弟子、未来へ行く
家の前へと連れて来られたピーリカだが、その頬は未だに膨れていた。
「師匠め、せっかくわたしが悪人を討伐しようとしていたですのに。それを止めるなんて共犯ですよ。この悪者」
「悪者じゃねぇよ。アイツの事は放っておけ。それよりほら、お前最近寝込んでた分勉強してねぇだろ。見ててやっから、元気なら勉強しろ」
本当は気持ちに整理がついていないピーリカは、師匠に自分の姿を見られたくなかった。それくらい恥ずかしかった。
だが、無視されたい訳でもない。むしろ見て貰えるというのなら、嬉しいくらい。だから。
「仕方ありませんね、特別に見させてやるです」
「ちったぁ教えてもらう態度をとれよ」
いつも通り、ひねくれた態度を取ってリビングへと向かう。
ふと、彼女は部屋の中に落ちているハンカチを見つけた。机の脇に落ちているそれは、自分の服のために犠牲にしたミューゼのものであった。
「そういや忘れてたですね」
黒の魔法を使って召喚したものは、持ち主の許可なく移動させたもの。だが手渡しであれば後々返す事は出来る。
手に取ったハンカチを見つめながら、ピーリカはある事を思いついた。
ハンカチをギュッと掴みながら、弟子は師匠に顔を向けた。
「師匠。わたし、未来に行ってミューゼにハンカチをお届けしてくるです!」
ハンカチは都合の良い建前。
ミューゼの言っていた通り、未来の自分が本当に師匠へ猛アタックしているのか。これを返しに行きながら、ちょっとだけ確認しに行ってみたい。それが本音。
マージジルマは唐突な提案をしてきた弟子に、ため息を吐きつけた。
「未来にってな、危ないかもしれねーぞ」
「わたしは天才ですもん。危ない事だって回避出来るです」
「未来への行き方は分かってんのか?」
「前に夢の中でやったような気がするです。行きたくないなって思えばいいんでしょう」
「それもある。が、それだけじゃ不幸になったとは判定されなくて、行けたとしても別の不幸が訪れる可能性もある」
「わたしは天才ですよ。多少の不幸だって乗り越えてやるです」
自信満々に答えた弟子を見つめながら、マージジルマは考えた。この先の未来に、何が起きるのか。ミューゼが言っていたような出来事が待ち受けているのなら、それを今のピーリカに見せるのは早いのではないだろうか、と。
とはいえ、未来の出来事について詳しい詳細は全く分からない。かなり危険な可能性もあるが、今の内に知っておけば未来を変えられる可能性もある。
それに何より、この弟子に「行くな」と言って、果たして本当に行かないだろうか。どう言っても勝手に行く気がする。
未来の彼女の言葉も思いだして、今は彼女を信じてみる事にした。
「よし、じゃあ行って来い!」
「はいっ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラっ」
見送られた事に喜ぶピーリカは、満面の笑みで未来へと向かった。
***
ピーリカが目を覚ますと、空は茜色に染まっていた。草原に寝転んでいた彼女は、ぽつんと一人。空の色のせいもあってか、少し寂しく感じて。
「し、ししょー!」
急ぎ足で師匠の暮らす家目掛け、山を登っていく。
ぜぇぜぇと息を切らしながら、ピーリカは玄関のドアを二回ノックする。いつもなら人が出てくるまで何度も何度も叩くのだが、今はそこまでの体力が残っていなかった。飛んで行けば良かった、そう後悔していた。
ガチャリ、しばらくして音を立て開いた扉。
家の中から出てきたマージジルマを、ピーリカはジッと見つめた。
ここは未来の世界のはずだ。だが師匠の見た目は全然変わっていない。いつも通りのダサさだ。本当に未来の師匠なのだろうか。なんて、失礼な事を考えていた。
そんな彼女を見たマージジルマは口元を緩ませ、右手を彼女の頭上に乗せ大きく撫でまわした。
「はははははっ、ちっせぇーっ!」
撫でて貰えたのは嬉しいけれど、やっぱり素直にはなれないピーリカ。頬を赤らめながら、師匠の手を払う。
「なっ!? 何しやがるですか、汚い手で触るなです!」
