ガラじゃないんだよなぁ、こう言うの
ティルトローター機は呉港に着陸した。この機は大きすぎて、電子巡洋艦に着艦できない。だからここで普通のヘリコプターに乗り換えるのだ。オタクのうんちくは必ずしも正しくないことを知った。
呉港に降りてビックリ、軍艦だらけ。こんな光景、映画でしかみたことがない。溝口が「あれが長門。あっちが生駒! 特潜はさすがにいないか!」と大騒ぎしている。けど俺も、とあるものを見つけて驚いた。港の一番端っこ、手前にある幾つかの艦橋越しに、一際巨大な黒い影がそびえ立っていたのだ。
「溝口、あれは何だ?」
「あれは……大和型戦艦の一番艦、大和じゃないか」
「やまと?!」
「今は記念艦として展示されているけど、九十年代までバリバリの現役だったんだ。主砲の威力は今だって世界一。ドイツ帝国のビスマルクなんて敵じゃない」
まさかこんなものが見られるだなんて!
サヨリさんの裸の次に嬉しいかも。
乗り換えのヘリコプターが用意されたが出発できずにいた。祭主様がティルトローター機に酔ったのだ。
「気持ちが悪い。今日はもう壇ノ浦は無理じゃ。ラムネが飲みたい、アイスクリンが食べたい」
伊勢・御諸山の間は僅かだが、御諸山・呉間は一時間半の飛行である。さすがに堪えたらしい。ラムネとアイスクリームが用意されたが回復する様子はない。ブナタロウのモフモフも効かない。いずれにしてもじき日が暮れるので、今日はここで泊まることになった。
宿泊は大和ホテル。大和という名前のホテルに泊まるのではない。戦艦大和そのものに泊まるのだ。大和は進水以降2回の大改修を重ね、長きに渡り皇国海軍旗艦を勤め退役した。これを進水当時の姿に戻し記念館として一般公開しているのだが、同時に士官室をホテルとして宿泊できるようにしているのだ。祭主様はかつての艦長室に運び込まれ、この日は二度と姿を見せなかった。
大和艦内を走り回りはしゃぐ溝口。恥ずかしいからやめてよとたしなめる茉菜。でも俺でさえ艦橋の最上階に登ったときにはテンションがあがった。とても船とは思えない高さで、呉港全体が見渡せる。巨大な砲頭と広い甲板が遙か下に小っちゃく見えた。でも大人が5、6人も立つと一杯になってしまうほど狭いのには驚いた。例の宇宙戦艦とは大違い。
夕飯はざく切り野菜がゴロゴロ入った海軍カレー。久々の洋食はとても美味かった。こんどカスミさんにお願いして作って貰おう。
犬係として同行している俺はその職務を果たすため、夕飯のあと憲兵隊犬舎預けられたブナタロウの様子を見に行った。飼い主である茉菜も一緒。溝口は主砲砲頭内を見学中なので久々の二人きりだ。サヨリさんや祭主様には怒られそうな質問をするチャンスである。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「うん」
「今の祭主様って生まれ変わりだろ?」
「厳密にはちょっと違うみたいだけどね」
「サヨリさんは純血の神様」
「純血って言い方、ちょっと不敬かも」
「茉菜はタキツさんの子孫」
「聞いたんだ。でも遠い遠い昔の子孫だよ」
「誰が一番強いんだ?」
「……え?」
「単純に考えると純血が一番強いはずだけど、聞く限り、サヨリさんにはもう神剣が使えないらしい。祭主様も雷一発落としたら気絶した。茉菜はどうなんだ? 神剣を使えるのか?」
「わからない。でもこれだけは言える。天之尾羽張は無理。あれは正直気持ち悪い。触りたくもない」
「じゃ、誰が戦うんだ?」
「誰も戦わないわよ。タキリヒメ様の話、聞いてなかったの? わたしたちは話し合いに行くの」
