目にもの見せてくれようぞ
安川さんから手渡された小冊子をペラペラと捲る。宮内省には虚人を保護し、この世界での生活を支援する順応プログラムがあると言う。これはその手引書だ。虚人は例外なくこのプログラムを受けなければならない。
「あなたは結構幸運な方なんですよ。過去には世界のどこにも存在しない言語を発した事例もあるそうです。それに比べれば多少の常識の違いなど、どうと言うことはありません」
溝口曰く、異能者を一カ所に集め管理するのは、ジュブナイルにおいて定番だという。それは訓練施設だったり学校だったりと様々だが、そこで異能者同志切磋琢磨しお互いを高めてゆく……というストーリー展開だ。
けど冊子に目を通す限り、そう言った雰囲気にはほど遠い。良く言って教習所。悪く言えば強制収容所。一度入ったら二度と出られないような気がする。何と言っても俺は「なんの能力も持たないただの人」なのだ。
「わたし、ちょっと席を外しますので、冊子に目を通しておいてください。わからないことがあったら何でも聞いてくださいね」
安川さんは外に出て行った。
部屋には俺と溝口と茉菜の三人。溝口が励ますように力強く言った。
「彰人くん。ライノベの主人公はここで諦めたりしない」
「ラノベ」
「そう、それ。ラノベ。……やっぱり君の世界の略し方はおかしい。スマホってなんだよ。百歩譲ってスマフォだろ」
「俺も大人しく安川さんに従うつもりはないよ。これはゲームで言えばバッドエンド。元の世界に戻れないパターンのヤツだ。そんなのマジありえねぇし」
「マジィアリエネイシィーって、どう言う意味?」と茉菜。
いちいち五月蠅いヤツらだなぁ。
「ただの慣用句だよ。で、溝口。俺は何をすればいいと思う? やはり沢に飛び込むか」
「沢に飛び込むのはどうかと思うけど、とりあえず現場を見に行くのは賛成だ。祭主様の助けが望めないのなら、これからは積極的に行動を起こすしかない」
三人で滝壺に向かう。足元が少しふらついた。これは滝行の疲れだけとは思えない。焚かれていた香の中に、なにかヤバい成分が混じっていたに違いない。幻覚もそのせいだ。しかし何を見たら「正解」だったのか。
止めておけば良いのに溝口が「姫巫女様と何を話していたの」と茉菜に聞いている。
「……丹田に気を集める呼吸法とか……」
「たんでんって何?」
「お腹の下の……」と言いかけてから顔を赤らめ「変態」と言った。そして「はっ」と気付き「エッチってHENTAIの頭文字?」と俺に聞いた。
知らねーし。
スワンボートが見えてきた。茉菜が目を丸くする。
「本当にあれで飛んで来たの?」
こればかりは茉菜が疑うのも無理ない。誰がどう見ても普通のスワンボートなのだ。飛んでいた姿を見た俺も未だに信じられない。
「中に誰か乗ってるよ?」
キャビン後部の小さな窓に人影があった。こちらに背を向けている。溝口が人差し指を口にあて、なぜか忍び足になった。俺と茉菜もなんとなく溝口の忍び足を真似てあとに続く。話し声が聞こえた。安川さんの声? さらに近づくと、やはり安川さんだった。ケータイらしきものを手に話している。あれ? ここって電波が入らないはずでは。
「……を発見。天羽々斬と確認。え? 間違いありません」
発見? そう言えば祭主様、神剣の存在は安川さんに秘密だと言っていた。知られてしまったってことは没収確定? うわ、なんかそれ、俺のせいみたいでイヤだな。ますますカスミさんに嫌われそう。
安川さんが会話を終えたところで溝口が声をかけた。
「安川さん、それって衛星電話ですか?」
安川さんがビクリと身体を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返った。手にしていたケータイはごつく、電話と言うより無線機っぽい。
「宮内省ではそんなものが支給されるんですね。そう言うのは軍隊用かと思っていました」
「……いつからそこにいました? わたし、何を話していました?」
「レガリアがどうのこうのってところから。あめのはばかりってなんですか」
顔面蒼白になった安川さんがスワンボートから下りた。
「不注意でした。なんか、この中にいると、自分の部屋みたいで安心しちゃって。自家用車が部屋の延長みたいっていうのは、こう言うことなんですね」
「安川さん? どうしたんですか? 顔色悪いですよ」
「すみません、すみません。本当はこんなことしたくないんです」
スーツの内ポケットから取り出したのは小型の拳銃だった。
「なんですかそれ!」
「どこか監禁できる場所は……。いや、だめだ。それではわたしが関与していたことが知られてしまう。わたしも被害者でなくては……」
「安川さん! どう言うことですか、教えてください!」
「ああ、高校生ってなんて馬鹿なんだろう。大人しく屋敷で冊子を読んでいれば死ぬこともなかったのに。馬鹿っていうのはやっぱり罪ですよ」
死ぬ? 誰が?
