弟子、投げキッスの練習をする
低レベルな事で争う奴らだ。そう思ったエトワールだが、そんな兄達が嫌いではなかった。左手にバットを持ち、右手に何も持っていない状態にする。そして。
「どっちも好きだから喧嘩するなって。ほらよ、リップサービスをくれてやる」
口に右手を押し付け、それをチュッと音を立て投げつける。つまり、投げキッスというものだ。本当のリップサービスの意味を理解した上で、こうすれば兄達が喜ぶと知っていての行動。完全計算。かわいいは作れる。
とはいえまだ幼いエトワールにされたところで、普通の人であればほほえましく思う程度で魅了される事などないだろう。だがしかし、妹大好き兄達に効果は抜群だった。普通ではない兄弟はシャツの胸元を両手で掴み、トキめきを押さえつけている。
「なんやのエト! そんな小悪魔めいた事、どこで覚えて来たん!?」
「ごめん多分僕が教えた!」
「なんやてシーララ、ようやった!」
その光景を見ていたピーリカは、リップサービスをただの投げキッスだと認識し、間違って覚えた。
ピーリカは兄妹らに背を向け、誰もいない学び舎の壁に向けて投げキッスの練習を始める。直接投げつける男はただ一人と決まっているのだ。口を尖らせたピーリカは壁に向けて「ぷちゅ」「ちゅっ」と可愛らしい音を響かせる。
妹相手に悶絶していた兄弟達は次第に落ち着きを取り戻し。それどころか「うーん」と唸り、何か物足りないといった様子を見せつけた。
「まぁこれはこれで良いけど、やっぱりエトはいつも通りの方が可愛いよね」
「せやな。エトは生真面目で俺らの事尊敬してくれるからえぇんよ。これはこれでかわいいけど、俺らの心臓が持たへん」
「うん。でも大人しく寝てくれるとも思えないんだけど」
「何言うてんねん。野球させたらえぇやん」
「野球を? 何で?」
首を傾げるシーララに、ポップルは「そないな事も分からんのか」と小ばかにした様子で答えた。
「疲れさせれば勝手に寝るやろ」
「……天才じゃん!」
兄弟は子供に対しての知識が浅かった。
「とはいえ結局人数少なくて普通の野球は出来へんからな。ちゅーか危なくてさせられへん……せや」
妹を寝かせる作戦を思いついたポップルは、さっそくエトワールに顔を向ける。
「なぁエト、今度はエトがボール投げる番でもえぇ?」
「仕方ないな、許す」
「ん、おおきに」
エトワールは野球さえ出来れば何でも良いのである。
兄の作戦を聞かされていないものの、何かを企んでいる事は理解した弟。
「何する気なのポプ兄」
「えぇから。黙ってみとき」
ポップルはシーララに背を向けたまま、今度はピーリカの隣にしゃがみ込んだ。親しみのある黄の領土の言葉ではなく、ピーリカ達と同じ言葉で話しかける。
「ピーリカ嬢、マージジルマ様ごっこしようぜ」
ピーリカは壁にキッスを投げつけるのを止め、手を降ろしポップルに顔を向ける。彼女は師匠ごっこがどんなものかは知らなかったが、師匠がどんな人物であるかは知っていた。
「悪者を殴ってお金をもらえば良いですか?」
「話が早くて助かる。でもな、殴るのは人じゃない。今からエトがボール投げるから、それをバットで打ち返してよ。俺とシーララは打ち返されたボールを拾う係な」
「それすると師匠喜ぶですか?」
「じゃあこうしよう。ピーリカ嬢がバットで打ち返すごとに、ワンコインプレゼント」
「やるです」
お金が手に入ればマージジルマは喜ぶ。ピーリカもポップルもそう思っていた。
ポップルは素直に提案を受け入れたピーリカの態度に胸をなでおろしつつも、少々違和感を覚えた。その違和感を確かめるべく、弟に顔を向ける。
「この素直さ。これピーリカ嬢も転魔病にかかってるんとちゃう?」
「それはあるかも……そうだ。ねぇピーリカ嬢、マージジルマ様の事本当に好き?」
からかうようなシーララの質問に、ピーリカは怒る事なく。それどころか、とっても嬉しそうに。
「はい。師匠大好きです」
照れで少々頬を赤らめながらも、にっこりと微笑んだ。普段のひねくれものな態度とは打って変わって、素直さしかないピーリカの笑みは、簡単に異性を惑わす程愛らしかった。背景には大輪の花が似合いそうだ。いつもの彼女であれば仮に好きだと言ったとしても「トイレットペーパーと同じくらいには」「虫よりかは」と誤魔化しの言葉が付属したはずだ。
愛らしいピーリカに動揺する兄弟。
「どうしよう、うっかりピーリカ嬢にトキめいた!」
「あぁ。しっかしあれやな。これ間違いなく転魔病かかっとるやろ」
「うん。ピーリカ嬢がこんなにも素直な訳ないもんね」
「というか前々から思っとったけど……ピーリカ嬢って実はほんまに美少女なんとちゃう? 自称やのうて」
