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Tバックマシン  作者: Tai
第七章
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未来をみつめた瞳(4)

 

 六月十五日。

 今ごろ、学校内は来週の文化祭に向けて盛りあがっているだろうな。もう僕には関係のないことだ。

 僕は布団のなかに潜りこみ、ただただ時が過ぎるのを待っていた。母さんがお昼を持ってきてからしばらく経ったけれど、じいちゃんが訪ねてくることはなかった。

 心が諦めに支配された後も、心の片隅に生まれたかすかな期待をすくいあげ、またタイムバックしようと思った。

 でも、ぼやけで歪んだように見える扉の前に立つと、期待はいとも簡単に諦めの渦にのまれて消えてしまった。

 こんこんっと扉を叩く音が響いた。

「隼、今日もお友だちが来てくれてるけど、どうする?」

 母さんの優しい声がした。

 僕は何も答えなかった。

 しばらくすると、床板が軋む小さな音がして、足音が遠ざかっていった。

 ごめんね、と僕は母さんと大切な友だちに心のなかで謝った。

 会いたい。会いたいけど、会いたくない。でも、会いたい。でも、会いたくない。

 期待を追いだすように勢いよく寝返りを打ったとき、どどどっと激しい音が鼓膜を揺らした。その力強い音は鼓膜を打ち鳴らすようにみるみる大きくなっていて、急に消えた。

「とじまぁー、ででこぉいー」

 扉を破壊してしまいそうな勢いの大声に思わず体が跳ねた。

 この声は間違いなく吉岡だ。

「寂しい、寂しい、寂しい、寂しいぃぃー」

「ちょっと、芽唯ちゃん」焦ったようなこの声は桜井さんだ。

「寂しい、寂しい、寂しいぃぃー」

 桜井さんに耳を貸すことなく、吉岡は叫びつづけている。

 僕は両手で耳を塞ぎ、その叫びを遮断しようとした。でも、吉岡の叫びは手を通り抜け、強く激しく鼓膜を揺らしてくる。

 寂しいのは僕だって同じだ。寂しいと叫びたい。

 三人に会いたい。会いたい。会いたい。

「芽唯ちゃん!」

 悲鳴のような甲高い声が手を通り抜けてきた。そのひと言で吉岡の叫びが静まり、僕は耳から手を離した。

「寂しいのは戸島くんだって一緒だよ」

 桜井さんの落ち着きのある声がきこえてきた。

「きっとね、わたしたちより寂しいって、会いたいって思ってるよ。いきなり病気になってすごく苦しくてつらくて。その、芽唯ちゃんが叫びたい気持ちはわかるよ。わたしだって寂しいって叫びたいよ。でも、わたしたちが叫んだら、もっと戸島くんを苦しめちゃうと思うの。だからね、その……」

「隼、部屋に入ってもいいか?」

 言葉を詰まらせた桜井さんの代わりに、賢人の落ち着いた低い声がきこえてきた。会いたいけれど、会いたくないから、僕は答えなかった。

「入るぞ」

 賢人の声と同時に部屋の扉が開いた音がした。

 僕は慌てて布団の縁を持ち、自分の身を守るように真っ暗な世界に閉じこもる。足音が近づき消えると、真っ暗な世界に賢人の声が響いた。

「病気のことを隼のお母さんに教えてもらって三人で調べたんだ。ネットとか図書館で調べたり、病院の先生にききに行ったり。色々したんだけど、正直、俺たちには難しくてよくわからないことばっかりだった。

 だから、理解できたことを踏まえて俺たちが隼のためにできることを考えようってなって、今日はその話をしに来たんだ。そのままでいいからきいてほしい。

 隼の病気はまったく見えなくなる可能性は低いらしい。ただ、今までみたいな目の使い方じゃなくて、違う形で見ないといけないらしい。中心で見るんじゃなくて、焦点をずらして目の端っこで見るようにすると、少し見えるようになるらしい。その方法は慣れるまで時間がかかるらしいから、慣れるまでは俺が隼の隣にいる。

 朝は隼と一緒に学校に行って、授業中は隣に座って黒板に書いてあるものを隼に伝える。そのことはもう山本先生に許可とってあるから。それで、昼も一緒に食って、トイレもついていく。学校が終わったら、家まで送る。もちろん、勉強会が終わった後にな」

「……そんな風にされたくない」

 僕は真っ暗な世界に言葉を吐いた。ずっと誰とも話していなかったから、掠れた情けない声しかでなかった。

 賢人の気持ちはうれしい。すごくすごくうれしい。

 でも、僕のせいで賢人の時間を奪うのは嫌だ。

「勘違いするなよ。俺は隼に同情してとか、可哀想だからやるわけじゃねえぞ。俺は自分の意思でそうしたいと思ってる。隣にいたいと思ってる。正直言うとさ、隼がいないと、寂しくて退屈で、もう俺は耐えられない」

