師匠、悔しがる
弟子の父親が突然寝た理由を考えたマージジルマ。真っ先に疑ったのはピーリカだ。最近の彼女は父親に悪夢を見せる練習をしていた故、今も穴の中から眠る魔法をかけたのかと考えた。だが本当にそうであれば、彼らの目の前に魔法陣が現れるはず。それが見えなかった所を考えると、魔法の類ではない。それに彼女の母親が言った言葉も疑わしい。
ピーリカの母親はニコリと笑う。
「あぁ、マージジルマ様の方には何も入れてませんから安心して下さいねー」
つまり旦那の方には何か入れたという事である!
「遠慮しとく……」
いくら自分の好きなコーヒーでも、入れられたのが何かも分からないのに飲む程マージジルマは無鉄砲ではなかった。毒耐性があるとはいえ好んで飲む訳でもない。確実に毒とも言えないけれど。
「そうですか。やっぱりマージジルマ様はパパみたいに都合よく動いてはくれませんねー」
やっぱり毒かもしれない。そう思ったマージジルマだが口にする事は出来なかった。
そんな彼に対し、座ったまま一礼した母親。
「まぁそんな事より、まずはありがとうございました」
「……何に対しての礼だ?」
「色々ですよ。いつもピーリカを見てくれたりだとか、さっきパパを穴から出してくれたりだとか」
「別に礼を言われる程じゃ」
「そんな事ないですよー。特にピーリカの方。魔法も上達してるみたいですし、言葉遣いも前よりは良くなりましたからねぇ」
「そうか……?」
確かに魔法の上達はしているが、マージジルマからしてみれば礼を言われるにはまだ早いと思っている。言葉遣いも適当に「です」「ます」をつけているだけだろうが、なんて。
それでも母親からしてみれば、娘はかなり成長しているらしい。
「そうですよ。ピーリカだってマージジルマ様の事気に入ってるみたいですし、今後もよろしくお願いしますねー」
「別に面倒見てやるのは構わねーけどさぁ……気に入ってるってのはどうだかな。そんなの父親と比べてってだけだろうに」
「そんな事ないです。母親ですもの、分かりますよ。離れて暮らすのは寂しいですけど、マージジルマ様の元へ預けて正解でした。なのでマージジルマ様、いつでもピーリカに手を出してくれても構いませんからね?」
「んっ!?」
「マージジルマ様なら将来安泰してますし。親としては申し分ないのでー」
好みの顔から好みの顔になる予定の娘へ手を出す事を許されたマージジルマだが、流石に喜べる訳もなく。
そもそも嫌われてはいないかもしれないが、そこまで好かれているとも思えなくて。
「ピーリカがどう思ってようと、俺は手ぇ出す気はない。つーかガキに手ぇ出したらマズいだろ。ア……ナタだって、その、俺が巨乳好きだから逆に安心とか言ってただろ」
「勿論、今はダメですよ。そうですね、ピーリカの身長があと2、30センチ伸びるまでは待ってもらえれば。個体差あるとはいえ、そのくらいまでは伸びると思うんですよ。もし伸びなくても、十年経ったら別にいいです。大丈夫、子供の成長ってあっという間ですから」
「なっ」
「問題はパパをどうするかなんですよねぇ」
「そ、そうだよ。ソイツが妨害するに決まってるだろ」
母親は隣で眠る旦那を見つめ、乾いた笑みを見せる。
「そうですよねぇ。最近もね、ピーリカがマージジルマ様と結婚しちゃう悪夢を見たって言って騒ぐ時があるんですよ。ほら、ここ最近ピーリカをうちに連れて帰って来ちゃった時あったでしょう。あれ全部そう。でも私からしてみれば、予知夢になって欲しいんですけどねぇ。どうしましょう」
マージジルマは思わず項垂れた。弟子の父親による誘拐事件は、全て自分が教えた魔法が原因だと理解したからだ。良くなってきたとはいえまだ完璧ではないピーリカの魔法のせいで、もしや自分も呪われていたのではないか、なんて思い始めた。
ふと、マージジルマは自分に向けられた視線に気づき顔をあげる。彼を見つめていたピーリカの母親は、口元だけ笑わせていたものの。
眼は笑っていなかった。
今までずっとトキめきそうだと思って見なかったその笑みに、逆に恐怖を感じて。
「……どうもしなくていい、ピーリカ連れて帰る!」
これ以上いると外堀を埋められそうだと思ったマージジルマは、急いで部屋から出た。「また来てくださいねー」と言う声が聞こえたものの、返事をする事はなく。
玄関に立てかけてあった梯子を持ち、ピーリカの元へと急いだ。
その頃、ピーリカは未だに悩んでいた。
