さっきしっかり見たでしょう?
翌朝、船長室に案内された。中にはチャラ男とサヨリさん。窓から海が見えたが陸地は確認できなかった。
「やぁ、彰人くん。よく眠れたかい?」
「乙種無能」から「彰人くん」に昇格。前にもこんな事があったな。
「カスミさんは?」
「鍵付きの個室でくつろいで貰っている。まぁ、座りなよ。一緒にブレックファストしようじゃないか」
朝食が並べられた。フレンチトーストとスクランブルエッグ、ミニサラダにオレンジジュースという小じゃれたメニュー。サヨリさんにはあまり馴染みがないだろうけど、俺にはありがたい。遠慮なく頂く。全部食ってやる。
「あれかい? 能ある豚は木に登るってヤツ?」
「なんの話です?」
「増幅器の助けなしに神剣の力を引き出すとは。凄いじゃないか」
やっぱりその話になるのか。
どうやら俺は天之尾羽張を使ったらしい。伊武木戸が放った天羽々斬の一撃を防いだという。だから俺はここに居るのだ。俺的には画期的展開。一躍主人公に躍り出るチャンスのはずだけど、記憶がないから感想の持ちようがない。
「キミはその重要性を理解してる?」
「重要性?」
「神にしか出来ないことを、キミはやってのけたんだ。キミはこの重要性をちゃんと理解してるのか?」
憶えていないことを理解できるわけがない。ここは意味ありげに黙っておくのが一番。しばらくはそれで誤魔化せるはず。バレるのは時間の問題だろうけど。
「ウチには頭の良いのが沢山いてね。神器の解明も色々進んでいるんだ。もっともほとんどが仮説だけど」
やっぱりやっていることはナチスと同じ。
「神器の力は他空間からもたらされるものらしい」
他空間?
「……それってパラレルワールドのことですか?」
「少しは興味沸いた? ワームホールは聞いたことがあるだろ?」
「言葉は聞いたことがあります」
溝口から聞いたような気がする。
「離れた空間をショートカットして繋ぐことが出来る穴だ。神剣はこれを作ることができる。カッコ良く言うと空間を切り裂く剣ってところかな」
「空間を切り裂く? 神剣が元の世界に戻る鍵?」
「どうだい? ボクたちと一緒に神器を研究してみないか? 宮内省の連中といたって、元の世界になんか一生戻れないぞ?」
思わずサヨリさんの顔を見てしまった。「どう思います?」と聞きそうになった。けどサヨリさんは興味が無いのか、フレンチトーストを黙々と突いていた。
「まぁ、ちょっと考えてみてよ。返事は急がないから」
この世界に来て初めて元の世界に戻れる可能性を提示された。しかも人殺しからである。まさに悪魔からの誘い。
「ところで彰人くん。サヨリさんから質問があるそうだよ」
サヨリさんから俺に質問? 今さら何を聞くというのだ?
サヨリさんがフレンチトーストを突きながら言った。
「夕べは伊武木戸から『お前たちのいた世界』について話を聞いた。お前たちの世界では八洲国が戦に敗れたというのは本当か」
ナチスと第二次大戦の説明をしたとき、安易に触れると面倒臭くなると思って日本の説明はあえて避けた。その面倒臭い部分をチャラ男は説明したらしい。ナチスの脅威を説き、理詰めでサヨリさんを落とす方針に切り替えたのだろう。チャラ男の正しさを認めるようで悔しいが、ウソをつくわけにもいかない。
「本当です」
「ゲンバクと言う兵器で、何十万人もの罪なき民が虐殺されたというのは本当か」
そんなことまで!
「……はい」
「蝦夷をソビエトにとられ、琉球をアメリカにとられ、国体も失ったというのも?」
蝦夷をソビエトにとられた? なんだそれ?
蝦夷って北海道のことだよな。沖縄はともかく北海道が取られたなんて話、聞いたことがない。コクタイを失ったという意味もわからない。ひょっとしてこれは「俺の知る歴史」とは違う?
