弟子、でんぐり返しをする
「修行に対し余計なものは不要!」
そう言ってファイアボルトはピーリカの装備であるショルダーバッグを放り投げた。ピーリカは「ちょっと!」と言いながらバッグを拾い上げる。
「余計なものなんて何一つないです! 師匠、何か言ってやってください!」
「俺もそれはいらないと思う」
「乙女心の分からない奴らめ!」
マージジルマはピーリカの手の中から、ひょいとバッグを持ち上げる。
「これはお前の部屋に投げといてやるから。もし必要になる事があったらジジイに買ってもらえ」
「投げるなです。でも買ってもらうというのは名案ですね」
大人しく師匠にバッグを預けた弟子。ファイアボルトは苦虫を潰したような顔をしながら、ジャンプをし一番低く浮いている石の上に乗った。
「変な事教えるんじゃない! さぁ行くぞピーリカ、まずは赤の領土だ!」
「分かりました。では師匠、行ってくるですよ」
ファイアボルトの後ろ姿を真似て、師匠に見送られながらピーリカは石の上をジャンプして進んで行った。
浮いた石の下に見えるのは、多くの木々。もうふり返ってもマージジルマの姿は見えない。
「ひぇっ、どんどん高くなっていきやがるです」
「怖いか。だがその恐怖に打ち勝ってこそ真の強さを手に入れるんだ」
「こ、怖くなんてないです。これくらい楽勝です」
「そうか。なら逆立ちして進むとするか!」
「出来る訳ないでしょう!」
「なんだ、出来ないのか」
「うぐ、で、出来ますよ。頑張れば」
「じゃあ頑張れ」
出来ると言ってしまったピーリカだが、ただでさえ彼女は逆立ちをした事がなかった。頑張れば出来る気はしたが、初めての逆立ちを空に浮く石の上でやるというのは普通に逆立ちするよりも難易度が高かった。歯を食いしばって、石に両手をつけてみたものの、足を離す事は出来ずに。
「無理なものは無理というのも時には勇気だと思うのです!」
潔く出来ない事を認めた。
流石のファイアボルトも、そこまで本気でピーリカに求めていた訳ではなかったようで。
「その通りだ。無理はしなくていい。よし、お前はジャンプで来い。俺は逆立ちして行く。ふんっ」
逆立ちをしたファイアボルトは腕の力だけでジャンプをして石から石へと渡っていく。
とんでもないジジイだ。そう思いながらもピーリカはジャンプをしながら石の上を渡って行った。
『ここから先、赤の領土。熱気にご注意を』
赤の領土へ入ると、ピーリカもようやく地面の上に足をつける事が出来た。
「ひぃ、かわいい足がパンパンです」
「鍛えれば次第に痛みを感じる事もなくなる。ほら、行くぞ」
「待てです。わたしの歩幅に合わせなさい」
「断る、そのスピードでは筋肉に良くない!」
そう言って歩き始めたファイアボルトのスピードは、ピーリカの走る速さと同じくらいだった。通りでマージジルマも歩くのが早いわけだ、と納得したピーリカはファイアボルトを走って追いかける。彼女は息を切らしながらも、やっぱり師匠って優しいんだな、と痛感した。
やって来たのは赤の領土の中心部にある大きな噴水の前。気温の高い赤の領土を潤すかのように吹き出す噴水は、まるでオアシスのようだった。走ってきた事により体温が上がっていたピーリカにとっても、噴水は感謝してやってもいいと思える存在だった。噴水のふちに座り込んだピーリカに、一人の女が駆け寄って来た。
「あら、ピーちゃん?」
「おぉ、ちじょ。くろますくも」
魔女がかぶる三角帽子に、紺色の水着を着た桃色髪の女。ピピルピ・ルピル。桃の魔法使い代表である。ピピルピの後ろには、目の集点が左右対称的な位置にない赤の魔法使い代表シャバ・ヒーの姿があった。シャバは誰がどう見ても呪われている。
ピピルピはピーリカの横に立つファイアボルトに気が付き、深々と頭を下げた。
「まぁファイアボルト様! お久しぶりです、貴女の恋人ピピルピです!」
「違うぞピピルピ。相変わらずで何よりだ」
