サマードレスの君~ギャルゲヒロインそっくりの美少女が入水自殺するのを止めたらとんでもないことになった~
――夏という季節に対して、いい思い出を持ったことがない。
この意見、全国の男子高校生の9割に同意いただけるはずだ。
夏。この季節を通して人は変化する。そのための厄介なシロモノがある。そう、夏休みである。
夏休み。それは学校に通う必要もなく、日がな一日遊び呆けていても、誰にも咎められないステキな時間だと大人は言う。
できることなら若返ってもう一度夏休みを謳歌したいと、口を揃えて彼らは言う。
だがそれは違う。
大人の心は麻痺している。
もしくは忘れてしまったのだ。
夏休みの悲劇を。
夏休みの悲劇――それは字面に反して、夏休みの間に降りかかることはない。
その災厄は、夏休みという極楽浄土の時間を終えて、新学期初めての登校時に降りかかる。
日の光に焼け、夏休みの思い出話に花を咲かせる勝ち組集団の中に、その兆しが見てとれることだろう。
例えばそうだな……仮にここを夏休み直後の学校としてみてくれ。
気鬱な初登校の癒しを得んがため、君はクラスメイトの中に推しの姿を探し求めるだろう。それは誰だろうか? もちろん君が秘かに憧れているクラスメイトの少女の姿だ。
夏休み中、君は彼女に会わなかった。夏祭りに赴かずスマホゲーに興じ、花火大会なんぞよりエアコンの効いた部屋での昼寝を決め込んだ君に、元より彼女との接点などない。それは俺も知っている。誰だってそうする。俺だってそうする。
しかし極楽浄土の時間は終わってしまった。常時18度設定のエアコンがとめどなく冷気を吐き出すオアシスを追い出され、君は生ぬるい風の吹き溜まる教室という名の砂漠に送り出された。
始まってしまった無限地獄の最中、君はついぞ忘れていた推しのことを思い出す。
この新学期という名の東京砂漠、彼女という水源がなければ君は干からびて死んでしまうだろう。
どこだ、彼女は? しかし君は彼女を見つけ出すことはない。
君は眼を皿にする。血眼になる。
そして目撃してしまうのだ――夏休みの悲劇を。
その少女は、初め他人に見えた。前学期このクラスのどこにもいなかった、夏休みというブランクを利用して転校してきたような身なりの少女。
色黒で、制服を着崩し、常に下品な笑いを浮かべている。
そしてクラスでも有名なチャラ男とずっと喋り続けているビッチ。
君は思う。こいつは眼のゴミだと。
こんな女を見るくらいなら一刻も早く推しに癒してもらいたいと。
だが推しの姿は探せど見つからない。
君は諦める。絶望する。
そして仕方なく再び教室内の様子を観察しようとしたその矢先に――気づいてしまったのだ。
あのどこにでもいそうな、いくらでもヤらせてくれそうなビッチこそが、君が血眼になって探し求めていた推しの少女であったと。
そう、それこそが夏休みの悲劇。NTR? BSS? 呼び名なんてどうだっていい。
何故ならそれは、これ以上ない追い打ち。夏休みという極楽から学校という地獄に落とされた君を待ち受けていた、さらなる地獄の始まり。
ああ、今、君の脳裏に彼女との淡い思い出が甦る。クラスメイトに委員長の任を押し付けられた君を補佐するため、わざわざ挙手して副委員長の任を負ってくれたこと。文化祭に向けた打ち合わせのための、教室に二人きりの甘美な放課後。好きなマンガが同じで盛り上がったこと。彼女の好きな乙女ゲームをこっそりama●onで買って好きな男のタイプを研究したこと。体育祭でオクラホマミキサーをあと一組ってところで踊れなくて残念だったこと……そのとき眼が合って、自分だけにわかるよう微笑んでくれたこと……。
……やめてくれ。これ以上自分を責めないでくれ。
君の心はもうズタボロで、これ以上血を流したら死んでしまう。
ああ、だというのに現実はなんと無情なのか。
チャラ男が君の大事な彼女だったものの首に腕を回し、真っ赤な舌を蛇のように出して、仲間に向かってこう言ったのだ。
「さっきから見ててわかったかもしんねーけどよぉ、オレとナッチ、付き合い始めましたーん。ギャハハハハ、意外っしょ? オカタカッタこいつに熱烈アプローチかまして、この夏いっぱい遊びまくってたら、なんとこいつの方から告ってきたんだぜウェーイ!!」
おお、君はとうとう耳を両手で塞いで机に突っ伏してしまった。
そして奥ゆかしい君は、世界の端っこで哀を、心の中でだけ叫んだのだ。
『僕が、僕の方が先に好きだったのにイイイイイイイイイッ!!!!!』
……帰宅後、君はベッドの上で泣いた。
君の、というかこれが俺の、立浪誠也の、去年の夏の思い出であった。
◇◇◇
……夏休みの悲劇についてわかって、もしくは思い出していただけただろうか。
今他人事のように笑っている人、君は幸せな人間だ。だが同様の悲劇は男女問わず誰の身にも起こる。夏休みという空白期間には、至るところに大人の階段が設えられている。登り始めたら一瞬だ。君の推しは、好きな人は、夏休み後にまったく別の人間になっていることだろう。
しかし俺こと、立浪誠也に至ってはあまりに神様の仕打ちがひどい。
夏休みの悲劇を食らうのは去年で一年ぶり通算三度目。中高通じ、好きになった娘は大抵夏休み後に豹変して彼氏持ちになっている計算になる。
いくらなんでもこの確率はあんまりだった。きっと前世の俺は連続殺人犯かなにかだったに違いない。おお、カルマのステータスがカンストしておる。
そんな、意図せずして夏休みの悲劇の達人となってしまった俺だが、その甲斐あって、この夏にはとうとう対処法を編み出すに至った。
――それは、好きな人を作らないということ。
実にシンプル。
しかしそれゆえに強い対処法である。
最初から人を好きにならなければ、夏休みの悲劇に襲われて悲嘆に暮れることもない。
それはある意味で思春期的な青春の自主的な放棄ではあるけれども、この胸の痛みに比べれば絶対的にマシだった。
こんなに辛いのなら愛など要らぬ、そう、聖帝様と立浪誠也は思うのだ。
そんなわけで今年の夏であるが、俺は裏日本の海にいた。
勿論、リア充軍団が水着になってそこらで盛ってるような海ではない。
裏日本、ことに今俺がいる山陰地方の海は夏でも灰色がかっている。それでも、探せばいい海水浴場もあるとは思うが、夏休みを利用して俺が身を寄せている爺ちゃんの家の近くであるこの海はまったくそんな感じではない。
いうなれば、リア充が遊ぶための海ではなく、非リア充が身投げに使いそうな海とでも表現すべきか。
