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Tバックマシン  作者: Tai
第二章
13/49

知るということ(5)

 

 僕と権力先輩は駆け足でみんなが待つところへ向かった。

 合流すると二階に上がり、階段横の教室へと入っていった。扉の上に付けられている教室札には4年B組と書かれている。権力先輩は兄さんの一つ上なのか。

 僕は権力先輩に連れられて真ん中の列の一番後ろの席に座った。

 案内を終えた権力先輩は後ろの小さな黒板に何かを描きはじめた。黒板に体をくっつけるようにして描く後ろ姿をみて、僕はじいちゃんを思いだした。

「先生が来るまで少し待っていてください」

 そう言うと、MJ先輩はプラカードを窓際に立てかけて教室をでて行った。僕はリュックから筆箱とノートを取りだし、模擬授業を受ける準備を進める。

「ねえ、あの先輩と仲良いの?」

 唐突に声をかけられた僕は、えっ、と驚きを洩らし、隣の席を見た。

 ある男子がこちらをうかがうように見ていた。

 彼を知っている。戻る前のクラスメイト、一色(いっしき)賢人(けんと)だ。

 彼は背が高くて整った顔立ちをしているため、女子からも人気があって友だちも多い子だ。でも、今、隣に座る彼は自信なさげに背中を丸め、不安そうな顔をしてそわそわしている。

 戻る前に遠巻きに眺めていた彼と、目の前にいる彼が同一人物とは思えない。

「あ、えっと、急に話しかけてごめん。その、先輩と楽しそうに話してたから、ちょっと気になって……」

 ははっ、と照れ笑いを添えた彼の目はきょろきょろと泳いでいて、挙動不審だ。

 やっぱり、戻る前の一年B組にいた彼とはまったく印象が違う。

「今日はじめて会った先輩だよ」と僕は答えた。

「そ、そうなんだ……」

 僕らのあいだに沈黙が漂う。

 こういうときに何を話せばいいんだろうか。

 仲良くなれば共通の話題を振れるけれど、初対面の人とどうやって話をつづけたらいいかがわからない。こんな話をしてもつまらないだろうとか、そもそも僕を嫌っているかもしれないとか、あれこれ考えてしまい、自分からは動けなくなってしまう。

 だから、戻る前の黄陽で友だちができなかった。

 小学校のころの友だちとはどうやって仲良くなったんだっけ。知識が増えて色々な考えが持てるようになった分、無邪気に突っ走れる心をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。

 僕は沈黙に耐えられなくなり、彼から目をそらし、後ろにいる権力先輩を見た。

 先輩はにこにこ笑って背中で黒板を隠すように立っている。

「君に見せたいものがあるんだー」

 権力先輩はうきうきをつめこんだような顔で言った。

 僕は訳がわからず首を傾げた。

「じゃ、じゃーん」

 楽しそうな声をだした権力先輩が左に一歩ずれた。小さな黒板に描かれた絵を見て、僕は目を丸くした。

「ぼ、僕だ」

 思わず声が洩れた。

 いつ、どの瞬間かはわからないけれど、白いチョークで描かれた僕はうれしそうに幸せそうな笑顔を咲かせている。

「君が笑っている顔を見てたら、描きたくなっちゃった」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。君は私のお気に入りだからね」

