子猫の名前は茶々(8)
僕は戻る前の茶々が心配で眠れなかった朝とは違う、幸せに包まれた気持ちのいい朝を迎えた。
胸の上にいたはずの茶々は毛布のなかにいた。暖房はついていたけれど、寒くなってもぐりこんできたのだろう。
僕は起こさないように、慎重に体の向きを変える。
気持ちよさそうに眠っている――でも、なんか変だ。
昨日の夜は胸の上で体を膨らませるようにして眠っていた。
でも、今、隣で眠る茶々の体はぴくりとも動いていない。
また、嫌な予感がする。
「茶々、茶々」
僕は呼びかけながら、小さな体を優しく揺する。
「ねえ茶々、返事をしてよ」
不安が大きくなるのにつられて、揺する力が強くなっていった。
でも、どんなに呼びかけても、揺すっても、茶々からは何の反応も返ってこなかった。
「…………なんで」
ごはんもちゃんと食べていた。元気に研究室のなかを探検していた。暖かい部屋で眠った。それなのに、どうして。
僕は起きあがると、ドラフターのほうを見やった。じいちゃんがそこにいると確信していたから。じいちゃんはいつものようにドラフターと向き合っていた。
じいちゃんのそばに駆け寄ると白衣の袖をつかんで力いっぱい揺らした。じいちゃん、緊急事態だよ。
「おお、隼、おはよう」
揺らしたせいで、紙に描かれた線はぐしゃぐしゃになってしまった。ごめんなさい、でも今は――。
「大変だよ。茶々がまた……」
死んじゃった、とは言えなかった。認めたくなかった。
「そうか」とじいちゃんはつぶやいた。
「もう一回、戻って――」
じいちゃんの鋭い目がこちらを向いて、僕は言葉をつづけられなかった。
「それは、だめだ」
じいちゃんは苦しそうな声で言って、眉を困ったように曲げた。
「時間を戻して選択を変えても、命を救うことはとても難しいんだ。死ぬことは簡単には変えられないし、変わってはいけないことなんだ」
「じゃ、じゃあ、戻らなくたって一緒だったじゃん」
「そんなことはない」
初めてきいたじいちゃんの厳しい声に、思わず体がびくっと震えた。僕はじいちゃんに手を引かれ、ソファーの上で動かなくなった茶々の前にしゃがんだ。
じいちゃんが指先で茶々の頭を優しくなでる。
「茶々にとっては、一晩だけでも隼と過ごせたのは幸せだったはずだ。戻る前に連れてきたときとはまるで違うぞ。ほら、茶々の顔を見ろ。笑ってる」
僕は茶々の顔を見つめる。
ミルクで真っ白に濡れていた口元は、たしかに笑ってみえる。戻る前に見たときはやつれて悲しい顔をしていたけれど、今、目の前にいる茶々は幸せそうだ。
視界に映る幸せそうな茶々が、だんだんとぼやけていく。
僕は二度目の茶々の死に涙を流した。
助けてあげたかった。
もっと、茶々と楽しく遊びたかった。
もっと、いっぱいごはんを食べさせてあげたかった。
もっと、もっと……。
「隼、茶々をちゃんと天国へ届けてあげよう」
僕は小さく頷くと、手を伸ばして茶々をぎゅっと抱きしめた。そして、じいちゃんと一緒に研究室の裏庭に茶々のお墓をつくった。
茶々、大好きだよ。おやすみ。