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Tバックマシン  作者: Tai
第七章
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未来をみつめた瞳(1)

 

 四月二十七日。

 目を閉じたまま、僕は慎重に体を起こし、枕に背を預けた。

 体が怯えたように震えている。

 恐怖で心が埋め尽くされて爆発してしまいそうだ。

 それでも、変えるために戻ってきたんだ。

 心の片隅にある小さな期待に強く意識を向け、僕は目を開けた。

「……だめだ」

 弱々しい声が洩れた。

 相棒である濃緑のブレザーがクローゼットの扉にかけられているのだろう。でも、今の僕にはその相棒の姿をはっきりと捉えることができない。

 見える世界は、薄く白い靄が広がり、ぼやけている。

 また、変えられなかった。



 この先のことはもう知っている。

 右目がどんどん見えづらくなり、母さんに相談して近くの眼科を受診する。でも、原因がわからず、隣町の大きな総合病院で診てもらうけれど、そこでも原因不明と言われてしまう。

 右目が見えづらくなって一ヵ月。左目にも同じ症状がでる。

 そのころになると、僕は顔をあげるのをやめてしまう。

 世界を見たくないから。

 視界の白い靄がさらに濃くなり、特に中心部分の靄がひどくなって、知っている世界が、未知の異様な世界のようにしか思えなくなってしまった。

 そんな僕を心配した母さんともう一度、総合病院を受診して紹介状を書いてもらい、車で四時間ほどかかる都会の大きな病院で検査を受け、ついに診断がでる。

 レーベル病。それが僕の目を襲った病気。

 医師から病気についての説明を受けているときに見た光景が、今も脳裏にこびりついている。

 遺伝性という言葉がきこえた後、洟をすする音や切迫感のある短い息の音で隣に座る母さんが泣いているのに気がついた。

 僕はそのとき顔をあげてしまった。

 そこに母さんの顔があるはずなのに、見える世界にはのっぺらぼうがいた。

 僕は絶望した。

 病気を宣告されてから、僕は部屋から一歩もでなかった。

 母さんやばあちゃん、伯父さんや伯母さん、県外の大学に進学して兄さん、山本先生や中島先生、桃太子先輩。大好きな人たちが心配して何度も部屋の前で声をかけに来てくれた。

 賢人と桜井さんと吉岡の三人は、毎日、来てくれた。

 でも、僕は誰にも会わなかった。

 会いたい気持ちでいっぱいだったけれど、のっぺらぼうを見るのが怖くて嫌だった。

 特に大好きで大切な三人には、会いたくて会いたくて仕方なかったけれど、会いたくなかった。

 文化祭が翌週に迫った六月十五日。

 僕は相変わらず部屋から一歩もでない生活をつづける。

 母さんが昼ごはんを持ってきてくれても、ほとんど手をつけず、真っ暗な部屋で目を閉じて膝を抱えうずくまる。光を絶ち真っ黒な瞼の裏を見ているほうが気持ち的に楽だった。

 こんな生活は嫌だけれど、何の希望も持てないぼやけた現実よりましだった。

 そんな僕のもとに初めてじいちゃんが声をかけにきた。

「隼、ちょっといいか」

 扉の向こうからじいちゃんの優しい声がした。

「会いたくない」

 僕は抱えた膝に向かって弱々しく答えた。

「戻って、みないか?」

 じいちゃんの声は先ほどの僕の声より弱々しく震えていた。

「…………うん」と僕は頷いた。

 このときは、戻って運命を変えようとは思っていなかった。

 ただ、今の何も楽しくない無為な日常より、戻って幸せな日常を送りたい、見たい。その思いだけだった。

 扉が開いた音、床板が軋む音、ベッドが沈んだ感覚、匂いとぬくもりで、じいちゃんが隣にきたのがわかった。膝を抱えていた手が包まれた。

「じいちゃんが手を握っているから、目を開けなくても大丈夫だ。隼、一緒に行こう」

 僕はじいちゃんに手を引かれて部屋をでた。

 しばらくして、古本の匂いやコーヒーの香りがして、研究室に着いたのだとわかった。

 じいちゃんに導かれ、僕は座った。目を開かなくても深く沈んだ感覚と空気が抜けた小さな音でガムテープだらけのソファーに座ったのだとわかった。

 繋いでいないほうの手に、冷たい粒状のものが当たったような感触がした。きかなくてもそれがTバックマシンだとわかった。

「……これは、今まで隼が使っていたTバックマシンとは違うんだ」

 じいちゃんの苦しそうな声がきこえた。

「今までは恥ずかしいをエネルギーにしていたものを渡していたが、今、隼の手にあるのは、怒りや不安、後悔のような、穿いた人が抱えている苦しい気持ちをエネルギーにするものだ。これなら隼でも一年を超えるタイムバックをすることができる。ただ、三年生の四月より前には戻ってはだめだ」

「どうして?」

「前にも言ったように、一年を超えるタイムバックは体への負担がすごいんだ。動けなくなる可能性だってある。正直言うと、三年生の六月と言いたいんだが、隼がもっと前に戻りたいと思っているのもわかっている。でも、三年生の始業式の日までにしてくれ。頼む」

 僕は、うん、と小声で答えた。

 じいちゃんの声は切実だったし、何より繋いでいる手が震えていたから。

 じいちゃんの言う通り、僕はもっと前に戻りたい。

 もう一度、茶々に会いたい、小学校の友だちと遊びたい、見学会で賢人や桃太子先輩に会いたい、四人で祭りに行きたい。

 もう一度見たい景色がたくさんある。

 記憶にはしっかり残っているけれど、この目でまた見たい。

 ぎゅっと手を握ってくれているじいちゃんの顔だって見たい。

 ドラフターと向きあう真剣な顔も、うははっと大きな声で笑う顔も。

 それでも、じいちゃんが心配してくれているのがわかるから、僕は始業式の日に戻ることに決めたのだ。

「ねえ、じいちゃん」

「隼、どうした?」

 僕は目を閉じたまま顔をあげる。話をするなかである期待が浮かんでいた。

「病気になる運命は変わるかな?」

「……わからない、でも、じいちゃんは変わってほしいと思っている」

 答えに悩んだのだろう。じいちゃんが答えるまで間があった。

「隼が納得するまで戻ればいい」

 そのときのじいちゃんの声は、とても苦しそうだったのを覚えている。


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