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Tバックマシン  作者: Tai
第四章
22/49

旗とエール(2)

 

 体育祭の準備のため、いつもは七限目まである授業が五限目で終わる。早めの放課後になると、賢人はすぐに体操服に着替えて応援団の練習が行われる体育館へ行ってしまった。

 僕はまだ体調が優れないので部活には行かず、教室で賢人が練習を終えるのを待つことにした。冷房のきいた教室内にいるのは僕だけ。自分だけが取り残されたようで不安に襲われる。

 室内を見回せば、鞄がかかっている机がたくさんあった。体育祭の関係で残っている人が多いからだ。制服を脱ぎ散らかした机もある。若葉色のネクタイが机から寂しそうに垂れている。それらに囲まれているだけで不安が和らいだ。

 ひとりじゃないって気がしてくる。

 僕はクラスメイトたちが残した存在を示すものたちをぼうっと眺め、時が過ぎるのを待った。

「戸島、暇でしょー」

 突然、後ろから声が飛んできた。

 暇だと決めつけられ、体調が悪いせいもあってか、僕はむかむかとした気持ちになった。

 暇なのは紛れもない事実だ。でも、茶化したように言われたのが癪に障った。茶化していると感じるのは、声の主が誰なのかわかっているから。

 僕はすぐには振り返らず、黒板の上にかけられた時計に目をやった。ぼうっとし始めて一時間くらい経っていた。

「暇でしょー」

「暇じゃない」

 振り返って答えると、やっぱり吉岡が立っていた。

「いや、どうみても暇でしょー」

「考え事してる」

「詩のことー?」

 唐突にでできた桜井さんの名前に僕はお尻が浮くほど驚いた。その様子を見た吉岡は唇の端をつりあげて、にししっと悪い笑顔を浮かべている。

「違うよ」

 僕は平静を装って否定した。

「へえー」

「何だよ」

「いやー、別にー」

 吉岡は悪い笑顔を浮かべたまま、体をゆっくりと左右に揺らしている。

「だから、何だよ」一体、何の用がなんだ。

「もしー、戸島が暇だったらー、詩が作ってるクラス旗の手伝いをお願いしようかなって思ったんだけどー、考え事で忙しいみたいだからー、別の人にお願いするねー」

「やります!」

 僕は威勢よく言って立ちあがった。桜井さんのために身を粉にして働きます。

「やっぱり詩のこと考えてたんでしょー」

「うるさいな」

 僕は吉岡を教室に残して、蒸し暑い廊下を逃げるように足早に歩いていく。

「場所、わかるのー?」

 後ろからきこえてきた吉岡の語尾を伸ばした言葉で僕の足は止まった。

 とっとっとっ、と弾むような足音が近づいてくる。ぽんっ、と隣できれいに両足を揃えるようにして止まった吉岡が顔をのぞきこんできた。僕には悪い笑顔をいっぱいに広げた吉岡が小さな悪魔のようにみえた。窓から吹きこんできた風が夏を忘れさせるほど冷たく感じた。

「わたしについてきなさーい」

 僕は小さな悪魔とともに、桜井さんがいるどこかに足を進める。

「いつも詩の隣にいるの羨ましいー?」

「別に」羨ましいに決まってるじゃないか。

「詩って呼んでるの羨ましいー?」

「別に」僕だってそう呼びたい。

「お姉ちゃんに、戸島が詩のこと好きなんだよって言っちゃったー」

「ええええっ」

 僕はふたつの校舎を繋ぐ外廊下で校内全体に響き渡るくらい大きな声で叫んでしまった。

 僕の恋心を勝手に人にばらさないでくれ。しかも、よりによって、権力先輩にばらしてしまうなんて……。吉岡姉妹にいじられる日々がこの先ずっとつづくと思うと、がくっと肩が落ちた。

「声でっか。びっくりしたー」

「びっくりしたのはこっちだよ。勝手に言うなよ」

「まあ、わたしもお姉ちゃんも詩には言わないから大丈夫っ」

 悪魔の言うことなんて信じられない。恋心がばらされて落ちこむ僕と、にししっと笑う悪魔がたどり着いたのは、西校舎の美術室だった。

 涼しい冷房の風が流れる美術室のなかでは、大きな木製のテーブルに大きな白い布を広げているグループがいくつもいた。桜井さんは右端のテーブルで鉛筆を走らせていた。

「詩ー、暇人を連れてきたよー」

 暇人って、もうちょっと言い方があるだろ。

「戸島くん、ありがとう」

 桜井さんが顔をあげて言った。

 優しく微笑む桜井さんは天使のようにみえる。ああ、かわいい。桜井さんの笑顔に癒され、元気がわいてきた。好きな人の笑顔って最高の薬なんだな。

 それに、やっと、悪魔とふたりだけの時間から解放される。

「何を手伝ったらいいかな?」と僕はきいた。

「左端の男の子を描いてくれる?」

 そう言って、桜井さんは黒のマジックを差しだしてきた。

「えっ、僕が描くの?」

 絵心のない僕には不可能な仕事だ。

「大丈夫。わたしが描いた鉛筆の線をなぞるだけだから」

 そういうことか。それなら僕にもできそうだ。

 僕はマジックを受け取ってキャップを外すと、クラス旗の左端に鉛筆で描かれた男の子の頭の部分から慎重になぞりはじめる。

 夏休み前に投票でクラス旗として採用されたこの絵は桜井さんが描いたものだったのか。匿名だったから、どの絵を誰が描いたのかはわからなかったから気づかなかった。

 中島先生が教室の後ろの掲示スペースに、募集していたクラス旗の絵の候補をはりだしていた。有名なキャラクターを描いた絵や勇ましいドラゴンの絵などが並ぶなかに、ひとつだけ静かな光を放つ絵があった。