「あぁ、こんなだったこんなだった。魔力も小さいし、さてはミューゼにハンカチ届けるっつった時のだな。お前あの時失敗してたのかよ」
「わたしが失敗するはずないでしょう!」
「うわー懐かしい。そういやお前そんなだったな。でも絶対失敗してるから」
周囲を見渡したマージジルマは、庭に落ちていた小枝を見つけ。拾い上げてその場にしゃがみ込むと、地面に「三」と書いた。
「いいか? この三つの線の内、お前が普段住んでる時代を一番下の棒だとする」
「……それが何なんです?」
マージジルマが木の枝で叩いた三本線の一番下を見つめるピーリカ。彼は続けて真ん中の線を叩いた。
「で、お前が行こうとしてたミューゼのいる時代をこの線だとする」
「へぇ」
「だがお前が来た今この世界は、さらにその先の未来って訳だ」
そう言ってマージジルマは一番上の線を叩いた。ピーリカは師匠から目線を反らしながら、不貞腐れた様子を見せる。
「嘘つくのやめて下さい」
「ついてねぇよ。まぁ未来まで来れるようになったのは上出来。後はもっと鮮明にイメージして、行きたい場所に行けるように頑張れ。多分何かしらの不幸はつきものだけどな」
マージジルマは再びポンと彼女の頭を撫でる。ピーリカは動揺している。彼女の知っている彼もたまに撫でてくれる事はあったが、ここまで長い事撫でてきたりはしない。師匠の手は悪い奴を殴るために存在している。それくらいに思っていた。
「そ、そんなに撫でて何が目的なんですか? もしや師匠のニセモノじゃないでしょうね?!」
「んな訳あるか。仕方ないだろ。この時代のお前、撫でられるの好きなんだから。何かある度に撫でろ愛でろって言って撫でさせるから、俺の方が癖になっちまった」
「嘘つくのやめて下さい!」
「嘘じゃない。今のお前マジでそんな感じ」
わたしがそんな事言えるはずがないのに。やはりこの師匠、偽物なのでは?
ピーリカは師匠に疑いの目を向ける。
「なら証拠を見せろです。未来のわたしに会わせなさい」
「あぁ、今日来るって言ってたからもう少ししたら来るんじゃないか?」
「来るって、どこか行ってるですか?」
「行ってるっていうか、今俺とピーリカ一緒に住んでねぇから」
あまりの衝撃に一瞬、ピーリカの意識は宇宙まで飛んで行った。
意識が戻って来たと同時に、一気に頬の熱が上がる。照れではなく、興奮によって。
「何故!?」
「じゃあヒントな、お前の父親」
「絶対それが答えじゃないですか!」
おのれパパめ、ピーリカはこの場にいない父親に怒りを感じた。
「それよりほら、噂をすれば」
マージジルマは彼女から手を離し、山道の方を指さす。指先の方向へ顔を向けたピーリカの目に映ったのは、大人びた顔立ちの女。美しい黒髪は、腰元まで伸びている。
「ししょーっ! 世界で一番愛らしい恋人が来ましたよーっ!」
身長は159センチであり、胸のサイズは痩せて見える黒いワンピースを着ているのにも関わらず、かなり大きいと分かる程。そこにショートブーツを履いているまでは小さなピーリカと同じ格好だが、幼い彼女が頭につけているような大きなリボンの姿はどこにもなかった。
小さなピーリカはリボンを探すべく、女の周囲をグルグルと回る。だが見つけたのは左手の薬指にはめた銀色の指輪のみ。
師匠に貰ったリボンをつけていないなんて、わたしのはずがない。師匠がこの女をわたしだというのなら、師匠はきっと騙されている。やはりこの女、わたしのニセモノでは?
そう思いながら立ち止まったピーリカの前で、女はマージジルマの腕を掴み。彼を引っ張って、家の扉を開いた。そして。
「さよなら」
女は置き土産に一言言い放ち、バタン。
閉じられたドアの音で、ピーリカは一人、家の外に残された事に気づく。
「待て! 開けろ、開けろです!」
ドンドンドンドン、ピーリカは扉を叩き続ける。さっきまではここまで叩く元気もなかったが、そんな事を言ってる場合ではない。もし師匠が本物であれば、あの女の餌食になってしまう。それだけは避けたい。
しばらくして再び扉が開くも、そこに立っていたのは呆れた様子のあの女だった。