……いや、別に海に失礼とかじゃなくて、爺ちゃんに聞くところによると、ここマジで自殺の名所らしいしね。
で、そんな辛気臭い場所にもほどがある場所で俺がなにをしているというかだが――釣りをしていた。
ここは自殺の名所であるとともに、最高の釣りスポットでもあったのだ。
「釣りはいい……リ●ンの生み出した文化の極みだよ……」
岩に腰かけ、水面に餌のついた糸を垂らしながら俺は言う。
年齢的にアマプラで映画版しか見たことがないけれど、気分は渚のカ●ルくん、居場所も渚のカ●ルくんである。鼻歌で第九歌うぞコラ。
しかし釣りはいい。釣りは人を裏切らない。波音しかない静穏な時間に、存在するは己と水下の魚のみ。釣果はまだ大したことはないけれど、それだって俺を裏切るわけじゃない。釣った魚が、家に帰ったら無くなってたり、チャラ男にとって食われてたりなどしないのだ。
「……うん?」
何度目かの餌の付け替え時、波打ち際に人影が見えた。
幽霊か? いや影がある。
些かばかり興味を引かれて注視すると、その人影はどうやら少女らしい。
白いワンピースに白い帽子を被った少女は青い空の下、寄せては引いてを繰り返す波を蹴って遊んでいるようだった。
「……へえ」
眼福だな、と俺は思った。
白いワンピースと白い帽子の出で立ち、俗にいうサマードレスは、ドの付く美少女にしか似合わないことで一部界隈で有名だ。
だが件の少女は、そんな着こなしが激ムズなサマードレスをしっかり着こなしている。遠目には、まるで清涼飲料水のCMのワンシーンのようだ。
その姿に、ひとつ思い出すことがあった。
それは二年前の夏のことだ。俺がまだひと夏のアバンチュール的なものに対する憧れを捨てきれていなかったうら若き時代。爺ちゃんちの孫が失恋したのだ。
「うぅ……どうして……オレ、勇気出して告白したのに……」
俺より二つ年下の親戚は、名をユウキと言った。
年齢的には中坊だったが、当時のユウキはどう贔屓目に見ても小学生程度の体格しかなかった。
だが、そんなちっちゃいユウキも、しっかりと思春期というヤツを迎えていたらしい。
ユウキは夏休みという時間を利用し、意中の相手に告白を試みた。
気持ちはまあ、わかる。夏休みに恋人関係になれたら、あとは逢い放題。言ってみればずっとボーナスタイムのターンだからな。
それに夏には異性に対してバフがかかる。男女問わずみんな薄着で、肌面積が大きく、魅力的に見えたりするもんだ。
で、そんな愛の告白に果敢に挑戦したユウキではあったのだが、先に言ったように玉砕した。
大人はよく、若い頃の失恋を過小評価する。ユウキの幼い失恋について、爺ちゃんもまた無頓着だった。
ことあるごとに泣きじゃくり、失恋のショックでちっともお腹が空かないと夕食を食べることを拒否するユウキに「ちゃんと全部食わねえか」だの「ピーピー泣いてばかりいねえでさっさと風呂入って勉強しろ」だのと、塩対応にも程があったのだった。
元漁師で海の男。いわゆる雄度があまりにも高い爺ちゃんでは、ユウキの繊細な心の痛みを癒してやることは不可能だったろう。
そこで俺の出番だ。夏の悲劇に鞭打たれ、図らずも失恋のプロとなってしまった俺ならば、男の失恋の痛みを癒す方法を知っている。
その方法とは――そう、俺含む全陰キャ男子の味方、ギャルゲーである。
「……せーちゃん、これは?」
「今のユウキにとってイイモンだよ。ほら、そろそろ立ち上がるぞ」
俺から見て叔父に当たるユウキの父さんが単身赴任する前に仕事で使っていたPCに、俺はあるソフトをインストールした。
とはいえ、高度に性的な表現があるものをまだ中坊のユウキにお見せするわけにはいかない。
そういうものは、来たるべき年齢に達したら自らの意思で手に取ってもらいたいと俺は考えていた。ムフフ、そのときは力になってやれるぞ、従兄弟よ。
そんな黄金の未来を脳裏に描いていると、ユウキの大きな瞳が画面を映して瞬いた。
「うわ、すごいかわいい女の子……これ、ひょっとしてゲーム?」
「そーだよ。ギャルゲーっていうんだ」
「ギャルゲー? じゃあこの子ギャルなの?」
「いや違う。ギャルではないし、ビッチでもない。厳密には恋愛シミュレーションゲームという。その辺の表現はややこしくなってるが……でも、かわいいだろ。この中から選び放題だぞユウキ。みんな、お前の女になる」
「オ、オレの女?」
「そう、お前のだ。ユウキ、お前はこれからこのゲームの主人公になって、この女の子たちと恋人関係になるんだ」
「……恋人……」
このとき、ユウキの瞳が怪しく瞬いた。
どうやら、早くもこのギャルゲーの持つ魔性に気づいたらしい。
「案ずるより生むが易し。とにかくやってみないか。いつも元気なユウキがそうやって塞ぎこんでいるのを見たら、俺まで元気じゃなくなっちまうからな。ええと操作方法は……」
俺の確信通り、程なくしてユウキはギャルゲーにハマった。
夏休みの、ありあまる時間を使って朝早くから真夜中までギャルゲーをやり通し、詰まったら俺に聞きにくるといった按配である。やれやれ、まったくもって俺の想定通りの結果であった。
それも当然であった。俺がインストールした『彼女がいた、夏の向日葵』は全年齢向けギャルゲーとしてはレジェンドクラスの名作である。もし俺が記憶を消してもう一度ギャルゲーをできるとしたら、迷わずこの一本を選ぶだろう。
数日後、ひとり目のヒロインを攻略し終えたユウキは、はしゃいだ声で俺の寝取まりしている部屋にやってきた。
「せーちゃん、すごいよこのゲーム! オレ、感動しちゃった!!」
そう言うユウキの目元が赤かったのは、寝不足のせいだけじゃない。
恐らくユウキは、ついさっきまで泣いていたのだ。
この『彼女がいた、夏の向日葵』はギャルゲーとしてレジェンドクラスであるのみならず、いわゆる泣きゲーとしても勇名を馳せている。
と言うか、前の月に俺もやって全ルートで泣かされたのだ。これが初ギャルゲーであるユウキの涙腺が耐えられるはずがない。
「そうか。じゃあユウキ、次は別のヒロインを選んでやってみろ」
「ええ? でもせーちゃん、オレやっとミサキちゃんと恋人になったのに……」
「安心しろ。別ルートは別の世界線なんだ。ミサキと恋人になったユウキとはまた別のユウキがいるんだよ。それに、全ルートやらないと解放されないルートも存在する。気兼ねなんていらないぞ」
「せーちゃんがそこまで言うなら……じゃあオレ、少しやってみるよ」
どことなく浮かない表情を見せたユウキだったが、心配は杞憂だった。