 赤いマントを羽織った七人の人たちが背を向け、肩を組んだり手を繋いだりして遠くの夕日を眺め、真ん中に立つ男女が手を重ねてひとつの旗棒を支えていた。そのふたりが支える旗には同じように背を向けた七人が描かれていた。そして、ふたりのマントにはそれぞれ『2』と『A』の文字が書かれていた。

 ぱっと見た瞬間、この絵がいいと直感的に思った。静かなかっこよさに心を惹きつけられ、僕は迷わずこの絵に投票した。

 クラスメイトも同じように感じたのか、たくさんの票を集めたこの絵が2年A組のクラス旗に採用された。

「詩ー、わたしは何したらいいー?」

 吉岡が僕と桜井さんのあいだに割りこんできた。僕は気づいていないふりをして、旗に描かれた鉛筆の線と向き合う。

「えっと、右端の女の子の下描きをお願いしていい?」

「おっけー」

 吉岡は机にしがみつくように線をなぞっていた僕の視界にわざわざ入りこんできて、にししっと悪い笑みを見せつけてからいなくなった。僕は首を振って平静を取り戻す。今は桜井さんに頼まれた仕事に全力で取り組まないと。

 男の子が履くブーツところまでなぞり終え、僕は前かがみになっている姿勢をいちど正した。左半身はうまくなぞれたし、桜井さんが鉛筆で描いたマントの細かい揺れも損なわずに表せている気がする。

 線をなぞるだけでこんなに神経を使うなんて。

 冷房がきいているはずなのに、男の子の半身をなぞっただけで白シャツが汗でべたべたになっていた。背中にシャツがはりついて気持ち悪い。

 僕は黒マジックのキャップを閉め、背中に回した右手でシャツをつまみ、軽く引っぱった。バッバッと音が鳴るたびに、背中とシャツの隙間にひんやりとした涼しい空気が送りこまれて不快感がシャツの外へでていった。

 背中に空気を送りこみながら、僕は気づかれないように桜井さんを見やる。桜井さんは真ん中の女の子の下描きをしていた。

 桜井さんは掲示スペースにはりだされていたA4の紙をちらちらと確認しつつ、すらすらと鉛筆を走らせている。自分が思い描くものを真っ白な布に再現できるなんて、桜井さんは本当にすごい。その桜井さんに頼まれて下描きをしている吉岡もちょっぴりすごい。ちょっぴりだけ。

 桜井さんが女の子の左手を描きはじめた。

 その手は隣の男の子と一緒に旗棒を持つ手。僕は真剣な表情で描いている桜井さんを見てあることを思った。

 もしかして、真ん中の女の子は桜井さん自身がモデルなんじゃないか。

 この疑問を桜井さんに投げかけるようなことはしない。僕の思いつきで集中タイムの邪魔をしてはいけないから。

 でも、僕のもしかしてタイムはつづく。

 僕の思いつきが当たっているなら、女の子と一緒に旗棒を持つ男の子は、誰がモデルなのだろう。

 旗に描かれているのは後ろ姿。髪型は、うん、僕と同じ短髪だ。後ろの切り揃えかたも似ている。身長は女の子より頭ひとつ大きいので僕は当てはまらない。僕は桜井さんより三センチくらい大きいだけだ。

 ああ、いつになったらじいちゃんのように背が高くなるのだろう。

 でも、あれだ。絵のなかでの身長はそれほど気にする必要はない。だって、この絵の男の子たちの身長はほぼほぼ同じだから。

 正直に言うと、僕は真ん中の男の子のモデルを自分だと思いたいのだ。

 僕のためのもしかしてタイムなんだから、僕に都合が良くていいはずだ。まあ、僕ひとりで考えていても真実にたどり着けないこともちゃんとわかっている。そもそも、この絵の人物たちにモデルがいるかどうかも定かではないし。

「あー、戸島がさぼってるぅ」

 にししっと笑う悪魔が近づいてきた。先ほどとは違い、悪魔は桜井さんから隠れるように僕の左側に立った。

「休憩してる」

 僕は天使の横顔を見つめながら答えた。

 悪魔に無視は通じないことを僕は痛いほどわかっていた。

「詩のことを見ながらー?」

 耳元で吐息とともに囁かれた悪魔の言葉のせいで頬がかあっと熱くなった。これを言うためにわざわざきたのか。

 もう吉岡は悪魔なんかじゃない。鬼だ。それも、地獄を大手を振って歩けるほど階級の高い鬼。どうやら僕のなかでは悪魔より鬼のほうが凶悪な存在らしい。昔から怖い存在を鬼だと思う節はあった。怒ったときの母さんを鬼だと思ったみたいに。

「……絵を観てた」

 僕は消え入るような声でごまかしの言葉を口にした。無駄な抵抗だとわかっていたけれど。

「うそだー」

 顔をのぞきこんできた鬼はほくそ笑んでいる。どう育ったらそんなむかつく顔を平気でできるようになるんだ。いや、鬼ならこれが平常運転なのかもしれない。

「うわー、すっごいいい感じー」

 そのとき、底抜けに明るい声が美術室に響いた。



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