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Tバックマシン  作者: Tai
第三章
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花火と後の祭り(2)

 

 藍色の浴衣を着た僕は、丹駕駅前に待ち合わせの五時より十分ばかり早く着いた。

 夕暮れから逃げてきた青空が縦縞模様となり、僕の浴衣を彩っている。帯が黒色なのも、大人っぽくてかっこいい。じいちゃんと一緒に反物の柄を選び、ばあちゃんが縫ってくれたこの浴衣を僕はすごく気に入っている。

 駅前は、夕日に照らされる待ち合わせの人でいっぱいだった。それぞれが好きな色と柄の浴衣を着ていて、駅前が巨大な花屋にでもなったかのように華やかだ。

 丹駕祭りは、丹駕町商店街から丹駕城下公園までの道に様々な屋台が軒を連ねる賑やかなお祭りで、地元の人にとっては年に一度の夏のビックイベントになっている。

 さらに、祭りの最後に打ちあげられる三千発の花火は、大きくて美しいとテレビ番組で紹介された影響もあり、県外からその花火を目的に訪れる人もいる。

 駅前が予想以上の人でごった返していて、駅前に集合、というざっくりとした提案をしたことを僕は後悔した。

 目印になるような何かを指定すればよかった。たとえば、駅前でも、丹駕町出身でノーベル生理学賞を受賞した人の銅像の前とか。ちゃんと合流できるか不安だ。

 僕はかかとを浮かせて辺りを見回す。背が低い僕がかかとをあげても、さほど景色は変わらない。見える頭の数が増えるだけだ。それでも、やらないよりはまし。

 慣れない下駄でバランスを崩しそうになり、踏ん張りをきかせるために足に力を入れると、きりっとした痛みが走った。家からここまで歩いてきたせいで、鼻緒で擦れて痛んだ指の隙間が悲鳴をあげたのだ。歩いて十三分という微妙に長い距離を僕は恨んだ。

 痛みに耐えられなくなったので僕はかかとを下ろし、黒いチェック柄の信玄袋から携帯電話を取りだした。この信玄袋も大人っぽくてかっこいい。

 画面に表示された時刻は五時十分。僕は急いで電話をかけた。呼び出し音の二度目が鳴り終わったとき、電話が繋がった。

「しゅ、ど……る?」

 電話の向こうの喜々とした騒がしい声と重なっていて、うまくききとれなかった。

 とりあえず、今いる場所を伝えよう。

 目印になりそうなものは――。

「えっと、駅前にいる」

 人の姿で目印になるものを見つけられなかった。

「駅前じゃわかんねえよ」

 騒がしい声が小さくなり、今度はしっかりききとれた。静かな場所に移動してくれたのだろう。

「ごめん」と僕は謝った。

「じゃあ、商店街のマックに来て」

「わかった」

 電話が切れると、僕は信玄袋に携帯をしまって、商店街の入口に向けて歩きだした。

 人がたくさんいるおかげで商店街へと向かう長い行列の流れはゆったりとしている。これなら足元から悲鳴がきこえてくることはないだろう。

 この長い行列を上から見ると巨大な川のようになっているんだろうか。人が混みあう川。人混み川。何だか響きが暑苦しい。

 もう少しいい名前はないだろかと考えていたら、新しい待ち合わせの場所を通り過ぎそうになった。

 人のあいだを横切るように店の前へ行くと、黒色の浴衣を着た賢人がきょろきょろと首を巡らせながら立っていた。黒で決まっている姿は高校生といっても誰も疑わないだろう。クラスでいちばん背が高いという点だけでも大人っぽいのだから、もう少し子どもっぽい浴衣を着てほしかった。隣を歩く僕が弟だと思われてしまうじゃないか。

 僕たちは人混み川の流れへ入っていく。

 ふたりでも楽しいけれど、やっぱりどこか物足りなさを感じてしまう。

 結局、桜井さんを丹駕祭りに誘えなかった。

 一緒に行きたい気持ちはどんどん膨らんでいったけれど、誘う勇気がわかなかった。自分がほとほと情けない。

 きっと、桜井さんはこの流れのどこかで、吉岡と一緒に笑顔を咲かせて祭りを楽しんでいるのだろう。ああ、吉岡が羨ましい。

「腹、減ってない?」

 賢人がお腹をさすりながらきいてきた。

「うん、減ってる」

「じゃあ、焼きそば食おうぜ」

 賢人の指が示す先に視線を送ると、お父さんに抱えられた子どもと目が合った。その子はつぶらな瞳で真っすぐこちらを見つめている。お願いだから、そんなきれいな瞳で桜井さんを誘えなかった情けない僕を見ないで。

