旗とエール(1)
二週間の短い夏休みに入った。
いつもよりだいぶ遅く起きた僕は、大量にだされた宿題をどう片づけていくかという進学校の生徒っぽい考えは頭の片隅に置き、思考のすべてを、桜井さんとの夏休みの思い出をどう作るかという思春期っぽい考えに注いでいた。
とりあえず、行動しないと。
僕は桜井さんにメッセージを送ることに決め、携帯電話の画面を光らせた。枕に顎を乗せながら、指先で文字を打っては消してを何度も繰り返した。
画面と二時間ほど睨み合ったすえ、〔祭りのときの四人で遊びに行かない?〕というシンプルな文章を桜井さんに送った。
画面に表示された細長い吹きだしの横に、既読と小さ文字が表れた。
僕は鼓動が速くなっていくのを感じながら、目を剝いて画面を注視する。ぽすっと緊張感のない音とともに、桜井さんからの返事が表示された。
並べられた文字を読み終えると、僕は投げるように携帯を脇に追いやり、枕に顔をうずめた。
桜井さんは夏休みのあいだ、県外のおばあちゃんの家で過ごすらしい。どうやら、おばあちゃんの体調が悪く、仕事で忙しい親に代わって、弟と一緒におばあちゃんのお手伝いをするそうだ。
なんて優しいんだと感心しつつも、桜井さんに会えない夏休みになることがわかってしまい、僕は枕の奥に広がる真っ暗な世界に入りこもうと、体をうねらせて足をじたばたとさせた。
どんなにもがいても、その真っ暗な世界が僕を受け入れないのはわかっているけれど。
ぽーんと携帯が鳴った。僕は手に取らない。また、ぽーんと鳴った。仕方なく枕から顔をあげ、携帯の画面を確認すると、賢人からメッセージが届いていた。
〔ひま?〕
〔部活行こうぜ〕
そうか、夏休みはとにかく部活で走りつづければいいのか。
無心で走っていれば、二週間なんてあっという間だ。
僕は真っ暗な世界を諦めて勢いよく起きあがると、急いで制服に着替えて自転車に乗り、学校へ向かった。
とにかくグラウンドを駆け回った。
賢人や陸上部員たちに、大丈夫か、と声をかけられても、足を止めずに走りつづけた。
夏休みよ、はやく終わってくれ。そう願いながら。
無我夢中で部活に打ちこんだから、計画を立てて宿題に取り組むのを忘れ、最終日に徹夜をして大量の宿題を片づけた。そして、しっかり二週間あった夏休みは終わった。
夏休み明けの学校は蝉の声がかすむほど騒がしかった。
夏休み中の思い出話で盛りあがる生徒が多いというのもあるけれど、いちばんの理由は来月の体育祭に向けての準備が本格的に始まったからだ。
体育祭では、学年の枠を取っ払い、同じ組同士がひとつのチームとなる。A組は赤組、B組は青組、C組は黄組、という感じに。
教室に入り席につくと、僕は眠たい目をこすって桜井さんのほうに視線を送った。
二週間ぶりの桜井さんの後ろ姿は、相変わらずきれいで煌めいている。そして、桜井さんと話す吉岡はいつも通り豪華に笑っていた。
「暑かったー」
そう言って、体操服姿の賢人が隣の席に腰をおろした。水をかぶったあとみたいに大量の汗で濡れている賢人は、スポーツドリンクを一気に流しこんでいた。
「おつかれ」
僕は労いの言葉をかけた。
「今日さ、初めて通し練習したんだけど、思ってたよりうまくいったんだよ」賢人は興奮した様子で言った。
応援団の練習は順調みたいだ。賢人は去年の体育祭のグループ対抗の応援合戦に心を奪われたらしく、夏休み前に行われた応援団のオーディションに参加して見事、合格を勝ち取っていた。
夏休みのあいだも部活に参加していたけれど、大体は応援団の練習に時間を割いていた。
体育祭でいちばん盛りあがる応援合戦の赤組代表としてがんばってほしい。
「そういえば、もう大丈夫なのか?」
首にかけたタオルで汗を拭った賢人が心配そうな顔で言った。
「うん、大丈夫だよ」
本当は大丈夫じゃないけれど、余計な心配をかけたくないので僕は強がった。
夏休みに無我夢中で走りすぎた結果、疲労と夏バテによって僕は体調を崩してしまった。それに加えて、昨日は徹夜で宿題を片づけたので本当は全然大丈夫じゃない。
「無理すんなよ」
「賢人もね」
「俺は大丈夫」
賢人は自信満々な表情で親指を立てて、自分の席へと戻っていった。
「そろそろ席につけー」
後ろの席からでも粒が光っているのが確認できるくらい汗だくの中島先生が教室に入ってきた。体育教師だからこの時期はいつも汗をかいていて、一日に三回以上着替えるのだ。
僕は先生が着替えるたびに見せる面白Tシャツを密かな楽しみにしていた。今は、一本の太い木の枝が中心に大きく描かれただけの何ともシュールなデザインのTシャツを着ている。
「吉岡、そろそろ席に座れ」
「はーい」
先生の決まり文句からの吉岡の間延びした返事で、二学期がはじまった。