「安全装置を外して、弾を装填して。撃つときは頭と胸に一発ずつ……。ここで六発? ダメダメ、弾が足りなくなっちゃう」
安川さんが顔を上げ拳銃を俺たちに向けて言った。
「すみません、頭なら一発ずつでも大丈夫だと思うんですよ。だから動かないでもらえます? 虚人の人も。できるだけ痛くないようにしますから」
ちっとも大丈夫じゃない! バッドエンドどころかデッドエンド! これなら強制収容所行きの方がまだマシだ! と思ったとき安川さんが拳銃を地面にゴトリと落とした。
「あ? ああ? あ」
安川さんの手の甲に、串のような細い金属が二本刺さっていた。いずれも貫通し、切っ先が掌から顔を出している。血は一滴も出ていない。
そこへ小道をこちらに向かってくる人影がひとつ。カスミさんである。農作業に向かうときと変わらない、いつもの表情。串刺しになった自分の手を見つめる安川さんに歩み寄ると、足元の拳銃を拾い「マカロフの模造品か」と呟いた。
「い、痛い、痛い痛い……」
涙をボロボロと流す安川さんに向かって言った。
「誰の差し金だ? 素直に吐かなければ、その痛みなど痛みの内に入らないことを思い知ることになるぞ」
「このドS女め」と思ってごめんなさい。「マジうぜぇ」と思ってごめんなさい。今この瞬間、俺にとっての神は間違いなくカスミさんです!
カスミさんの脅しは効果覿面で、安川さんは全員の前で全てを喋った。包帯でグルグル巻きにされた右手の指先が紫色に変色している。傷は圧迫止血をしただけなのでかなり痛いはず。額に玉の汗を浮かべガタガタと震えていた。同情はしない。拳銃を向けられたのだ。同情はしないけど、話を聞いて不憫に思った。
式年遷宮が行われる本年、安川さんは伊勢神宮へ異動となり祭主付きとなった。その直後、何者かに実家の母親を拉致され人質に取られたという。要求は神宮の御神体であり、三種の神器のひとつでもある八咫鏡奪取の手引き。式年遷宮が行われるこの年には「遷御の儀(八咫鏡の引っ越し)」も行われる。そこに生じる隙を探れと言うのだ。
ところが八咫鏡の警備は堅固で、鏡が収納されている御桶代を目にすることさえ出来ない。遷御の儀の段取りも、関わる祭主と神職しか知らない純粋な神事である。宮内省の職員は事実上蚊帳の外なのだ。そこに降って湧いたのが御諸山における虚人の顕現だった。
近年一般の参拝客も登山を許されるようになった御諸山だが、結界の張られた区域だけは宮内省の職員はもちろん、神職でさえ進入を制限される聖域である。その歴史は三世紀まで遡り、宮内省では三種の神器に匹敵する宝物がここに隠されているのではないかと噂されていた。
ここで安川さんはひらめく。祭主の御付きとして、そして顕現調査課の業務としてなら、堂々聖域に入ることができる。しかも御諸山を守るのは女性警護官ただひとり。八咫鏡に代わる宝物が発見できれば、その奪取は容易いのではないかと。
「で、盗み聞きで天羽々斬を知り、その輩共に教えたのか」
祭主様が腕を組み神妙な顔で問いただす。
「……はい」
「連中はなんと言った?」
「結界が無いことを伝えると、今直ぐここに来ると……それまで全員を御山から下ろすなと」
傷が痛むのか、眉間にしわを寄せ右手を押さえた。
「安川よ。なぜ上司に相談しなかった? 警衛局には捜査部門もあろう」
「だって、言ったら殺すって……」と声を殺して泣いた。
「サヨリ、これをどう思う?」
「正体は知れませんが、神宮を襲う用意のある集団です。骨董品目当てのこそ泥とは思えません。それなりの準備が予測できます」
「それはぞっとしないな。安川、『直ぐ』とはどの程度の『直ぐ』じゃ?」
「たぶん、いま軍や警察に応援要請しても、間に合わないぐらいの、直ぐ……です」
「って事は本当の『直ぐ』ではないか」
「姉上。すでに囲まれている可能性もあります。天鳥船を使いましょう」
「あ? 逃げるというか?」
「戦うおつもりですか!」
「おうよ。目にもの見せてくれようぞ」
「いい加減になされませ。今や我らとて鉄砲玉ひとつで簡単に死にます。転生されたばかりというのに、また黄泉にお帰りになるつもりか」
天鳥船を使う? けどあれって四人乗りだったはず。七人中三人が乗れないってこと? 安川さんは確定として、残りふたりは? 普通に考えて俺と溝口? イヤだなそれ! カスミさんは? ……あれ? カスミさんがいない? いつからいないんだろう?
