花火と後の祭り(4)
「おい、大丈夫か?」
体操服姿の賢人が目をまん丸にしてこちらを見下ろしている。賢人は驚きながらもすっと手を差しだしてくれた。本当に優しい親友だ。
僕は賢人の手を借りて起きあがると周囲を見回した。
ここはグランウドで、隣に賢人がいて、陸上部の部員たちがストレッチをしたり、トラックを走っている。どうやら、ある日の部活中に戻ってきたらしい。
「賢人。今日は何月何日?」
僕は大事なことを確認する。
「えっと、七月十六日」
よし、祭りの二日前だ。
「ありがとう」
僕は不思議そうに首を傾げた賢人に感謝を伝えてグランドを後にする。
歩きだすと、下半身からぽかぽかとした熱を感じた。ズボンを少し引っぱってなかをのぞいてみると、小さな宝石たちがタイムバックのときに見た世界と同じ桃色の光を放っていた。たしか、前までは白色に光っていたはず。
どうして急に、桃色になったのだろう。タイムバックできているから大丈夫だと思うけれど、ちゃんとじいちゃんに伝えておこう。
僕は西校舎へと向かった。
桜井さんは部活で美術室にいる可能性が高いから、まずはそこから探そうと思ったのだ。
廊下ですれ違う後期課程の先輩たちが訝しげな顔を向けてきた。放課後に体操服姿で西校舎を歩く前期課程生はほとんどいないだろうから、変に思われたのだろう。それは仕方がないし、今は誰にどう思われたっていい。
三階の美術室の前に着いた。
扉の曇り気味の小窓から室内の様子をうかがう。桜井さんは窓際で大きなキャンバスに向かって筆を走らせていた。その後ろに、珍しく口を閉じている吉岡が木の椅子にじっと座っていた。
小窓からでは桜井さんがどんな絵を描いているかはわからないけれど、素敵な絵なはずだ。筆を持って真摯にキャンバスに向かう桜井さんの目に情熱が宿っているように感じるから。
好きだ。桜井さんが好きだ。
僕は再確認した気持ちを胸に美術室に入った。
「あ、戸島じゃん。どうしたのー?」
がらっと扉が開いた音で気づいたのは吉岡だった。
「えっと、桜井さんに話があって」
「わたしに話って、何かな?」
桜井さんと目が合って、胸のなかで心臓がどきっと大きく跳ねる。僕はどんどん速まっていく鼓動を感じながら、桜井さんのそばに歩み寄った。
一度、ごくっと生唾を飲んで、ずっと言えなかった、言いたかった言葉を口にした。
「丹駕祭りに一緒に行きませんか?」
桜井さんは垂れ目をきょとんとさせている。その後ろで吉岡が事件の真相がすべてわかった名探偵みたいなどや顔を浮かべていた。
桜井さんへの恋心がばれてしまったのは、もう仕方がない。好きなだけ、僕をいじるがいい。覚悟はできている。たぶん。
「芽唯ちゃんと行くって約束してるから」
そう言って、桜井さんは困ったような表情を浮かべて吉岡のほうを向いた。どうやら、あのふたりには誘われていないみたいだ。
「わたしはいいよ。なんか楽しそうだし」
吉岡はにかっと唇の端をつりあげた。
「芽唯ちゃんがいいなら、わたしもいいよ」
桜井さんはこくっと頷いて微笑んだ。
いいよ。桜井さんの口から紡がれた返事に僕は拳を握って喜びを噛みしめた。
言ってよかった。
僕は桜井さんと祭りに行けるんだ。
「もうひとりいたほうがいいよね?」
吉岡が小首を傾げた。
もうひとりは僕のなかでは決まっている。もちろん、賢人だ。
僕が賢人の名前を口にだそうしたら、奥の美術準備室からでてきた権力先輩に先を越されてしまった。
「それなら私が行こう!」
権力先輩はあり余った元気を放出するように宣言した。
「お姉ちゃんは却下」
吉岡が間髪入れずに宣言を棄却した。
「なんでよー。私もお祭り行きたいー」
「受験生はおとなしく勉強してなさい」
「受験生だって息抜きしたいんだよー」
「この間の実技模試の判定が悪かったんだから、勉強しないと」
「……はい」
妹に現実をつきつけられた権力先輩は肩を落としてわかりやすく落ちこみ、重たそうな足取りで準備室へ戻っていく。背中には哀愁が漂っていた。
権力先輩は黄陽の生徒の志望校としては珍しい県外の有名美術大学を目指している。受験勉強のために、ほぼ毎日、美術準備室にこもって絵を描いているらしい。
僕は絵についてまったく知識がないから何が上手で下手なのかはさっぱりわからない。
ただ、見学会のときの僕の似顔絵は素敵だった。あんな素敵な絵を描ける権力先輩なら合格すると僕は思っている。
「はあー。で、もうひとりはどうするー?」
吉岡が悲しそうな背中を見送って、再び小首を傾げた。
「賢人にきいてみるよ」
「おっけー。じゃあ五時に、駅前のなんかすっごい偉そうな人の銅像の前に集合ねー」
吉岡の言うなんかすっごい偉そうな人の銅像とは、きっとノーベル生理学賞を受賞した人の銅像のことだろう。それ以外に駅前に偉そうな銅像は建っていないし。あそこなら合流できそうだ。
僕は美術室を後にした。
美術室をでる間際に見た、吉岡のにししっとした悪い笑顔に恐怖を覚えたけれど、桜井さんへの恋心がばれることは覚悟していたので大丈夫だ。うん、きっと、大丈夫。
僕は早く賢人にうれしい報告をしたくて、急いでグラウンドへ戻った。喜びを抑えられず西校舎のなかをスキップしながら移動してしまい、後期課程の先輩たちの冷たい視線を感じてちょっと恥ずかしかった。
桜井さんからいい返事をもらえたことを伝えると、賢人は、やったな! と自分のことのように喜んでくれた。感動したように何度も頷く賢人の姿に、僕は本当に素敵な親友に出会えたと感激した。
「賢人も一緒に行こう」
「もちろん。楽しみだな!」
僕たちは期待に心躍らせながら、秋の新人戦に向けてトラックを駆けていった。