「……そうかもしれない! 性格がアレすぎて全然感じた事なかったけど、ピーリカ嬢って実はめちゃくちゃかわいいのかも……いや……かわいいな!? まだ子供っぽいけど顔面偏差値かなり高いね!?」
真正面から褒められたピーリカは両頬に手を添え、恥ずかしそうに「ありがとうですよ」とお礼の言葉を述べた。
その姿にまたもやキュンとさせられた兄弟だが、彼らは彼女に想い人がいる事をちゃんと理解している。
「ピーリカ嬢はこのままの方がマージジルマ様にも好かれる気ぃするけど、転魔病も病気やからな。放っておいたらアカンやろな」
「うん。勿体ないけどね。マージジルマ様に好かれるためには……ピーリカ嬢が大人になっても顔はさほど変わらずに、巨乳な金持ちになって、人格修正さえ出来ればワンチャン」
「いやそこまで別人になればいけるやろ。でもま、もしそうなると考えたらマージジルマ様は今の内ピーリカ嬢の事捕まえておいた方がえぇな。互いに性格はともかく、マージジルマ様こない美少女に惚れられる事今後ないやろ」
「確かに。そもそもピーリカ嬢以外でマージジルマ様に惚れる女なんて、確実に金と地位目当てでしかいなさそうだも……ん?」
好き勝手言う兄弟は、それぞれズボンを引っ張られた感触に気づき下に目を向けた。
「さっきからピーリカにばっか可愛いだのなんだの言いやがって。少しは私の事も褒めたらどうなんだ」
二人の間に入り込んだエトワールが、それぞれの片足を掴みながら怒りの表情を見せた。普段のエトワールであれば褒めろなど言わない。サンタが来なかったなど多少悲しみの表情を見せる事はあるかもしれないが、こんなにも頬をパンパンに膨らませ、褒める事を要求する事はない。仮に褒められたとしても「当然の事をしたまでです」「ありがとうございます」「いいえまだまだ私は未熟者です」とお堅いセリフを述べただけであろう。
兄達はピーリカから受け取ったトキめきの倍のトキめきをエトワールから得た。
「やきもちエト」
「珍しいもの見れたね。これがギャップ萌えってやつか。今度リリカル兄に自慢しよう」
「アホ。そないな事したらあのゆるふわ男、ズルいとか言うてしばらくエトの事離さなくなるにきまっとるやん。これは俺らだけの秘密にしたれ」
「何やそれ、めっちゃえぇやん。よしエト、リリカル兄に言うたら……言っちゃダメだからね」
つい素になる程シーララは乗り気になっていた。
二人は無意識の内にエトワールの頭を撫でる。だがエトワールは撫でよりも言葉の方が欲しくて。
「おい撫でるなバカ、褒めて称えろ!」
エトワールはまるでピーリカのような強気な態度をぶつける。だが今はそんな暴言でさえ愛おしいと思ってしまう兄弟。
「大丈夫。エトかわいいよエト」
「絶対嫁とか行かせへんからな」
撫でるだけでは満たされなかったのか、二人してエトワールに抱きつく。愛らしい妹のおかげで平常心を取り戻せたと思っている兄弟だが、そもそもエトワールを妹だと言っている時点で普通ではない。
「さ、疲れさせて早く帰ろ。もしかしたらパメルクさんうちに戻って来るかもしれないし」
「パメルクさん? あぁ、シーララに無駄遣いさせてる人な」
「ちょっと! 僕無駄遣いなんてしてないんだけど!」
喧嘩しながらもエトワールを離した兄達。エトワールはその隙を見逃さずに、ピーリカにバットを持たせ。自分は右手にボールを掴みピーリカから距離を取った。
「よし行くぞ!」
「バッチコーイ」
エトワールは大きく振りかぶって、ピーリカ目掛けてボールを投げつける。だがピーリカの元までボールが飛ぶ事はなく、地面に叩きつけられたボールがてんてんとバウンドし、最終的にピーリカからは遠く離れた方へと転がり落ちた。ピーリカは両手を振り、わたしはここだとアピール。
「エトワール、来ないんですがー」
「まぁ待て。もう一回だ」
何度やってもバウンドし、四方面に転がったボール達。頬を膨らませたエトワールは、ボールを用意したシーララに怒りをぶつける。
「このボール腐ってる!」
「腐ってないよ。っていうかボール見つけたのはエトでしょ」
「くそっ」
八つ当たりをボールに込めて、エトワールは再びボールを投げる。だが、やっぱりボールは飛んで行かない。
ポップルはその光景を苦笑いで見つめた。
「そういやエト、キャッチボールとかした事あらへんかったな。そう簡単に投げられる訳なかったわ」
そう言われてエトワールはポップルをキッと睨みつける。これもただの八つ当たりに過ぎない。
「教えろ、どうすればうまく投げられるんだ!?」
「そない簡単には投げられへんて。魔法と一緒、練習の積み重ねが大事なんよ」
ポップルの言葉を聞いたエトワールは、今まで誰にも見せた事のないあくどい笑みを浮かべた。
「……そうだった、私は緑の魔法使い。植物が手足だ!」