「こんにちは」
穏やかな男の声に振り返ると、縁側の外に男がひとり立っていた。高級そうなダークスーツに身を固めた、三十代中頃の柔和な紳士である。とても盗賊とは思えないが、俺たち以外でここに居るってことは、たぶん盗賊のひとりなのだろう。
「日本の原風景を思わせるこのような場所が、御諸山に隠されていたのですねぇ」
祭主様が低い声で言った。
「主は?」
「ヴリル協会の渋沢と申します。こうして三貴子の末裔にお会いできるとは、真に恐れ多いことです」
「ヴリル協会? あの怪しげな秘密結社か」
「ヴリル協会は国際的活動実績のある非政府系の福祉団体です。どの様な噂を耳にされたのかは存じませんが、けして『怪しげな秘密結社』ではありませんよ」
「福祉団体が人質を捕るのか?」
紳士が穏やかな笑みを浮かべ言った。
「おやおや安川さん、話してしまわれたのですか? 困った人ですねぇ」
安川さんが慌てて答えた。
「ち、違います! 連絡しているのを聞かれてしまって……」
「まあ、良いでしょう。三種の神器に匹敵する天羽々斬を発見出来たのだから。これは期待以上の働きといえます」
紳士は祭主様に向き直ると言った。
「物事を円滑に進めるためには、時としてこのような手段も必要と私たちは考えています。近年は些末な事柄に囚われ、大義を見誤る近視眼が多すぎます。ひとりの暗殺で何万人もの命が救われる事がわかっていても、あなた方の社会ではそれが許されません。数万人の命よりも手続きの方が大事というわけです。見方を変えれば、恐ろしく非人道的な社会だと思いませんか」
「民主主義とはそう言うものなのだろう。民がそれを選んだのだ。仕方あるまい」
「かつて絶対的権勢を誇った血脈とは思えないお言葉」
「ふん。で、何用じゃ」
「我らヴリル協会は世界に数多ある聖遺物を収集し、その秘めた力を研究しています。これにご協力頂きたいのです」
「力を何に使う?」
「病と貧困を根絶し、全ての人類が等しく社会に貢献出来る世界を構築します」
温厚そうなスーツ姿を見たときは、話し合いで何とかなるのではないかと思った。しかし口を開いたその内容は、秘密結社に相応しい胡散臭さだった。カルト集団、新興宗教、マルチ商法、オレオレ詐欺なんて言葉が次々と浮かぶ。いずれにしても人を誘拐するような連中が、貧困のない世界なんか作れるはずがない。
「たいそうなお題目だな。よかろう。サヨリ、天羽々斬をここにもて」
サヨリさんが嫌な顔をした。
「姉上、何をなされるつもりで?」
「良いから言うとおりにしろ」
サヨリさんが奥から天羽々斬を持ってきた。祭主様が箱から無造作に取り出す。
「これが天羽々斬じゃ」
「おお。なんと美しい。とても二千年も昔に作られた物とは思えません」
「吸った命の数も半端ではないぞ。主らにこれを使えるのか」
「それは神科学の専門家が判断します。わたしには解りません」
「ほう。科学とな。理の外も科学で解明できるというか」
「祭主様、いえタキリヒメ様。お譲り頂けると考えてよろしいのですか」
「気安くわらわの名を口にするではないわ! 欲しければここに取りに来い」
祭主様が立て膝を付き、自身の身長の三分の二もある剣を構えた。
この五歳児は大の大人相手に本気で戦おうとしている。世間知らずなのではない。はったりでもない。自身が対等以上に戦える自信があるのだ。
紳士が笑いながら答えた。
「お戯れを。タキリヒメ様がある種の幻術を使われることは聞き及んでいます。剣を箱に収め、そこの少女に運ばせてください」と茉菜を見た。
茉菜がビクリとした。
「いんや。主がここまで取りに来い。力尽くで奪ってみせよ」
「穏便に事を済ませたかったのですが残念です」
紳士が右手を上げた。映画で良く見る悪党がする合図。武装した兵士達がわらわらと現れ、抵抗する者を容赦なく蹂躙していくのだ。しかし五秒が経ち十秒が経過しても何も起こらない。十五秒が経った頃、紳士の顔が引きつるのがわかった。
「何をしている!」
茂みを割って出て来たのは、武装兵士ではなく迷彩服に身を包んだカスミさんだった。足元はアーミーブーツ。日頃の作務衣姿とは打って変わり別人のようだ。
