弟子、「き」が言えない
「師匠師匠って、あれのどこがそんなに良いんだし! 見た目も性格も悪いし、あれなら野良犬の方がまだ清潔感があるし!」
師匠の事を悪く言われてしまっては、娘も黙っていられない。
「失礼な事言わないで下さい! 確かに師匠は見た目も性格も頭も悪いですけど、犬よりはマシです! それに何より、パパと比べたら全然カッコイイんですからね!」
「バカ言うなし、おれの方がカッコイイ!」
「バカはパパです。師匠は強くて堂々としてて、実は優しくて、わたしの事守ってくれるです。意地悪されたり、喧嘩する事もあるですけど、師匠はわたしの事見放したりしません。だからわたしは、師匠の事がだーい好きなんですよ!」
娘からの精神的攻撃を受けて、父親は今にも倒れそうな気分でいた。
そんな二人の背後で、カツン、と何かが地面に落ちる音がした。
「もしかしてママ……が……」
ピーリカは母親が外へ出してくれようとしたのかと期待し、空を見上げた。だがそこにいたのは母親ではなく。ラミパスを肩に乗せ、ほんの少し頬を赤くさせたマージジルマだった。
彼は穴の中に降ろされた銀色の梯子の先を掴んでしゃがみ込んでいる。梯子を降ろしたのは偶然。決して弟子からの愛の言葉を聞き照れ、これ以上聞くのを避けた訳ではない。という事にしておこう。
師匠とは正反対に、ピーリカは青い顔になった。
「しっ、師匠、何で」
「……お前迎えに来たら、お前の母親がここにいるって教えてくれて。二人が裁縫終わったら出してやってくれって梯子渡された」
「じゃあ……いつから……」
「……お前が握り飯食い終わったあたり」
つまり見られていたのは彼女が師匠と出かけた事をデートだと言ったシーンに、師匠を大好きだ何だと言っていたシーン。その他全部である。
「ほぁっ、ばっ、ちがっ、やっ、う、嘘ですからーーー-------っ!」
今すぐ逃げ出したかったピーリカだが、生憎穴の中にいる彼女はどこにも逃げられない。
「まぁ、分かってる。その……好きだってのも、父親と比べてって話だろ」
「そ、そうですよ! パパと比べたら師匠の方が、好……ってだけなんですからね!」
本人に聞かれていると分かってしまっては最後の「き」まで言えないピーリカ。
「とにかく出て来いよ。早く帰ってたくさん電気を消費しよう」
これは照れ隠しに言っている訳ではない。マージジルマは本気でそう思っている。
「わ、分かりました。今上に行くのでちゃんと押さえて下さいね」
「ん」
弟子が梯子に手を伸ばしたその時、彼女の父親が我先にと階段を上り。地上へたどり着いた父親は娘が梯子を上る前に、穴から梯子を外してしまった。
「あーっ、意地悪クソ野郎! 出せーっ!」
父親は穴の中で怒るピーリカに向けて、舌を出す。
まるで子供のような言動の父親をマージジルマは冷ややかな目で見る。
「おい、大人げない事すんなよ」
「うるさいし。何もずっと閉じ込めておこうと思ってる訳じゃない。ピーリカ抜きでお前に話があるし。ちょっと来い」
梯子を持ったまま家の方へ向かう父親に対し、ピーリカは「出せーっ、バカ―っ!」と騒いでいる。マージジルマは照れを隠しながらも弟子を宥めた。
「ピーリカ、ちょっと待ってろ」
「出して下さい、このまま独りぼっちとか可哀そうでしょう!」
「後で出してやっから。一人が嫌なら、ラミパスおいてく」
「むぅ。まぁラミパスちゃんなら」
「ん、ラミパス」
ラミパスは言われるがまま穴の中へと羽ばたいた。マージジルマは父親の向かった方向へ行く。
師匠の姿が見えなくなったピーリカは先ほどの出来事を思い出し、ボンっと顔を赤くさせた。
「ラミパスちゃん、どうしましょう! 師匠を好きだと師匠に聞かれちゃったですよ!」
フクロウ相手になら素直に想いを伝えられるピーリカを前に、ラミパスは黙ったまま微笑ましい笑みを送っていた。
