風と蜜柑、黎明の刻
頬を撫でる風に、一抹の陰りを感じる。
開けた丘、大樹の上。擦れる梢の囁きは耳に心地よく、橙色に染まる夕焼け空に更なる趣が加わる。
なのに暗い。殺意とか怨念とかそういったおどろおどろしいものではない、が―――
刹那。
広大な草原に不吉な影が横切る。草をなぎ倒し、木々を揺らしながらそれは飛来した。
「……あれは」
深紅の鱗、大きな翼。強靭な手足にはそれに見合った黒い爪が生え揃い、鋭い眼光は見るもの全てを敵と見なすかと思わせる程の威圧がある。
「……なんだっけ?」
かつて修行中に、何度か戦った記憶があるが、どうにも名前を思い出せない。訓練生の時に読まされた本には、確か……。
「いや、それよりも!」
枝にぶら下げていた一振の剣を掴み、木から飛び降りる。森が、草原が破壊されるよりも前に、コイツを仕留めなければ。
獲物を探していたと思われるそいつは、駆け寄る私を見ると臨戦態勢に入った。耳をつんざく雄叫びをあげる。
「……この声!」
耳を塞ぎながら、何時かの記憶を掘り起こす。咆哮、翼。牙の隙間から漏れ出す炎は、火山で初めて戦った時の記憶。人々はアレを、ドラゴン―――「レッドドラゴン」と呼んでいた。
(ドラゴンは縄張り意識が高いだか何だかで、基本火山とかの高地を離れないと言っていた……気がするが)
こちらの違和感など気にもせず、その大あぎとを開いたドラゴンは、真っ直ぐに私を見据え突撃してきた。
「ふッ!」
素早く横へと飛ぶ。ついさっきまで居た場所がドラゴンの顎に抉り取られ、高温によってブスブスと煙をあげる。
私を逃すまいと、ドラゴンは再び私を追ってくる。そこに、僅かに不吉な予感を覚えた。
(必死だ。あまりに)
――――――
「モンスターを仕留める際、最も気を付けるべきこと―――ですか?」
師の突然の言葉に驚きながらも、答えを考えるが、中々答えが分からない。
「……シトラ、お前はもし、自分が死にそうになったらどうする?」
「え?そりゃ、抗います。腕がもげてても……」
「そうだな。お前ならそう言うと思ってたぞ。そして、それはモンスターにとっても同じだ。いや、本能に従順な分、モンスターの方が上かもな」
「なるほど、確かにそうかも知れませんね。……ということは」
「そう、下手にダメージを与えないこと、だ。確実に仕留められない時に攻撃はするな。一撃に全てを込めろ」
――――――
記憶が過る。師の何気ない気紛れだったのだろうが、その教えは今でも私に息づいている。師がモンスターと相討ちになり、亡くなった今も。
(このドラゴンは見た感じ、何処にもダメージが無い。何かを狩りに来た様にも思えない。なのに、なぜ、こんなにも攻撃的なのか)
柄を握る手に力が加わる。何かがおかしい。今だかつて、こんなにも予感―――いや、確信を持ったことはあろうか。
「カタを……付けるッ!!」
突進してくるドラゴンへ、同じく真っ直ぐ突撃する。激突する直前、更に加速。ドラゴンの顎を潜り、無防備な腹の真下へ。
「ハァアアッ!!!」
騎士剣技『スカイオービット』。太陽と月の軌道をなぞるような大振りの一撃は、強烈な体の捻りを必要とする初級中の初級の技である。極めればその斬撃は得物以上に範囲を伸ばし、巨木を縦に裂くことも可能となる。
ドラゴンの腹に深い傷が刻まれる。防御こそしていなくとも、全身が固い鱗に包まれたその体を一瞬で死の淵に追いやる一撃。
しかし。
「ぐっ―――――!?」
切り裂いた先、赤い血を撒き散らす腹の下をくぐった先で、横から弱りを見せぬ強烈な尾撃を浴びた。
「―――――……!!」
すんでのところで騎士護技『オゾン』を発動。自分を中心とした球状にシールドを展開する防御技で、一部を薄くすることでその分の強度を別の部位に持っていくことも出来る、使い勝手のいい技である。
(仕留め損ねた……!?)