元代表であるファイアボルトは、ピピルピ達にとって先輩のような存在。それでもピピルピは尊敬する人物というよりも性的対象として見ているのだから見境がない。
愛の魔法にかかっているシャバはピピルピと話すファイアボルトとの間に入り込む。
「ファイアボルト様、いくら貴方でもオレのピピルピを渡す訳にはいきません。オレからピピルピを連れ去ろうというのなら、決闘を申し込みますよ!」
「ピピルピ、シャバにかけた呪いを解け」
ピピルピはシャバの背後に抱きついて、首を左右に振る。
「呪ってませんわ。愛の魔法をかけただけで」
「ほぼ呪いだろう。相変わらずの恋愛下手だな」
思ってもいない言葉に一瞬真顔になったピピルピだが、すぐにウフフと笑う。
「あらやだ。桃の魔法使い代表に対してその言葉は侮辱として受け取りましてよ?」
「事実なんだから仕方ないだろう。シャバみたいに相手の事を思いすぎて関係を変えないものどうかと思うが、ピピルピみたいに嫌われる事を恐れ過ぎているのもどうかと思うぞ、俺は」
「恐れ過ぎている? 私が?」
「相手に嫌われたくないから魔法使ってるんだろう。お前は昔から困ったら人を、相手を操るところがあるからな。それも悪い事じゃあないが、もう少し相手を信じろ。そして己の事も受け入れ愛してやれ。別に変われと言われた訳じゃないんだろう」
ファイアボルトの言葉に、ハッとした様子のピピルピ。ちなみにピーリカは彼女達の話は聞かずに噴水に手を突っ込み涼んでいる。
ピピルピは自称未来から来た実質自分達の子供、ミューゼの事を気にかけていた。表には出さないようにしていたものの、彼女のためにもこのままシャバ以外の者と不誠実な関係を続けて良いのだろうかと心内悩んでいた。不誠実である自覚はあるらしいが、どうしても他の人間も魅力的に見えてしまうのだ。だからといってシャバから離れたくはないし、他の者からも離れたくなくて。下手に他の者とばかりイチャつけば、シャバに嫌われてしまうのではないかという恐怖もある。自分でもどうすればいいのかよく分からないから、とりあえず今まで通り、魔法を使ってでも愛してもらおうという考えでいた。
だが今のファイアボルトの言葉でピピルピは決心出来た。
シャバもミューゼも変われと言って来た訳ではない。むしろ今のままで良いと言っているのだから、私は私のままで良いじゃない。そんな私を、私が一番好きでいなきゃ、と。
ピピルピはパチンっと指を鳴らし「ん!? うちじゃない!?」と正気に戻った様子のシャバに抱きついた。
「ごめんねシーちゃん、私が間違ってた。もう三日に一度魔法をかけるのは控えるわ。これからも他の人と堂々とイチャイチャしてくるから。こんな私でも仲良くしてね! 意味深で!」
「うん? なんだかよく分からないけど仲良くするよ。意味深長で」
シャバは状況をよく分かっていないままピピルピに抱きつき返す。歪ではあるが、これがこの二人の愛の形なのである。
ピピルピに抱きつきながらも、シャバはファイアボルトに気づく。
「あれ? ファイアボルト様だ。お帰りなさい」
「お帰りと言ったのはお前が初めてだな。マージジルマもピピルピも言わなかった。ただいま、土産を持ってきたんだ。後でお前らの師匠の元にも持って行く。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ぺちょっ。
上空に現れた魔法陣から落ちて来た、二つの黄色い塊。
その正体は、ちょっと潰れたチーズだ。どうやらファイアボルトは持ち歩くのが面倒で、魔法で移動させたらしい。ビニールに包まれていて食べられそうだとはいえ、人にあげる形態ではない。
これでもきっと渡した事になっているんだろうなと判断したシャバは、言いたくはないが一応礼を言う。
「ありがとうございます……?」
「何、気にするな。さて、とっとと次に行かないと。じゃあな」
そう言ってファイアボルトはスタスタと歩き始める。急いで追いかけないとと思ったピーリカは、早口でシャバとピピルピに話した。
