師弟、海を散歩する
「やっぱり師匠、水着着ないんですか?」
「着ない。何だよ、海入りたいなら入っていいぞ。俺お前見てるだけで面白いし」
「かわいいと思うならまだしも、面白いと思う気持ちが分かりません」
「面白い自覚はないのか」
「かわいいんですってば。それより、海入りましょうよ」
「お前泳げないだろ」
「天才だから泳げますよ、ちょっと努力は必要かもしれませんが。それに、きっと一人で入る海より二人で入る海の方が楽しいですよ」
「そうは言っても……あ、そうだ。あぁすれば……」
何かを思いついた様子のマージジルマは、ピーリカの手を握って砂浜を歩き始めた。
「師匠、どこ行くんですか?」
「ちょっと散歩」
それはそれでデートっぽい。納得した弟子は黙ったまま歩き始めた。
師弟の耳には、ただ波の音が聞こえていて。幸いな事に、互いの心臓の音が誰かに聞かれる事はなかった。
しばらく歩いた先で師弟が見つけたのは、砂の上に寝そべっていた一人の転売屋。マージジルマの呪いもあって、まだ海に残っていたらしい。キレイな海に汚い心の持ち主が寝そべっていて、せっかくの海が台無しだ。
マージジルマは一瞬だけピーリカから手を離し、拾い上げた転売屋の胸倉を掴んだ。転売屋はマージジルマへ逆恨みの感情を抱いたようだ。ボロボロであるというのに、怒りを込めた目で睨みつけている。
「ま、マージジルマめ」
「よし。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
だがマージジルマにとって他人からの怒りの感情など魔法の材料にしかならなかった。
突如海の一部が揺れ動いて、真横に回転をし始める。その姿はまるで東に上り西に沈む太陽のようだった。次第に回転部の中央は空洞を作り、湿った砂地がむき出しになり。まるでトンネルのような形へと変化した。転売屋は波の中へと引きずり込まれ、空洞の周りを波と共にグルグルと流れていく。動く壁のトンネルを指さし、ピーリカは不満の声を上げた。
「師匠、海に汚いものを入れないで下さい」
「それもそうだな。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマの唱えた呪文によって現れた魔法陣は、海の中にいた転売屋を包み込み、転売屋と共にスッと姿を消す。
「あの犯罪者どこに飛ばしたんですか?」
「飛ばしてねぇよ。そこにいるけど見えないように透明化させた。中の汚さは変わらないが、見た目だけは綺麗になっただろ?」
転売屋の姿が見えなくなった水の壁は、ただ回転を繰り返しているようにしか見えない。その回転も荒々しいものではなく、ゆっくりと流れる穏やかなものであり。それはそれで幻想的な光景ではあった。
「まぁ、見た目だけはですけどね。しかし何でこんな変な形にしたですか? まるでトンネルです」
「トンネルにしたんだよ。これなら海の中も散歩出来るぞ」
「えっ!」
マージジルマは再びピーリカの手を繋ぎ、トンネルの中へと入っていく。
「これだって海に入ったって言えるだろ。泳ぐのは付き合ってやれねぇけど、これくらいなら」
つまりわたしのためか! そう気づいたピーリカは改めて天井を見上げた。
月の光に当てられて、キラキラと輝いて見えた水のトンネル。波と波がぶつかり合って、たまに空気を含んだ泡が弾けて。自由に泳ぐ魚が真上を通過して、その影が自分の顔に映る。
自分のために作られた景色を見た彼女は、嬉しそうに笑う。
「きれいですね、師匠!」
「……そうだな」
彼女が嬉しそうだと自分も嬉しい、なんて。マージジルマも、柔らかい笑みを向けた。
ピーリカはそんな彼の後ろで、壁が歪に揺らめく瞬間を目撃した。そして。
バシャァアアン!