ユウキはあっという間に再びゲームにのめり込み、俺に攻略情報を聞きに来るようになったのだ。
ユウキがギャルゲーにハマり始めてから、時間は目まぐるしく流れた。ユウキの表情からは次第に失恋の悲しみの色は失せ、ユウキはギャルゲーが語る物語の世界に夢中になっていた。
ヒロインたちの抱える事情に親身になって寄り添い、詰まれば攻略情報を俺に聞きに来て、またヒロインたちの攻略へとかかる。まったくもって、俺の想定通りすぎて口元がニヤけてしまう。
失恋の痛手は、ふとした瞬間に心によぎる。それまでいた世界を全部否定して、視界すべてを真っ黒に塗りたくる。本当だ。夏休みの悲劇にやられまくった俺だからこそそれがわかる。新学期の地獄のような日常の中、何度その下にあるさらなる地獄に叩き落されたことか。
でも心の痛みには対処法がある。なにも考えない時間が痛みを連れてくるのなら、ずっとなにかに夢中になっていればいい。ユウキにとってのそれはギャルゲーだ。仮想の、この世界にいない女の子たちとの恋愛であっても、今のあいつにとっては救いなのだ。
代償行為だなんて言わせない。モテない男の慰めなんて笑わせない。ユウキの痛みを軽くする、それはれっきとした心の薬なんだから。
……時間は流れて、やがてユウキは『彼女がいた、夏の向日葵』をクリアした。
隠されていた裏ヒロインと、世界の謎を解いたユウキの表情は、いつもの元気なユウキに戻っていた。いや、それ以上に精悍だった。
きっとそれは、やり遂げた男の顔ってヤツなんだろう。
ユウキはもうごはんも普通に食べられるし、遅れた分の宿題だってやり終えた。うん、もう平気。いつも通りのユウキだ。
だがある夜、そんな普通に戻ったはずのユウキがおかしなことを言い出した。
「ねえせーちゃん、このゲームとっても面白かったよ。勧めてくれてどうもありがとうね。ところでせーちゃんは、この娘たちの中で誰が一番好きなのかな?」
下から俺の顔を覗き込み、そう訊くユウキの表情はしかし、真剣そのものだった。
だから俺としても下手な返答を聞かせるわけにはいかなかったのだが……。
「……むぅ……」
正直、迷っていた。『彼女がいた、夏の向日葵』はぐうの音も出ないほどの名作である。俺も全ルートで泣いた。感動した。だからこそ、どのヒロインも甲乙つけがたい。クサい言い方を許してもらえるならヒロイン全員を愛してしまっている。ハーレムルートがあるなら迷わずそれを選びたいくらいだ。だからこそ、ひとりに搾れと言われれば、困る。
「……やっぱり、教えてもらえないかな?」
だがこのとき、ユウキもまた悲しそうな表情を浮かべたので、俺も二重に困ってしまった。
なんのかんのいって、俺はこの素直な従兄弟のことが好きだったのだ。もう二度と悲しそうな顔に戻って欲しくない。
致し方なし。俺は断腸の思いでひとりのヒロインを選んだ。
「そうだな、俺がひとり推しを選ぶとするなら、十文字ヒカリかな?」
「ヒカリちゃんだね。それで、どんなところが気に入ったの?」
とグイグイくるもんだから、俺はさらに困って頭を掻いた。
「どんなところって……ユウキよ、先に言っとくけど、これ言ったらお前、俺に心底ガッカリするぞ」
「しないよ! 約束する!」
そんなこと、眼をキラキラさせて力説しないんで欲しいんだが……。
俺は幻滅される覚悟で言うことにした。
「服」
「へ?」
「だから服だよ、服装。俺は十文字ヒカリの服装が気に入ったの」
「服装って、そんな……だって『彼女がいた、夏の向日葵』って、あんなに感動的なお話だったのに……」
ほら、心底ガッカリしたような表情を浮かべるだろ……。
心の中で溜息を吐いて、俺はさらに言うことにした。
「あのな、誤解しないでくれよ。俺はなにも『彼女がいた、夏の向日葵』のヒロインたちを服だけで選んでるわけじゃないんだ。俺だって全ルートで感動して泣いたよ。実際、誰が一番かなんて選べない」
「……じゃあ」
「だからこそ、服で選んだんだよ」
腑に落ちないといった感じのユウキに、理由を答えてやることにする。
「この『彼女がいた、夏の向日葵』のキャラデザは、ヒロインたちに現実にありそうなファッションをさせてる。実際、この娘らのコスプレってすげー多いしな。でもその中で、十文字ヒカリの服装だけが浮世離れてる。胸元の大きく開いた白いワンピースに白い帽子という出で立ちは、一部の芸能人張りの美少女を除いて似合わないサマードレス・ファッションだ。しかも、ヒカリは作中でも一番の巨乳の持ち主だろ。この美貌で、この服装で、この巨乳。お蔭で、十文字ヒカリのコスプレに挑戦するレイヤーはほぼいない。現実世界にはまず存在しないと言っていい」
だからこそ、俺は十文字ヒカリを選んだのだと締めくくる。
案の定、不思議そうな顔をしてユウキは訊いてきた。
「それって、一番現実世界に存在しそうにないヒロインだから、せーちゃんはヒカリちゃんが好きだってこと?」
「ああ、まあそうなるな」
「じゃあじゃあっ! もしもヒカリちゃんみたいな娘が現実に現れたと仮定したら、せーちゃんはその娘のことを好きになるのかな?」
どうしてそんなに必死に問うのかよくわからないが、正直に答えよう。
「かもしれないな。でも、できれば現れないで欲しいかな」
「どうして?」
「そうだな……俺はもう、女の子のことを好きになりたくないから、かな」
このとき俺は、どうせ夏の悲劇にやられてフラれるんだし、といった哀愁とともに、フッとカッコつけてそう言った。
だがしかし、この翌年、しっかり恋に落ちて再び夏の悲劇に見舞われるのだから、みっともないったらありゃしない。
……どうかユウキよ、俺のような情けない男に成長しないでおくれ。
そんなこんなを回想していると、眼の前の光景に変化がある。
さっきまで波打ち際にいて、波を蹴って遊んでいたサマードレスの少女が、どんどんと海の中の方へ中の方へと歩んでいっているのだ。
サマードレスの少女の浸かる水位は歩みとともに上昇していく。
膝まで、腿まで、やがてその水位が腰近辺にまで達した。
「……おい……」
釣竿を放り出し、手を伸ばして言うものの、そんな声が遠くまで聞こえるはずもない。
俺の頭の中に、ここは自殺の名所であるという事実が思い返される。
「ちょっと待てええええええええええええええええええええええええっ!!」
叫ぶや否や、俺は岩場を降り、砂で満たされた浜辺を駆けた。
なにを儚んだのか知らんが、いきなり目の前で入水自殺なんぞを許しては寝覚めが悪すぎる!