こちらには天羽々斬に対抗できる神剣があり、神器を扱うことが出来る者が三人もいる。これを材料に相手を話し合いの場に引きずり出すのだ。しかし実際には神器を使える者はいない。つまりこの作戦はハッタリ……。
「話し合いが決裂したときは?」
「……その時は軍の人に任せるしか……無いと思う」
茉菜もそれはわかっているのだ。単に感情に流され、思いつきで行動しているわけじゃない。さすがは主人公。
それとは別に確かめたいことがもうひとつ。
「今でもまだビリッと来るのかな?」
「なにが?」
「触るとビリッて来るのかな? 試してみない?」
「イヤ。絶対にイヤ。無理矢理したらカスミさんに言いつける。エッチなことされたって言いつける」
「わかったよ、もう言わない」
俺の弱点をよく把握していらっしゃる。
「犬係くん!」
俺に声をかけたのは、ブナタロウを預かってくれた憲兵さんだった。憲兵って言うのは軍の警察らしい。軍の警察って意味わかんねぇ。
「犬係くん、エゾオオカミとは凄いものだな!」
「はい?」
犬舎に入ってその意味が直ぐにわかった。軍用犬のジャーマンシェパード2頭が、耳を下げ尻尾を丸めて縮み上がっていたのだ。ブナタロウは俺たちを見て嬉しそうに「ばう」と吠えた。ビクリとするジャーマンシェパードたち。茉菜が言った。
「なんか、牢名主みたい」
翌朝。
元気を取り戻した祭主様がヘリコプターに乗り込む。当然のようにブナタロウも一緒。ティルトローター機と比べると格段に狭いが、詰めれば10人乗ることできる。これを見て絶句したのはカスミさんだった。どこの席に座っても半径3メートル以内に入るのだ。
「……彰人」
「はい」
「わたしは姫巫女様をお守りしなければならない」
「はい」
「だからあれにも乗る」
「はい」
「……と」
「と?」
「となりに座ってくれ。ケモノとの間に座ってほしい」
見るとカスミさんが赤くなっていた。
電子巡洋艦は関門海峡の東南にあった。海里だかなんだか単位がよくわからないけど、海洋調査船の形が辛うじて確認できるぐらいの距離。これは相手を刺激しないためだという。だがこのまま膠着状態が続くのであれば、当然攻撃という選択が現実味を増す。海洋調査船の向こうには依然黒煙を上げ漂流する駆逐艦。
「高雄だ!」
着艦体勢に入ったヘリの中で、顔を窓にくっつけ騒いでいるのは溝口。高雄は大和と比べると長さが三分の二ぐらい、幅も半分ぐらいしかない。武装は艦首に小さな砲頭がひとつ、あとは機関銃みたいなのがいくつか付いているだけ。こんなので戦えるのだろうか。
「わかってないなぁ! 最新鋭の電子巡洋艦だぞ。対艦・対地・対空、ミサイルがいっぱい詰まっているんだ! アウトレンジから戦えば、大和も航空機も敵じゃない!」
このクラスの軍艦が今の海軍の主力なのだという。ハリネズミみたいな武装の大和の方が絶対強そうなのに。ヘリがビックリするほど狭いヘリポートに着艦した。
ヘリから次々に降りてくるメンツを見て、出迎える高雄の乗組員が怪訝な表情を浮かべる。自分で言うのもなんだけど、真っ当な軍人はトマト大尉さんだけで、あとはおんな子どもばかりなのだ。そして極めつけは祭主様とブナタロウ。
祭主様は敬礼する艦長さんへの挨拶もそこそこに、ブナタロウに跨がるとそのまま艦内に入ろうとした。慌てて止める乗組員達に向かって祭主様は言った。
「控えおろう! このお犬様を何と心得るか! 天下の白大神、ククリ様なるぞ! 頭が高ぁーい!」
さすがにだれも「へへーっ」と平伏はしなかったが、艦長さんが艦内への立ち入りを許可した。ブナタロウが艦内で粗相したときに対応するため、俺も艦内に通された。もちろんブナタロウは粗相するような犬じゃない。
