あなたですか。虚人というのは
今朝はカスミさんに顔を踏まれ目が覚めた。
おまけに身体中筋肉痛である。最悪だ。
畑仕事をし、鶏小屋の掃除を終え屋敷に戻ると、茉菜と溝口がまた遊びに来ていた。
「わたし、姫巫女様が仰っていた修行っていうのに少し興味があるんです。夏休みを利用して体験入学みたいなの、できませんか?」
茉菜は昨日の恋愛相談以降、すっかりサヨリさんに心酔してしまったようだ。
「それは良い考えだ。だがその前に確かめたいことが二三ある。男共には聞かせられぬ話だ。場所を移そう」
晴耕雨読と書かれたTシャツ姿のサヨリさんがと茉菜を連れ奥の部屋へ姿を消した。それを見送りながら溝口が呟く。
「男には聞かせられない話? なんか小学生の頃を思い出すね」
巫女って言うぐらいだから、やっぱ処女じゃないとダメとかあるのかも。
……処女?
「み、溝口、くん」
「なんだい彰人くん」
「ふたりは、一線を越えてないよね」
「一線? ここで言う一線とは男女の一線?」
「うん」
「さすがにないよ。まだ」
だよな。
「けど」
「けど?」
「チューは大丈夫だよな?」
おまえらチューしたの? 気持ち悪っ!
滝の上流を見に行くことにした。
「おいおい、姫巫女様のお姉さんを待つんじゃないのか」
溝口がついてくる。
「見に行くだけだよ。飛び込んだりはしない」
「なるほど、君は当にジュブナイルの主人公だね」
「じゅぶ……なに?」
「ジュブナイル。ミドルティーンが読む娯楽小説。君の世界にはないのかい」
「ああ、ラノベのことか」
「らのべ?」
「ライトノベルの略」
「ライトノベルがラノベ、携帯電話がケータイ。ネーミングのセンス悪いなぁ、君の世界は」
ほっとけ。
「で、どうして俺がそのジュブなんとかの主人公なの」
「ジュブナイルの主人公は、時として常軌を逸した行動を取る。『止めときゃ良いのに』という選択を行う。その結果、取り返しのつかない事態に巻き込まれる」
「滝を見に行くのが常軌を逸した行動?」
「いいかい? これは物語ではなく現実なんだ。僕が君なら異世界における不用意な行動は極力避ける。滝に飛び込むつもりがなくても、見に行くことで足を踏み外し、転落するかも知れないからだ。僕から見れば君の行動は『止めときゃ良いのに』と思える。この世界に来たのも『裏から御諸山に登る』という『止めときゃ良いのに』の結果だろ」
「そんなこと言ったら、食事もトイレも何も出来ないじゃないか」
「だからさ。そういう風に考える君はジュブナイルの主人公なんだよ」
溝口ほどではないが俺もラノベを読んだことがある。アニメも観る。俺の知る限り確かにアニメやラノベの主人公は積極的消極的の違いはあっても、あり得ない形で異世界に介入してゆく。良く言えば勇敢、悪く言えば愚かだ。御諸山を裏から登った行為については愚かだったと認める。けど滝を見に行くのが愚かな行動か?
「仮に俺がラノベの主人公だったとして、どうすればストーリーは完結すると思う?」
「ありがちなのは、使命を果たすまで元の世界に戻れないパターンのやつ」
「使命?」
「理由があってこの世界に飛ばされたっていう設定だ。もし君に思い当たる節があるなら、積極的に行動するのも手かも知れない。けどそうでない限り、今は大人しく姫巫女様のお姉さんを……」
溝口が立ち止まり「なにか聞こえないか?」と辺りを見回した。
耳を澄ますと確かに微かな金属音が聞こえる。錆びた三輪車を漕ぐような音だ。空を見上げた溝口が「わ」と言った。俺も空を見上げ「うお」と言った。宙に巨大なアヒルが浮いていたのだ。そのアヒルが滝壺の方角にゆっくりと高度を下げてゆく。
「この世界ではあーゆーの、普通なの?」
俺が聞くと溝口は「普通な訳ないだろ!」と走り出した。
滝壺に駆けつけると、アヒルがこちらに尻を向け岸辺に着水していた。それは公園の池や湖で良く見る、グラスファイバー製の足漕ぎ式スワンボートだった。デフォルメしたフォルムがアヒルに見えたのだ。
キャビンにふたつの人影。手前の座席に五、六才の少女、奥にはスーツ姿の眼鏡女。いずれも疲労困憊の様子でぐったりしている。ふたりの会話が聞こえてきた。
「さ、祭主様。帰りもまた漕ぐんですか?」
「帰りはクルマを呼んでたもれ」
答えていたのは五、六才の少女の方だった。
「姉上、あまり無茶をなされるな。山中に落ちたら、どうされるつもりだったのです」
サヨリさんが腹ばいに寝転んだ「祭主様」の脹ら脛を揉みながら言った。本名は「タキリ」だけど職名で呼ぶのが慣習という。ちなみに祭主とは伊勢神宮のトップ。このガキんちょが?