突如崩落した水のトンネルは、師弟を巻き込んで普通の海へと元通り。転売屋の姿も見えるようになり、まるで水死体のように浮いている。
海の中から顔を出したマージジルマは、すぐさま肺に空気を送り込む。幸い足はついたが、水は肩まで浸かる程の深さの場所にいた。ピーリカも真っ直ぐ立てば足が届くはずなのだが、突然の海に混乱しているのかバッシャバッシャと両腕を動かしていた。マージジルマは溺れかけている彼女の体を抱き寄せ、ポンポンと背中を叩いた。ピーリカも彼の背中に腕を回し、今唯一安心出来る場所にギュッとしがみ付く。
「大丈夫か!?」
「ぷぇっ、しょっぱいです!」
「海だしな。大丈夫そうならそれでいい」
「よくないです。かわいいお目目が痛いです。何で師匠、急に魔法解いたんですか? 時間制限のある呪いだったんですか?」
「いや、時間制限はないようにかけたし解いたつもりもない」
「何で解けたのか分からないって事で……す、か?」
「あぁ、なん……で……」
師弟は気づいた。呪いが解けた事より重大な問題に直面しているという事に。
月明りを背景に、ペトっとくっ付いている二人の体。
抱き合っているせいでピーリカの胸はマージジルマの胸に押し当てられている。
水の中にいるというのに、体が、顔が、かなり熱い。心音も波の音ではかき消せない程大きくなって、その事にお互いが気づいて。
マージジルマが服を着ていて良かったと安堵したのは一瞬だった。服を着ているといえど素材は薄め。しかも彼女も水着を着ていて、肌の露出はいつもより高い。
明るすぎる月明りによって、互いの表情が互いの瞳に映る。
海水をかぶったせいで肌に張り付く髪の毛先から、水の雫が互いの腕に流れ落ちた。
「マージジルマさーん、ピーリカちゃんから離れてー」
自分達にかけられた声に驚いて、師弟は素直に離れた。
「ほっ、ほら! お前真っ直ぐ立てば足つくだろ!」
「い、言われなくても分かってますですし!」
動揺しながらも揃って砂浜の方に目を向けると、こちらに向かって泣きながら注意するイザティの姿があった。
マージジルマは何故海にかけた呪いが解けたのかが分かった。
イザティは青の魔法使い代表だ、仮に黒の魔法で呪われている海であっても操作出来るかもしれない、と。
「てめぇかイザティ!」
「あーん、何がですかぁ。言いがかりつけて怒らないで下さいー。怒りたいのはこっちですよぉ、ピーリカちゃんに変な呪いかけないで下さい。かわいそうー」
「かけてねぇよ。つーかお前、ラミパスどうしたんだ」
「全く起きそうになかったので、そーっと降ろして、信頼出来る子に見ててもらってますー」
「本当に信頼出来る奴なんだろうな?」
「少なくともマージジルマさんよりはー。いいから戻りましょー」
ピーリカは怒った。さてはわたしから師匠を奪うために邪魔をしてきたな、と考えたのである。
「失礼な奴ですね! わたしは呪われてなんかないので放っておけです!」
「何でピーリカちゃんまで嘘つくのー? 脅されてるのー?」
「師匠の日頃の行いが悪いせいで疑われてやがるです」
「ほら師匠って呼んでるー」
「これは師匠が師匠と呼べと言ったからですもん。とにかく、脅されてなんていませんってば!」
「じゃあ何で一緒にいるのー?」
「デートに何でもなにもないでしょ?!」
怒りのせいでうっかりデートだと言ってしまったピーリカは、慌てて口元を押さえた。
予想外の返答に、イザティは困惑している。
「で、デート? もしかして、ピーリカちゃんがマージジルマさんを好きだという噂は本当!?」
「そんな訳ないじゃないですかぁあああああああ!」
師匠を前にして素直に認められないのがピーリカなのである。手を離し、否定の言葉を口にしてしまった。
うんうんと頷いたイザティ。
「じゃあやっぱり嫌なんでしょー。嫌なのにマージジルマさんの言う事聞く事ないよぉ。もう夜遅いんだから、マージジルマさんもあんまり子供連れまわしちゃダメですよー。帰りましょー」
「子供扱いするなです! 今のわたしはセクシーなんですよ!」
セクシーだから大人だという発想の時点でピーリカはまだまだ子供だという事が伺える。
「おいピーリカ、じゃない、リカ」
「何です師匠」
マージジルマはピーリカを横向きに持ち上げる。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
ピーリカは「ひょうぇえ!?」と奇声を上げ、イザティも声には出さなかったとはいえ驚いた顔をしている。マージジルマはニッと笑って、ピーリカに言った。
「逃げるか!」




