師匠、動揺する
母親の提案に、ピーリカはとても嫌そうな顔をする。
「何故パパに?」
「だってパパ、デザイナーだもの。基本はデザイン考えるのが仕事だけど、多少は縫ったりするもの。得意よ、そういうの」
「嘘ですよ、そんなの!」
「ママが嘘つく訳ないでしょー」
ピーリカは納得いかないのか、思いっきり頬を膨らませている。
その時だ。リンゴーン、と音が響く。客人が来た時に鳴る呼び鈴の音だと知っていたピーリカは一転、パッと顔を明るくさせた。
「師匠め、ようやく迎えに来たですね」
「マージジルマ様じゃないかもしれないから。ママが出るわ」
「いいえ。きっと師匠ですよ」
そうは言うもののピーリカは母親の手を引っ張って玄関へ向かう。やって来たのが別の者であれば母親を盾にしようとしている。
不安を胸に扉を開けたピーリカだったが、目の前に立っていた男の顔を見た瞬間、その不安は一気に消し飛んだ。
「おぉ、ピーリカ、無事か」
「師匠! 迎えに来てくれたですか。まぁ当然ですよね、師匠はわたしがいないとどうしようもない奴ですから」
「そんな事はない。そもそも迎えに行くかものすごく悩んだんだけどな」
「何故悩むんですか。愛らしい弟子を迎えに来るのは師匠の義務なんですよ!」
「それもないだろうけど……そういや、お前の父親は?」
マージジルマは頑なにピーリカの顔を見つめ続ける。
ピーリカは話している内容が嫌いな父親の事でも、師匠に見つめられて喜んでいる。
「ママに追い出されたですよ」
「そ、うか。俺飛んできたからな。すれ違ったのかもしれない」
「パパは空飛べないですからね」
娘の隣に立つ母親。マージジルマが自分の方を見ないので、嫌がらせと言わんばかりに彼の顔を覗き込んだ。
「マージジルマ様、お久しぶりですー」
「うっ、あっ、久しぶり……です」
声をかけられてしまっては、答えない訳にもいかず。マージジルマは一瞬だけ母親に目を向けるも、すぐさま目線を下に向ける。ピーリカはまたおっぱい見てるですねと怒ってるが、実際は母親の表情を見れずにいるだけである。
かつてピーリカの母親を初恋相手だと勘違いしていたマージジルマ。初恋相手は娘の方だったと気づきはしたものの、勘違いしていた時期があるだけに彼女の母親と会うのは妙に気まずいと思っていた。しかも顔が瓜二つな親子。初恋相手にそっくりな母親がマージジルマの好みドストライクである事には変わりなくて。人妻に手を出す気は勿論ないとはいえ、顔や仕草を見てしまえばうっかりトキめきそうで怖かった。
「師匠、とっとと帰るですよ。もう手紙は出し終えたですし、他に用もないですからね!」
いくら自分の母親と言えど、ピーリカは師匠におっぱいを見せたくなかった。
動揺しつつもマージジルマは頷いた。初恋相手本人とはいえ、幼さ残る弟子を見つめている方がまだ平常心でいられる。
「お、おう。そうだな。別にこの家に用もないしな」
「そう、用はないから! 早く帰るです!」
師弟の会話を聞いた母親は、明らかに残念そうな顔をする。
「あら残念。せっかくだからピーリカの様子とか聞きたかったのに」
美人を悲しませた事にマージジルマは珍しく罪悪感を抱いてしまった。だが慰めるような立場でもないと分かっている。
「大丈夫です。ピーリカは元気です。何かしたら殴ります、俺が。それじゃ。ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
マージジルマはあからさまに動揺しつつも急いで絨毯を召喚し、その上にピーリカを乗せる。自分も絨毯に飛び乗り、逃げるように街の上を飛び。自身の家がある山の方へと風を切る。いつもより早いスピードで飛ぶ師匠にピーリカは驚きつつも「まぁ師匠はケチですからね。時間を節約したいのでしょう」などと思っていた。
師弟はあれからいつも通りの日常を過ごしていた。マージジルマも冷静さを取り戻し、本当にいつも通りの日々を。ピーリカの父親が来ることもなく、三日もの時が過ぎた。それどころか数時間後には四日になってしまう。
その間にソーイングセットの中に入ったまち針の花が萎れる事もなかった。ついでに言うとイルミネーションを見に来た者は四名ほど。大した稼ぎにはなってないが、それでも電球はつけっぱなしにされていた。
風呂上がりのピーリカはパジャマ姿でベッドの上に座り。開いた窓の外から見えるイルミネーションを見つめながら、温風が出る機械を使い濡れた髪の毛を乾かしていた。機械から伸びたコードの先端は窓サッシの上を通り土にさし込まれていて、地面から伝わる黄の魔法、すなわち電気の力で温風が出るようになっていた。だが当然、電気使用料がかかる。機械は実家から持って来ていた私物だが、いつもは師匠のために使用を控えていた。だが今回電気代がタダになるという事を受けて、師匠からバンバン使えと言われたため使っている。