***
マージジルマは客間に通された。まるで二人が来る事が分かっていたかのように、机の上には温かなコーヒーが三人分用意されている。既に客間のソファに座っていたピーリカの母親は、自分の隣に座った父親に笑みを向ける。
「あらパパ、ピーリカにお裁縫教えて終わったの?」
「当然。優しく教えてやったし」
「そう。偉いわ。それで、ピーリカは?」
「穴の中で遊んでるし。おれはこのクソ野郎と話がしたくて連れて来た。ピーリカには聞かれたくないからおいて来たとか、そんな事はないし」
「そう。まぁ私もマージジルマ様からお話聞きたいわ。さぁマージジルマ様、お座りになって?」
ピーリカの母親はそう言って、手のひらで向かいの席を指す。
マージジルマは相変わらず弟子の母親の顔を直視出来なかった。自分好みの顔を見てしまえば、先ほどピーリカから聞いた言葉をその顔で言われたと脳内変換しそうで、いつも以上に見れずにいる。マージジルマは視線を下にしたまま席に座り、答えた。
「話す事なんて……ピーリカは何ら変わりない。いつだって元気だ。最近はまぁ、ちゃんと勉強してるっぽいし。失敗も少なくなってきてる」
父親はただの状況報告を自慢だと認識し、マージジルマを睨む。
「そんな愛らしい娘をいやらしい目で見てるってか! このクソ野郎! 許せない奴だし!」
「待て、俺はあんなガキそんな目で見た事はない!」
「……まぁ仮にピーリカに対してはそんな目で見てないと仮定してやるし。けど、おれは前から思ってたし。お前がママ……パイパーを見る目はなんかちょっと怪しい」
「それは、いや、その」
鋭い点を突かれ、マージジルマは動揺を露わにする。
「何だし。反論があるなら言ってみろし」
敵が弱っている姿を見て、父親はより強気な態度をとる。
マージジルマは目の前にいるのが父親だけであれば、相手を殴ってでもその場から脱走したのだが。あいにく奴の隣には、弟子の母親がいる。別人だとは分かっていたものの、自分好みのその顔の前で逃げるような事はしたくなくて。
耳まで真っ赤にさせた顔をグーにした手の甲で隠し、答えた。
「……初恋相手に似てるだけですって……」
マージジルマの返答に顔を真っ青にした父親と、悪い気はしなかった故に頬に両手を添えて「あらー」と喜ぶ母親。
「こここここここのやろー! 人の嫁を変な目で見るなし!」
「み、ないようにはしてる」
「見ようと思えば見れるって事だろ! なんて奴だし! ピーリカの事も仮に変な目で見てなかったとしても、ピーリカは母親似だし。油断は出来ないし。やっぱりこんな奴の所には置いておけない。今すぐ置いていけし!」
「置いて行ったとしてもアイツから戻って来ると思う」
確かにピーリカは脱走しそうだなと思った父親。そんな娘の事を赤の他人であるマージジルマが理解しているのも悔しくて。
「自分はピーリカの事を分かっているアピールか、なんて嫌な奴だし。このバーカバーカ!」
まるで子供のような悪口を言う。
さらに母親の体を抱き寄せマージジルマに見せつけた。いつぞやのマウントの仕返しだった。
「娘も嫁もやらん!」
「……別に取らねーよ」
平然と答えている様子のマージジルマだが、目の前でイチャつかれ、実はとてつもなく不快な気分でいた。
ピーリカの母親は呆れた様子でコーヒーカップを手に取った。
「もう、パパったら。はい、コーヒーでも飲んで落ち着いて」
「落ち着いてるし。まぁコーヒー冷めるのはもったいないし。飲んでやってもいいし」
母親からカップを手渡され、受け取る父親。一口すすり、感想を述べた。
「うん。悪くないし」
「そう、おやすみなさい」
母親の言葉が合図だったかのように、父親の首がガクンと落ちた。母親は残っていたコーヒーが零れないように、すぐさまカップを取りあげる。
突然目の前で眠りについた父親を見て、マージジルマはただ驚く事しか出来なかった。