「も、もうすぐ師匠が戻って来るですかね。どうしましょう。いっそ魔法で師匠の記憶を消すとか……いえいえ、せっかく言えたのですから、忘れて欲しくはねーですよ。パパより好きなのは事実ですし。でもやっぱり恥ずかしいです。ラミパスちゃん、どうしましょうね!?」
どうしましょうと言われても話す事が出来ない設定のラミパスは、ピーリカは表情がコロコロ変わって面白いなーと思いながら彼女の顔を見つめている。
「おいピーリカ」
「んひゃあっ」
穴の上から自分を見る師匠にピーリカは驚きの声をあげた。そして今の言葉も聞かれていたのでは、という事に気づく。
「今のも聞いてたんですか!? 盗み聞きよくねーですよ!」
「お前がデカい声で喋ってるのが悪いんだろうが……まぁいい、帰るぞ。登れ」
そんな彼の右肩にラミパスは羽ばたいて。マージジルマは乗られても気にする事はなく、梯子を降ろす。ピーリカの発言に対しては、特に何も言って来ない。
ピーリカは思った。
愛らしい弟子からの好意の言葉に何も言って来ないなんて。まぁ師匠はバカだからな、鈍いし気づいてないのかも。だったらわたしも、いつも通りにしよう。
「言われなくとも上るですよ」
ピーリカはいつも通り、偉そうに梯子をよじ登る。地上に出るにつれ近づく師匠の顔に違和感を覚えた。師匠がどうして気まずそうにしているのか、その理由を考える。
「何ですその顔。何かパパに嫌な事でも言われたですか?」
「別にー……」
言葉にはしないマージジルマだが、態度には出てしまっていた。子供相手に気まずくしているのも悔しく思っていたが、今はどうやっても誤魔化せない。
彼の心情など知りもしないピーリカは、その顔を見つめた。
「ほんとのほんとですか? もし言われたのなら、わたしの素晴らしい魔法でぶっ飛ばしてやるです」
「しなくていい。アイツ寝てるし」
「なっ、かわいい娘を穴に落としておいて自分は寝てるとか本当に嫌な奴ですね」
「いや、今寝てるのは許してやれ。自分から寝た訳じゃねぇし」
「まさか師匠が?」
「……そういう事にしといてやる」
母親が父親に何かを盛ったなんて話、娘に聞かせるのはよくないと思ってマージジルマは嘘をついた。まさかその返答で、娘にトキめかれただなんて思いもしなくて。
わたしのために、なんて思っているピーリカは機嫌よく威張る。
「師匠にしては良い事をしたですね。褒めてやるです」
「褒めなくていい。いいから帰るぞ」
「分かってますよ。そうだ師匠。ほれ、約束のものです」
そう言ってピーリカはマージジルマにシャツを返す。シャツにはしっかりボタンがついている。
「……サンキュ」
「いいんですよ。わたしは天才ですからね。まぁ本当は必要なかったんですけど、多少パパにも世話になったので……もうパパに悪夢を見せるのは止めてやろうと思うですよ。いつかはギャフンと言わせてやるですけどね」
偉そうにではあったものの、ピーリカは最後まで自分に裁縫をやらせてくれた父親を少しだけ見直した。自分と師匠の事を悪く言ってくるので完全に嫌いじゃなくなったとは言い難かったが、悪夢で呪う程ではないなと考え直した。
弟子の心境の変化に驚きつつも、認める師匠。
「お前がそれでいいなら良いんじゃないか。俺的にもアイツに悪夢見られても困るしな。止めはしない」
「別にパパが悪夢見ても困りはしませんけど。何です師匠、パパがどんな怖い夢を見たか聞いたですか」
きっとピーリカは父親がただ不幸になる夢を見たと思っているだけだ。マージジルマはまさか自分達が結婚する夢を見られてるとは言えない。
「あー……いや。聞いてないけど、またお前が誘拐されたら迎えに来るの厄介だし」
「まぁそうですね」
「それよりほら、帰るぞ」
誤魔化すように彼女に背中を向け、シャツを片手にスタスタと歩く師匠。そんな彼の背中を、ピーリカは急いで追いかけた。
***
師弟の関係性が変わる事はなく、ただ二人で電気を使いまくり。
そして一か月後。黄の領土、パンプルの家を訪ねた師弟。部屋の中に入ってすぐ、立ったまま電気代の合計値を訪ねる。
「どうだった?」
「流石マージジルマ様、先月と比べてめっちゃ高かったわ」
彼らの前に座るのは、笑顔のプリコとげんなりした様子のパンプル。
「ほんっとに遠慮せず使いおって……」
ボソリと呟いたパンプルの言葉に、プリコが反論した。
「やかましな。使われる気持ちが分かったやろ、反省せぇ」
「分かった……せやけどプリコ、一つだけ言わせてぇな」