隙の大きいスカイオービットの直後ながらもダメージをほぼゼロに抑えたことは良かったが、問題はそこではない。大量出血しながら、尚も暴れるレッドドラゴンの生への執着。そして。
「な……!?」
レッドドラゴンはあぎとを開くと、己の腹部目掛け灼熱の炎を吐いた。炎が消える頃には、腹部は真っ黒になり、出血が止まっていた。
(出血を止めた?そんな知能が野生のドラゴンにあるのか?)
やはり異常だ。ドラゴンがそのような行動をとるところなど今まで見たことがない。どうにかすぐに決着を付けなければ。
「!!」
しかし、手負いとなったドラゴンは私の追撃を許さんと言わんばかりに炎を打ち出した。業火の塊が私目掛け飛んでくる。普通なら避けるところだ。だが、それは出来なかった。
(背後には森……そこには私が世話になっている街がある。防がなければならない。何としても)
騎士護技『オゾン』―――これだけでは足りない。もう一押し要る。首に下げて鎧の中に仕舞っておいた、盾を象ったペンダントを取り出し、左手で強く握る。
(護る為の力を!!)
ペンダントが強い光を放つ。強い光は発動していたオゾンに集まると、更に大きな盾として形を変えた。
上級騎士にのみ渡される騎士護技補助器『スヴェル』。内に込められた魔力を元手に騎士護技を著しく強化する為のもの。魔力を使い切れば当然効力は無くなるが、劣化に耐えられず砕け散るまでは何度でも魔力を充填し直せる。
因みに、砕けた後はペンダントの鎖部分が残るため、それを騎士団本部へ届け出れば翌日にはまた使えるようになる。
「ぐぅっ……!!」
着弾、爆発。辺りには強烈な風が巻き起こり、地面は亀裂を立てて巨大な穴が出来た。
(だが―――何とか耐えれたな。正直びっくりだ)
スヴェルが砕け散る。内部の魔力を全て使いきったようだ。もう、守る術は一つ。
「騎士剣技『ウィンド』」
周囲を吹き荒れていた風をも巻き込み、足元へ。黒煙の混ざった風は黒く染まり、騎士の用いる技の「爽やかさ」とでも言うべき印象とは真逆の様相を呈している。
ドラゴンが異変に気付いたようだ。口元から再び炎が吹き出し始めている。これを発動させてはならない。
「『バースト』ッ!!」
足元に集っていた風が解放され、私の体を極限まで加速させる。開いていた距離が一瞬で詰められる程の速度だ。
騎士剣技『ウィンド』は厳密には剣技とは言えない。足元に風を生み、『バースト』で発動、高速で直進するための技である。
集めた風の量に応じて速度は上がるが、それに伴って使用者への負担が増し、最悪の場合死ぬ。最高で音速近くまで加速できる技だが、長い歴史上これを可能としたのは創始者含め三人しか居ないという。
ドラゴンはこの速度に全く対応できていない。次こそは確実に仕留める。
ウィンドによる加速を、ドラゴンの頭部下辺りで急ブレーキ。足に尋常ならざる負担が加わり、強烈な痛みが走る。
だからどうした。痛み程度で守れぬ程私は柔ではない。この急ブレーキは、次の技へと繋ぐためのバネに過ぎない。
「騎士剣技ッッ!!」
反動を全て上へと向ける。垂直な飛翔は横への速度をそのまま上に方向転換したような、地から空への願いの閃光。
「『ライジングサン』ッッ!!!」
騎士剣技『ライジングサン』。垂直の跳躍と共に斬撃を繰り出す技だが、使い勝手の悪い特性上使用するものはあまり多くなく、師が弟子に伝えるかどうかは個人の判断に委ねられている。
シトラはその跳躍にウィンドを利用することで、高所に弱点を持つ敵への攻撃手段として昇華させている。無論、普通に跳躍するよりもウィンドを使う方が強力な技となるが、かかる負担は更に増す。
大爆発の如く轟音を響かせ、ドラゴンの頭蓋を縦に切り裂く。口元の炎が爆発を起こし、ドラゴンは再び瀕死の状態まで追い込まれた。
「恨みはないけど、殺らせてもらう!!」
遥か上空、ドラゴンの真上。腹を裂いて死なない以上、止めは明確に刺す。