俺は砂を蹴り上げて激走し、服を着たまま海へと入り、もはや肩下まで水面下に浸かっているサマードレスの少女の腕を強引に掴んだ。
「ちょっとあんた、なにやって……」
言いかけた俺の、言葉が止まる。
何故なら振り返ったサマードレスの少女は、笑顔を浮かべていて――。
「もう、せーちゃんってば、気づくの遅い」
あまりに聞き馴染んだその物言いに、俺は眼を見開いて口走ってしまう。
「……ひょっとして、ユウキか?」
それは一言で否定されるべき質問だった。眼前の美少女とユウキとは、そもそも性別からして違う。
いくら振り返ったその顔にうっすらとユウキの面影があり、その声が記憶にあるユウキのものに似ていようとも、持って生まれた性別が違う以上、彼女がユウキであることはまったくもってあり得ない。そのはずだったのだが――。
「そーだよ。久しぶりだねせーちゃん……浜まで戻るから、ちょっと肩から手を放してくれないかな?」
そう言って、サマードレスの少女ことユウキは、呆然と波間に立つ俺を尻目に、両手で水を掻いて浜の方へと戻っていったのだった……。
◇◇◇
「……ホント久しぶりだよね。去年はこっちにこなかったから、こうやってせーちゃんと会うのって二年ぶりになるのかな?」
不意の再会から数分後。
場所は釣りをしていた岩場の上。
未だ混乱の渦中にある俺と裏腹に、サマードレスの少女こと自称ユウキは、海から吹き寄せる風に帽子を飛ばされないよう、右手で頭に押さえてあっけらかんとそんなことを言う。
「でも、来るなら来るって一言言っててほしかったな。そしたらあたし、ちゃんと駅まで迎えにいったのに。家に帰ったらせーちゃんの荷物があって、おじいちゃんに聞いたら着いて早々釣りに出たって言うんだもん。夏季講習帰りの制服から着替えて、全力で自転車飛ばしてここにきたんだよ。汗だくになったから海水で涼をとって、そしたら岩場の上にせーちゃんいるじゃん。あたし、マジなんなのって思ったよ」
チラ、ととうとうとしゃべるユウキ?の横顔を盗み見る。
だって、ひょっとしたら見間違いかもしれなかった。
このサマードレスの少女はあまりにモテなさすぎて傷ついた俺の悲惨な精神が作り出した夏の幻影で、もしかすると俺の脳味噌は今、熱中症かなにかで狂ってしまっているのではなかろうか?
そんな極めて合理的かつ、実際あり得そうな考えの下、もう一度つぶさに彼女の姿を確認する。
だがしかし、その姿は蜃気楼のように空気に溶けて消えたりせず、何度瞬きをしてもその場に留まり続けるのだった。
「……クソ、しつこい幻だな」
「せーちゃん? 今なにか言った?」
「あ、いや、別に」
と、急にこっちに顔を向けた自称ユウキの顔を事故で直視してしまう。
あーもーすっげーかわいい!
脳内国民的美少女コンテストぶっちぎりの優勝者がそこにいた。
「ふうん、そう。変なせーちゃん」
ボソッとそう呟いてなんとなく面白くなさそうに言う自称ユウキだったが、その言葉、性別ごと他人になっちまってるお前にそのまま返したいぞ……。
と心中でツッコミを入れたのが功を奏したのだろう。
俺は自らの身に起こり得た不可思議な事態を冷静に分析し始めた。
爺ちゃんの家に身を寄せた俺は、この岩場の上で釣りをしていた。
そこにやってきたのがこの、サマードレスが似合う少女だ。
俺は釣りをしつつ、彼女の姿を目の端で追っていた。だってサマードレスが似合うほどの美少女なんてそうそうお目にかかれない。俺は秘かに、この降って湧いた眼福を楽しんでいた。
そしたらサマードレスの少女は波を蹴って遊ぶのをやめて、その恰好のまま、海岸から沖の方へと歩んでいった。着衣が濡れるのも構わずガンガン進んでいく彼女は、俺にはまるで入水自殺しようとしているように見えて――。
そうだ! 彼女は自分の命を断とうとしていたんだ!!
「……どういうつもりだよ」
様々な衝撃が隠していた本質を再度確認した俺は、険のある表情を彼女に向けた。
真剣な眼差し、だったはずだ。
だのに彼女は、きょとんとした表情のまま、小首を傾げる。
「……ええっと、どういうつもりって、ドウイウコトデスカ?」
「シラ切るなよ。あんた今、自分がなにをしようとしたかわかってんだろ」
「あんたじゃないよ、ユウキだよ?」
そんなどうでもいい訂正をしたサマードレスの少女は、ああ、となにか得心がいったように小さく頷いた。
「ひょっとしてせーちゃん、さっきの、あたしが入水自殺でもしようとしてるみたく見えちゃってた?」
「あのな……それ以外のなにに見ろってんだよ、あんなの」
返答次第ではこのまま警察に突き出す。
そのくらいの覚悟を孕んだ、それは腹立ちまぎれの一言なのだったが――。
彼女の返答は、あまりに意外なものだった。
「でも違うよ、あれは十文字ヒカリちゃんだから」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を出す。
どうしてここで『彼女がいた、夏の向日葵』のヒロインが出てくるんだ?