「安川がいけないのじゃ、安川が。こやつの尻が重すぎるのじゃ」
「祭主様、それはあんまりですよぉ。後半、漕いでいたのはほとんどわたしじゃないですかぁ」
安川と呼ばれたスーツ姿の眼鏡女が、飲んでいた麦茶をむせそうになりながら反論した。二十代前半の生真面目そうな人で、祭主様の御付きらしい。
「少しでも早く御山へとのご意向を汲み、天鳥船を引っ張り出したのですが、まさかこんなに体力を使うものだったとは。山越えでは風に煽られ死ぬかと思いましたよぉ」
「姉上。御付きはこのお役人ひとりなのですか?」
「ああ。手続きが面倒臭かったので、こやつだけ連れて出た」
安川さんが目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待ってください。今朝申請が通ったって……」
「あれは方便じゃ。いちいち手順を踏んでいては事は進まん」
「じゃ、これって無許可外出の無許可飛行?」
「そーゆー事になるのかのぅ」
「……始末書確実だ。わたしまだ二年目なのに!」
「わらわに騙されたと正直に言っておけ。二年目ならそれで許される」
「そんな無責任な」
安川さんはしばし呆然としたあと、開き直ったように言った。
「すみません! 麦茶をもう一杯頂けますか!」
カスミさんは無言で安川さんのコップを受け取ると奥に消えた。
傍らでその様子を眺める俺と溝口と茉菜。ツッコミどころが渋滞を起こしている。もはや何から聞けば良いのかわからない。初めに手を挙げた勇者は溝口だった。
「あのスワンボートは、どうやって飛んでいるのですか! 神通力ですか!」
安川さんが意外そうな顔をした。
「えっーっと。鳥之石楠船神の依り代として……。あれ? ご存じない?」
「その者たちは客人で、うちふたりは俗衆だ」
サヨリさんの説明を聞いた安川さんは、溝口と茉菜、そして俺をしばし見つめたあと「えーっ?」と驚いた。
「一般人がどうして結界の中にいるのですかぁ!」
どうやら俺たちのことを使用人か何かと思っていたらしい。
「おー。そう言えば結界が弱まっていたような」
祭主様がムクリと身体を起こす。
「姉上。弱まったのではありません。無くなったのです」
「なに? それはどう言うことか!」
これまでの経緯を一通り説明すると、祭主様が声を震わせ言った。
「それは真なのか……」
「はい。ゆえに姉上にご足労願った次第で……」
「稚児相撲はないと申すのかぁ!」とブチ切れた。
「そ、そこですか。しかし、そうでも言わなければお出ましになられまい?」
「当たり前じゃ! でなければ誰がこんなクソ田舎に来るものか! 天鳥船を駆ってまで! 虚人自身がわらわの元へ顔を出すのが本筋であろう!」
「姉上、お叱りはあとで甘んじて受けます。今はこの事態に……」
「知らん!」
祭主様は立ち上がるとそのまま奥の部屋に入っていく。
「どちらに行かれるのです?」
「湯浴みして寝る!」
「姉上!」
祭主様を追ってサヨリさんも奥に消える。
そこにカスミさんがお代わりの麦茶をもって来た。
「祭主様と姫巫女様は?」
「奥に行かれましたけど」
俺が答えると、お代わりの麦茶を持ったまま奥に消えた。
「ああ、わたしの麦茶が……」
安川さんが肩を落とす。
「安川さん」と俺。
「はい?」
「親子ほど年の離れた年下の女の子がお姉さんって、どう言うことですか」
「え?」
「神宮の祭主って、皇女殿下がなされることが慣例ですよね? あんな小さな親王様、いらっしゃいましたっけ?」と言ったのは茉菜。
安川さんの目が泳いだ。
「ああ、喉が渇いた……台所は何処でしょうかね。井戸水はピロリ菌が怖いからやっぱり沸かさないと」
立ち上がろうとする安川さんを俺たち三人が囲い込む。
「教えてください!」
「一般人には教えられないんですぅ!」
「彰人くんは一般人ではありません! わたしと溝口くんは確かに一般人です。けど彰人くんは間違いなく異世界からやって来た異世界人です。この現象に姫巫女様が関係しているのなら、充分に当事者だと思います。知る権利があると思います」
「異世界人?」
安川さんが真顔になった。
「あなたですか。虚人というのは」
渡された名刺には「宮内省警衛局顕現調査課安川めぐみ」とあった。
「虚人とは時空間相転移現象により他宇宙から訪れた異世界人を指します。古来この現象を顕現と呼んでいます。と言うのも、かつて虚人は神と崇められたこともあったからです」
「神? 俺って神なんですか?」
テンションが一気に上がる。
「いえ。大抵の虚人はただの人です。神ではありません」
テンションが一気に下がる。
「どういうことでしょう」
「古代において虚人は、持っている知識や技術によって神と呼ばれたのではないかと推測されています。例えば……井戸掘りの名人が、井戸を掘る技術のない世界に顕現すれば、その人は水の神様として崇められるでしょう」
