弟子、入門する 前編
赤、青、黄、桃、緑、白、そして黒の、七種の民族が暮らすカタブラ国。
その国の安全と平和を守るのは、それぞれの民族代表である七人の魔法使い。
「パパのクソハゲーーっ!」
守られて平和なはずのその国で、父親を憎みながら家を飛び出した一人の少女がいた。
彼女の名はピーリカ・リララ。身長120センチ程でまだ幼さが残るものの、整った顔立ちをしている少女である。最も今は、その整った顔を怒りで歪めている訳だが。
ピーリカが飛び出してきたのは、三階建ての大きな家。広めの庭もついた洋風の家は、他の者からすれば羨む程のもの。不満が出そうには見えなかった。
家の中から追いかけて来た母親に腕を掴まれたピーリカは、庭の真ん中に留まる。
「待ちなさいピーリカ、落ち着いて」
黒い髪を白色の細いリボンで束ねた、ピーリカとよく似た顔立ちの母親。ただ幼い娘とは違いスタイルがよく、胸も大きい。
この国では民族によって髪色が異なる。肩まで伸びた真っ黒な髪は、彼女達が黒の民族である事を表していた。ただピーリカがシンプルなデザインの黒色ワンピースを着、黒色のショートブーツを履いているのは民族とは関係ない。お転婆故、ただ単に汚れが目立たないように着せられているだけである。
「嫌だ、だってパパが出てげって言った! だから出て行く!」
「あれは本心じゃないの。落ち着きなさい」
「知らない! 毎日毎日同じことばっかり。パパなんか嫌い!」
「だからって家出なんてしないで。ママ心配。手ぶらで一体どこに行く気なの」
「わたしは天才だから、どこでもやっていける。それが嫌ならパパを追い出して」
「それは無理よ。パパの家だもの」
「じゃあわたしが出て行く。さよなら!」
大きく腕を振り暴れる娘を目の前にし、母親は大きくため息を吐いた。
家出されてどこにいるか分からなくなるくらいなら、せめて信頼できる所に預けよう。そう思って。
その場にしゃがみ込み、娘に目線を合わせた。
「ならピーリカ、魔法使いになってみない? 出て行くんじゃなくて、弟子入りしなさい」
突然何を言い出すのか。ピーリカはそう思ったものの、きっとどんな場所に行っても父親がいるこの家よりはうんとマシだろう、とも思って。
「なんでもいいから出て行く!」
***
標高高い山奥の中、ポツンと建った一軒家があった。
ピーリカは母親と共に山を登り。くすんだ赤色の屋根が印象的な家の前までやって来た。多くの荷物を持って来たせいで、既に疲れた顔をしている。
「こんなヘンピな所に住んでる魔法使い、きっと大した事ない」
「何てこと言うのピーリカ。マージジルマ様は私達黒の民族の代表よ? 困った時には助けてくれる、すごいお方なんだから。お金には汚いみたいだけどね」
そう言いながら、母親は扉をコンコンと叩いた。しばらくして、内側から扉が開く。
「はー、あ、い?」
出てきたのは右肩に白いフクロウを乗せた、小柄な若い男。身長にして、158センチ。ボサボサな黒髪に、真っ白なローブを着ている。
彼こそが黒の民族代表、マージジルマ・ジドラ。
先ほどの返事に妙な間があったのは、「はー」で美人な母親の顔を認識し、「あ」で喜び、「い?」でピーリカの存在を認識したからだ。
ピーリカの母親は妙な間など気にせず、ペコリと頭を下げた。
「初めましてマージジルマ様。突然失礼いたします。どうか娘を弟子にしてやってはいただけないでしょうか?」
「へ……いや、アンタ、何言って」
未だ状況を理解出来ていないマージジルマ。
母親は申し訳なさそうな顔をしつつ、隣に立つ娘の頭を撫でる。