「なに……?」
「単純に奇襲強襲すれば良いものを、五人の手勢をわざわざ分散して林に配置。その間意味のない口上をまくし立て、敵に時間を与えるなど愚の骨頂」
「おまえは一体……」
「ひとりひとり潰してゆけば、この程度の人数、脅威ではありません」
そう言ったカスミさんの手にあるのは黒い特種警棒だけ。腰のナイフや拳銃のホルスターが使われた様子はない。警棒一本で五人の兵隊を倒しちゃったらしい。さすがは忍者……というよりカスミさん、ハンパない! 絶対敵に回しちゃいけない人じゃん! 逆らわなくて良かった……いや、この人が味方で本当に良かった。もう二度「小姑め」などと悪口は言いません。
「武器を捨て投降しなさい。従わなければ手足の二三本折らせてもらいます。林の中に転がる五人と同じように」
「ふふ。ふふふふ」
紳士が笑い出した。これまた映画で良く見る悪党特有の不敵な笑い。
「確かにわたしは指揮官失格のようです。けしてあなた方を過小評価していたわけではなかったのですが。しかし投降するつもりはありません」
そう言って見せたのは掌の中の小さなスイッチだった。
「これはデッドマンスイッチです。この距離でも皆さんを殺傷できる充分な量の樹脂爆薬を用意させて頂きました」
デッドマンスイッチ。これまた映画で良く聞く言葉。スイッチから手を離すと自身に装着した爆弾が起爆するという仕掛け(ギミック)。人質をとったテロリストが狙撃されないため装備するもの……ってことはこいつ、テロリストじゃないか! アルカイダとかISとか、人の首切って処刑する連中と同じなんだ。ヤバい、ヤバいぞこれは……。
ここまでほとんど変化を見せなかったカスミさんの表情が、少し険しくなった。
「手に入らねば神剣もろとも破壊するというのか」
「末裔とは言え、かつて神と呼ばれていた存在を相手にするのです。このぐらいの覚悟はあって然るべき事。わたしが死ねば同志が当初の目的通り伊勢を襲撃するだけのことです。無能は無能なりに、使命を全うしたく思います。さぁ、交渉を再開しましょうか」
「舐めるな小僧!」
顔を真っ赤にして立ち上がったのは祭主様だった。
さすがのテロリストも五歳児に小僧呼ばわりされ言葉を失う。
「わらわが! そのような脅しに、屈するとでも思ったかぁ!」
あまりの剣幕に一同気圧される中、祭主様が呪文らしきものを唱えだした。
「よつのうみいつつのくにのあるじたる、おおきみのあまつわだつみよ! われにそのみわざをたまわん!」
そして天羽々斬を片手で持ち剣先を男に向け叫んだ。
「馳せよ、百篝!」
目の前に光りの柱が立ち辺りが真っ白になった。耳を劈く轟音が屋敷を震わせる。身体がすくんだ。すくみ上がった。思わず「わぁ!」と情けない叫び声を上げたが、幸い轟音に掻き消され自分自身にもその声は届かなかった。鎮まると辺りにオゾンの香りが漂っていた。肌がピリピリと逆毛たつのを感じ何が起きたのか理解した。テロリストに雷が落ちたのだ。
地面に倒れる男の身体を調べるカスミさん。上着の下に映画で見るような爆弾ベストを羽織っていた。右半身に酷い火傷を負っているが、生きているようだ。
「回路が焼け電池が破裂しています。もう安全です」
ホッとした表情を浮かべたものの「雷管が作動しなかったのは奇跡に近い」と恐ろしいことを言った。
「相も変わらず気の短い姉上だ。危うく皆、黄泉送りになるところだぞ」
その祭主様は畳の上で大の字にひっくり返っていた。今の雷で力を使い果たしたらしい。
「……すごい。文字通りの天罰じゃないか」
溝口が呆けたように呟いた。天罰というよりも癇癪っていった方が相応しいかも。けど現実であることには変わりない。この人達って本当に神様なのだ。これに対して茉菜のツボは俺たちとは少し違った。
「ヴリル協会って、ユニセフみたいな慈善団体じゃなかったんですか!」
ユニセフ同様名の知られた団体が犯罪行為を行っている。神様の存在が大前提であるこの世界では、むしろこっちの方がショックかも知れない。