 権力先輩は頬に手をあてながら照れるように言った。

 お気に入り。それが頭のなかで繰り返され、僕は頬が燃えるように熱くなるのを感じた。

「そうだ。君の名前きいてなかった」

「え、えっと戸島隼です」

 僕は照れながら答えた。

 権力先輩は僕に名前の漢字を尋ねながら、黒板の白い僕の頭上に名前を書いていった。

 隼を書き終えたところで権力先輩は、ぱっとこちらを振り返った。瞼が忙しなく動いている。

「も、もしかして、お兄ちゃんが黄陽にいたりする?」

「はい。今、三年生です」

「うそ。健くんの弟なのー?」

 急に兄さんの名前がでてきて背中に寒気が走った。名前をきくだけで恐怖を感じてしまうとは。

 それにしても、あの怖い兄さんを健くんと呼ぶということは仲良しなのだろうか。

 気になったことはとりあえずきいてみる。

「兄さんと仲良しなんですか?」

「うんとね、私が仲良しなわけじゃないんだけどね。でも、健くんも私のお気に入りだよー」

 権力先輩はにやりと笑って、ゆっくりと頭を左右に揺らしている。私が、ということは先輩の友だちが仲良しなのだろうか。

「気になるなら健くんにきいてみて。吉岡先輩のこと知ってるー? ってね」

「いえ、兄さんは怖いのできけないです」

「へえー、健くんって弟には厳しいのかー」

 少しいじわるそうな笑みを浮かべる権力先輩を見ていると、兄さんが羨ましく思える。僕もいないところで先輩に噂されたい。

「あ、あの……」

 か細い声をだしたのは隣の席にいる一色だった。

 彼のほうを向くと、この日初めて目が合った。

「俺も、三年生に姉がいます」

「えっ、そうなの」

 僕は彼との意外な共通点に驚いた。

「君の名前は? お姉ちゃんの名前は?」

 権力先輩が食い気味に質問した。

「俺は一色賢人で、姉は一色(かえで)です」

「わあー、楓ちゃんの弟だったのかー」

 権力先輩の瞳がきらきらと輝いている。

「姉と仲良いんですか?」

「楓ちゃんも、私のお気に入りの後輩だよ」

 権力先輩には何人のお気に入りがいるのだろう。もしかして、知り合った人全員をお気に入りだと思っているのだろうか。

 権力先輩だけが特別かもしれないけれど、前期課程と後期課程は校舎が違ってほとんど関わる機会がなさそうなのに、どうして後輩のことに詳しいのだろう。

 気になったことはとりあえずきいてみる。

「先輩はどうして前期課程の人とも仲良しなんですか?」

「あー、それはねー、三年生とは去年まで同じ東校舎にいたからよく知ってて、部活で後輩と話すことも多いの。あと、文化祭とか体育祭のときは、学年関係なくみんなで盛りあげようって感じになるから自然と仲良くなるんだよー」

 権力先輩の楽しいと幸せをつめこんだような表情を見ているだけで、また体験したことのない黄陽の行事に期待が膨らんでいく。

 僕も参加してみたい。

 えっ、参加してみたい?

 自分のなかに生まれた感情に驚き、戸惑ってしまう。

「ふたりはどうして黄陽を受験しようと思ったの?」

 権力先輩からの質問に正直な気持ちを答えていいのか僕は迷った。それに、まだ驚きの余韻が消えていない。

 僕が迷いと驚きに振り回されているあいだに、一色が先に口を開いた。

「俺は、姉ちゃんがいるから受験しなさいって親に言われたんです」

 彼の答えは、戻る前の僕と同じ理由だった。

「隼くんは?」と権力先輩は言った。

「僕も同じような感じです」

「そっか……」

 ずっと明るい表情をしていた権力先輩の顔が曇っていくのがわかる。

「で、でも、……それだけじゃないです」

 僕の口から自然と言葉が洩れた。

 権力先輩の暗い顔を見たくないのもあるけれど、今は母さんに受験しなさいって理由だけじゃない気がする。新しく生まれた感情に寄り添って言葉を紡いでいく。

「今日、先輩と話して、僕は先輩みたいになりたいって思いました。なんか、うまくは言えないけど、その、先輩みたいにかっこいい大人になりたいです」

 権力先輩も一色も目を丸くしている。生まれたばかりの気持ちがあふれでてしまった。何か間違えたかな。

「……隼くん、うれしいよ。ありがとー」

 権力先輩の顔を覆っていた暗い雲は跡形もなく消え、そこには明るい太陽のような笑顔がいっぱいに輝いていた。

「戸島くん、かっこいい」

 一色がビー玉みたいに瞳を輝かせている。

「えっ、いや、僕はかっこよくないよ。先輩がかっこいいんだよ」

「もう、隼くん褒めすぎ」

 権力先輩がうっとりとした声をだし、頬に手をあてて体をくねくねとさせている。

「俺も黄陽を受験する理由ができた」

 一色の瞳は力強い光を放っているようにみえる。

「戸島くんと友だちになりたいから、黄陽を受験する」

「えっ」思わず声が裏返った。

「俺の友だちはみんな黄陽を受験しないから、合格しても友だちができるか不安なんだ。正直、受験なんてしたくないって思ってた。でも、戸島くんに会って、友だちになりたいって思ったんだ。だから、俺は受験する」

 僕と友だちにならなくても、入学したらたくさん友だちができるのに。戻る前、友だちに囲まれて楽しそうに過ごしていた一色が、友だちができるかという不安を抱えていたなんて。

 兄弟がいるだけで同じ学校への受験を強制されている。友だちのいない黄陽を受験したくないと思っている。彼が僕と同じ悩みを持っているなんて。同じ不安と悩みを持つ僕には彼の気持ちが痛いほど理解できる。

 彼はそれらを乗り越えて、僕と友だちになりたいという新たな目的を掲げ、受験をすると宣言した。

 僕よりも、一色のほうが断然かっこいい。

「賢人くんもかっこいいねー。でも、もうふたりは友だちだよ」

 権力先輩が僕たちの顔を交互に見て、にこっと笑った。

「よろしくお願いします」

 僕は一色の前に右手を差しだした。

「こちらこそよろしくお願いします」

 そう言って、一色が手を握り返してくれた。

 僕たちは友だちになった記念として握手をした。

 戻る前は友だちがひとりもできなかったのに、入学前に友だちができるなんて。僕らは握手をしたまま、互いに照れ笑いを浮かべた。権力先輩が小さく拍手して祝福してくれた。

 がらっと扉が引かれた音がして、僕らは手を離した。

 教室に入ってきた白髪頭で白衣を着た先生が、ゆったりとした足取りで教壇に向かっている。じいちゃんのほうが白衣は似合っているなと僕は思った。

「もうすぐ授業が始まるから頑張ってね。終わったら学校のこと色々と教えてあげるー」

 そう言って、権力先輩は弾むような足取りで教室をでて行った。後ろで結ばれた髪がふわっと楽しげに揺れていた。

「隼って呼んでもいい?」と一色が小声で言った。

「うん。僕も賢人って呼んでいい?」と小声で返した。

「もちろん」

 僕らはまた、顔をつきあわせて笑った。


 

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