弟子、目を潤ませる
「逃げるって、どこにですか?」
「とくに考えてない。ラリルレリーラ」
どこかへ逃げようとしていたマージジルマの呪文を、イザティは涙を流しながら言葉で止めさせた。
「ふぇーん、何で逃げるんですかぁ。駆け落ちでもする気ですかー?!」
「違う!」
少しばかり頬を赤くしたまま否定したマージジルマだが、誰もいない二人きりになれる場所に行こうと思っていた事は確かだった。
ちなみにイザティの発言は嫌味や探りではなく、無自覚だ。
「違わないじゃないですかぁ。逃げてるんですからー。じゃなきゃどういう理由で逃げるんですかぁ」
「違う、だから、それは、お前を困らせて遊ぶためだよ」
「やめて下さいー。もしかして私を困らせるためだけにピーリカちゃんを大きく?」
「そうそう。イザティが困って、あー楽しい」
何とか誤魔化せたと思っているマージジルマだが、そう簡単に事はうまく進まない。
ピーリカはお姫様抱っこをされたまま、キョトンとした顔でマージジルマを見つめていた。
「師匠、私の事呪ったんです?」
そもそもピーリカは、師匠が何か困れば良いと思って呪いの魔法を使った。だがピーリカからしてみれば、弟子の成長は師匠にとって喜んで当然の事。
つまり、師匠が困る要素など全くないのである。それなのに何故か彼女は成長した。貶めるためのものだと思ってはいたが、むしろマージジルマがイザティを困らせるために呪ったという方が説明のつく話だった。
「……そんな訳ないだろ」
っていうか自分で自分を呪ったんだろ、という目でマージジルマはピーリカを見つめる。
その視線がピーリカに伝わる事はない。彼女は、いくら師匠が人を困らせるためとはいえ、かわいいわたしを呪うはずがないと思っている。ピーリカは自信満々に頷いた。
「ですよね。まぁわたしはリカちゃんなので元々大人ですけど、仮にわたしが子供だったとして。こんなにも美しい姿になったんですから、困るはずないんです……いや待て。あぁ、分かりました。美しすぎて隣に立つのが恥ずかしいんですね、それが困る事なんですね。仕方ない師匠です。でもそんなに心配しなくていいですよ。だって美少女が犬を飼うのはよくある事うわぁ!?」
イラっとしたマージジルマによって、彼女は海に放り投げられた。
ピーリカは地面に足をつけて怒る。
「何するですか師匠の阿呆!」
「水も滴る良い女にしてやったんだよ」
「滴ってなくても良い女なんですから、無駄なことするなですよ!」
喧嘩を始めた師弟。黒の領土ではわりといつもの事なのだが、今日はいつもと違って青の領土だった。イザティが泣きながら海に入り、二人の喧嘩を止める。
「可哀そうな事しないで下さいー。おいでピーリカちゃん、せっかくのバカンスでまでこんな意地悪してくる人と一緒にいる事ないよー」
「えっ、ちょっとまてです。確かに師匠は意地悪短足クソ野郎ですが、一緒にいたくない程臭いとは誰も言ってませんし」
「私もそこまで言ってないよぉ。いいから行こー」
イザティは今にも脱走しそうなピーリカの腕を掴み、ホテルのある方へと戻って行った。引き留めようと手を伸ばしたマージジルマだが、このまま大きい姿の弟子を目の前にして平常心でいられるだろうかという不安もあって。
手を降ろしたマージジルマは、黙って二人の後を追いかけた。
海へと入ったため再び風呂に入れられているピーリカは頬をパンパンに膨らませていた。今度は最初から女湯に入り、隣にはイザティがいた。
「何でそんなに拗ねてるのー? 仲良くしようよー」
「拗ねてませんし。貴様と仲良くしても良い事ないですし」
「そんな事ないよぉ。だってピーリカちゃん、いずれ代表になるんでしょー? ピーリカちゃんが代表になった時、多分私まだ代表やってるよー? いずれ同僚になるなら今の内に仲良くしておいた方がいいよぉ」
「仲良くして師匠と仲良くなる魂胆じゃないでしょうね」
「そんな魂胆ないよぉ」
「……貴様本当に師匠の事は何とも思って無いんですか?」
「ないよぉ。あんな意地悪な人ー」
「はんっ、貴様は師匠の事を全然分かってないですね。師匠は確かに意地悪な短足ですが、良い所もいっぱいあるですよ」
短足なんて言ってないのにと思いながらも、そこはスルーする事にしたイザティ。
「根が良い人なのは知ってるよー。でもねぇ、人の事パシリにするんだよねぇ」
「師匠の役に立つアピールするなです!」
「してないってばぁ」
風呂から上がりバスタオルを一枚巻いたピーリカは、自分が着ていたのは水着だった事を思い出す。びしょ濡れになった水着をまた着て寝る訳にもいかなくて。
「そういやホテルで借りた服、さっき行った服屋に置いて来たですね。バズーカ女、犠牲に出来るものないですか」
「その呼び方やめてよぉ。服を取るために何かを犠牲にしたくはないなぁ。その服は今度回収してあげるから、今は新しいの用意あげようか? 替えあるよー」
「ふむ。それなら着てやってもいいで……あっ! し……下着がありません!」
流石に下着は貸し出してないだろう。そう思ったピーリカだが、イザティは微笑みを向けて。
「大丈夫だよー、種類はないけどホテル内で売ってるから。それくらいなら買ってあげるねー」
先に着替えを終わらせ、ホテルで貸し出されているワンピース姿になったイザティは一度脱衣所を出て行き。いくつかの下着セットを持って戻ってきた。
