36.心配の種
春も終わりが近いとはいえ、南方の陽の光は王都のそれよりも遥かに強かった。
僕は馬上からそっと馬車の中を覗き見る。そこには遠くを見つめるブノワ長官の険しい表情があった。
青年、と言うには年を重ね、壮年、と言うにはまだ若い。その額には今、深い皺が刻まれている。
僕はその横顔を見ながら、ダラス先生から聞いた話を思い出していた。
*****
「君たちには本当に何度も助けられるな。心から礼を言おう、ありがとう。」
あの後、近くに農村を見つけた僕らは、村で唯一の宿屋で部屋を取り、ダラス先生の介抱を行った。
ニフラによる解毒で喋れるまでに回復はしたが、まだ起き上がるには至っていない。
「先生、まだ安静にしてて下さい。」
目を覚ましたばかりのダラス先生に僕は声を掛けるが、先生は小さく首を横に振る。
「ブノワが居ない今しか話せない。少し私の昔話に付き合ってください。」
その言葉に、僕とアルは一度顔を見合わせると、先生に向き直った。
ちなみに長官は国王陛下への書簡をしたためる、と言って席を外している。
「奴は…、ジェレム・ドラント。先先代の魔法省長官だ…。」
その言葉に僕とアルは息を飲む。
先先代の魔法省長官、と言う事はエレンの母親であるペトロネラ長官の二つ前の長官ということだ。
「そして…、奴の言う通り、私の師でもある。いや、私も含め、ペトロネラやウラリーと言った私と同世代の魔法士達の師に当たるだろうな…。」
ウラリー学園長。王立学園、北校の学園長であり、《白銀の狐》の異名を持つ女性だ。噂では凄腕の魔法士だという。
「でも、そんな人が生きているとすると…。」
「あぁ、齢はとうに百を超えているはずだ…。」
僕の疑問にダラス先生が頷きながら答えた。
そんな人間が生きているのだろうか?
『あの老人は人間の範疇をとっくの昔に超えているよ。』
僕の心を読んだのか、クロがポソリとそう呟いた。
「長官だった当時、奴は秘密裏に外道としか言いようがない研究を行っていた。それを暴き、告発したのが当時の執政長官であったブノワの父親だ。そして告発の直後、ブノワの父親はその妻、つまりブノワの母親と共に殺害される。殺害現場はそれは悲惨なものだったという。しかも第一発見者は他でもない、ブノワなのだ…。」
「それで長官はあんなに…。」
アルの言葉に先生は苦々しい顔で頷いた。
「追い詰められた奴は、自らの屋敷に火を放ち、焼け死んだと言われていた。遺体も確認されたはずだ。だがまさか生きておったとは…。」
先生は大きな溜息をつく。その顔が一気に老け込んだように見えた。
「…ちなみに、その研究内容と言うのは…?」
クロに促されるままに僕はそう口にした。先生の顔が再び苦々しく歪む。
「…死なない兵士を作り出す事…。その為に奴は人を攫ってきて様々な薬品を投与したり、或いは死体に細工を施したり、およそ人とは思えない数々の事を行っていたようだ。」
「じゃあ俺たちが砦で戦ったあの動く死体とやらも…。」
「その研究の一環で産み出されたものじゃろうな…。」
僕は再び胃のあたりがムカムカして来るのを感じる。
「医学の進歩だ、などとほざいていたが、奴は完全に頭の狂った殺人鬼でしかないのだよ…。」
先生にしては珍しく言葉が乱暴だった。よっぽど怒っているのだろう…。
*****
『長官…、大丈夫かな?』
僕は、目の前の馬の背の上で器用に寝そべるクロに念話で話しかける。
『大人だしな。恐らく大丈夫だろう。俺が心配なのはあいつの方だ。』
そう言ってクロが顔を上げて前方を見つめる。その視線の先には馬に跨ったロメオの背中があった。
〈南方へと赴き、そのまま出来る限り開戦の回避に努める事。〉
合流したロメオから手渡された書簡には短くこう書いてあった。署名は国王陛下の物だ。
その書簡を手渡してきた時のロメオは無表情で、正直、何を考えているのか分からなかった。
負傷したダラス先生は王都に帰還する事になり、代わりに僕ら王室親衛隊がブノワ長官の護衛兼交渉役として今、南方、ポートランドへと向かっている。
『自分の故郷が戦火に包まれるかもしれないんだ…、居ても立っても居られないだろうな…。』
クロがロメオの背中をじっと見つめている。
一度はフォルテウス様の計らいで前線から離されていたロメオだが、こうなっては仕方ない。
(僕らが気をつけて見ているしかないな…。)
『その通りだな。』
口にしていない僕の気持ちに、クロが相槌を打った。
「見えてきたぞ!」
少しだけ前を走るアルの声が響く。ポートランドの街並みを見下ろす丘。訪れるのはこれで三回目だ。
最初に訪れた時は美しい海と色鮮やかな街並みに心を奪われた。
二度目の時は沖に浮かぶ巨大な船影に驚かされた。
今回は一体どんな景色が待っているのか…。
僕は手元の手綱をぎゅっと握りしめた。