ブリーフィングルームでこれまでの経緯が説明される。未だ海洋調査船とのコンタクトは取れず、その目的も不明とのことだった。ひとつ進展したのは軍がタイムリミットを切ったこと。日没までに動きがなければ最後通告を行い、日本海側にいる電子巡洋艦妙高とともに実力行使を開始するという。
水兵さんがひとり入ってきて艦長さんに耳打ちした。その艦長さんが今度はトマト大尉さんに耳打ちする。
「タキリヒメノミコト。海洋調査船から御身と直接話がしたいと連絡が来ています。如何いたしますか」
「わらわに? 名指しなのか?」
「はい」
「ふふん。わらわがここへ来ると踏んでいたようだな。その見透かしたような態度が気に入らんが、ここはひとつ乗ってやろうではないか」
ブリーフィングルームにテレビ電話が用意された。画面がプロジェクターでスクリーンに投影される。画面に写ったのは端正な顔立ちをした青年だった。ちょっと気になるのはその服装。一昔前のホストみたい。端的に言うと「チャラい」。祭主様がパソコンのカメラを覗き込みながら言う。
「もう喋ってよいのか?」
「どうぞ」
「おほん。わらわは道主貴の三女神がひとりタキ……」
『あ、キミがタキリちゃん? カッワイイー! ボク、雅巳。マーくんって呼んでね』
ブリーフィングルームが凍り付いた。
『後ろに見えるのはサヨリさんかな? さすがは道主貴の三女神最後のひとり。聞きしに勝る美形だねぇ! でもそのTシャツは無くない? そうだ、こんどボクが見立ててあげるよ。キミにはイタリアのブランドが似合うと思うよ。アルマーニとか』
パタンと音がしてスクリーンが真っ黒になった。祭主様がパソコンの画面を閉じたのだ。祭主様が振り返り言った。
「なんじゃ、今のは?」
サヨリさんが栄枯盛衰と書かれた自身のTシャツを見て言った。
「これは『無い』のか?」
茉菜がすかさず「有りです」と力強く答えた。
「タキリヒメノミコト。相手の素性を聞き出して頂きたい」
トマト大尉さんに促されパソコンの画面開く祭主様。スクリーンに再びチャラ男が映った。
『あー、映った。なに? 回線切れたの? 大丈夫?』
「マーくんとやら。お主は何者だ」
『何者って聞かれるとちょっと困っちゃうんだよねぇ』
「どう言う意味だ?」
『気付いたらこの世界にいてさ。タキリちゃん、キミってツインテールにしたら似合うと思うよ』
「虚人か」
『家に帰ったらさ、ボクと同じ顔をした男がいるわけよ。で、どっちが本物かってなるじゃん? マジウゼーし、先にいた人にご退場頂いたわけ』
「殺したのか」
『まぁ、細かいところは良いじゃん。なんにせよ、上手く入れ替わりに成功したわけよ』
「天羽々斬を使ったのは……」
『そうそう。凄いよねあれ。ビックリしちゃった。振動増幅器くっつけただけであの威力。昔はこんなのがいっぱいあったって本当?』
「しんどう……なに?」
『いやー。全くの偶然でね。探知機代わりに使おうと思って、固有周波数の増幅を行う機械に繋いだわけよ。そうしたらもうビンビン。星振学がどうの重力波がどうのってウチの頭いいのが言ってたよ。良く分かんないけど』
こいつが巡視艇を沈め、駆逐艦を燃やした張本人なのだ。こんなチャラ男が。
『ボクがいた世界では三柏グループってただの財閥だったのよ。そりゃあ、それなりに政治力はあったよ? 利権の絡む事案に横槍入れるとか。あとは交通違反のもみ消し? ところがさ、ここの「三柏コンツェルン」の蓋を開けてビックリ。政治力どころか、国の汚れ仕事を仕切っているっていうじゃない? 国を守るため、時としてその手を血に染めてきたって』
「……伊武木戸の一族」
『ピンポーン! で、なんでそんな事やってるのかなーって調べたら、ご先祖さまのたった一度の過ちで、影の世界に追いやられたんだって。酷くない? たった一度の過ちで二〇〇〇年だよ』
