弟子、疲弊している
ピーリカは思わず体を起こした。良かれと言って思ったファイアボルトの言葉が、彼女の顔を真っ赤にさせたのは言うまでもない。
ファイアボルトは話を続ける。
「俺は昔から早く代表を退いて旅に出ようと思ってたんだ。だが次に代表に決まったマージジルマは、聞けば親もおらず山に一人で暮らしているというじゃないか。弟子入りした後は俺と一緒に暮らしていた分、一人に戻るというのはやはり寂しいかと思ってな。せめて恋人でも出来るまでは俺が近くにいてやろうかと提案したんだ。だがそれを聞いたアイツは何て言ったと思う?」
「ジジイが近くにいても嬉しくない、ですか?」
「違う。もうすぐ弟子が来るはずだから大丈夫だって言ったんだ。弟子になる女と結婚するのに、俺がいると邪魔とまで言った。すごく失礼な奴だろう? 腹立たしいから本当に旅立ってやったわ。とはいえ、やはり寂しい思いをさせてるんじゃないかと思って帰ってみれば既にお前が」
「ま、待って?! えっ、弟子と結婚って、えっ?!」
「……ま、まさか聞かされてないのか!?」
しまった、とファイアボルトは顔を青くする。弟子の、マージジルマの計画していたサプライズをバラしてしまった気分だった。
ピーリカもそこまで好かれていたとは思ってもいなかったらしく、意味もなく手を振る。
「というかですよ、師匠はそんなにもわたしを好きでいるのでしょうか」
「それすらも言ってないのか、アイツ! いやぁ、すまんな。マージジルマがあんなにも弟子との結婚を豪語していたものだから、てっきり密かな恋人でもいるのかと思っていた。よく考えたらアイツが黒の代表になった頃だとピーリカはまだ生まれてなさそうだよな。でも弟子に決めたという事はそういう気があるという事だと思うんだが……」
「そんな。もしかして師匠は……出会った時からわたしの事を好きだったんですかね」
ピーリカの言う出会った時というのは、自分が弟子入りしに行った時の話だ。決して師匠がファイアボルトの弟子になる前に会った話ではない。
一目惚れされていたのだろうか、とピーリカは嬉しさが込み上げてきていた。
そんな彼女の顔を見て、ファイアボルトは少し心配した。
「まさかとは思うが、恋人ではないが手は出されたとか言わんだろうな。そこまでいくのは、やはり早すぎると思うんだ」
「おててですか? 繋ぎましたけど、何が早いんです?」
「なるほど。そのレベルの関係性か。まだピーリカも幼いようだし、それが普通か」
「よく分からない事を言わないで下さい。わたしはレディですってば。お姉ちゃんになりますし。お勉強もいっぱいしてます」
「お勉強って、ちゃんと健全な事だろうな。いやらしい事とかされたりしなかったか」
ピーリカの目が泳ぐ。彼女が思い出しているのは、バカンスの夜の事。
「それは、ないですねぇ」
元黒の魔法使い代表であるファイアボルトもマージジルマ同様、嘘を見抜く力が高かった。
「どうなってるんだアイツは!」
「あ、あほ」
「そうだな。その通りだ。後で説教だ」
「お説教はダメです。しないであげて下さい。師匠可哀そうです」
「でもいやらしい事をされたんだろう」
「されてませんよ。それ秘密ですもん」
秘密という事はされたという事じゃないか。そう思ったファイアボルトだったが、これ以上ピーリカに問い質すのも問題かと判断して。
「マージジルマの話は聞かなかった事にしろ。俺もそうする。分かったな」
とりあえず口留めをしておく。問い質すならマージジルマの方に、とも思っていた。
「そ、そうですね。師匠の口から聞いた方がいいですもんね」
ピーリカは師匠から愛の告白を受ける事を望んでいる。ピーリカの想いも理解したファイアボルトは、ガシガシと頭を掻いた。
「その、何だ。アイツは早くに親がいなくなったからな。普通の奴と比べれば、人の愛し方も人からの愛され方も知らない。俺もテクマも出来る限りは与えてやったつもりだが、与えきる前にアイツはデカくなっちまった」
「待ちなさい。何でそこで真っ白白助が出てくるんですか?」
「テクマか? だってアイツもマージジルマの親みたいなものだしな」
「親!」
テクマがマージジルマの恋人とは言われなかった事に、ピーリカは喜んだ。
そこには気づいていないファイアボルトは、己の弟子を思い少し悲し気な表情を見せる。