てことは伊武木戸雅巳は俺とは異なる日本から来たってことか!
だとしたらどう答えるべきなのだろう? サヨリさんには本当のことを知って欲しい。だがチャラ男には知られてはいけないような気がする。ここは差し障りのない返事を……。
「話すと混乱すると思ったので避けました」
「……そうか」
「ほらねサヨリさん! ボクの言ったこと、ウソじゃなかったでしょ?」
はしゃぐチャラ男をよそに、サヨリさんはフレンチトーストに視線を落としたまま黙り込んでしまった。あとで本当のことを教えてあげなければ。
食事が終わったあと船内にある「ラボ」に案内された。
テーブルの上に水の入った大きなトレイがあった。その中に細長い歪な物体がひとつ。
「これが天叢雲剣だ。クリーニングはCTをかけたあと時間をかけ慎重に行う」
廃墟に転がる朽ちた瓦礫にしか見えなかった。全体を岩状のものが覆い、剣の形すら留めていない。
「試しに増幅器に繋げてみたんだけど、なんら反応しない。サヨリさん、彰人くん。どうだい? 君たちなら何か感じるんじゃないか」
こんなガラクタ引き上げるために人を殺したのか。こんなもの引き上げるために? こんなものいくら削ったって、中からボロボロになった錆の塊が出てくるだけだろうに!
─ ざけんな! こんなもの、叩き折ってやる! ─
「おい! 何やってるんだ!」
気が付くとラボにいた白衣の男ふたりに羽交い締めにされていた。
「え? なに?」
「いま、トレイから天叢雲剣を取りだそうとしただろう!」
「俺が?」
全く憶えていない。でも心の奥底からこみ上げてきた怒りだけは憶えている。止められなかったら、俺はいったい何をやっていたんだ?
自室に戻されるとき、チャラ男が着いてきた。ウゼぇ。
「なになに? さっきのなに? キミの中で何か起きたの?」
「なにも。ただ、あんなもののために人を殺したんだと思ったら、腹が立っただけです」
「なんだよ、キミも茉菜ちゃんと同じ事を言うんだな。もっと大局を見なよ。大いなる力には大いなる責任が伴うんだ。スパイダーマン見たことないの?」
大いなる力なんか持ってないんだよ俺は!
「ところでさ、ワンピースどうなった? 連載続いてる?」
「俺、読んでないので」
「はぁ? 読んでない? そんな高校生がいるかフツー。キミには色々ガッカリだなぁ! スマホも海で無くしたって言うし、使えねー男!」
人質交換の前に溝口に預けたんだよ! 誰がお前なんかに渡すものか。
「それよりカスミさんに会わせてください」
「カスミちゃんに? どうして?」
「ちゃんとお客さん扱いしているかの確認です。昨日から見ていません」
「そう言えばアヤネちゃんに任せっきりだったな。忍者って放置すると結構好き勝手するからなぁ。ふむ、急に不安になって来たぞ。なんかあったらサヨリさんに嫌われる。ちょっと見に行こうか」
踵を返し船底に続く階段を下りる。途中でアヤネさんに出くわした。
「雅巳さま。こんなところに何の御用で?」
「アヤネちゃんこそ何やってるんだ?」
「きのうサヨリヒメと同時に引き取った、ヴリルたちの様子を見に来ただけです」
そう言ったアヤネさんの両手が赤く汚れていた。……血?
「え? まさか拷問したの?」
「朝のあいさつですよ」
「なんかの交渉に使えるかも知れないから、拷問はダメだって言ったじゃん! 言ったよね?」
「売国奴が同じ船に乗っていると思ったら無性に腹が立って。爪を何枚か剥いでやったら少し気が晴れました。もっともふたりほど、剥がす前に指そのものが既に何本かありませんでしたが」
そう言って笑った。ぞっとする笑顔だった。これがニセ安川ことアヤネさんの正体。こんな女にカスミさんを任せただって?