「二人とも心して聞きなさい。この度わたしはお姉ちゃんになります。鳥が来るんです。あとレベルアップしました。そういや痴女、貴様の仕事は鳥を働かせる事でしたね。貴様がママの元へ鳥を行かせたのですね。珍しく良い事をするじゃないですか、褒めてやるです」
「ありがとう。お礼はチューでいいわ」
「しません」
まだ鳥が運んでいると思っているのかと思ったピピルピだったが、そう思い込んでいるピーリカがカワイイなという理由で真実は教えない。教えるのは今度でいいと思っている。
同じように真実は教えなくてもいいと判断したシャバは、もう一つの話を掘り下げる。
「お姉ちゃんになるってのはともかく、レベルアップってのは」
「……黒マスクには赤いのが、痴女にはピンク色の光が見えます」
ピーリカは二人を包み込んでいるように見える薄ぼんやりとした光を説明する。二人の魔力は燃えるような熱さと、甘ったるい香りを含んでいるようにも感じた。
シャバもピピルピも、ピーリカの頭を優しく撫でる。
「あぁ、見えるようになったって事か」
「凄いわピーちゃん。おめでとう」
ふふん、と誇らしげな表情を見せるピーリカ。だがすぐにファイアボルトが先に行ってしまった事を思い出して。
「おっと。こうしちゃいられません、わたしも次に行かなきゃなので。ではごきげんよう。待てですクソジジイ!」
「こらピーリカ、ファイアボルト様になんて事を……いや絶対それ教えたのマージジルマだな!? とにかくダメ、あの人偉いんだから!」
シャバの注意は気にする事なく、ピーリカはファイアボルトを追いかけていく。
噴水から離れ、なだらかな坂が続く街はずれにやって来たファイアボルトは、ようやく追いついたピーリカに顔を向ける。
「さてピーリカ、続いて黄の領土に向かおう。次はでんぐり返しで行くぞ」
「服が汚れるじゃないですか!」
「服の汚れは体を鍛えた証、恥じるな!」
「恥じてません、無駄に服を汚したら洗うのが勿体ないって師匠に怒られるでしょう!」
「アイツめ! 相変わらず金にちまちましおって。構わん、俺から言ってやる。だからやれ」
ピーリカからすれば服が汚れる事も頭がボサボサになる事も普通に嫌だった。とはいえこれもお姉ちゃんになるためなら仕方がないのだろうか、と覚悟を決めて。
大切なリボンが少しでも汚れないよう、頭から外して手首に巻きつける。両手を地面につけて、その場でコロンとでんぐり返し。固まった土の道の上でのでんぐり返しは痛く、一回転しただけでも髪に砂が混ざる。
ファイアボルトは次第にバク転をしながら進むようになった。ピーリカにそこまでの芸当は出来ず、ひたすらでんぐり返しを続ける。
もう何回回っただろうか。頭も痛くなってきたピーリカは、回転をやめファイアボルトに訴える。
「クソジジイちょっと待てですよ、疲れました。休憩させろです」
「ファイアボルト様と呼んだら休憩させてやろう」
「……ファイアボルト様」
本当に疲れていたピーリカは口を尖らせ渋々ファイアボルトを様付けで呼んだ。元々、様付けする事が嫌だという訳でもない。ただ自分の方が偉いと思っているだけなのである。
バク転を止めたファイアボルトは、道の端に座り込む。ピーリカもファイアボルトの隣に行き、その場に寝転んだ。どうせ服はもう汚れまくっている。寝転んだ所で今更何も変わらない。
ピーリカは思わず眠ってしまいそうになった。流石に外で寝る訳にはいかないと、口だけ動かす。
「そうだ、師匠の師匠なら師匠の事もよく知ってるですね?」
「ややこしいな。マージジルマの事か」
「えぇ。まぁわたしの方がよく知ってるんですけど、わたしには知らない師匠の過去とかがあるのは嫌なので。その、師匠の初恋相手とか知ってやがったら教えろですよ。いや本当は興味ないんですけどね?」
なんて分かりやすい少女だろう。ファイアボルトはピーリカを哀れみの目で見ていた。
「初恋相手は知らないが……今好きなのはお前だろうから安心するといい」
「……は?!」