「このままではダメですね」
現状を考え呟いたピーリカ。電気使用料の事ではなく、師匠からの頼まれ事の件について言っている。
きっと師匠は阿呆だから、シャツの事はもう忘れているかもしれない。だが例え忘れていたとしても、完璧に修復されたシャツを渡せば流石の師匠も思いだすはず。何が何でも、ピーリカは褒められたかった。「流石だなピーリカ、結婚しよう」と言われたかった。それにやっぱり、パパのソーイングセットをいつまでも持っているのも嫌だ。ここは素直に父親に裁縫を教わるのが吉なのだろうか。でも父親に頭を下げたくもない。むしろ、わたしを称えろ。
「さて、行動に移しましょう」
髪を乾かし終えたピーリカは、機械の電源を落とし温風を止ませる。機械の先端を土から抜き、布で拭った。それをドレッサーの前に置き窓を閉め、師匠のいるリビングへと向かった。
そしてソファに座りコーヒーを飲んでいる師匠に結論を述べる。
「やっぱりパパに会いに行きたくはないのですよ。わたしから頭を下げるなんてもってのほかです」
つまりピーリカはパパに裁縫を教わる事は諦めた。むしろパパに教わるくらいなら、いっその事青の民族代表に教えさせてやってもいい。なんて思っていた。
突然そんな宣言をする弟子に、きっとまた何かしでかしたんだろうなと判断した師匠。
「何アイツに頭下げなきゃいけないような事をしたんだよ」
「それは内緒です。でもやっぱり、パパがわたしを粗末に扱うというのは悪い事だと思うので、そこは天罰下れば良いと思うです。わたしの凄さを見せつけるためにも、その天罰はわたしが下します」
「何だかよく分かんねぇが、好きにしろ。他の奴に迷惑はかけんなよ」
「天才に任せろです。んで、その天罰の下し方について考えたのですが」
「今まで通り悪夢見せるんでいいだろ。三日立ったし、今かければ?」
「それも考えました、わたしは天才ですからね。でも今までの事から考えると、悪夢を見せるとパパがわたしの元へやって来るのではないかと思うのですよ。恐らくあれは嫌がらせですね。夢とはいえ自分だけ怖い目に合ったのが嫌で、わたしにも不幸な目に合わせようと誘拐してるんですよ」
「確かに、何で誘拐してるんだろうな。嫌がらせで誘拐したとは思えねーけど……じゃあ一歩でも外に出たら死ぬと思い込むような悪夢見せればいいだろ」
師匠の提案に、弟子は首を左右に振った。
「それは魅力的ですけど、それで大人しくなるほどパパは単純じゃないのですよ。そこで考えました。まずわたしが素晴らしい魔法を使います。その後やってきたパパを、師匠が殴るんです。素晴らしい案でしょう?」
「どこが素晴らしいのかさっぱり分かんねぇな」
コーヒーを一口飲んだマージジルマに対し、やれやれ、といった態度をとったピーリカ。
「この素晴らしさが理解出来ないとは。どうしようもない師匠ですね」
「お前の計画がガバガバなんだよ。まぁ俺は殴ってやっても構わねぇけど、それだとお前の凄さとか可愛さは何一つ伝わらないんじゃないか?」
「……ふむ。師匠にしてはまともな事を言うですね。確かに、パパにはまだ悪夢を見たのはわたしの魔法のせいだと言ってねぇですし」
「目的がボコボコにする事なら今の提案でもいいんだろうけど、お前の目的はあくまで凄さと可愛さを見せつける事なんだろ? だったら悪夢ででも何でも自力で見せつけてやれよ」
師匠のいう事に納得した弟子。だがやはり彼女は素直ではないので。
「仕方ない、たまには師匠のいう事を聞いてやるです。わたし優しい」
「別に聞かなくてもいい」
最後の言葉は聞かずに、ピーリカは両手を構え。父親にどんな悪夢を見せるかを考える。
自分が怖い、苦手だと思う事は通用しなかった。しかもそれだけだと、自分の可愛さは伝わらないという事にも気づいて。
魔法を使えて凄いというだけではなく、可愛さを伝えるために。
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
ピーリカは自分がお姫様になって、師匠と一緒に旅に出る夢を見させようとした。その金は全て父親持ち。師匠でなくても、自分の金が他人の手で勝手に使われるのは嫌だろうと考えたのである。
その場で光る事のなかった魔法陣。きっと父親の元で光ったのだと期待して。
「ではわたしも寝ます。寝不足は体に悪いですからね。では師匠、おやすみなさいですよ」
「はいはい、おやすみ」
部屋に戻り、ピーリカはベッドの中へ潜った。
そして翌朝。
「それみたことか!」
ピーリカはパジャマ姿のまま父親に抱えられ外へと連れて行かれた。