「か、カスミさんは……」
アヤネさんが俺をねっとりと見た。
「ねぇ、キミ。わたしのお尻の感触はどうだった? グリグリ押しつけてみたんだけど、興奮した?」
「カスミさんは!」
「あら、心配? キミはあの女に嫌われていたでしょう? ざまぁみろ、じゃないの?」
カスミさんの姿を見て思わず目を背けた。
俺がのうのうとベッドで寝ている間、カスミさんは手錠と足枷をされ、物置の中で配管パイプに鎖で繋がれていたのだ。しかも全裸で。傍らにはバケツがひとつ。
「アヤネちゃん、ダメだよ。これじゃまるでSMビデオの撮影じゃないか。お客さん扱いだって言ったじゃん!」
「雅巳さま。繰り返し言いますが忍者を舐めてはいけません。本当なら手足を潰し、歯を全部抜きたいぐらいです。これで充分お客さん扱いですよ。拷問も一切していませんし」
「とにかくダメ! 鎖はずして、服着せて! ボク、サヨリさんに嫌われたくないんだ」
「ならば……その少年に連帯責任を取らせることを約束してください。何かあったらその代償として指一本切り落とす。面倒をみるのもその少年の責任において。ただし手錠と足枷、これだけは絶対はずさせない」
「彰人くん。それでいいか?」
「……はい」
俺は怒りの余り涙が出そうなのを堪えていた。
部屋に戻り暫く待つとドアが開き、カスミさんが入ってきた。カスミさんだったけど一瞬別人かと思った。と言うのも髪を下ろしていたからだ。服装は俺と同じライトグレーのツナギ。そして足枷と後ろ手に手錠。
「カスミさん、俺……」
「姫巫女様は無礼な扱いを受けていませんでしたか」
こんな時でも心配なのはやはりサヨリさん……。
「……はい。ちゃんとお客さん扱いを受けています。部屋もチャラ男……伊武木戸が自分の部屋を明け渡したようです」
「その言葉を信じます」
カスミさんは部屋の扉が閉まるのを確認すると、部屋を丹念に調べ始めた。カメラや盗聴器を捜しているらしい。必ずしもアナログ人間って訳でもないようだ。
「あの女、下を調べたあとにその指を口の中に入れた。殺す。必ず殺す」
聞き捨てならない独り言を呟きがながら探索を終えると、肩胛骨を軟体動物のようにうねらせ、後ろ手になっていた腕を身体の前に持ってきた。
「鍵穴が隠れる型か。念の入ったことだ」
「カスミさん、すみません。俺何も知らなくて……」
「彰人、あなたはわかっているのですか?」
「え?」
「わたしは姫巫女様第一に行動します。彰人の指が何本無くなろうが関係ありません。それを承知であんな約束をしたのですか」
「けどあんな酷いことになっているとは……」
「あれは想定内です。同情されたくない。むしろ同情は私に対する侮辱です」
そうだった。カスミさんはそれだけの覚悟をもってこの船に乗ったのだ。「俺のターン!」と喜んで乗った馬鹿(俺)とはわけが違う。
「ところで彰人、あれは?」
「あれ」とは忍者用サバイバルナイフ、カスミさん愛用のクナイである。アヤネさんがクルーザーに着地するとき、足元に一瞬視線を落としたその隙を突いてカスミさんが俺に渡したのだ。
靴下に隠して船に持ち込み、着替えの際には用意されたデッキシューズに隠し、この部屋に持ち込むことに見事成功したのだ……と言うと俺の手柄のように聞こえるが、実のところ単に軽んじられ、身体検査がおろそかだったと言うのが真相。
クナイを返すと「上出来です」と褒めてくれた。しかも笑顔で!
初めて見るカスミさんの笑顔!