あんぐりと口を開いて固まる俺に、彼女はその理由を説明し始めた。
「覚えてないかな? 二年前、せーちゃんが貸してくれた『彼女がいた、夏の向日葵』に出てくるヒロインの、十文字ヒカリちゃん。ほら、あの娘、初登場のシーンで服を着たまま海の中に入っていってたじゃん。海の音を聞きたいーとか言ってさ。さっきの、あれのマネだから」
「ま、マネってあんた、こっちがどれだけ慌てたと思って……」
愕然とする俺に、ふふっと彼女は笑って。
「あれ? せーちゃんなら気づいてくれると思ったんだけどな。ひょっとして、心配してくれてたり?」
「あ、当たり前だ! てかあんた……本当にユウキ、なのか?」
勢いで言ってしまった二度目の質問に、むすっと彼女は唇を尖らす。
「だからそうだって、さっきから言ってるじゃん」
「……どうだろうな、ユウキ違いかも」
「せーちゃんのことせーちゃんって言うユウキなんて、あたし以外いないと思ウンデスケド?」
「……それだって、せーちゃん違いかもしれないだろ」
「立浪誠也くん」
突然フルネームを呼ばれて、胸を突かれたような心地になる。
彼女はずいっと右手人差し指で俺を指差して、なおも続ける。
「君の名前は立浪誠也くん。あたしこと、高垣優希の従兄弟で、伯父さんのひとり息子。殆ど毎年夏休みを利用しておじいちゃんの家にやってきてて、そこでひと夏をすごしてる。釣りが好きで、ひがな一日ずっとやってることもある。おじいちゃんとの仲は良好で、あたしとも仲がいい。二年前、失恋で傷心状態だったあたしにゲームを貸してくれて、色々攻略情報を教えてくれた……どうどう? 合ってるでしょ?」
人懐っこい笑みを浮かべて念を押してくる彼女、いやユウキの姿を目に入れながら、このとき俺は古い記憶を掘り返していた――。
夏休み、幼い頃の俺はユウキとよく遊んでいた。
爺ちゃんの家は海沿いの漁村にあって、年々過疎化が進んでいた。近場に同年代の友だちがいないユウキにとって、夏休みを利用してやってくる従兄弟の俺は恰好の遊び相手だったのだ。
都市部と違い、ありのままの自然が色濃く残る近所の林で、俺はよく虫取りにいそしんだ。ここにはでっかいカブトムシのみならず、都会じゃ金を払わないと手に入らないクワガタなんかも山ほどいたからだ。
一日中、俺は熱中した。だがユウキはいつもそんな俺のことを遠巻きに見て、地面に木で絵を描きながらつまらなそうに唇を尖らせていた。
「ねえせーちゃん、虫取りばっかやんないでさ、もっと別のことしない?」
「はあ? 別のって、どんなことだよ」
「うーん、図書館に行って、一緒に本読むとか?」
「せっかくこんなにたくさん昆虫がいるのに、わざわざ本なんて読まなくていいだろ。それよりユウキも、こっちきて一緒にクワガタ取ろうぜ」
「えっやだよ、オレ、虫とか怖いもん」
「怖い? どの辺が? カブトムシとかクワガタとか超カッケーだろ」
「ううん、怖いよ。だってギザギザの角に挟まれたらすごい痛いじゃん」
「気をつけてたら平気だよ。ほら、こうやって持つんだ。ユウキもやってみな」
「やー!!」
と少年のロマンそのものである昆虫を持たせようと近づくといつも、ユウキは野犬に追いかけられたかのように一目散に逃げ出すのだった。
一日中外で虫取りなんざしていれば、身体は大量の汗を吹き、夕暮れが近づく頃合いには、随分と気持ち悪い肌心地になっている。
俺は、爺ちゃんの家の風呂が好きだった。
昔ながらの檜風呂で、ボイラーで焚いたお湯を満たす。
木の風呂ってのは不思議だ。家で使ってるアクリル製の風呂の感触と違い、肌にくっ付くということがない。この風呂に入れば、湯上がりはサッパリとして、真夏なのにとても爽やかな心地になれるのだ。
風呂はいつも爺ちゃんが焚いてくれた。毎日汗だくになって帰ってくる俺のために、わざわざ早めに準備してくれていたのだ。
帰宅するといの一番にTシャツを脱ぎ散らし、風呂に入ろうとする俺は、一日俺に連れ添ったユウキにこんなことを言い出したように思う。
「……なあユウキ、一緒に風呂入ろうぜ」
「へ? オレ?」
「ああ、虫取りこそやんなかったけどさ、お前だってずっと外にいて汗かいてるだろ? 背中流しっこしてサッパリしようぜ」
「お、オレはいいよっ! せーちゃん、先に入って」
「おいおい、一番風呂を譲ってくれるってのか? 水くせーじゃねーか。俺とユウキの仲だろ?」
「い、いいからっ! 先入ってよう!」
「なに真っ赤になって顔そらしてんだよ? ははーん、さてはお前、俺に裸見られるのが恥ずかしいんだろ」
「いいからっ! オレ、部屋に帰ってるから上がったら言ってね!」
早口でそう捲し立て、子ども部屋に逃げ帰ってゆくユウキの背を見送りながら、アイツもまだまだガキだななどと、当時の俺は思っていたのだったが――。
だらだら、と背筋に汗が伝う感覚とともに今、俺は思う。
ああ……ガキなのは、果たしてどちらの方だったのだろう?
記憶を呼び起こせば、思い当たる節はいくらでもあった。
俺はずっと、ユウキをシャイな少年だと思っていた。漢の中の漢として名高い元漁師である爺ちゃんの孫にしては随分と内向的で、でも全然悪いヤツなんかじゃなくて、俺のことを慕ってくれる大事な従兄弟だと。
それで、完結していた。その先を考えてみようとすらしなかった。
先入観のまま、ユウキという人間の人物像を固定していた。
だから虫が嫌いだったり、頑なに一緒に風呂に入ろうとしなかったり、一緒に昼寝しようとしたら拒否されたりといったことは、ユウキがそういうヤツであるからで、それ以外の理由があるだなんて毛ほども考えたことがなかった。
なんという浅はかさか。
なんという節穴であろう。
こんな古典的でベタベタな勘違いすら指摘されるまで正せなかったとは、立浪誠也よ、お前は本当に一端のギャルゲーユーザーなのか?
