争っていた。
「おれのかわいいピーリカに手ぇ出したら許さないからな!」
小声で言われたその言葉に、マージジルマはピクリと反応した。今までの彼であれば「誰が出すか!」と怒鳴り散らしただけで終わっただろう。だが今日のマージジルマは一味違う。中指を立てて、小声で返す。
「もう出しましたぁー」
コイツの凄い所は嘘を言っていない事である。