「表向きはそうです」
茉菜の疑問に答えたのはカスミさんだった。
「誘拐とか、爆弾とか、まるで犯罪集団じゃないですか。どうしてこんな人たちが慈善団体を名乗っているんです?」
「為政者の多くは実情を知った上で黙認しています」
「なぜ?」
「世界各国の政財界に深く食い込んだ組織で、敵対すると国際社会から孤立するからです」
「そんな馬鹿な話が……」
カスミさんが向き直り言った。
「姫巫女様、ここを早急に脱出しましょう」
「敵は排除したのではないのか」
「六名を無力化しましたが、登山道入口を封鎖している手勢がいるようです。彼らはヴリル協会を名乗った上で我々を襲ってきました。我々の殲滅が前提の行動と見て良いでしょう。自爆を厭わない連中を、正面から相手にするのは賢明ではありません」
唯一の通信手段であるパソコンは、雷サージによりクラッシュしていた。安川さんの持っていた衛星電話も、特定の番号にしかかからないよう改造されている。ここは自力で切り抜けるしか方法がない。カスミさんの淡々とした説明を聞くうち、リアルな恐怖がじわじわとわき上がってきた。俺たちは少し前から、切迫した命の危機に晒されているのだ。
「天鳥船で脱出する。みな滝に向かえ」
当たり前のように言うサヨリさん。ちょっと待ってよ。
「天鳥船って四人乗りですよ? どうするんですこの大人数」
「汽車は定員の倍ほど乗っても動くではないか。なんとかなる」
汽車? そんなざっくりした考え方でいいの?
「だがその前に」
宝物の入った箱が天羽々斬の他に三つあった。一つは鐘、二つは鏡。これらもヴリル協会に渡すことは出来ないとのことで持ち出すことになった。
「銅鏡も落とせば割れる。気を付けて運べよ」
天羽々斬をサヨリさん、宝物三つを俺と溝口と茉菜が持ち、カスミさんは自動小銃(!)と気絶したままの祭主様を背負い滝壺に急ぐ。その後から少し距離をおいて安川さんがとぼとぼと着いてくる。
宝物と自動小銃をキャビン後部の隙間に詰め込み、前部座席にサヨリさんとカスミさんが座った。ペダルを漕ぐため前席にはこれ以上座れない。つまりそれ以外の場所に五人……。
「宮路、僕の上に座ってくれ」と溝口。
「え?」
茉菜が顔を赤らめた。
「けど、わたし重いよ?」
「僕は大丈夫だ、遠慮するな」
「溝口くんが思っている以上に重いんだって」
「僕は全然平気だから……」
そのやり取りを聞いていたサヨリさんがイラッと言った。
「なにを乳繰り合っている! 早く乗りなさい! 置いて行きますよ!」
溝口の上に茉菜が座り、俺は祭主様を抱えその横に座る。キャビンがいっぱいになった。スワンボートの傍らにぽつんと立つ安川さんの目から涙がこぼれる。
「わたしも乗せてくださいぃ。死にたくないですぅ」
そして「うえーん」と子どものように泣き出した。
それを冷ややかに見つめていたカスミさんが言った。
「彰人、祭主様をこちらへ。わたしが背負います」
安川さんは俺の上に座ることになった。
サヨリさんがペダルを踏み込む。カスミさんも祭主様を背負ったままペダルを踏む。ボートの後ろでバシャバシャと水音がしたが、直ぐに静かになった。スワンボートが水面からふわりと浮き上がったのだ。
「マジか!」
まるで遊園地のアトラクションのようだった。ペダルを踏むたび高度が上がり、滝壺がみるみる小さくなって行く。滝の上流は木々に隠れ様子は確認出来ない。七人はさすがに重いようで、ペダルを踏むふたりの表情は険しい。ある程度の高度になったところで、スワンボートが水平飛行を始めた。漕ぐのが少し楽になったのか、サヨリさんが自慢気に言った。
「どうだ! わしと姉上、そして宝物を四種も積んでいるのだ。飛ばぬわけがなかろう」
飛ばぬわけがなかろうと言われても、羽根もエンジンも付いていない、ただのスワンボートが飛行すること事態現実とは思えない。それに女性ふたりが懸命にペダルを漕いでいる姿は少し滑稽でもある。特に祭主様を背負って漕ぐカスミさんは、まるで保育園の送り迎えをしているお母さんのようだ。そもそも「漕ぐ」ってなに?