「騎士剣技『ウィンド』!」
上空の強い風が上に向けた足を巻く。再び限界ギリギリまで風を集め、一気に解き放つ。
「『バースト』!!」
落下の速度に加え、風による加速。身体中が悲鳴を上げる中、意識は次の一撃に向けられていた。
「騎士……『合』剣技ッ……〈オリジン〉!!」
剣を握る手にこれまで以上の力を込める。オリジンを冠する以上、この技の失敗だけは許されないし、失敗は即ち地面への衝突死である。
「―――『メテオ』」
騎士剣技〈オリジン〉。技の発案者にのみ名乗ることを許される騎士の誉れの一つ。その審査は「実用性」「実現性」「騎士道」の三つが行われ、それらは実演により判断される。審査は極めて厳しく、実際オリジンを名乗れる騎士は殆どいない。
シトラの場合、『ウィンド』が前提条件としてあるためどうなのかと議論になった。しかし、逆にウィンドによるものであるなら実現性はあるとなり『合剣技』として判断された。またその威力は、用意された訓練用の魔道製の巨岩が粉々に砕け散ったことから大型モンスターへの最終手段としては有用であるとされ、ギリギリ認可がでた。騎士道項目については、「空」のものをモチーフとしているため簡単に許可が出た。そのような経緯で、シトラは『メテオ』のオリジンとして認められた。
最初のライジングサンからメテオの命中まで、僅か数秒。ダメージに怯むドラゴンが避けられるはずも無く、全身でも特に分厚いはずの背中の甲殻はメテオにより完全粉砕され、討伐されたドラゴンはゆっくりと消滅していった。
「はぁ………はぁ…………ふぅーーっ……」
崩れ行くドラゴンを見送りながら、足を確認する。やはり内出血を起こしているか。やれやれ全く……
「先刻の戦い、天晴れで御座った」
「ッッ!?」
不意に、背後から声がした。慌ててその場を離れ、武器を構える。振り返った先には、頭に傘を被ったいかにも風来坊という感じの男がいた。
「……誰だ、お前」
疲れた体に鞭を打ち、臨戦態勢に入る。と、男は戦う意思など無いと言わんばかりに、腰に下げた刀と脇差しをそっと外し、地面に置いた。
「巨竜。普段合間見えることなど稀有であるが故、ここまで追ってきていた、のだが……それ以上に、御事の戦運び。騎士の枠に嵌まらぬ豪快なる一撃とそれに耐えうる強靭な肉体。不佞、誠に感服いたした」
「おこと?ふねい?よくわからんが……んで、用事は?それ言うためだけに来たんなら、私は帰りたいんだが」
よくわからない男をよそに、さくっと帰って休もうとした時。男は急に座り込むと、深々と頭を下げた。
「んな……何してんだ?」
「不佞を、雇ってくださらぬか」
「あ、ふねいってお前の事なのか?」
「これはしたり!不佞、名をツキラセと」
「はぁ。んで、えーっと、ツキラセだっけ?言いづらいからツキでいいか?」
「如何様にも」
「私はツキの強さを知らん。どんくらいの力かも、そもそも信用できるかも」
ツキの眼の奥を見据える。淀みのない、月夜のような黒。私に仕えたいってのも嘘では無いのだろう。ただ、一つだけ気になることがある。
「なぜ、ドラゴンを追ってきた?」
「どらごん……巨竜の事で御座るか。不佞、あれと戦いたく…」
「ドラゴンは基本火山とか、とにかく高地にいる。戦いたいならそこへ行けばいい。私に仕えたい理由にはならん」
「……」
「違うだろ?本当の理由。場合によっては、雇ってやる」
男は考え込み、何やら確信めいた頷きをすると、改めて私を見つめた。
「異変」
「……そうだな」
「不佞、各地を彷徨う中で、その土地に見合わぬ魔物の蔓延りたるを幾度も切ってきた。その全てが、生きることに対する執念を抱いていたことがどうにも府に落ちぬ次第」
「さっきの、ドラゴンもそうだった。ここだけじゃないってことか……」
「不佞は此度の混乱を納めんがため、遣わされた身に御座る」
「なるほど……」
……ん? あれ?