「いきなり来て失礼な事を頼んでいるのは十分承知しています。ですがこのままだと娘は大変な事をやらかす気がするんです。この子、父親と仲が悪すぎて家出しようとしていて。どうせご迷惑をかけるなら、問題を起こした後より起こす前の方がいいと思ってお伺いしました」
「娘って、え? は?」
「はい。娘のピーリカです」
「アンタは」
「あぁ、すみません。わたくしはパイパーと申します」
「パイパーさん……」
状況を理解したくないのか、マージジルマは顔を引きつらせている。
「はい。ごく普通の主婦です。ちなみに旦那の名はパメルクと申します」
「……娘より旦那をどうにかしましょうか?」
何とか言葉を発したマージジルマだったが、顔はまだ引きつっている。
母親の方は、冗談を言われたと思ったのか微笑んでいた。
「ふふ、それは遠慮します。うちの旦那、娘の事以外では扱いやすいので」
「扱いやすいって」
「きっとピーリカを見て貰えれば分かります。どうか頼まれてはいただけませんか? 勿論タダとは言いません。養育費も払います」
なんとか表情を戻したマージジルマは、冷静に対応する。
「そりゃ金貰えるのは嬉しいが、弟子入りってなるとうちで預かる事になるぞ。俺今は一人で暮らしてるんだ。ガキ……子供の面倒任せていいのか?」
「えぇ。確かに幼い娘を男性の元へ預けるなんて、普通じゃ危険かもしれませんが……マージジルマ様、巨乳が好きなんですよね」
「そりゃ……あ?」
そんな事を言われてしまっては、冷静さなど保てない。彼の顔が再び引きつった。
「有名ですもの。見合い話が来た時に、俺巨乳が好きだから無理って言って断ったの。将来的にはどうなるか分かりませんけど、今ならまだ娘は幼いし。逆に安全かなと」
「いや違う。あれはしつこかったから。別に巨乳じゃなきゃとかそういう訳じゃ」
マージジルマの答えを聞き、ピーリカの母親は悲しそうな表情を見せた。
「そうなんですか……では弟子入りさせるのも止めた方がいいかしら」
悲しそうな表情をしていたものの、ピーリカの母親はとにかく顔が良かった。かなり良かった。おまけに胸もデカい。
こんな美人を困らせる事を心苦しく思ったマージジルマは、目線を下に向け。唸り声を上げながら、どうするかを考えた。
子供の面倒なんて見たくはないが、美人の頼みも断りずらい。考えに考えて、答えを出す。
「大丈夫です。俺ガキ、子供に手ぇ出す趣味ないんで……やります……」
「まぁ、ありがとうございます!」
美人の笑った顔というものは、華のような美しさがある。自分に向けられた笑みに頬を赤くさせたものの、その華が手に入らない事もマージジルマは理解していた。もどかしさを感じていた。
だが、もどかしい時間も長く続く事はなく。
「じゃあねピーリカ、たまに様子を見に来るから。離れて暮らしてもママはピーリカが大好きよ」
彼女の母親はピーリカをギュっと抱きしめ、一人山を下って行った。
残された二人は互いに顔を見合わせた。それはもう、気まずそうに。
「えっと……ピーリカ?」
ここで弱さを見せてはいけない。そう思ったピーリカはキッと目を吊り上げて、彼を睨みつける。
「……変態」
「あ?」
「今だってママのおっぱい見てた!」
母親の顔が良すぎて目線を下にずらしていただけなのだが、ピーリカの目線からだとおっぱいを見てるようにしか見えなかったらしい。だが娘に対して本当の事も言いづらい。
「べ、別に見てねぇよ」
「嘘。パパと一緒に暮らすくらいなら他の奴の方がマシだと思って来たけど、こんな下等生物と暮らせってのなら話は変わる。わたしは天才だ、一人でだって暮らせる!」
マージジルマは、脱走しようとしたピーリカの頭を掴んだ。
「やめとけって。ガキとはいえ母親に似て良い顔してんだ。悪い奴にでも見つかったら売り飛ばされるぞ。そんなの嫌だろ」