御諸山が背後に小さくなる。カスミさんが「ヘリコプターでもない限り、追ってくることは不可能でしょう」と言った。全員が安堵の表情を浮かべる中、茉菜が思い出したように言った。
「どこに向かってるんですか?」
「大久保駐屯地です。軍に保護して貰います」
「大久保? 宇治の大久保ですか? 困ります。わたしそろそろ家に帰らないと。母が心配します」
「いま安易に戻ると身元が割れ家族も危険に晒される可能性があります。いちど駐屯地に入り、そこから連絡をとることを勧めします」
「……わかりました」
「社務所の人たちは大丈夫なんですか?」と溝口。
「ヴリル協会は本来、表だって違法な行動には出ません。今回強行手段に出たのは、御諸山には人が住んでいないというこちらの建前を利用したのでしょう。存在しない人間をどう扱おうが構わないという理屈です。ところが我々に正体を知られた上に逃げられてしまった。今頃は大慌てで撤退しているのではないでしょうか。これ以上事を荒立てて警察と軍を敵に回す真似はしないはずです」
錆びた三輪車のような金属音がやや耳障りだが、広がる絶景に思わず目を奪われた。青々とした田園と街並み山並みが美しい。こんな風景を描きたくて、ちょっと御諸山に登っただけなのに……。
しかしこのスワンボート、自転車ほどのスピードしか出ていないような気がする。大久保は自転車で行くにはちょっと遠い。はたして明るいうちに着けるのだろうか。
それまで静かにしていた安川さんがモゾモゾと動き出した。
「ど、どうかしましたか?」
ここまで緊迫した状況が続いたため、気にも留めてなかったけど、よくよく考えれば大人の女性が俺の膝の上に座っているのである。この生々しい感触は思春期男子にとってあまりにも刺激が強すぎる。しかもモゾモゾと動かすだなんて! 変な具合になったらどうするんだよ!
安川さんが恥ずかしそうに答えた。
「あ、あの。緊張が解けたら、その、急に、おトイレに……」
カスミさんが間髪置かず言った。
「そこでしなさい」
「そんなぁー」
オニである。乗せてやっただけ感謝しろってことなのだろうけど、ここで漏らされると被害を被るのは俺だ。それを見かねたのか、それとも本当にそうなのか、茉菜が言った。
「カスミさん、姫巫女様、私もトイレ休憩お願いします」
着地したのは三笠山を横切るドライブウエイの、トイレと自動販売機があるだけの無人休憩所。幸い誰もいない。茉菜と安川さんがトイレに行き、俺たちもスワンボートから下りて手足を伸ばす。カスミさんは自販機横にあった公衆電話に駈け寄り、緊急連絡用の赤ボタンを押したり十円玉(デザインが微妙に違う)を入れたりしたが「繋がっていない」と受話器を戻した。
「カスミさん、電話なら街中で借りれば良いのでは?」
「天鳥船で街中に下りる? ここにいますと宣伝するようなものです。ヴリル協会の会員は日本にも多数います。そのほとんどがヴリル協会を純粋な慈善団体と信じて疑わない、善良な人たちです。彼らの連絡網を舐めてはいけません。我々を献身的に追い詰めてくれるでしょう」
そう言ってスワンボートへ戻るカスミさんを見ながら溝口が言った。
「一番恐ろしいのは無垢の善意ってことか。……ところで彰人くん」
「ん?」
「その……席を……替わってくれないか。スワンボートの。僕の上に座って欲しい。いや、変な意味じゃないよ。僕が上でもいい」
ははーん。
「正直に言うよ。下心があった。ドサクサに紛れ、良い思いが出来るかと思った。けどこうして危機が遠のくと、想像以上にドキドキした。柔らかくていい匂いがして……それでその、ほら、あれだよ。ちょっと危なかった」
溝口。おまえはこの世界においても、自分に素直な良い奴だなぁ。
「俺の世界ではそーゆー状態を表現する良い言葉があるぞ」
「なに?」
「ヤバいって言うんだ」
「やばい?」
「そう。ヤバい」
「ヤバい、か。これは言い得て妙だ。あれはヤバい。確かにヤバかった」
「実は俺もチョーヤバかったんだ」
「ちょー? なるほど、超ヤバかった」
思わず二人で声を出して笑った。笑ったとき、溝口の肩越しにこちらを睨む視線に気付いた。スワンボートに戻り、中で眠る祭主様を確認するカスミさんである。俺と目が合うと視線を逸らした。
