勉強、喧嘩そして海へ(4)
事件の翌日は当たり前だけれど、勉強会は開かれなかった。
ベッドに寝転び、ぼーっと天井をみつめる無意味な時間を過ごしていたら、静かな部屋にぽーんと間抜けな音が響いた。携帯電話を手に取り画面を確認すると、桜井さんからメッセージが届いていた。
〔相談したいことがあるから会えないかな?〕
僕は勢いよく起きあがった。今度はぎいっとベッドの悲鳴が響いた。
〔うん、いいよ〕と僕は返した。
〔いつものファミレスで待ってるね〕
文章の最後に笑顔の絵文字が添えられていた。僕はその笑顔以上に口元をにやつかせながら着替え、いつもより軽く感じるペダルを漕いで、ファミレスへ向かった。
入口近くの二人席に桜井さんは座っていた。白のTシャツに明るめのジーンズ。桜井さんの私服は割とボーイッシュだ。
うん、今日もかわいい。
「相談って何かな?」
僕はサイダーを半分ほど喉に流しこんでから言った。
「みんなで海に行かない?」
桜井さんが瞳を輝かせて身を乗りだした。ふわりと揺れた髪から香ってきたシャンプーの匂いで、思わず鼻が膨らんでしまった。
「一色くんが、芽唯ちゃんのことを裏切るようなことは絶対にしてないって思うの。だから、海に行って仲直りしてほしいなって。……無理かな」
桜井さんは不安げな顔を浮かべた。僕はその不安をかき消すように大きく首を横に振った。
桜井さんの言う通り、あの優しい心を持つ賢人が吉岡を裏切るわけがない。
「うん。四人で海に行こう!」
「ほんとっ」
桜井さんの眩しすぎる笑顔にさらに鼓動が速くなる。桜井さんのほんのりと赤く染まっている耳に、僕の心音が届いているかもしれない。
僕たちはふたりを仲直りさせるための作戦を練りはじめた。
「四人で行くって伝えると、賢人が遠慮して断るかもしれない」
僕は賢人の性格を考えつつ、不安材料を口にした。
「海でばったり会ったことにしよう」
桜井さんは大胆な作戦を提案した。
「でも、それだとわかりやすくて、僕たちの意図がばれちゃうよ」
僕はまた不安を言葉にした。
「四人揃えば、ばれたっていい」
桜井さんがこれまた大胆に僕の不安を打ち消してくれた。
なんだか吉岡と喋っているような気分がする。吉岡が僕の不安を打ち消してくれたことはないけれど、今日の桜井さんの大胆さは吉岡に通ずるものがある。
一緒に過ごすと似てくるのだろうか。そのうち、僕も賢人のようにクールな感じになっていくのだろうか。
でも、お願いだから、悪い笑顔で人をいじる鬼の部分だけは似ないでね、と僕は心の底から願った。
作戦決行の日は、一週間後の日曜日に決まった。
桜井さんたちがもともと遊びに行く約束をしていたので、その日に合わせると僕が勝手に決めた。
賢人の予定は絶対に空いている自信があった。
桜井さんが飲み物を取りに行っているあいだに、念のため賢人に予定をきいた。確実に空いているのがわかれば、僕も桜井さんも安心できるし、ふたりきりの時間により集中できる。
賢人からは〔ひま〕と予想通りの答えが返ってきた。そのことを伝えると、桜井さんはほっとしたように天使の微笑みをみせた。吉岡の悪い笑顔とは程遠い素敵さにほっとしてすごくどきどきした。
その後も今までの経験を基に、不測の事態に備えて細かいところまで作戦をねりあげていった。
吉岡がばったり会って怒って帰るかもしれない。吉岡がずっと不機嫌なままで終わってしまうかもしれない。吉岡がいきなり賢人に喧嘩を吹っかけるかもしれない。吉岡が――。
桜井さんが、芽唯ちゃんのことがわからなくなってきた、と頭を抱えたので、僕たちはこれ以上考えるのをやめることにした。
吉岡はいつも何を仕出かすかわからない。
「当日になってからのお楽しみだね」
僕は思い出を語るかのように言った。
「そうだね」
桜井さんはにこっと楽しそうに笑った。
ランチタイムになったのか、店内が混雑しはじめた。
「お昼になったし、何か食べない?」
ちょうどお腹も空いてきたし、何より少しでも長く桜井さんと一緒にいたい。
「うん。いろいろ考えたら、お腹空いちゃった」
そう言って桜井さんはメニューを手に取り、楽しげにページをめくりはじめた。その様子だけで、幸せでお腹がいっぱいになりそうだ。
僕はチーズハンバーグを頼んだ。チーズを乗せるではなく中に入れるなんて、このレシピを思いついた人は天才だと思う。
桜井さんはトマトの冷製パスタを頼んでいた。うん、おしゃれでかわいい。それに、トマトを食べられるなんてすごい。