そう言えば中国に渡り様々な知識と技術を習得した空海は、当時の日本人にとって異能の存在だった。空海の超人的な伝承は人々の無知から生まれたのかも知れない。
「青銅器時代に鉄の製錬技術を独占できれば、強大な権力を得たかもしれません。しかし近代では科学も産業も高度に複雑化しており、個人でどうこうなる次元にありません。よほどの知識と技術を持っていたとしても偉人と呼ばれるのが精々でしょう」
つまりなんの知識も技術も経験もない俺は、ただの人ってことなのだ。
「安川さん」
溝口が力強く言った。
「じゃ、『大抵ではない虚人』とは?」
「え?」
「大抵の虚人はただの人。そのただの人でさえ時代や状況によっては神と崇められた。では『大抵ではない虚人』とは?」
「その、稀に……極々稀ですが……理の異なる世界からやって来る虚人がいるとかいないとか」
「理ってなんですか?」
「物理法則の違いなどです。この場合、その、それこそほら、あれですよ」と言葉尻を濁した。
「つまりそれが神様なんだ。神通力とは、物理法則の違いによるものなんだ。そうなんですね安川さん!」
「そこまで聞きますぅ? 公務員には守秘義務があるんです。わたしまだ二年目なんですよぉ。これ以上のことは祭主様に直接聞いてください」
なんだこの会話は。神様を否定する話をしていたはずなのに、いつの間にか神様を肯定する話になっている。これではまるで……。
「あの、溝口くん」
「なんだい彰人くん」
「まるで神様が実在することを前提に話しているように聞こえるんだけど」
「もちろん実在したことを前提に話している」
「え?」
「『え?』って何が『え?』なの?」
「神様がいるの、この世界」
「君の世界にはいないの?」
「いねーよ! てか、神様ってなんだよ!」
「天照大神とか」
「それは神話だ。お伽噺だよ。歴史じゃない」
「僕らの世界では実在の人物だ。系譜については諸説あるし、神通力を否定する人も多い。けど歴史上の人物であることは間違いない」
そーゆー世界なのだ、ここは! これならお伽噺のような姫巫女伝説を信じる国民がいるのも、けして不思議なことではない。
「僕は姫巫女伝説を信じる人間ではあるけど、さすがに神通力までは信じていなかった。ところがあのスワンボートだ。安川さん!」
「は、はい?」
「姫巫女様や祭主様は『理の異なる世界からやって来た虚人』なんですね?」
「う……」
「つまりあの人達はかみさ……」
安川さんは両手で自分の耳を塞ぐと「わわわわわぁー! 聞こえませーん! 何も聞こえませーん」と叫び、俺たちの包囲網を破って裸足のまま外に飛び出しどこかに消えた。
祭主様はお昼にカスミさんが作ったオニギリを食べ、すっかり機嫌を取り戻した。怒っていたのは単にお腹が空いていたらしい。渋々ながらも俺を視てくれることになった。
「その前に」
カスミさんから手渡されたのは、修験者が着るような白装束。滝行をして身を清めろという。
「充分に穢れと煩悩を落とすように。あなたの魂は心底汚れているようですから」
カスミさんの嫌みを背中で聞きながら滝に入った。見た目の水量はたいしたことないが、入ってみると大男に肩を連打されているような衝撃があった。そして冷たい。
立つのもやっとという状況の中、サヨリさんに教えられた通り両手で印を結び目を閉じる。そして心を無にしてみる。何も考えるなって事らしいけど、考えまいとするほど色々な思いが浮かんでくる。元の世界に帰れるのだろうか。帰れなかったら俺はどうなるのだろうか。不安ばかりが堂々巡りする。くそ、どうせ考えるならもっとポジティブな事を考えよう。
サヨリさんの白い裸が浮かんできた。細くて長い手足。ふくよかで形の良い胸。引き締まったウエスト。ドタバタして忘れていたけど、女の人の裸を生で……しかも間近に見たのはこれが人生初だった。こんな境遇になければ、これ以上ないラッキースケベだったのに。そうだ。俺はこれを心の支えとして生きていこう。一生の思い出とするのだ。
身体が冷えてきた。真夏だというのに身体が震え、歯がガチガチと鳴る。これ、いつまでやるんだよ。死んじゃうよ……と思ったとき、不意に身体が軽くなった。滝の水圧を感じない。音が聞こえない。寒さも感じない。むしろ暖かい。どうしたんだろう。俺、死んだのかな。そうだ、きっと死んだのだ。これは楽でいい。何も悩む必要もない。考える必要もない。
気が付くと俺は池の傍らにある石の上に腰掛け、カスミさんに頭をタオルで拭かれていた。
「あ。じ、自分でやります」
タオルを受け取り自分で拭く。どれぐらいの時間滝に打たれていたのか、まるで記憶にない。どうやってここまで歩いたのか憶えていない。一瞬とも永遠とも思える時間。これが無?