「?」と溝口がカスミさんを振り返り、俺を見て言った。
「嫌われているみたいだね」
「うん、嫌われている。相当」
「あの軍服に付いている階級章、見たかい?」
「え? 階級? カスミさんって軍人なの?」
「階級章に赤いラインが入っている。あれはたぶん近衛師団だ。あの年齢で中尉って、普通じゃないぞ。できるだけ仲良くした方がいい」
「このえしだん?」
「帝都と宮城を守る皇国最強の軍隊だ。君の世界にはないの?」
「いやー、軍隊そのものがないから」
「軍隊がない? そんな国家、あるわけないだろ」
「自衛隊はあるけど軍隊はない」
「じえいたい? なんか自警団みたいで、あまり強そうじゃないな。君の世界ではそれが軍隊の標準なのか」
「いや。日本だけじゃないかな」
「日本だけ? それはどうして……」
遠くからエンジン音がした。みるとパークウエイを白い乗用車が一台、こちらに向かってやってくる。乗用車はパークウエイを外れ休憩所の駐車スペースに入り止まった。九十年代風のデザインで、ロゴマークがちょっと違うけど「トヨタ・カローラ」とあった。旧車ではなくこれが現行モデルらしい。カローラから降りてきたのは二十代中頃のカップル。ただのドライブのようだ。ふたりはスワンボートに気付き目を丸くした。
湖はおろか池すらない丘の駐車場にスワンボート。不自然と言うよりシュール。もはやアート作品だ。近づいてくるカップルにカスミさんが立ち塞がり言った。
「軍の者です。懐中電話をお持ちでしたら、お借りしたい」
男の方がカスミさんをマジマジと見ていった。
「随分若いようだけど、本当に軍人さんなの?」
カスミさんは身分証らしきものを見せ「原隊に連絡を取りたい」と言った。
「君、その年齢は嘘だろう。どう見ても高校生にしか見えないぞ。それで中尉だなんて大人を馬鹿にしているのか」
「緊急です。持っているのか、いないのか?」
「僕の叔父は憲兵隊の大佐だぞ。仮装はともかくも、身分証の偽造は重大な犯罪……」
カスミさんはホルスターから拳銃を抜くと弾を装填し、銃口を真上に向け「ぱん」と一発発射した。おもわず「わっ」と驚く俺と溝口。「ぎゃっ」と叫ぶカップル。薬莢がアスファルトの上にチャリンと転がる。漂う火薬の匂い。嘘だろ、何やってんだよ! と思いつつも、拳銃って「ドキューン」といわないんだ……とどうでも良いことを思った。
「これは三軍と警察で支給されている『本物の五二式自動拳銃』です。仮装ではないことがおわかりいただけたか。懐中電話を持っているのか、いないのか」
男が「持っていません!」と涙声で答えたとき、カローラのエンジンが突如「ドルン」と唸り、タイヤを軋ませ発進した。見ると運転席には安川さんの姿……。「ど、泥棒!」と叫ぶ男。
カスミさんは持っていた拳銃をそのままカローラに向けると、躊躇いなく「ぱんぱんぱん」と連射した。
「えー!」と叫ぶ俺と溝口。
リアウインドウが砕け、排出された薬莢がばら巻いた小銭のようにアスファルトに散らばる。
「僕のレビンを撃たないでぇ! まだ月賦が残ってるんだぁ!」
尚も弾丸を撃ち込むカスミさん。だがカローラはそのまま駐車場から出るとパークウエイに入り遠ざかっていった。一同が呆然と佇むなか、カスミさんが震えた声で言った。
「あの女、私を見て笑った……笑いやがった……」
カスミさんは「はっ」と我にかえるとスワンボートに駈け寄り、宝物の入った箱を取りだし開けた。
「やられた」
天羽々斬が入っているはずの箱が空だった。持ち逃げされたのだ。
「姫巫女様! 追います! 天鳥船に……」と叫んだカスミさんが、サヨリさんを見て転けそうになった。縁石に腰掛けたサヨリさんが、キセルを咥えのんびりと煙草を燻らせていたのだ。
「な、何をされているのです!」
「厠休憩というから、わしも丹田の充足のため一服しておったのだが……」
甘ったるい香りが漂ってきた。たぶん俺の世界では非合法な成分の入ったヤツ。
「小一時間休むのかと思いきや、やにわに鉄砲をぱんぱんと。なんとも忙しない。しかしカスミは鉄砲が下手くそじゃなぁ。八発も撃って逃がすとは。手裏剣や組み討ちは得意なのに」