「良い顔……? それって、かわいいって意味?」
頭を掴まれたまま俯いたピーリカ。
彼女から手を離したマージジルマは、忖度なしに男目線で判断する。
「あぁ。ガキではあるけど、まぁ可愛いんじゃねぇの」
「……そう、そうなのよ……」
「何だよ」
ぺたんこな胸を張り、ピーリカは堂々とした態度を見せる。
「わたしは、かわいい!」
思ってもいなかった言葉に、マージジルマは目を点にした。
「……うん?」
「それなのにパパは大したことないだのブスだの、全然わたしの可愛らしさを認めない。デザイナーのくせにセンスがゴミ!」
「お前、まさかそんな事で家出しようとしたのか?」
「そんな事じゃない。こんなにも可愛らしい存在を否定するような奴と一緒になんて暮らしたくない、そう思うのは当然の事なのよ」
「すごいなお前。自信家にも程があるぞ」
「自信じゃない。事実」
事実かどうかはさておき。マージジルマは思った。
こんなにも娘に嫌われているんだ、きっと彼女の父親は性格が良くないのだろう。それなのにあんな美人と結婚出来たのか。なんだか腹が立ってきた、と。
「そうかピーリカ。じゃあやっぱり魔法覚えた方がいいと思うぞ。父親に力を見せつけよう。まずは俺の魔法を見て覚えやがれ」
「偉そうに。大体貴様は、魔法で何をしてるんだ」
「お前に偉そうとか言われたくねぇな。つーか俺の事知らねぇのか? 俺の事知らないとか非国民かよっぽどの無知くらいだと思うんだが」
「わたしが悪い訳がない、貴様の知名度がその程度だったってだけだろ。で、何者なんだ貴様は」
これ以上咎めたところでピーリカの偉そうな態度は変わらないだろう。そう判断したマージジルマは話を進める。
「まぁ色々やってるけど、簡単に言えば……人をボコボコにしている」
「人をボコボコに?!」
ピーリカは魔法使いの事を、すごい力で良い事や人のためになるような事をする奴だと思っていた。
驚いた顔をしているピーリカを見て、マージジルマはニッと笑った。さほどコイツも、性格はよろしくない。
「悪い奴とか嫌な奴を取っ捕まえるのが俺の主な仕事だからな。あと獣とか倒す事もある。俺に弟子入りするって事は、お前もそういう事をしていくって事だけど。分かってるか?」
「そんな……それって、それって……パパを一発殴ってもお仕事の内になるって事!?」
目を輝かせるピーリカを見て、マージジルマはその反応を楽しみだした。笑みを浮かべたまま、からかい続ける。
「一発でいいのか?」
「えっ、まっ、まさか三発くらい」
「十発でもいい」
「そんなに!?」
「あぁ。でもどうせなら魔法で攻撃しろよ。俺が使う黒の魔法は、人を幸せにする事なんて出来ない呪いの魔法だからな。殴る以上の痛みだって与えられるだろうよ。お前の場合母親公認なんだ、多少痛めつけるくらい大丈夫だろ。殺さなければ」
「じゃ、じゃあパパの事も」
「あぁ。お前の父親、ボコボコにしようぜ」
「……するっ!」
こんな物騒な提案に、ピーリカはパッと顔を明るくさせた。それほど父親を好いていないらしい。
「ん。じゃあ魔法教えてやっけど、その前にお前、口も態度も悪すぎるんだよ。教えを乞うんだ、もう少し尊敬した態度を取りやがれ。まず俺の事は師匠と呼べ」
「師匠」
「そうだ。それから敬語な。適当に『です』とか『ます』とかつけときゃいい」
「分かった……です。わたし天才だから、その程度朝飯前だ。です」
「全然朝飯前っぽく見えないな。まぁいいか、とりあえず家ん中入れよ。そんなに広くねぇけど、我慢しろよ」
「分かった、です。しかしネズミの巣みてーな家だな、です」
「お前マジで態度デカいんだよ!」
ピーリカは怒られながらも、大荷物を持って家の中へ入って行った。