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Tバックマシン  作者: Tai
第四章
23/49

旗とエール(3)

 

(まい)先輩、ありがとうございます」

 桜井さんが権力先輩にお礼を言った。

 僕の顔をのぞきこんでいた鬼は、首だけを動かして権力先輩のほうを向いた。

「お姉ちゃん何しにでてきたのっ。すっごいいいところだったのにー」

 鬼は苛立ちを含ませた声で言った。

「そんな冷たいこと言わないでよー」

「ほんとっ、タイミング悪いっ」

「ひどい」

 鬼の口撃先が変わり、僕はほっと胸をなでおろす。助かった。権力先輩、ナイスタイミングです。

 僕が内心で先輩を称賛しているあいだも姉妹のやりとりはつづく。

「早くあっちいってよ」

「休憩はじめたばっかりなのにー」

「違うところで休憩して」

「えー、ここがいいー」

「だめ」

「お気に入りの後輩たちに囲まれていたいー」

 はあー、と諦めを含んだ息を吐いて脱力した鬼がそそくさと自分の持ち場に戻っていった。さすが権力先輩だ。毎日、家で鬼と過ごしているだけあって鬼退治が上手だ。

 これからは桃太郎先輩と呼ぼう。いや、女性だから桃太子(ももたこ)先輩か。うん、響きがいい。

 これからは敬意をこめて、桃太子先輩と呼ぼう。

 それから僕たちは桃太子先輩に見守られながら、クラス旗の制作を進めていった。結局、桃太子先輩は下校時間の六時になるまで僕たちのそばを離れなかった。そのあいだに何度も起きた吉岡姉妹のやりとりを、僕は少し羨ましく思いながらきいていた。

 家に帰ったら、久しぶりに兄さんに話しかけてみよう。無難に勉強のことをきいてみようか。いや、それだと延々と自慢話と愚痴をきかされる羽目になりそうだから、違う話題にしよう。そうだ、体育祭で何の種目に出場するのかきいてみよう。

 僕たちはクラス旗を美術準備室に置いてから教室へ戻った。

 準備室に入ったとき、僕はひとつのキャンバスに目を奪われた。そのキャンバスには、今にも履いて走りだせそうな本物感のある靴の絵が描かれていた。僕の視線に気づいたのか、桃太子先輩が照れ笑いを浮かべてそのキャンバスに白い布をかけた。

 教室へ戻るときに桜井さんがわくわくしたような顔で、あの靴の絵は鉛筆で描かれたものだと教えてくれた。

 僕は小さいころから身近にある鉛筆であんなリアルな絵が描けることを知り、鉛筆には無限の可能性があるのだと知った。それと同時に、あのリアルな絵を描ける桃太子先輩のすごさを改めて実感した。

 絵についてまったく知識はないけれど、桃太子先輩は絶対に美大に合格できると心から思った。

 三人で教室に戻ると、制服姿の賢人が机に座って退屈そうに脚をぶらぶらとさせていた。

「隼、どこ行ってたんだよ」

「クラス旗の手伝いしてた」

「あ、なるほど。そういうこと」

 賢人のなるほどには違う意味が含まれている気がする。僕はあえてツッコミを入れないでおいた。

「帰ろうぜ」

 賢人がぴょんと机から飛びおりた。

 何時間も応援団の練習をしてきたとは思えない身軽さだ。体育祭でいちばん盛りあがる分、応援団の練習は厳しいものだときいていたのに。

「じゃあさ、四人で帰ろうよー」

 吉岡がにかっと笑って言った。

 たまにはいいことを言うじゃないか、と僕は感心しながら机にかけていた鞄を手に取った。

 吉岡の珍しく気の利いたひと言で僕たちは四人で帰ることになった。

 僕は自転車の荷台に鞄をくくりつけ、前かごに入れていた白に緑色のラインが入ったヘルメットをかぶった。黒色のフレームの今の自転車は二台目だ。黄陽に入学したときにじいちゃんに買ってもらった赤色のフレームの自転車は三ヵ月で壊してしまった。

 雨の日に家の近くにある傾斜のきつい坂道をけっこうな速度で下っていたら、前から車が坂を上ってくるのがみえた。

 僕はとっさに力いっぱいブレーキレバーを握ってしまい、雨で滑りやすくなっていた路面と、前かごに入れていた教科書でぱんぱんに膨らんだ鞄の重さもあって、ハンドルを取られてしまい、思いきり転んでしまった。どこも怪我せずに済んだけれど、自転車の前かごは潰れてしまった。

 車から降りてきた優しそうなお姉さんが言うのは、僕は宙を一回転半していたらしい。怪我していないのが不思議だと言われた。僕はお姉さんに頭をさげてお礼と謝罪をし、自転車を押して家に帰った。

