弟子、レベルアップする
赤、青、黄、桃、緑、白、そして黒の、七種の民族が暮らすカタブラ国。
その国の安全と平和を守るのは、それぞれの民族代表である七人の魔法使い。
『ピーリカ、あなたもう少しでお姉さんになるから』
守られて平和な国にある黒の領土で、そんな一報を耳にした少女がいた。黒髪には白いリボンを、体にはシンプルなデザインの黒いワンピースとショートブーツを身につけている。
彼女の名はピーリカ・リララ。黒の魔法使いの弟子である。
彼女は師匠の仕事部屋でもある地下室の天井に吊るされた花を掴み、魔法を使って遠く離れた場所にいる母親と会話していた。身長138センチの彼女は母親から聞かされた言葉の意味を理解出来ずに、こてんと首を傾けた。
「おっぱいが大きくなるという事……?」
『それももう少ししたらかもしれないわね。まぁ10か月後くらいに会えるから。それまでお勉強頑張って』
「わたしが頑張らない日などありません。期待してていいですよ」
『ふふ、期待してるわ。それじゃあ、またね』
「えぇ。バイバイですよ」
そう言ってピーリカは花を手離した。
「パイパーさん何だって?」
彼女に直接声をかけてきたのは、身長158センチの男。彼の名はマージジルマ・ジドラ。黒の魔法使い代表である。
ボサボサの黒髪にシワだらけのローブを着ている彼は、その服装とは正反対の高級そうな椅子に座りながら弟子を見ていた。右肩には慣れた様子で白いフクロウを乗せている。
「なんかわたしのおっぱいが大きくなるって」
「……それはお前の成長を心配しているのか、俺で遊んでるのか、どっちだ」
頭を抱えたマージジルマを見て、ピーリカは眉を八の字に曲げる。
「師匠まで訳の分からない事を言わないで下さい。よく分かりませんけど、ママってばわたしがお姉さんになるからとか言うんですもん。あと10ヶ月後くらいに会えるって言ってましたが、ママだけならもっと頻繁に会いに来てくれても構わないですのにね。パパはともかく」
ピーリカの発言にマージジルマは思わず顔を上げ、目を丸くした。
「それ……お前に妹だか弟だかが出来るって事じゃねぇのか?」
「……えっ!? パパとママの間に鳥が来たって事ですか」
「……10か月後くらいに来るって事だろ」
正しい性知識を教えるにはまだ早いか、と判断したマージジルマは『赤ん坊は鳥が運んで来る』という事にしておいたままにする。なお、バカンス先でそれらを教える一歩手前まで触れた件に関しては未だ反省していた。
一方、えっちな事をイチャイチャの最上級だと思っているピーリカは。バカンスから帰って来て数日間は時折照れを見せていたが、時間が経つにつれて普通に偉そうな態度を取ることが出来ていた。まさかえっちな事をして子供が産まれるだなんて考えた事もない。
それより今は、師匠との事より新しい命を嬉しく思っている。
「わたしは何をすればいいんですか!?」
「何もしなくていい。余計な事は何もするな。普通に勉強してカッコイイ姉ちゃんでいろ」
「余計な事なんてする訳がないじゃないですか。あとわたしカッコよくてかわいいお姉ちゃんが良いんですけど」
「じゃあ倍頑張れ。ところでコーヒー淹れるけど、飲むか?」
「牛乳がいいです」
地下室を出て螺旋階段を上がった師弟は、キッチンへと向かい。ピーリカは冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに注いだ。コーヒーを淹れたマージジルマはマグカップに注ぎ、その場で立ったまま飲んだ。
「こら師匠、お行儀が悪いですよ」
自分だってキッチンでつまみ食いをした事くらいあるというのに、己の事は棚に上げて注意するピーリカ。そんな彼女の事は気にせず、マージジルマは空っぽになったマグカップの中を見つめた。
「一杯で落ち着けるようになった! 俺も成長したな」
「落ち着いてなかったんですか?」
「少しだけな」
一時期ピーリカの母親と思い込んでいた時期があっただけに、マージジルマはひっそりと、ほんの少しだけダメージを受けていた。過去の彼ならヤケ酒ならぬヤケコーヒーを10杯は飲んでいただろう。それが1杯で済んだ所を見ると、自分の中で彼女の母親よりもピーリカ本人の存在がデカくなりつつあるのだろうか。なんて自覚すればするほど、気恥ずかしさと反抗心が込み上げてくる。
そんな彼の心情など知る由もない弟子はリビングの椅子に座って牛乳を飲み、ほっと一息。空になったグラスを持ち再びキッチンに戻り、流しに置く。
「ごちそうさまですよ。さぁ師匠、お勉強のために何か試練を寄越せです」
「試練なぁ……よし。お前人形持ってるだろ。それ持ってこい」
「持ってますけど、それが試練ですか? お人形遊びが?」
「遊ぶ訳じゃねぇよ。いいから持ってこい」
理由は分からなかったものの、ピーリカは言われた通り部屋から人形を持ってきた。布と綿で出来ている、女の子の形をした人形。茶色い髪にピンクのワンピースを着ていたそれを、ピーリカはギュッと抱きしめている。
「どうですか。愛らしいわたしに似合う愛らしいお人形でしょう」
「へーへー。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
人形の体に現れた魔法陣は、一瞬で人形と共に姿を消した。目の前で人形を消され、ピーリカは怒りの声を上げる。
「ちょっと! どこにやったんですか!」