「え、賢人、それはちょっと重いよ」吉岡の怪訝そうな声がした。

「うるさいな。今はそういうのいらないだろ。それに叫んだ芽唯だって重いぞ」

「わたしの重さはちょうどいいのっ」

「いや、何がちょうどいいんだよ」

「もうふたりとも、今は喧嘩はやめようよ」桜井さんの落ち着いた声がした。

「だって、賢人が重いって言ってくるからー」

「先に言ったのは芽唯だろ」

 ふははっと吹きだしたような笑い声が真っ暗な世界に洩れた。

 僕は自分の口から洩れたものだと気づくのに時間がかかった。

 久しぶりだ。こんな風に自然に笑ったのは。

 布団一枚を隔てた向こう側からきこえた声に、記憶の引き出しにある三人の表情が重なった。

 感情そのままの顔で遠慮なく思ったことを言う吉岡。目を細めて余計なひと言を付け加えた反論をする賢人。その余計なひと言に顔をしかめて怒る吉岡。不機嫌な顔でさらに反抗する賢人。そのふたりを少し呆れた顔でなだめる桜井さん。口を尖らせ賢人のせいにする吉岡。ちょっと拗ねた顔でまたいらないひと言を言う賢人。

 出会ってからずっと大切に過ごしてきた日常。病気と闘うためにタイムバックするたびに目に焼きつけた日常。

 長い長い時間をともにしてきたから、声をきいただけで三人の顔が鮮明に浮かんできた。

 今の目で三人を見たくない。ぼやけていて、顔はのっぺらぼうのように見えてしまうだろう。

 そんな三人を見るなんて、嫌だ。

 でも、でも、日常がなくなるのは、もっと嫌だ。

 四人の時間を奪われるのは、もっともっと嫌だ。

 またタイムバックすれば、何度も過ごしてきた日常を病気になる前の目で、見て感じることができる。ちょっとした変化もあって楽しい。

 だけど、もうそれはいらない。十分、楽しんだ。

 僕はこの先を過ごしたい。

 怖くて不安だけれど、何が起こるかわからない日常を過ごしたい。大好きで大切な人たちと一緒に。

 布団の縁を握る手に力をこめ、真っ暗な世界から飛びだした。

 大きく息を吐き、瞼をあげた。ぼやけた蛍光灯の光が眩しくて、目を閉じそうになったけれど、必死に耐えた。

 今、目を閉じてだめだ。また、諦めの渦にのみこまれてしまう。

 ベッドのうえに座る僕からは、三人が床に座っているのが何となくわかるけれど、どんな顔をしているのかは、まだ怖くて確認できなかった。

 きっと、突然、飛びだしてきた僕を見て、目を丸くして驚いているだろうな。

「太ったねー」吉岡の冷静な声がした。

 部屋に引きこもっている友だちと久しぶりに会って最初にかけるひと言としては、絶対に間違っている。吉岡らしいひと言だけれど、これからのためにちゃんと注意してあげよう。それに、あんまりご飯を食べてないから太っているわけないし。

「それ、最初のひと言としては間違ってるよ」

「そうだな」

 賢人が落ち着いた声で賛同してくれた。

「詩ー、男子たちがいじわる言ってくるー」

「うーん、わたしも戸島くんの意見に賛成かな」

 桜井さんも笑いながら賛同してくれた。その表情はわからないけれど、天使の微笑みであると信じたい。悪い笑顔でないことを僕は切に願った。

「賢人、お願いがあるんだ」

 うー、とか、むー、とか不機嫌そうな唸り声をだす吉岡はそっとしておいて、僕は覚悟を決めて親友の顔を見つめた。

 やっぱり、のっぺらぼうだった。

 現実を突きつけられ、つらくて目を逸らしたかったけれど、ぐっと堪えた。

「お、どうした?」

「じいちゃんの研究室に行きたい」

「い、いいぞ。で、研究室って遠いのか?」

 きっと、賢人は抑えきれないわくわくをいっぱいに広げた顔をしているだろう。

 賢人にはじいちゃんが発明家だということしか教えていない。初めてその話をしたとき、賢人は目を輝かせ、研究室に行ってみたい、どんな研究してるんだ? と興奮した口調で言っていた。

 研究室もそこで行われている研究も、じいちゃんの大切なものだから僕が勝手に教えることはできなかったので、よくわからない、と僕はごまかしたのだ。

「離れのことだから隣の建物よ」

 少し離れたところから母さんの掠れた声がきこえてきた。たぶん、扉のあたりから僕たちを見守っていたのだろう。

 僕は扉のほうを向いて、ぼやけていてはっきりわからないけれど、そこにいるであろう母さんに、ずっと言えなかったことを教えてあげた。

「母さん、あの建物は離れじゃなくて、じいちゃんの研究室って呼ぶんだよ」

「……うん、そうね。う、うっ、そう、よね……」

 母さん、今日からまたたくさんご飯を食べるようにするから。ごめんね。ありがとう。本当にありがとう。

 僕は心のなかで泣いているであろう母さんに、謝罪と山ほどの感謝を贈った。みんなの前で言葉にするのは恥ずかしいから、また今度言うね。

「じゃあ、みんなで行くよー」

 不機嫌をどこかにすっ飛ばした吉岡の溌剌とした声が響いた。

 僕は賢人と手を繋ぎ、一歩一歩、慎重に足を進め、じいちゃんの研究室へ向かった。



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