持ってきた下着はベージュ、白、クリーム色と派手さのないもの。デザインもかなり地味で、若者が好んで身に着けるようなものではなかった。ピーリカが顔で「可愛くない」と訴えるも、イザティは気づかない。
「その呪いいつ解けるのー?」
「呪われてませんけど。わたしリカちゃん、元々こういう体ですけど」
「いいよぉそんな嘘つかなくてー。それより寝る時ブラつけるー? ナイトブラは扱ってないから着けるとしたら普通のになっちゃうんだけどー」
可愛くない下着を見せつけられながら、ピーリカは以前大人になった際着用した時の事を思い出す。
「それ苦しいから着けなくていいなら着けません」
「あと寝るだけだしねー。寝てる間に呪い解けるなら、着けてても意味ないだろうし。着けないで寝る派の人もいるからねぇ、いいかなー」
「貴様今さりげなくバカにしませんでしたか?」
「んー?」
イザティに悪気がない事は見て分かったピーリカ。これ以上怒っても時間の無駄だと学習し、白色のパンティだけを受け取り。その上から新しく用意させたワンピースを身に着けた。
イザティはピーリカと共に、預けていたラミパスを回収。そのまま一緒に、ピーリカが泊まる予定の部屋へと戻る。眠るラミパスが乗ったペット用のカゴ型ベッドを、部屋のテーブル上に降ろしたイザティは、その寝顔に癒された。
「テ……ラミパスちゃんよく寝てるねぇ。全然起きそうにないやー」
「多分お腹いっぱいになったんでしょう。いつもは食べないもの、たくさん食べてましたから。それより貴様、自分の部屋に戻ったらどうです」
「せっかくだもん。一緒に寝よー」
ニコニコするイザティに対し、ピーリカは嫌そうな顔を見せる。
「何がせっかくなんですか。それに、わたし師匠と一緒に寝る約束があるんですけど」
「だっ、ダメだよー? 結婚の約束もない男女が一緒に寝るなんてぇ」
「約束はしてませんがするつもりでいるんですけど、それでもダメなんですか?」
「するつもりって事は、やっぱりピーリカちゃんマージジルマさんの事を好きなんだねー」
「違います、それはえーと、師匠! 師匠の方がしたがってるんです!」
「それはそれで問題だよぉ。とにかく、一緒に寝ていいのはせめて恋人になってからじゃないとー。イチャイチャするのもだからねー?」
「痴女と黒マスクは付き合ってないのにイチャイチャしてますよ?」
「ピピルピさんは問題外だもんー。それより寝よう? 子守歌いる?」
「わたしをいくつだと思ってやがるですか!」
「まだまだ子供でしょー。ほら、おやすみー」
「大人ですもん!」
イザティはベッドに入り、空いている隣をポンポンと叩く。
ピーリカは怒っていた。師匠と眠る予定だったのに、何故この女と寝なきゃいけないのか。そうだ、いっそ朝まで起きない呪いをかけて眠らせてしまおう。そしてその間にわたしは師匠と一緒に寝る!
素晴らしい計画を立てたと思っているピーリカは伸ばした両手をイザティに向けた。しかし。
イザティは既に、すよすよと眠っている。ピーリカはまだ呪っていない。イザティはこの短時間で本当に眠りについたのだ。
この女はバカだ。ピーリカはイザティを見下しながら、そろりそろりと部屋を出て行く。
廊下に飛び出したピーリカは何度も何度も振り向くも、イザティが追いかけてくる気配はない。
「脱出成功!」
ピーリカは急いで師匠の元へ行こうと、太ももと腕を上げた。その時だ。
「んっ!?」
偶然ではあったが、上げた右腕が胸の先端に擦れるように当たり。一瞬だけ感じた痛みではない何かに驚いたピーリカは、思わず立ち止まって自身の胸を見つめる。薄手のワンピースを着てはいるものの、まるで何も着ていないかのように胸の先端部が浮いて見えた。そのシルエットが恥ずかしくなったピーリカは胸を包み込むように腕を組み、その場にしゃがみ込む。
「あの女、さてはわたしに毒を!?」
イザティはとんでもない濡れ衣を着せられた。
「お客様? どうかされましたか?」
廊下で一人しゃがみ込んだピーリカを心配して、ホテル従業員の男が声をかけてきた。
「……っどうもしません! あっち行けです!」
ピーリカは左手でシッシッと払う仕草をする。そんな悪態をつく彼女だが、自他共に認める顔の良さと未熟な体には男を惑わす力があった。
仕事前提の親切心で声をかけた男だったが、その感情は徐々に下心へと変わっていく。男はピーリカの左手首を掴んだ。
「いえ、気分も優れないようですし。医務室があります、どうぞこちらへ!」
「ちょっと! 何勝手に触ってやがるですか、離しなさい!」
ピーリカは強気な態度ではいるものの、男に捕まれた腕が痛く、その力強さに恐怖を感じた。そんな彼女達の元へパタパタパタとスリッパで走って来る音が近づき。
マージジルマは勢いよく男の顔面に回し蹴りを食らわせた。男はその場に崩れ落ち、気絶した。
目を潤ませたピーリカの目には、マージジルマが怒っているように見えた。
「し、師匠」
「イザティはどうした」
「寝てます」
「アイツめ……!」
「師匠は何でここに」
「寝る前にコーヒー飲もうと思って。出てきて良かった。お前は何でここにいるんだよ」
師匠が来てくれた事によっぽど安心したのか、ピーリカはいつものひねくれた態度ではなく、つい本音を述べた。
「師匠と一緒に寝ようと思って……」




