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Tバックマシン  作者: Tai
第六章
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繰り返される日常(6)

 

 目覚ましが鳴るより早く目が覚めた。

 パジャマを脱ぎ、クローゼットの扉にかけられた制服を手に取る。白シャツに袖を通し、真新しいこげ茶色のズボンを穿いた。鮮やかに煌めく赤色のネクタイを慣れた手つきで結ぶと、今年で四年目となる濃緑のブレザーを羽織った。

 入学したときから幾分か背が伸びたので、ブレザーから手がしっかりと飛びだしている。

 母さんが後期課程への進学記念に新しいブレザーを買おうと提案してくれたけれど、卒業までこの着古したブレザーと色々な景色をみたいと僕は断った。

 そのやりとりをきいていたばあちゃんが、着るものを大切にするのはじいちゃんに似たんだね、と褒めてくれた。

 大好きなじいちゃんと似ているところをまたひとつ知れて、心でうれしいぬくもりが広がった。

 朝食を食べ終えるとすぐに家をでた。ヘルメットをかぶり自転車に跨ると、学校へ向けてペダルを漕いでいく。

 タイムバックのたびにどこかしら変化が起こるので、今回も絶対に大丈夫とは言い切れない。変化を期待して戻ってきているけれど、ここだけは変わってほしくない。

 僕は不安をかき消すように力強くペダルを踏んだ。

 自転車置き場に着くと、車輪の音とともに耳なじみのある落ち着きのある声が、鼓膜を揺らした。

「おはよう」と桜井さんは言った。

「おはよう」と僕は返した。

 隣に自転車を止めた桜井さんは、ヘルメットをかぶったまま心配そうな表情で固まった。

「……みんな一緒かな」

 桜井さんの囁くような声は震えていた。

「あんなに勉強したんだから、みんな一緒だよ」

 僕は桜井さんの心配と吹き飛ばすように頷いてみせた。

「そうだね」

 桜井さんが微笑んだ。天使の微笑みはネクタイとスカートの色が変わっただけで大人っぽくなり、色気まで感じさせる。

 ああ、いつかこの笑顔を恋人として隣でみたい。

 このタイムバックがうまくいった暁には桜井さんに告白する。

 僕は改めて自分のなかの決意の紐を締め直した。

 桜井さんと一緒に中庭に向かい、西校舎の下駄箱前に貼りだされたクラス分けの紙を、同級生たちの肩の隙間から確認する。

 今年はC組が選抜クラスだ。太字で書かれたC組の下をゆっくりとたどっていく。

 上から二番目に一色賢人を見つけ、ひとまず安堵した。何人か挟んで、桜井さんの名前もあった。まあ、このふたりは大丈夫か。桜井さんから何人か挟んで僕の名前をあった。

 残るは吉岡だけだ。

 縦に並んだ名前のいちばん下に目をやって、上に向かって視線を動かす。

 渡辺……、渡辺……、吉岡芽唯。

「みんな一緒だ」

 思ったよりも大きな声がでてしまい、前の同級生に軽く睨まれた。

「よかった」

 桜井さんが胸元で手を重ね、ほっとしたように小さく息を吐いた。祈りが届いた女神のように美しかった。

 四人一緒に選抜クラスに入ることが変わらなくて本当によかった。

 西校舎の下駄箱に靴を入れ、シューズ入れから上靴をだし、桜井さんと並んで新しいクラス教室へと足を進める。

 西校舎には何度も来たことがあるし、廊下、階段、壁紙など東校舎と変わらない造りなのに、後期課程生として歩く西校舎はどこか雰囲気が違った。

 東校舎の弾むような明るい雰囲気ではなく、静かで洗練された大人な雰囲気だ。廊下を歩いているだけでも、自然と背筋が伸びる。

 そういえば、見学会のときも同じように感じた覚えがある。変わっていない自分に安堵すると同時に、あのころから成長していないかもしれない不安も感じた。

「うったぁぁぁー」

 教室の扉を開けると、喜々とした叫びとともに桜井さんに向かって濃緑の影が突っこんでいった。吉岡が桜井さんの胸元に顔を埋めている。桜井さんが吉岡の頭を優しくなでて微笑んだ。

 羨ましい、羨ましすぎる。心でそう叫んで、僕は賢人の席に向かった。

「とりあえずみんな一緒だな」と賢人が言った。

「そうだね」

 僕は賢人の隣の席に座り、扉の前のふたりを見やった。吉岡は桜井さんの胸元で顔をふりふりと振っている。

「入れ替えがあるから毎年、油断できないけどな」

「……そうだね」

 声のトーンががくっと落ちてしまった。

 まあ、俺は大丈夫だけどな、という賢人の軽口にはうまく反応できなかった。

 今の僕は、来年のことなんて考えられない。

 僕は何も言わずに立ちあがり、黒板に貼ってある座席表を確認して自分の席についた。

 一限目に始業式と対面式があり、僕たちのクラス担任は、文芸部顧問の山本先生だった。いつもぴしっとしたスーツを着ていて、独特な低い笑い声が特徴の先生だ。

 二限目から普通に授業がはじまった。始業式の日でも四限目まで通常授業が行われる。

 選抜クラスと普通クラスは同じ教科書を使うけれど、教える先生は違う。選抜クラスを教える先生はえげつない速さで授業を進め、後期課程に進級して間もない段階から、難関大学の過去の入試問題を生徒たちに解かせる。

 タイムバックしている僕はそのことを知っていて覚悟もできているのに、いざ授業がはじまると、ノートを取るだけで精いっぱいになる。もちろん、難関大学の入試問題は全然解けない。

 きっと、今、解けるのは選抜クラスのなかでもひとにぎりの生徒だけだろう。桜井さんとかは余裕で解いてしまうだろうから羨ましい。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、教室のいたるところでため息が洩れる。

 休憩時間は先ほどの授業の疑問点などを、先生に質問したり、友だちと話し合ったりする声が教室にあふれる。

 勉強に対して真摯に向き合うこの雰囲気が僕は好きだ。隙間に吉岡の豪快な笑い声が挟まってくるのも好きだ。それは僕だけで、他の生徒はうるさく思っているだろうなと、と考えてひとりで笑った。

 好きな雰囲気に包まれ、耳に馴染んだ笑い声に鼓膜をなでられながら、僕は机に突っ伏し、休憩をとった。そのおかげか、次の英語も四限目の現代文も集中力を切らさず授業に取り組めた。集中できても入試問題は解けなかったけれど。

 放課後になり、四人で行きつけのファミレスに行き、授業の復習やゴールデンウィークの計画を話し合った。

 復習の時間はいつものテンションでいられたけれど、計画を立てる時間は、三人が期待に満ちた声で笑うたび、僕の気持ちは沈んでしまった。

 空から橙色が消え群青色になったころ、全体が艶やかな茶色に塗り替えられた新しい丹駕駅の前で僕たちは解散した。

 難しくなった授業に必死に食らいつき、放課後は賢人と部活で汗を流し、ファミレスや図書館で、授業でわからなかった箇所を桜井さんに教えてもらった。

 過ぎてほしくない日々はどんどん終わっていき、ついにあの日を迎えてしまった。


 

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