チョー可愛い……と思ったのも束の間。
「これであの女の腹を割き、生きたまま腸を引きずり出して白大神に食わせてやる」とクナイの刃を愛おしそうに指でなぞった。
やっぱそっちかぁ……。ブナタロウも迷惑な話だなぁ。
そしてそのクナイでベッドのシーツを裂きだした。とうとう気でも触れたのかと思ったら「サラシを作ります」と言った。
「サラシ?」
「乳バンドがないと乳首が擦れて思うように動けない。男には解らないだろうけど、ちょっとした拷問なみに辛いのです」
ブラジャーに使われているワイヤーや金具はそのまま凶器に転用できる。だから真っ先に没収されたらしい。それにしても乳バンドって。カスミさんがいた世界での名称なんだろうけど、色気もへったくれもない。
同じ大きさに裂いた2枚のシーツを折り込み帯状にすると、「手伝ってください」とツナギのファスナーを下げた。下はもちろん……。
「わ、何やってるんですか!」
慌てて目を逸らす。が、ちょっとだけ見てしまった。あの大きな傷跡と共に。ケロイド状に盛り上がった傷痕だった。女子には余りにも悲しい。
「何をいまさら。さっきしっかり見たでしょう?」
「見てません! すぐに背を向けました!」
「とにかくサラシを巻くのを手伝ってください」
「そーゆーのはひとりでやった方がいいんじゃないですか?」
「手錠付きではひとりで巻けない。外せないことはないが、外すと手錠に傷が付いてしまう。気付かれたら彰人の指が無くなる。さすがにその程度のことで彰人の指が無くなっては、わたしも目覚めが悪い」
「けど、それだと身体に触っちゃうことに……」
「滝壺で散々悪戯したくせに」
「してねーし! てか、俺ってそんな男に見えます?」
「見えます」
ひでぇ。
俺は背を向けたカスミさんのツナギに手をかけ、下げた。さすがに少し手が震えた。喉カラっから。ああ、これが大人の階段登るってことなのか……。
露わになる背中。薄い皮下脂肪の下に鍛えられた筋肉が浮き出ていた。まるでアスリートのよう。純粋に美しいと思った。ツナギの奥に何か見える。タトゥー? 腰にタトゥーが入っているのか。意外……と思ったけど、よく考えれば忍者だ。あって当たり前なのかも。
後ろからサラシをまわし「触ります」と宣言してから背中や脇を触った。中途半端に触ると返ってイヤらしいと思ったので、あえてしっかりと触った。何回か膨らみに手が当たったような気がしたが、カスミさんは特に何も言わなかった。むしろ「もっと強く締めて!」と怒られながら巻いた。
巻き終えるとカスミさんは立ち上がり、肩を回し腰を捻った。サラシでギチギチに巻かれた胸はペッタンコ。あの膨らみは何処へ。
「うん、悪くない。これなら戦える」
俺に振り返ったとき、股間まで下げられたファスナーの奥を見てしまった。
カスミさん、ブラだけではなくパンツも没収されていた。
「国体が失われた? 伊武木戸はそう言ったのですか?」
「はい。そうしたらサヨリさん黙っちゃって」
「国体が失われた……」
「あの、コクタイってなんです?」
「知らないのですか」
「無知を認めます。教えてください」
「天子様を頂く国の姿のことです」
だからサヨリさんはあんなに落ち込んでいたのか!
少なくとも俺の世界では健在あることを教えて上げなきゃ……。
「天之尾羽張を使った覚えがないのも本当ですか」
「あ、はい」
「無意識とは厄介な」
「どう厄介なんです?」
「船を沈めるほどの力が制御不能。これ以上の厄介がありますか」
言われてみれば確かに。気が付いたら敵も味方も皆殺し……では洒落にならない。
「姫巫女様はこれをどうお考えに……」
カスミさんが黙り耳を澄ます。
「どうしました?」
「船の動きが変わった。港に入ったようです」
「どうしてそんなことが解るんですか」
「なぜそんなことも、わからないのです?」
暫くすると船が停止しエンジン音も止んだ。