伊武木戸という名が出たとたん、トマト大尉さんがブリーフィングルームから出て行った。俺はこっそりカスミさんに聞いた。
「伊武木戸一族ってなんですか」
「アマテラスの弟神ツクヨミの末裔です。古くより天子様を影からお支えしてきた一族です」
天子様が誰なのか、俺にも何となくわかった。
『でさ「いい加減、そろそろ表に出ない?」って役員会議でおじさん達に言ったのよ、ボクも一応役員だし。そしたらもう非難囂々叩かれちゃってさ。まさに炎上状態。一時は更迭されたんだけど、やっぱ一族の中には不満に思っていた人もいっぱいたわけ。で、今やボクは伊吹戸一族のニューホープ。ご当主様』
保守派と革新派の内紛を制したのがこのチャラ男だったらしい。
「天子様に取って代わろうというのか。そのようなこと、国と民が認めるわけなかろう」
『天子様に代わろうだなんて恐れ多い! 二千年も続いてきた王朝だよ。これを潰すほどボクは馬鹿じゃないよ。政治の表舞台に出るって言ってるの。それに必要なのが御璽なんじゃん。こうしてタキリちゃんとお話ししているのも、天子様に口添えしてもらい、お墨付きを貰って欲しいからじゃん』
チャラ男が奥を覗き込むように言った。
『ねぇねぇサヨリさん、ボクのお嫁さんになってくれない? そうすれば血統も完璧だよ。ボクと一緒に新しい日本をつくろうよ』
祭主様がまたパソコンの画面を閉じた。
「サヨリ、どうみる?」
「神器の力を機械的に引き出すなど、一朝一夕に出来ることではありません。彼の背後にある革新派は、長年この機会を伺ってきたのでしょう」
「積年とは厄介じゃの」
「それにあの無邪気さ、あの放漫さ。まるでかつての虚人のようです」
「確かに……」
「もし彼があれを……」
再びパソコンを開く祭主様。画面いっぱいにチャラ男の顔。
『なになに? タキリちゃん、なんの相談してたの?』
「天叢雲剣を見つけたのか?」
『うふふふふ。それは教えてあげなーい。サヨリさんがお嫁さんになってくれるなら教えてあげる。あ、タキリちゃんでもいいよ。十年ぐらいなら待つ。おや待てよ。十年後は十五才? むしろその方がいいかも!』
「見つけたのだな天叢雲剣を」
『さぁ、どうでしょう? 誰がボクのお嫁さんになる? そうだ、いっそ二人同時にお嫁さんにしてあげよう。民法変えれば済む話だ』
「即刻、天叢雲剣と天羽々斬をこちらに引き渡せ。さもなければありったけのロケットを打ち込む」
『えー? なーにーそーれー? いきなり脅し? こっちはちゃーんと話し合いをしているのに!』
「船を沈めておいてよく言う! 何人殺した!」
『だって人の船に勝手に乗り込もうとするんだもん。失礼じゃないか。それにボクは交渉の相手を選ぶんだ。虫けら相手に何を話すというんだい? 無駄無駄』
「酷い! 今の許せない!」
叫んだのは茉菜だった。
『ん? 今の声は誰子ちゃん?』
茉菜がタキリさんの後ろに立ち言った。
「宮路茉菜です!」
『ああ。タキツヒメの遠縁の娘か』
「……わたし、あなたみたいな人、大っ嫌い!」
こう言うとき女って凄いと思う。相手は百人殺しても、なんの良心の呵責も感じないサイコパスなのだ。それに面と向かって大っ嫌いって。
『マナちゃーん。神様って言うのはね、元来そう言うものなんだよ。そこにいるサヨリお姉さんに聞いてごらん。そのお姉さんが日露戦争で何をしたかを。ボクなんて可愛いも……』
画面に入り込みチャラ男に耳打ちする女がいた。その顔は忘れもしないニセ安川さん! 耳打ちし終え画面から消える間際、カメラをチラリとみて口元に微かな笑みを浮かべた。俺の横でカスミさんが小さく息を吐くのがわかった。怖くてその表情を確認する勇気はなかった。