「あ、あの距離で、タイヤに当てるのは難しいのです! 追いますので早く天鳥船に乗ってください」
「だがわしは今、酩酊しており漕げん。回復に三十分は掛かるぞ」
そこに茉菜がハンカチを折り畳みながらトイレから出て来た。
「今さっき、かんしゃく玉みたいな音が聞こえたけど、なにかあったんですか?」
前の席にカスミさんと茉菜。後ろには未だお休み中の祭主様を抱いたサヨリさん、俺と俺の上にジャンケンで勝った溝口。
「さぁ茉菜よ。祝詞を唱え力一杯漕いでみせよ。おまえならできる!」
「はい!」と息を吸い込み、サヨリさんが教えた呪文を唱える。
「かぜのこまくものくるまのおとよとどろけ、とべよ、とりのいわくすふねのかみ!」
グイッとペダルを踏み込んだ瞬間、スワンボートがフワッと浮いた。サヨリさんが漕いだ時より力強さを感じる。階段を二段飛ばしするような勢いで、一気に数十メートルを駆け上がった。カローラを乗り逃げされたカップルが、あっという間に駐車場の点になる。呆然と俺たちを見上げていたふたりがちょっと可哀想。
「驚いた。茉菜がここまで出来るとは思わなんだ。言霊に力がある」
「どう言うシステムで飛んでいるんですか?」
「我らの眷属がひとり乗っておれば、ある程度の気を備えた者なら誰でも飛ばすことができる。だがこの勢いなら、茉菜ひとりでも飛ばせるのではないか」
やっぱりよくわからない。
カスミさんが叫んだ。
「見えた! 茉菜、十時の方向。いま料金所を突破した」
「じゅうじってなんですか!」
「時計盤です。真正面が十二時、真後ろが六時!」
「見つけた! よーっし!」
よーっしって茉菜さん。高度や速度、方向はどうやって調整しているのだ? そんな俺の疑問もなんのその、スワンボートはカローラに向かって飛行し始めた。しかも茉菜がペダルを踏み込む度に、速度がぐんぐん上がっていく。この調子ならカローラが街中に入る前に追いつけるかも知れない。
「カスミさん。安川さんはたからものをヴリル協会に渡す気なんですか?」
「違います。我々とヴリル協会を利用したのです。目的は端から天羽々斬の奪取」
「え? 宮内省の人がですか?」
「いや、おそらく彼女は……」
その時スワンボートが激しく揺れ爆音に包まれた。見ると真横にヘリコプターが並んでいた。開いたスライド式のドアから、あの高級そうなダークスーツを着た紳士が身を乗り出し小銃を構えている。火傷を負った顔に柔和な笑みはもうなかった。
カスミさん、ヴリル協会撤退してないじゃん! しかもヘリ持ってるじゃん!
「きゃあぁあぁ」
茉菜の悲鳴と同時に身体が浮いた。溝口も浮いた。スワンボートが急降下したのだ。溝口がキャビンの天井に叩きつけられ、外に放り出されそうになった。
「溝口ぃ!」
「彰人! 小銃を……」
溝口を掴まえるのがやっとで武器どころではない。キャビンがパニック状態のままスワンボートが落ちてゆく。サヨリさんは片手で天井を押さえ、片手で祭主様を抱えていた。まだ「煙」が利いているらしく、この激しいアクションのさなかトロンとした目をしている。地表ギリギリで重力が戻り、超低空飛行になった。ヘリのエンジン音と回転翼音が後ろから追いかけてくるのが聞こえる。「バリッ」と音がして天井に穴が開いた。銃撃されているらしい。
「茉菜! ジグザクだ! ジグザクに飛べ! 狙い撃ちされる!」
だがその必要はなかった。ヘリのエンジン音が突如遠ざかっていったのだ。振り返ると白い煙を一筋引きながら遠ざかって行くのが見えた。その煙が白から灰色に、さらには黒色に変わり火を吹いた。
「応援です!」
カスミさんの視線を追うと、かなり離れた北の空にふたつの黒い影が浮いていた。ヘリコプターのようだが音は聞こえない。そのシルエットは戦車のように厳つく、機体下に昆虫の触角のような突起物が見える。見慣れない二重構造の回転翼。これの一機が発砲したらしい。
「陸軍の七○(ななまる)式攻撃ヘリだ!」
叫んだのは頭から大量出血の溝口。
「大丈夫かおまえ!」
被弾したヘリは火を噴きながら三笠山の森の中に姿を消した。
脅威は去ったが安川さんの乗ったカローラを見失った。