「とにかく、そんなんだからお前に苦労をかける事もあるかもしれん。手を出したり出さなかったり、考え方が変わったりする事もあるだろうが、あれでも一応何かしら考えてはいるはずなんだ。だから大目に見てやってくれ。アイツは愛に飢えてるんだ」
「愛に飢えているのは痴女の方では?」
「あぁ。ピピルピもだけど、マージジルマもだな。いやむしろアイツの方が重症かもしれない。ピピルピはいざとなりゃ魔法でどうにか出来るけど、マージジルマはそんな事出来ないだろうから」
「なるほど。確かに師匠は寂しがり屋ですからね。仕方ない、わたしが一緒にいてやるしかないですね」
「寂しがり屋というのはまた少し違う気もするが、まぁ似たようなものか。これから先、アイツが困ってったら支えてやってくれ。俺よりお前が支えてやった方がアイツも喜ぶだろうからな。出来れば末永く近くにいてやってくれ」
「……言われずともがな、ですよ」
ピーリカの中で、将来マージジルマの近くにいないという選択肢はないのである。
安心した表情になったファイアボルトは腰を上げる。
「よし、そろそろ行くか」
「も、もう少し休憩しませんか?」
「十分休憩しただろう。動けば動く程、体は鍛えられるものだ。強き姉になる方が喜ばれると思うぞ」
「強いお姉ちゃん……!」
まだ見ぬ弟妹に尊敬されたいピーリカは、渋い顔をしながらも再びでんぐり返しを始めた。
黄の領土へとやって来たファイアボルトは、ある豪邸の扉を叩く。黄の代表であるパンプルと、その妻プリコが出迎えた。
「ファイアボルト! よぉ来てくれたわ、元気しとったか?」
「勿論だ。お前はまた太ったな」
「相変わらず遠慮のないやっちゃ。まぁえぇわ。久々に来たんや、ゆっくりしてけ。盛大に祝ったるわ」
「それはありがたい。だがその前に婆さんの所に土産を置きに行かないとな。その前にイザティか」
「分かった。じゃあ準備だけ進めておこか」
いつもは旦那の金遣いの荒さに怒るプリコだが、来客のために金を使う事は流石に止めなかった。だが見るからに疲弊しているピーリカを見て、ファイアボルトへ理由は問いた。
「ファイアボルト様、えらいピーリカ嬢がフラフラしとるんですけど」
「修行のためにでんぐり返しして来たからな」
「そうですか。多少は仕方あらへんけど、子供の体力と大人の体力が違ういう事をお忘れにならんといてくださいね?」
「分かっているとも。だから俺は半分の力も出してない」
「ファイアボルト様の場合半分やのうて五分の一くらいで丁度えぇ思っとって下さい」
「そんなの準備運動にしかならないじゃないか!」
「えぇんです、それで!」
代表相手でも強気に怒るプリコ。
元同僚を怒る事は妻へ任せ、パンプルはピーリカの体調を心配する。
「ピーリカ、大丈夫か?」
「わたし、お、お姉ちゃんになる、ので。このくらい楽勝、ですよ。鳥、鳥がきます」
「姉ちゃんて……何や、ピーリカ。妹か弟でも出来るん?」
ピーリカはコクコクと頷いて返事をする。鳥に関してはかつて自分も息子達へそう教えた事があるため、パンプルはすぐに察する事が出来た。
「そらめでたいわ。良かったなぁ。でもうちのシーララ達に言うと羨ましがるから内緒にしたって?」
「えとわぁる、いるでしょ」
「そのエトワールの所に行くからアカンねん。マハリクに何度修行の邪魔をするなと怒られた事か……って、今はそないな事どうだってえぇわ。少し休憩せぇ。ジュースでも飲んでき」
ピーリカを家の中へ招こうとしているパンプルを、ファイアボルトが引き留めた。引き留めるように見せかけて、実際はプリコから逃げようとしている。
「待てパンプル。ピーリカにはさっきちゃんと休憩させた。これ以上甘やかすな」
「そうは言うてもな、こないピーリカが大人しくなるなんて具合悪いとしか思えへんねん」
「ならば尚更、体を鍛えねば。行くぞピーリカ、次は緑の領土まで全速力で走るぞ。それから青の領土は泳いで移動して、桃の領土へはほふく前進で行こう。そして空を飛んで白の領土の様子を覗いて、最後に崖を降りて黒の領土に戻ろう」
「待てファイアボルト、まさかそれ一日でやる気とちゃうやろな!?」
「一日でやるに決まってるだろう」
身の危険を感じたピーリカは、両手を上げた。疲れ切っているせいか、両腕がプルプルしている。
「らりるれりぃら・ら・ろりぃら」
弱弱しい声を出して、なんとか呪文を唱えた。