……いや、それよりも大問題なのは、だ。
俺が、さらなる過去のやらかしに頭を悩ませながらゴクリと生唾を飲んで顔を上げると、三角座りをして空を見上げていたユウキがゆっくりとこちらに顔を向けた。
「どう? やっと納得してくれた? あたしがユウキなんだってこと」
「ああ、まあ……変わりすぎてて、今でもちょっと信じられねえけど」
その言い分は、半分が本当で半分が嘘だった。
本当は眼の前の美少女がユウキだなどと、未だにまったく信じられない。
どうやら俺の言葉の裏の意味を嗅ぎとったのだろう。
アハハ、と乾いた笑い声をあげて、ユウキはさらに言った。
「……まあね? 実際、そう簡単に信じらんないとは思うよ。あたしとせーちゃんが会うのって二年ぶりだし、その間にあたし、色々変わっちゃったしね」
そう言って、ユウキは少し視線を落とすと、指先でサマードレスのスカートの裾を少し直して見せた。
……薄手のサマードレスが海水を吸って太腿に貼り付き、その下の肌色が透けてあまりにも艶めかしい。
慌てて眼を逸らしかけたところに、ユウキが言葉を重ねてきた。
「たぶん、せーちゃんから見て、今のあたしって随分と女っぽくなって見えてると思うんだ。二年前のユウキとは、まるで別人だって。でももしも、せーちゃんがそう思ってくれるなら、それはあたしにとっては喜ばしいことなんだよ? だって二年前のユウキって、まるで男の子みたいな女の子だったじゃない。ほら、一人称とかもオレとかだったしさ」
……ここで、いや俺実際に男だと思ってたしとはさすがに言いづらい。
ああ、と曖昧に返事すると、ユウキは再び足を腕で抱えて三角座りに戻り。
「でも、二年前のユウキはそういうことに疑問を持ってなかったの。男の子みたいな女の子だって別にいいじゃんって思ってた。中学に入りたてだったあたしには――えっと今もまだギリ中坊ですけど――親友って思える男の子がいたんだ。せーちゃんは知らないと思うんだけど、学校があるときは二人で一緒に遊んだりしてたんだよ。そしたらいつからかあたしはその子に惹かれるようになって、それで、告白したんだけど――」
……だらだら、だらだら。
ああ、何故だろう、ユウキがこんなにも真剣な話をしているというのに、俺の背を伝う冷や汗が止まらないのは。
「結果は知ってると思うけど、フラれちゃった。理由は、お前のことそーゆー目で見れないって。本当にショックだったよ。あたしたち本当に仲が良かったから、きっと告白は成功するって信じてたもん。でもそんなときだったよね。毎日泣き通してるあたしに、夏休みでこっちにきてたせーちゃんが『彼女がいた、夏の向日葵』を貸してくれたのは」
――ミーンミンミン、ミーンミンミンミン。
重ねて何故なのか、このタイミングでさっきまで完全なる沈黙を守っていたミンミンゼミまで一斉に鳴き出した。
それはまるで、処刑場へ歩む罪人を咎める群衆の罵声の如く、岩場の上の俺に向かって降り注ぐ。
……ああ、さっきから冷や汗が止まらない。
灼熱の太陽まで雲間から顔を出して、真夏の直射日光を地表へと送って寄越し始める。
まるで責め苦だ。地獄とはここのことを言うのだろうか?
俺は死後、閻魔様に罪状を詰問されている悪党の心地である。
だが、それでもやらかしてしまった身としては、ここで訊かずにはおれないだろう……。
俺はノミのような勇気を最大限ふりしぼって、どうにか口を開いた。
「な、なあ、あん……ユウキ、ひとつ質問していいか?」
「うん? どしたのせーちゃん?」
「『彼女がいた、夏の向日葵』ってたしかギャルゲーだったよな。俺、あんときは勢いでお前にやらせちまったけど、あんときお前、どう思ってたんだ?」
不意の質問に虚を突かれたような表情から一転、ユウキはニコニコっと、誰もが魅了されてしまいそうなあまりにもステキすぎる笑顔を浮かべて――。
「ふざけんなって、思ったよ」
――ズザッ、と足元で音した。
だがなんのことはない。
それは俺が地を擦って足を組み替えた音であった。
岩場の淵に腰かけ、海に向かって足を投げ出していた俺は今、速やかに正座の体勢へと移行している。
その理由? 言うまでもなくひとつしかあり得ない。
男の謝罪行為、土下座のためである。
地べたを見ると、夏の熱気と直射日光に炙られた岩が、空気を熱して歪めている。
この上で土下座をするということは、すなわち焼き土下座に等しい。両掌と額の大火傷は免れ得ないであろう。
ごくり、生唾を飲み込む。
そんなの絶対に嫌だ、ご免被る、という気持ちが先に立つ。
しかし己のしでかした罪状がそれを押し留めた。
だってそうだろう。俺は知らず、失恋で傷心したいたいけなJCにギャルゲーをやらせていたのだ。まったくもって、どんなセクハラだ。
今、俺の頭の中にどういうわけか親父が好きだったPSのゲームキャラが浮かぶ。「万死に値するぞ」キラリンとおでこを光らせて彼女は言う。
イグザクトリー。俺もそう思う。もはやよかれと思ってやったなどという言い訳は成り立たない。
そもそも従兄弟の性別を間違うという前提がド失礼な上にあり得なさすぎる。
そんなわけで俺は心を決め、潔く頭を下げるためユウキへと向き直ったのだったが――ユウキは、どういうわけか上機嫌な表情で。
「でも、それは最初の方ね。ほら、せーちゃん言ってたじゃん。お前はこれからこのゲームの主人公になって、この女の子たちと恋人関係になるんだって。アレね、レズになれって言ってるのかと思って、本気でイライラした」
「そ、そりゃすまなかったな……本当に……」
謝罪しつつ、頭を垂れやすいよう、太腿の間を開いてスペースを確保する。
なあユウキ、どうか刮目して見ていてくれ。これからお前に失礼を働いたクズの従兄弟が罰せられる。悪は滅びるのだ。額を焼いた後は好きにしてくれていいからな。なんなら赤くなってる額に「肉」とか「犬」とか、油性のマッキーで書いてくれたっていいから……。
などと思いつつ、俺は土下座を実行に移すことにした。
「でも、それはあたしの大間違いだったよ」
「ユウキすま……へ? なんて?」
出鼻を挫かれた俺が素っ頓狂な声を出すのを受け取って、ユウキは話を続けた。