「よし。行くぞ」

 急に賢人に手を引かれ、僕は転びそうになった。危ない。お気に入りの浴衣を汚すところだった。

 僕たちは人の隙間を縫うように歩き、焼きそばの屋台の前にたどり着いた。

 巨大な鉄板の上で、真っ白な湯気を放つ山盛りの焼きそばが焦げたソースの香りを漂わせている。頭に白いタオルを巻いて滝のような汗をかいているお兄さんが、金属製の大きなへラで忙しそうに焼きそばの山をかき混ぜていた。ヘラと鉄板があたる音が耳を通って胃を刺激する。

「いらっしゃい」

 お兄さんが弾けるような笑顔で言った。

「すいません。焼きそばをふたつ」

 賢人が祭りの喧騒にかき消されないように、大声で注文した。

「ふたつで八百円だよ」

 お兄さんはヘラを鉄板の隅に置いてビニール袋を広げると、その中に割り箸をふたつ放りこんだ。

 鉄板の前に並べられた作り置きの焼きそばのパックをふたつ手に持ったお兄さんが、僕たちをうかがうようにちらりと見た。

 僕が小銭を握ったまま小さく頭をさげると、へへっ、お兄さんは軽く笑って手に持った焼きそばのパックの輪ゴムを外し、鉄板の上の焼きそばからひとつまみ分を追加してくれた。

「たくさん食えよ」

「ありがとうございます」

 僕たちは合図をしたわけでもないのに、声が揃った。

 サービスで大盛りにしてもらったふたり分の焼きそばを持って、僕たちは人混み川の流れに戻る。

「広場で食おうぜ」

 賢人が言った広場は、商店街の途中にある大きな横断歩道のわきにあるベンチが並べられた場所のことだ。たしかに、あそこならゆっくりと焼きそばを味わうことができる。

 広場に向かう途中で賢人が金魚すくいの出店を見つめた。僕たちは食後に勝負しようと約束した。

 広場のベンチはどれも埋まっていたので、僕たちは立ったまま、まだ熱々の焼きそばを頬張った。

 口いっぱいに広がるソースの香りが鼻を心地よく抜けていく。噛むたびに感じるうまみが胃を刺激して箸が止まらなかった。大盛りにしてもらった焼きそばは、あっという間になくなってしまった。

「あー、うまかった」

 賢人が幸せそうに頬を緩めて、お腹をぽんぽんと叩いている。

 僕は目を瞑り、口のなかに残る焼きそばの味を楽しんだ。ああ、幸せだ。

「あれ、吉岡たちじゃん」

 賢人が驚いたように声をあげた。

 僕はすぐに目を開け、賢人が見据える先に視線を送った。

 横断歩道の向こう側に、はしゃいでいる吉岡の姿があった。黄色い浴衣を着て全身で楽しさを表現している感じが吉岡らしかった。

 その隣に、水色の浴衣を着た桜井さんがいる。遠くからでも可愛さが伝わってくる。ああ、近くで拝みたい。

 そのふたりが後ろを振り返った。

 そこには見覚えのある男子たちがいた。サッカー部の山田(やまだ)小野(おの)だ。

 どうして彼らが、桜井さんたちと一緒にいるのだろう。胸にむかむかとした何かがこみあげてきた。

 信号が変わったのだろう、横断歩道に並んだ人たちがいっせいに動きはじめた。

 後ろを向いていた桜井さんが前を向いた。

 歩きだした桜井さんは、口に手をあてて笑っている。

 桜井さんが、幸せそうに笑っている。

 その笑顔を見た瞬間、僕は全身を後悔の雷に打ち貫かれた。

 こちら側に歩いてくる幸せそうな桜井さんのそばに僕はいない。

 僕は横断歩道の向こうから眺めているだけ。

 断られるのが怖くても誘えばよかった。賢人が言ったように、吉岡に声をかければよかった。桜井さんへの恋心を知られたくない、いじられたくない。そんなちっぽけなプライド、無視すればよかった。

 そしたら、桜井さんを笑顔にしたのは、僕だったかもしれない。

 後悔に体が侵食されていく。心の奥から悲嘆がにじみでてくる。それは僕の目から大粒の涙としてあふれでた。

「おい、大丈夫か?」

「……ごめん」

 心配してくれた賢人を置いて僕は商店街の裏道へ逃げた。薄暗い路地は僕の心のなかみたいに真っ暗だった。

 僕は涙で歪む真っ暗な世界を、鼻緒ですれた足の痛みを無視して走った。賑やかな祭りから、真っ暗な歪んだ世界から、僕は逃げだした。



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