「なんやの」
パンプルがズボンのポケットから取り出した小さな箱。その蓋を開けて見せると、中には指輪が入っていた。
指輪についた透明な石は、かなり大きく。光に反射し、輝きを放っている。
「これで許してもらえるとも思ってへんけど、どうしても伝えておきたくてな。いつもワイの事叱ってくれるプリコには感謝しとんねん。こうやって怒らす事もあるけどな、ずっと傍にいて欲しいんよ。愛しとる!」
「あんたぁ……っ」
プリコは旦那からの愛の言葉に感激し目を潤ませている。そんな彼女をパンプルは強く抱きしめた。
目の前でイチャつき始めた夫婦を師弟は「何を見せられているんだ」と冷たい目で見つめる。そんな二人の背後に立ち、肩をポンと叩いてきた者がいた。
「どうも」
黄色い長髪を細いリボンで束ねた青年。マージジルマは自分よりほんの少し背が高い彼を横目で見た。
「パンプルの息子の……お前ら三兄弟似てるから区別つかねぇんだよ。何番目?」
「次男っす。やべー事言っていいっすか」
「何だよ」
「あの指輪の値段、今月のマージジルマ様が叩き出した電気代の五倍」
全く反省していないとも思われる金額を聞いたマージジルマは、自身の体からブワっと汗が出たのが分かった。
「遠慮なんかするんじゃなかった……!」
「マージジルマ様あれで遠慮してたんすか?」
「一瞬黒の領土全部にイルミネーションつけようかと考えた」
「流石マージジルマ様。発想がとんでもねぇ。まぁそれだけっす。両親がイチャつくとことか見たくないんで。失礼するっす。うちの親、今後また似たような喧嘩すると思うから。そん時は頼みます」
そう言って部屋から出て行った次男。
「俺だって見たくねぇけど、すぐ帰る元気もねぇ」
その場にしゃがみ込み、肩を落とすマージジルマをピーリカは哀れに思った。
「師匠は本当に愚かですねぇ。でもあんまり落ち込むなですよ。落ち込むくらいなら、わたしの事を見ろです。嫌な事を考えてる暇があったら、わたしの事を考えやがれです」
図々しい事を言い出した弟子をマージジルマはジッと彼女を見つめた。悔しい事に、彼はその図々しさに少しだけ元気をもらえていた。
よくよく考えてみると、自分の初恋相手は「わたしが誰より一番」というタイプだ。決して飲み物の中に怪しいモノを入れたり将来性で人を判断するタイプではない。
見た目は同じだとしても、やはり中身は完全に違う親子。
自分の初恋相手が弟子である事を再確認し、同じ顔なら性格が違ってもいい訳じゃない、という事に気づいた師匠は、ボソッと呟く。
「やっぱりお前だわ。間違いねぇ」
師匠の呟きが聞こえていたものの、意味は理解出来なかった弟子。
「何がですか」
「教えない」
「師匠のくせに隠し事をするとは生意気な。教えろです!」
教えてしまえばどうなるのか分からなかったマージジルマ。
国の為にも、自分のためにも。
「……保留」
「保留って何ですか!」
「気にすんな、帰るぞ」
マージジルマは立ち上がり、パンプルの家から出て行く。スタスタ先に行ってしまった師匠に対し、ピーリカは何やら隠し事をされていると気づいた。師匠の背中を、すぐさま追いかけた。
「待てですよ師匠! 教えろですってば!」
何度問い質しても教えてもらえる事は出来ず。ピーリカはしばらくの間頬を膨らませたまま早歩きで進んでいた。しかしすぐさま追いついてしまい、彼女は今、彼の隣を歩いている。隣を歩いた事は何度もあるが、だからこそいつもとの違いに気づいた弟子。頬の膨らみを解き、師匠に質問する。
「師匠、ちょっと歩くペース遅くないですか? わたしには丁度いいんですけど」
「……ちょっと合わせてやっただけ、待つ気なんて本当に無いんだからな」
「何だかよく分かりませんが、どんなに師匠が早く行こうと私は師匠の隣に立ってやるですよ。むしろ追い越してやるです」
ピーリカはただ歩くスピードの話だと思っている。その裏に隠れたマージジルマの想いに気づく事はなく。
彼は彼で、子供に振り回されているなんて、と悔しく思っていた。
レター編完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました! 今後の予定ですが、本編更新は少しお休みして https://ncode.syosetu.com/n1457hl/ にて番外編(機械仕掛けのアップルパイ編)を掲載いたします。よろしくお願いいたします!