「だから、間違いだったの。あたしたぶん、あのとき先入観で物事を見てた。好きな男の子にフラれて、一日中泣いてて、そんなときにせーちゃんにギャルゲーやれって言われて……ああ、この人は、傷心のあたしのことをからかって楽しんでるんだって思ってた。でも違ったんだよね? だって『彼女がいた、夏の向日葵』、ものすごく面白いゲームだったんだもん」
「……面白いってユウキ、それ本気で言ってくれてるのか?」
「うん、もちろんだよ」
思い返せば、たしかに記憶の中のユウキは、『彼女がいた、夏の向日葵』を楽しんでプレイしていたように思う。
ギャルゲーはたしかに楽しい。でもそれは俺のような陰キャでオタクなヤツがやるからであって、プレイヤーがいたいけなJCだったとすれば果てしなく疑問だ。
当時のユウキは入学したてのJCで、しかも失恋直後だ。正直、その事実を知ったとき、俺はユウキがあのとき、楽しんでいるフリをしてくれたのだと思い直した。従兄弟である俺に気を遣って、あるいはウザいから適当にあしらうつもりで、楽しんでいるフリをしていたのだと。
驚きに眼を瞠る俺に向かい、なおもユウキは話し続ける。
「プレイし始めたときはね、半信半疑だった。せーちゃんがこんな意地悪する人だなんて信じられなくて、幻滅もしてたよ。でも、やり始めて十分もしないうちに、間違っているのは自分だって思ったんだ。『彼女がいた、夏の向日葵』はすごいゲームだった。出てくるキャラは男女問わず魅力的で、世界に纏わる大きな謎もあって、気づけば夢中になってた」
「……ユウキ……」
脳裏に、俺の前ではしゃいでいた当時のユウキの姿が甦る。
ああ、あの姿が、笑顔が、嘘じゃなくて本当によかった――。
「ゲームをやってる間、あたしは失恋のことを忘れていられた。そして、ゲームをクリアする頃にはね、すっかりその傷が癒えていたんだ……だからせーちゃん、あのときはどうもありがとうね」
ニコっと笑んで、俺にお礼まで言ってくれるユウキ。
……正直、どう反応したらいいものかわからない。
だって、この数分間で色んなことが起こりすぎていた。
今までずっと男だと思っていた従兄弟のユウキが実は女の子で、サマードレスの似合う美少女になって俺の前に現れた。
それだけでも頭がパンクしそうなのに、本当は女の子だったユウキに、二年前にそれと知らずにやらせたギャルゲーのことでお礼を言われてしまっている。
どこかくすぐったい気持ちと、安心感と。
俺はまだユウキのいい兄貴分でいられるのかという一抹の不安感。
それらが綯い交ぜになった感情で胸をいっぱいにしていると、ユウキが俄かに俺へと向き直った。
「ということで、あたし的にそろそろ昔のお話は切り上げたいんだけど、ドウデショウ? 今度はあたしから色々質問したいなーって思ウンデスケド」
「え? ああ、そりゃそうだよな……気づかなくて悪い」
完全に呆けてしまっていたが、ユウキの言い分はもっともだ。
二年間、俺とユウキの間には溝がある。
俺が変わってしまったユウキについて色々知りたがったように、ユウキもまた俺に対して訊きたいことがあるのだろう。
この二年間で、誰が見てもステキな女の子に成長したユウキ。
でも、そんなユウキに変わらないものもあるって俺は示したい。実は女の子だと知ったって、俺はお前の頼れる兄貴分でありたいって、心からそう思っているから。だから――。
「ああ、いいぞ! 俺に纏わることならどんなことでも訊いてくれ! 俺とお前の仲だ! どんなことだって二つ返事で答えてやるからなっ!!」
この一言は俺の、偽らざる気持ち。
これからもいい従兄弟でありたいという、決意表明だったのだが――。
……何故だろう、俺がドンと胸を叩いて断言したにも関わらず、ユウキからの返答がやけに遅い。
というか、なにやらモゾモゾしている。手と手を擦り合わせて「あうー」やら「えうー」やら唸っている。
それになんだか顔も赤い感じだ。ひょっとして熱中症だろうか? だとしたら兄貴分として見すごせないな。今すぐにでも負ぶって日陰に連れていきたい。
「ユウキ? 大丈夫か? さっきから調子悪そうだけど……」
様子を確認するため、近寄って横から顔を覗き込もうとする俺。
だがユウキはどういうわけか、手で壁を作って思い切り顔を背けた。
「ひゃっ! ちっ、違うから! これ、心の準備決めてるだけだからっ!」
「心の準備? よくわからんが顔色が赤いぞ。もし熱中症なら……」
「だから違うのっ! もう少ししたらちゃんと質問するから、せーちゃんはそこで待ッテテモラエマスカッ!!」
……とまあ、そこまで力説されれば俺も引き下がらざるを得ない。
ユウキと向き合ったまま、しかし今しがた海水に濡れて色々見えてはならいところが透けまくってるユウキの服からは眼を逸らしながら、俺はユウキが口を開くのをじっと待つことにした。
数分間ほど待っただろうか、なにやら葛藤していたユウキは「ヨシ!」と自らを鼓舞するように両腕でガッツポーズを決めて、口を開いた。
「それでは質問タイムです。せーちゃん、正直に答えてね?」
「応!」
俺は深い頷きとともに声を出した。
従兄弟よ……お前の信頼に応えよう。
「それじゃあ最初の質問デス」
「え? 質問って複数個あるの?」
「そこ、話の腰を折らないでモラエマスカ?」
「す、すまん……」
いきなり自分の手で出鼻を挫いてしまい、反省する俺。
こほんと空咳を挟んで、ユウキは仕切り直した。
「えー、改めてせーちゃんに質問シマス。せーちゃんは、今のユウキを見てどう思イマスカ?」
じいっと眼力を込めて俺を見ながら、ユウキは訊いてきた。
真剣な瞳だ。お為ごかしや誤魔化しで答えるのは失礼に当たる。たとえそれがクサいものであろうと、俺はそれを口に出して言い切らねばならない。
「……とてもきれいだ」
「ん、わかりました。せーちゃん、悪いんだけどちょっと待っててくれるかな?」
頷くと、ユウキは後ろを向いてプルプルと震え出す。
そして何度か「っし!」「っし!」と声を出していた。
……ひょっとしたら虫でも寄ってきていたのかもしれない。
「それじゃあ二つ目の質問デス」
ユウキの質問の大半は、俺についてというより、変わったユウキ自身の容姿についてのものだった。