チャラ男が満面の笑みで言った。
『皆さーん。良いお知らせです。天叢雲剣の引き上げに成功しました! はい、拍手! パチパチパチ!』
また祭主様がパソコンを閉じた。
「何と言うことだ、本当に天叢雲剣を引き上げるとは!」
そこにトマト大尉さんが戻ってきた。
「伊武木戸雅巳。三柏コンツェルン元会長・伊武木戸雅計の三男。入社一年目から頭角を現し、八年目には三柏海運の代表取締役、三柏コンツェルン執行役員に就任。三柏コンツェルンの未来を担う逸材として期待されていましたが、三年前突如保守派を一掃し、会長の座に着きました。事実上のクーデターです。革新的……というよりも奇想天外な戦略で……」
「もういい」
祭主様がトマト大尉を止める。再びパソコンを開いた。
「伊武木戸雅巳よ」
『マーくんって呼んで!』
「伊武木戸一族が表舞台に出て何をしようというのだ?」
『真面目な話していい?』
「ああ」
『笑わないって約束してくれる?』
「……ああ」
『現在の日本政府にはナチスの傀儡が蔓延りつつある。国家の独立が危ぶまれる危機的状況と言って良い。これを許したのが中途半端な民主主義だ。伊武木戸は真の大政奉還をもって天子様を奉り、日本をドイツ帝国と対峙できる軍事強国にする! ……きゃっ! 言ちゃった! 恥ずかしい! 顔、赤くなってない? ガラじゃないんだよなぁ、こう言うの』
「なちす?」
『えーっと、ここではなんて言うんだっけ? ヴリル? ヴリル協会』
あのチャラ男、ナチスの正体を知っている? まさか俺と同じ世界からやって来たのか? 実際チャラ男のこの話し方は……あまり認めたく無いけど馴染みがある。俺は割って入った。
「伊武木戸さん。俺、宮路彰人っていいます」
『ん? ああ、虚人だよね、乙種の。無能の。聞いているけどなに?』
多少はカチンと来たけれど、日頃カスミさんに蔑まれているので動揺することはなかった。
「伊武木戸さんは、これがなんだかわかります?」
俺はポケットからスマホを取り出し見せた。
『あ、スマホじゃーん! なに? この世界にスマホ持ってきたの? 機種なに? モノによっては買い取るよ?』
「インスタってわかります?」
『もちろん知ってるよぉ。「いいね」を貰いたくてポルシェ一台廃車にしちゃった。それよりキミ、ワンピース何話まで読んだ? ボクは三年前で止まってるんだよ。続き聞かせてくれたら、お礼に何でも好きなもの買ってあげるよ!』
この人はやっぱり俺と同じ世界からやって来たんだ。けどどうしてこのチャラ男には神器が使えて俺には使えないのだ? チャラ男が伊武木戸の血統なのはわかる。けど俺だってタキツさんの遠縁のはずなのに。
『教えてあげようか彰人くん』
「え?」
『能力の有無に大した意味はない。行動を起こすか起こさないかだ。せっかくスマホっていう、この世界における超科学を持っていながら、ただポケットにしまっておくだけなんて。ボクには全く考えられないね。たとえ異能を持っていたとしても、キミは何も成し遂げることはできないよ』
「人殺しより何倍もマシです!」
目に涙を浮かべながら抗議したのは茉菜だった。
『でも茉菜ちゃん知ってる? 茉菜ちゃんの後ろにいるサヨリお姉さんって、ボク以上のサイコパスなんだよ。日露戦争のとき逃げ遅れたロシア兵を……』
「伊武木戸雅巳!」
『だからマーくんって呼んでよ、タキリちゃん』
「最後通告だ。即刻、天叢雲剣と天羽々斬をこちらに引き渡せ」
『じゃ、ボクからも。一緒に神々の時代を取り戻そうよ、タキリちゃん』
祭主様がパソコンをパタンと閉じた。