 その話をきいたじいちゃんは慌てた様子で僕の体を何度もさすって心配してくれた。その後、じいちゃんが大急ぎで自転車を点検してくれた。

 フレームにひびが入っていたらしく、危ないから新しい自転車を買ったほうがいいということになり、今の自転車をじいちゃんに買ってもらった。

 黒で統一されたデザインは大人っぽくてかっこいいから、僕はすごく気に入っている。

 隣で前かごに鞄をがさっと乱暴に入れた賢人に向かって、いつか宙を一回転半する日がくるよ、と僕が言うと、帰りに坂道ないから大丈夫、と笑って返された。それをきいた僕はむっとした顔をみせる。その顔をみた賢人が舌をだした変顔をみせる。しばらく睨み合い、僕たちは声を揃えて笑った。

 この一連のやりとりは数えきれないほどこの自転車置き場で交わされている。何度やっても面白いのだ。普段クールな賢人が変顔をするからだと僕は勝手に解釈している。

 僕たちは離れたところに自転車を停めていた桜井さんと吉岡のもとに向かった。

 合流するなり、何で笑ってたのー? と吉岡にきかれたけれど、僕も賢人も答えなかった。吉岡に対して無視はよくないとわかっている。でも、誰かに言ってしまうと面白さが半減してしまう気がした。きっと、賢人もそう考えたのだろう。

 反応しない僕たちに吉岡がしつこく追及してくると思ったけれど、それ以上きかれることはなかった。

 ただ、なぜか僕だけ不満げな目で睨まれた。

 無視されて不機嫌そうな吉岡。それを優しくなだめる桜井さん。チリンとベルを鳴らして遊ぶ賢人。そんな三人と一緒に僕は学校を後にした。

 空ではうっすらと橙色が顔をだしはじめている。

 帰り道、僕たちは体育祭のひとつの目玉であるクラス対抗全員リレーの話で盛りあがった。

 前期課程のときだけある全員リレーは、文字通りクラス全員で一本のバトンを繋いで走るリレーだ。去年、僕と賢人のクラスは二位、桜井さんと吉岡のクラスは三位だった。吉岡は最下位だったことが悔しかったらしく、今年は絶対に一位を取りたいと夏休み前の順番決めの話し合いのときも騒いでいた。

 そんな吉岡よりも気合が入っているのが中島先生だ。

 普段は話し合いの場を生徒主体で進めさせて先生は静かに見守っているのに、全員リレーの順番決めのときだけは、五月に行われたスポーツテストの五十メートル走のタイム表を見ながら、誰よりも熱心に意見をだしていた。

 僕たちのクラスは中島先生が強く推した、ラスト五周で追いあげる作戦で臨むことが決まり、足の速い人を後半に固める順番が組まれた。

 僕はアンカーに選ばれて賢人からバトンを受けることになった。それに、他のクラスよりも人数がひとり少ないから、僕は第一走者にも選ばれた。

 僕はクラスでいちばん足が速い、というか学年でいちばん速い。

 足の速さは自分のことで唯一、胸を張って自慢できる。体育祭の最後を飾るグループ対抗選抜リレーにもクラスの代表として出場する。

 足の速さだけは賢人に勝っていた。後はほとんど負けている。特に身長とかは。

 全員リレーの話に花を咲かせていたら、あっという間に丹駕駅前に着いてしまった。家の方向が同じ、賢人と桜井さん、僕と吉岡にわかれて帰ることになった。

 再び、お……、いや、吉岡とのふたりきりの時間がやってきた。僕は為す術もなく一方的にいじり倒された。

 その日から放課後は、選抜リレーの練習のとき以外、僕はクラス旗の制作を手伝った。それが終わると四人で一緒に帰った。

 賢人の応援団の練習の話。中島先生がどうして独身なのかという話。桃太子先輩の受験勉強の話。色んな話で盛りあがって、駅前で別れるのが名残惜しかった。桜井さんはどの話も微笑んできいていた。

 そうか、桜井さんが聞き上手だから、吉岡はいつも一緒にいるのか。自分の話をあんな可愛い笑顔できいてくれたら、ずっと話したくなるに決まっている。ましてや、吉岡のように口を閉じない人からしたら最高に幸せだろう。

 帰り道に交わされた色んな話のなかで、僕は身近な人のある事実を知った。

 桃太子先輩の話から派生して吉岡の口から語られたのは、僕の兄さんが桃太子先輩の友だちと付き合っているということ。見学会のときに先輩が言葉を濁していたのはこのことだったのか。勉強ばかりしている兄さんに彼女がいたとは。僕も負けられない。

 それにしても、吉岡は口が軽い、軽すぎる。

 僕が想いを伝える前に、桜井さんにぽろっと僕の好意を洩らしてしまわないか心配になる。

 吉岡よ、僕が告白するまで絶対に言うんじゃないぞ。告白する日がいつになるかわからないけれど、いつの日か桜井さんに好きだと伝えたいと思っている。

 そんな楽しく幸せな体育祭の準備期間はあっという間に過ぎていった。




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