屋敷に戻り乾いた衣装に着替える。奥の間の襖を開けると、巫女姿の祭主様がひとりちょこんと座っていた。なんか座敷童っぽい。中に入ると噎せ返るような香の匂い。頭がちょっとフワッとした。
「座れ」
「はい」
素直に祭主様の前に正座した。
見た目は五歳児なのに妙な威圧感がある。
「足を崩して構わんぞ」
「あ、いえ、このままで良いです」
そこにサヨリさんが古びた桐の箱を恭しく持って現れた。箱の中には一振りの剣。アニメやゲームに出て来そうな、ブロンズ色をした両刃の剣である。束には細かな彫金細工。刃が一部欠けているのが、いかにも曰く因縁ありそう。
「これは天羽々斬という神剣じゃ。霊力は三種神器に匹敵する。今日はこれを使ってお主を視る。ちなみにこの神剣がここ御山にあることは、安川には内緒だぞ」
「どうしてですか?」
「父上の形見でな、遠い昔に紛失した事になっているのだ。宮内省に知れたら接収されてしまう。国宝級のかむたからなのだ」
祭主様が剣を手にとり座ったまま青眼に構える。
「動くなよ」
剣の切っ先が俺の胸数センチの位置でピタリと止まった。骨董品とはいえ、剣を突き付けられるのはあまり気分のいいものではない。
「これは実際に人の血を吸った剣だ。怪異を退治した破邪の剣でもある」
「随分と勇ましい剣なんですね。で、何をするんですか」
「これの記憶を主に見せる」
「記憶? 剣の記憶ですか?」と言いかけたところで胸に激痛が走った。
祭主様がにわかに立て膝をつき、剣を俺の胸に「てい」と突き刺したのだ。
それは熱したナイフがバターに入り込むように、なんの抵抗もなく俺の身体を貫いた。
なにこれ。なんの冗談?
激痛のあまり声が出ない。息も出来ない。剣を押し戻そうと祭主様の手を掴むも力が全く入らない。溢れる涙に視界が歪む。目の前にはなぜかカスミさんの顔。
「屍を埋めるには土を三尺も掘らねばなりません。なぜか知っていますか?」
ケモノが死体を掘り返すんでしょ? それ、もう聞きました。聞きましたって……。
「はっ!」
気付くと畳の上に正座していた。刺された胸を手で探る。傷はない。夢? 夢なのか……。それにしてはリアルすぎる。一瞬ではあったがあの痛みは本物だった。祭主様とサヨリさんがさっきと同じ場所に座っている。天羽々斬も畳の上。血一滴付いていない。
「彰人。何を見た?」
「さ、刺されました」
「誰に刺された?」
「カスミさん」
「は? 男ではなかったか?」
「違います。カスミさんです」
「髪を結った髭面の男ではないのか? 三十路前の彫りの深い顔立ちの」
「いえ。カスミさんです」
「さようか」
祭主様はため息をつき言った。
「わらわに出来ることはなさそうじゃ」
あとで聞いた話では、祭主様はサヨリさんの亡くなったお姉さんの「生まれ変わり」という。つまりダライラマ的なあれだ。「この世界ではそーゆーの、普通なの?」と聞くと溝口は「普通な訳ないだろ!」と答えた。