「この山のどこかだよ。魔法を使って、それを探し出すのが今日のお前の試練だ」
「ふむ、いいでしょう。すぐに見つけてみせるです」
ピーリカは家を飛び出し、両手を構えた。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ!」
彼女の目の前に現れた魔法陣は、一瞬だけ強い光を放ち。すぐさまスッと消えてしまった。
『きゃああああああああああぁいやぁあああああああああああ助けてぇえええええええええ!』
突如甲高い声で助けを求める女の声が、山の中に響き渡る。他の者が聞けば、恐怖で怯えたり逃げ出したりするような類の叫び声だが、ピーリカは「うるせぇですね」と言った程度。それもそのはず、ピーリカ自身が人形から言葉が出るように呪いをかけたのだから。
広い山の中を駆け巡り、声の出どころを探す。しばらくして、土がむき出しになった平な場所にたどり着いた。
『殺されるーーーー! 誰かぁあああああああああああ!』
「あった! 最低!」
人形は首から下が土に埋まっていて、まるで晒し首のようになっていた。
「師匠め、人の心がないのでしょうか」
ピーリカが人形の頭に触れた瞬間、人形は声を発しなくなった。ピーリカは優しく人形を掘り起こし、服についた土をパタパタと払う。
「これで試練は乗り越えました。楽勝でしたね。さて、戻りま……?」
ピーリカは何者かが近づいてきている気配を感じ取った。誰かがいるな程度ではなく、酷く重々しい、まるで獣が近づいてきているような空気感。だがその姿はまだ見えない。どこから見られているのかも分からないが、どう考えても敵対心があるような気がした。ピーリカは再び両手を構える。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ!」
左右前後。ピーリカは四方に黒い雷を放つ。
バチッ!
前方に放った雷だけが、ピーリカの手元に跳ね返って来た。
「痛い!」
静電気程度の痛み。だが攻撃をされたという事実は変わらない。
ピーリカは焦った。もしも隣国の、バルス公国の奴らからの攻撃であれば大変な事になる。急いで師匠の元に戻らなければ。わたしが頼りにならない師匠を守らなければ。
くるりと方向転換をしたピーリカは、急いで山上にある家へと戻って行った。恐ろしい気配のする、何かに追いかけられながら。
「し、ししょーっ」
ピーリカは息を乱しながら、リビングに飛び込むように帰って来た。血相を変えて戻って来た弟子の顔を、師匠もフクロウも驚いた様子で見つめている。
「ピーリカ? どうした」
「なんだかよく分かりませんが、でっかい何かが近づいて来てるんですよ。攻撃したら跳ね返されたので、多分悪者です」
「……姿は見たのか?」
「見てませんけど、今でもこう、なんか、近づいて来てる気がするんですよ」
ピーリカは辺りをキョロキョロと見渡す。近づいてきている気はするのだが、どこにいるのかが明確に分からないのだ。態度こそ強気だが不安げな顔をしていたピーリカの頭を、マージジルマは何故か嬉しそうな顔をして撫でた。
嬉しくもあったが不安が拭えていない彼女は、師匠に対し怒りをぶつける。
「ちょっと! 今はわたしを愛でてる場合じゃないんですよ!」
「そーかそーか。お前も魔力感じ取れるようになったか」
「は? 魔力?」
思ってもいない言葉に、ピーリカはキョトンとした顔を見せた。そんな彼女をマージジルマは指さす。
「魔力強けりゃ他人の魔力も見えるし、ある程度近くにいれば感じ取る事も出来るからな」
「それって、わたしが強くなったって事ですか? お姉ちゃんになったという事?」
「そうだな。まだ完璧って訳じゃなさそうだけど、ひとまずレベルアップってとこか」
レベルアップと聞いたピーリカは、脳内で楽し気な音楽が響いたような気がした。
「ま、まぁ当然ですね。わたし天才ですし。ご褒美にケーキを買ってくれても構わないですよ」
「考えてやってもいい。が、それより先にこの近づいて来てる奴をどうにかしよう」
重々しい気配は、マージジルマも感じているらしい。スタスタと廊下を歩く師匠の後ろを、ピーリカはピョコピョコとついて歩く。
「それもそうですね。でも油断しちゃダメですよ。このわたしに攻撃を食らわせた奴ですからね。バルス公国かもしれません」
「それはねぇよ」
そう言いながらマージジルマは玄関の扉を開けた。
カッ。
外の風景が見えなくなる程強い真っ白な光が、師弟の目の前に広がる。音もない、爆発もない、ただの光。
マージジルマはすぐさま振り返り、弟子の目元を右手で覆った。自身も目を瞑り、目の前を闇色に染める。
しばらくして、焦げ臭いにおいが広がった。
ゆっくりと目を開け外の光が消えている事に気が付いたマージジルマは、顔を後ろに向けた。そして目の前に広がる焦げた畑を見て、思わず叫ぶ。
彼が節約のために丹精込めて育てている野菜は、全て灰と化していた。
ピーリカから手を離したマージジルマは、外へ飛び出し屋根を見上げた。
「ふざけんなクソジジイ! またやりやがって。気配でいるのは分かってんだよ、出てこい! ぶちのめしてやる!」
ドスンっ。
マージジルマの目の前に、一人の男が家の屋根から飛び降りて来た。腕にも足にも、たくましい筋肉がついている黒髪の男はマージジルマを睨みつけた。
「ぶちのめすだぁ……? 師匠に向かってクソジジイと呼ぶだけでも無礼だというのに、何てことを言うんだクソガキが」