「されど不佞が身一つで能うことなど。故に協力者を探して、ここまで宛もなく歩き候」
「なぁ、遣わされたって言ったな?誰か主人がいるのか?」
「あぁ、それは……と、その前に……失礼、菅笠を脱いでおらぬ故解らなかったか」
ツキはすげがさ?に手を伸ばすと。ゆっくりと外した。そこで、初めて私はその存在に気付いた。
「……おお、これは」
角だ。二本の。となると、ツキは。
「……鬼人族、だっけ?」
「然り。不佞は遙けき東の空の下にて生まれ落ちた捨子に御座る。朽ち逝く定めを、「東大君」に救っていただいた」
「ひむがしのおおきみ?んーと。東の大君ってこと……は……」
この世界には北、北東、東、南東、南、南西、西、北西の各方角に、その地を統べる大陸王がいる。各大陸はその中心にある母なる大木「シード」の木の根の先々にある形で、現在シトラ達がいる地は北西にあたる。
「まさか……『ゴキ』殿か!??マジで!?」
「おお、此方にもその威光を轟かせたるとは。かの尊名、行く末甚だ貴しと言わんばかりに御座るな」
ゴキ。豪放磊落な性格で、時々大きなトラブルを生む。酒豪であるが、酔うと逆に冷静になる奇妙な性質を持つ。鬼人族生まれであり、類い希なる武の才を以て前大陸王と七日に渡る死闘を繰り広げ、惜しくも負けはしたが、認められて大陸王となった存在……という伝承が残っている。伝承の舞台は数千年前、今となってはお伽話である。
「なるほど、そりゃすげぇわ。でもいいのか?ゴキ殿と『プローネ』様はあんまり仲良くないだろ?」
プローネ。柔風の如く穏やかな気質を持つ。人々の安寧を常に祈り、その御利益を届ける北西の大陸王。所謂精霊族に該当する。生まれの記録は残ってないが、本人によると大体4000年程前に前大陸王が天命を全うし、次大陸王として選出されたという。
ゴキとプローネは性質こそ異なるが、願い自体は同じく平和である。故に時折会っては酒をのみ交わすが、その時のゴキの落差が面倒臭いとプローネは語る。逆にゴキは、酔うとネガティブになるプローネが面倒だと言う。要するに仲はそんなに悪くはないのだが、両者とも不平不満を言うために仲が悪いと噂が立ち、そのまま広まってしまっているということだ。
「まあそこは当人等の私的要因故。此度はそんな諍いなど気にはしておれませぬ」
「あぁ、なるほどね(適当)。まあ、そんなら大丈夫かなぁ。うん、雇うよ。異変を何とかしたいってことなら、私だって同じだ」
「……感謝いたす!!」
「んじゃ、最初にお願いがあるんだけど」
「は、何なりと」
「お留守番☆」
「は……ん?」
「ここで暫く、この森の奥にある街で生活しながら、魔物が来たら守っててくれ。案内するから」
「は、承知した。が、御事は?」
「私はコイツを直してもらわねーと」
宝石の砕けたスヴェルをチャリッと鳴らしながら持ち上げる。自分以外守れる人がいなかったため補充に行けなかったのだが、渡りに船と言うことだ。
「んじゃ、こっち。付いてきな」
踵を返し、森へと向かう。座っていたツキは慌てて立ち上がり、駆け足で付いてくる。
強い風が吹く。それは背を押す追い風でもあり、この先を暗示する向かい風でもあった。だが、まだ足りない。
世界の風向きを変える、嵐が。
タコです。
なんと無く書きました。続きの構想はありますが、書くかどうかはわからないです。
て言うかもう語彙がないのなんの。言葉選びが殆どできないので色々調べました。付け焼き刃なのでどっかでぼろが出てると思います。
最後になりますが、ここまでお読みいただいた全ての方に感謝申し上げます。
ではでは。