8.新たな波②
顎に手を添えて考え込むフォルテウス様。
新しい宗教がやってくる。
その意味を何となく察したのは僕と、エレン、イネス、の魔法科卒業組。
魔法と信仰には色々と複雑な関係があるため、魔法科の生徒は宗教学の授業を取る事が義務付けられている。
対してアルとロメオの騎士科卒業組は、事態がイマイチよく分かっていないようだ。それがどうした?と言うような不思議な顔をしている。
騎士科の場合、聖騎士団入りを目指しているか、よっぽど信心深い人でも無い限り、宗教学を選択する人は稀だ。
「二人とも、この国が聖神教を国教に定めている事は知っていますね?」
それに気づいたダラス先生…、もとい隊長が口を開いた。
「はい一応…。うちも聖神教徒ですから。あまり敬虔ではないですが…。」
「うちもですね。貴族階級を貰った時に付き合いで入信したって聞いてます。まぁどっちかって言うと、地元で信じられている海の神様の方を信じてますが…。」
ロメオのその言い方に、ちょっと!とイネスが口を尖らせる。
ロメオの実家であるポルティージョ家は、何代か前までは海賊稼業を営んでいたらしい。それが紆余曲折を経て、今は裏の南方公と呼ばれる地方の大貴族の一つだ。
「構いませんよ。信仰の自由は認められていますから。」
ダラス先生…、ええい!もう先生でいいや!…がそのやり取りに苦笑する。
「ロメオ君の言うとおり、地方ごとに多少の小さな信仰はあります。ですがこの国の約九割の民が、大なり小なり、聖教信者だと言われています。」
「そんなに!」
アルが驚いた声を上げる。
ちなみにその数少ない非聖教信者の一人が僕なのだけれども…。
「さて、この国で圧倒的な信心を集める聖神教会が、もしそこに対立するような新しい信仰が入ってきたらどういう行動に取るでしょうか?」
ダラス先生の静かな言葉に、誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。
「ですが、幾ら何でも教会がそんな強硬な手段を取るでしょうか…?」
「そうでしたね。エレンフィールさんにはご親戚に教会関係の…、前教皇様がいらっしゃいましたね。」
硬い声のエレンにダラス先生がフォローを入れる。恐らく今、全員の脳裏には黒髪の少女の顔が思い浮かんでいる事だろう。
「…強硬な手段をとる可能性はある…。教会の中には自らの復権を企む一派が存在するからな。」
今まで考え事をしていたフォルテウス様が口を開いた。
「復権…、ですか?」
僕は思わずそう口にする。僕の失礼な物言いに構う様子も無く、フォルテウス様は頷いた。
「君達が生まれる前、まぁ、私も勿論そうだがな。先帝時代、つまり私のお爺様の時の話だ。聖神教会は政にも強い影響力を持っていた。そうだな?爺?」
フォルテウス様の問いかけにダラス先生が重々しく頷く。
「その強さは今の比ではありませんでした。貴族達と教会の癒着も。」
先帝の時代であればこの中で生きていたのはダラス先生とクロくらいだろう。ダラス先生が渋い顔をしている。
「教会の仕事、教えを説き、弱者を救い、人々の心の支えになる。それをほっぽり出して自分の利権ばかりを追い求める聖職者達に呆れ果て、とうとう行動を起こした一人の信心深い男が居た。それがジュスティーノ・ルクブルール。」
「ルクブルール!」
僕は驚きの声を上げる。フォルテウス様が頷いた。
「そう、ティアのお爺様。前教皇ジュスティーノ様だよ。」
ティア。僕らの学園時代の親友の一人にして、件の黒髪の少女。この王室親衛隊の創立に関わった一人でもある。
何故だろう…、エレンとイネスの、種類の違う視線が痛い気がする…。
「教皇に選ばれた彼は汚職にまみれた聖職者達を次々と処分していったという。ある者は降格。ある者は左遷。ある者は追放。そしてどうにもならない者は…。」
その場の誰もが息を飲む。
「ジュスティーノ様は陰で《血塗れの教皇》と呼ばれていました。ただし、全ては教会をあるべき姿に戻す為に取った行動とも言えるでしょう…。」
ダラス先生がフォルテウス様の言葉を引き継ぐ。
「そしてジュスティーノ様のお陰で教会の影響力が小さくなった頃、一つの法律が制定される。」
「《政教分離の原則》ですね…?」
「さすがレオナード!よく勉強しているな!」
フォルテウス様が驚き、そしてお褒めの言葉を下さる。僕は少し赤面しつつ、ありがとうございます。と頭を下げた。
「《政教分離の原則》。政と宗教は基本的に交わらない。教会は政に口出ししてはならない。という法律だ。もちろん、これで教会の影響力が完全に無くなったわけではないが、かなり抑える事が出来ているのも事実だ。」
「そしてこの法律の制定と同時に、ジュスティーノ様は退位され、その座を次の教皇に譲渡されました。今のところ歴史上、最も若くして退位された教皇となっています。」
フォルテウス様とダラス先生の話がひと段落する。
僕らはその日、学校では教えてくれない歴史の裏側を垣間見たのだった。
「まぁいずれにせよ、教会がどう動くかはその異国の宗教の動き次第だ。どんな信仰なのか分かるか?」
「それが、次に来る船で宣教師達がやって来ることしか今のところ分かっていません。この国では信仰の自由が認められている事を確認した上で布教に来るようです。」
「まぁ、確かにそれは外交上、正しい手順だな。信仰に厳しい国もあるしな。」
フォルテウス様の言う通り、宗教や信仰の違いで起きた争いは限りが無い。今回は大事にならない事を願うばかりだ。
「何かあったらすぐに教えてくれ。お前達の情報伝達能力は悪魔でも雇っているのか?というくらい目を見張るものがあるからな。」
「またご冗談を…。」
ニヤリと笑うフォルテウス様に、パズがあははと軽い笑いで答えた。