要するに俺の眼から見て、今のユウキは可愛い女の子に見えるかどうか、それをとても気にしていたのだ。
大切な従兄弟の質問に、俺は正直に答えた。
それは、あまりにも簡単な作業だった。
俺の眼から見て、いや誰の眼から見たって、今のユウキは最高の美少女に決まっていたからだ。
だから俺は、ユウキの質問に対して常に肯定的な返答を返した。ユウキはその度に弾んだ声を出し、虫がよりつくのか時折後ろを向いて「っし!」「っし!」と声を出していた。
そんな遣り取りが幾度も続いて――やがて、やっと話の方向が俺へと帰ってきた。
「それじゃあ最後の質問にいきたいと思イマス」
「ああ、なんでも訊いてくれ」
「せーちゃんには……えっと、ごめん、ちょっと待っててモラエマスカ?」
言いあぐねたユウキの様子は、今までと少し違っていた。
下を向き、深く深呼吸をして、ゆっくりと顔を上げる。
そして、なにかを思い切るかのように、こう言ったのだ。
「せーちゃんは……せーちゃんには、今のユウキが女の子に見えますか?」
もちろん――そう二つ返事を返そうとして、俺は固まった。
潤んだ瞳。赤く上気した頬。
ユウキの浮かべている、あまりにも真剣な表情。
ああ、それらの組み合わせが、鈍感な俺にだって気づかせる。
ユウキは、言葉通りの意味でそれを訊いてるんじゃないってことを。
言いかけた口を噤んだ瞬間、連動したようにユウキが語り始めた。
「あたしね、せーちゃんのお蔭で気づけたんだよ。二年前、『彼女がいた、夏の向日葵』をプレイしてて、やっとわかったの」
「わかったって、なにを……」
「あたしが全然、女の子らしくなかったってこと」
そう言って、ユウキは自分の胸に手を置いて、もの悲しそうに続けた。
「きっとね、それが良いとか、悪いとかじゃないんだ。あたしはずっと、あたしのままでいたってよかった。一人称がオレで、少年にしか見えないユウキのままでいてもよかったの。でも、それじゃあ見てもらえなかった。好きな子に告白を断られて、なにが悪かったのか考えて、やっとわかったんだ。ああ、あの子にとって、ユウキは友だちで、恋人じゃなかったんだって。ギャルゲーのヒロインみたいに、ずっと傍に置いておきたい女の子じゃなかったんだって」
「……ユウキ……」
「だからユウキは、ユウキを変えることにしたんだ」
顔を上げたユウキは、晴れやかな表情を俺に向けて見せた。
「これが、今のあたし。二年前、傷ついてたあたしのことを励ましてくれたせーちゃんを好きになった、今のあたしなんだよ」
――だから、もう一度質問するね? とユウキは言う。
「せーちゃんには、今のユウキが女の子に見えますか?」
ああ――それは、俺にとって青天の霹靂。
あまりにも唐突な愛の告白。
まさか、ずっと男だと思っていた従兄弟が女の子で、サマードレスが似合うほどの美少女になっていて、しかも俺のことを密かに想ってくれていただなんて――。
そうとも、そんなこと現実にあり得ない。あまりにもご都合主義がすぎる。これがもし映画だとしたなら、シナリオライターがボコボコに叩かれてネットに晒される、そんなレベルのお話。御伽噺。
けれど。
でも――。
俺の眼の前にいるユウキは、どう見たって現実の存在だった。
ふと、俺は思い出す。『彼女がいた、夏の向日葵』をクリアしたユウキが、俺の好みのヒロインは誰か気にしていたことを。
十文字ヒカリは架空の存在だった。その容姿は浮世離れていて、誰もそのファッションを真似ることはできない。
でも、だからこそ俺は十文字ヒカリが好きだとユウキに告げたんだ。現実には存在しないからこそ、俺はこのヒロインを選ぶのだと。
なのに今、俺の眼の前にいるユウキはまるで十文字ヒカリの生き写しだ。
正直、ここまで似せるのは並大抵の努力の賜物じゃなったろう。この二年間、ユウキはがんばって自分磨きにいそしんできたはずだ。そしてその努力は、他ならぬ俺だけのために向けられていた。
……でも、だからこそ気後れする。
俺が、俺なんかがユウキの想いに応えていいんだろうか?
この数年間、俺はずっと負け犬だった。夏の悲劇にやられて、好きになった娘を失って、悲嘆に暮れているばかりの情けない男。
そんな男が、こんな一生懸命にがんばってきた女の子の想いに応えて本当にいいんだろうか。
そこまで考えて、気づいた。
きっと、チャンスの神様には前髪しか存在しない。
去年の夏に俺が好きだった娘は、元は本が好きな奥手な少女だった。チャラ男は、きっと何度も誘いを断られたことだろう。それでもアイツは諦めなかったのだ。何度もチャレンジして、振り向いてもらえるまで誘いをかけ続けた。
そのがんばりの甲斐があって、最終的に告白されるまでに至ったのだ。
初めから完璧なんて存在しない。
好き同士が結ばれることなんてそうそうあり得ない。
きっと世の様々なカップルは、愛情よりもなお、最初は努力の結果として結びついている。
俺は知っている。俺のために、ユウキがずっとがんばってきたことを。
勇気を出して、今その手を差し出してくれていることを。
足りないなんてわかってる。今の俺じゃ、ユウキと釣り合わないことなんて百も知っている。でもチャンスは今このときしかない。
逃せばきっと、あとは今までと同じ。夏休みの悲劇に奪われて、ユウキはこれまで好きになった女の子と同じく、俺の中で辛い思い出の少女になってしまうだろう。だから――。
俺が、がんばればいい。
足りない分は、届かない分は、これから努力で埋め合わせていけばいい。
ユウキが今までそうしてきたように、今度は俺がユウキの理想に近づいていけばいいんだ。
「……ユウキ」
「うん?」
だから俺は言う。
今ここで、二度と後悔しないように。
「ユウキは、俺から見てとてもかわいい女の子だよ」
この作品は業界空前にして恐らく絶後である、セルフ挿絵システムを採用しています。
やり方は超簡単。
①Go●gle先生を起動し、「サマードレス」「イラスト」で画像検索する。
②超ハイクオリティなサマードレス美少女画像がタダでたくさん出てくるので、お気に入りをチェキ!!
③その娘に「ユウキ」と名付け、愛でる。
石 を 投 げ な い で く だ さ い!!(さあキミもレッツトライ!!)