「天之尾羽張も天叢雲剣の前には無力だ。いま沈めなければ取り返しのつかないことになる。茉菜、構わないな?」
「……はい」
「艦長。あとは委ねる」
「お任せください。ヘリを準備いたしますので、祭主様ご一同は直ちに離艦を」
艦長は敬礼するとブリーフィングルームを出て行った。
「犬係」
祭主様が俺を見て言った。
「なちす、とはなんだ?」
「……それは」
俺が知る知識なんて僅かだ。学校の歴史では第二次世界大戦なんてやらないから、映画やドラマで見聞きしたものが全てでしかない。それでも俺は話した。知っている限りのことを。
「六百万人を虐殺したって? 六百万? 六十万人の間違いだろう? いや六十万でも多いか、多すぎる……」
そう言ったのは溝口。まぁ普通そうなるよねぇ。こればかりは俺の世界の方がファンタジーっぽい。六百万人って魔神とか魔獣とか、ゲームの中のキャラが行うレベルの虐殺数だ。とても人間の仕業じゃない。逆に人間の仕業であることが恐ろしい。
「人類史上最悪の虐殺、ホロコーストって言います。六百万というのは控えめな数字らしいです。いろんな説があって、もっと多いって人もいます」
「六百万人が控えめ? 彰人くん、キミは意味がわかって言っているのか? 小国の人口に匹敵する数だぞ」
「いや」
記憶の奥底を掘り起こすようにトマト大尉さんが言った。
「第二次欧州大戦のさなか、アメリカのユダヤ人団体が『欧州の同胞が虐殺されている』と議会に訴えたことがある。一時アメリカ参戦の気運が高まったが、何故か運動は突如終息。その後誰もこのことを口にしなくなった……そんな記録を読んだことがある。第二次欧州大戦の七不思議のひとつだ」
全員を乗せたヘリが高雄から離陸した。
ヘリが充分に離れたところで、高雄の前部甲板から飛翔体がひとつ飛び出した。飛翔体は白煙を引きながら真っ直ぐ上がってゆく。ヘリの高度を越えたところで向きを変え、海洋調査船を目指し真っ直ぐ飛んだ。
人が死ぬのは気分が悪い。でもこれ以上放置するともっと多くの人が死ぬ。伊武木戸って人の話を聞いてそう確信した。この世界のルールの中で決着を付けて貰うしかない。そう自分に言い聞かせた。
命中まであと数秒。これで全てお終い。神剣も海の藻屑……と思ったとき、ミサイルが再び向きを変えた。そしてそのまま関門海峡大橋の橋桁に当たり爆発した。
「えー!?」と叫ぶ俺と溝口。
ミサイルって外れるものなのか?
崩壊した構造物が水柱をあげ海に落ちるのが見えた。
「外した? なにをやっている?」
トマト大尉さんにわからないことが俺たちにわかるはずもない。
高雄の艦尾海面が白濁した。急発進したのだ。緩やかな弧状の航跡を描きながら、海洋調査船のもとへ滑るように肉薄する。主砲から白煙が上がった。海洋調査船側面に見事命中! だが爆発する様子はない。不発? そして高雄が突如停船した。いまさら拿捕するつもりなのだろうか。それにしては様子がおかしい。距離が離れすぎている。
「あれは停船したのではない。潮に流されている。機関が止まり漂流しているようだ」
高雄の艦橋から煙が上がり始めた。何かが燃えている?
「あれはいったい……」
その時ヘリのエンジンが「キュイイーッ」とイヤな音を立て、急に静かになった。身体がフワッと浮く。
ああ、この感覚、まえに一度経験している。天鳥船の急降下だ。
コクピットから声が聞こえた。
「エンジン停止! 電源喪失! オートローテーションで不時着する!」
エンジン停止? 不時着? いま不時着って言った?
下は海だぞ。死ぬのか?
いやいやいや! 俺はともかくも、ここにはこの物語の主人公・茉菜が乗っている。神様も乗っている。だから死ぬなんて事あるはずがない!
降下速度はジェットコースター並だった。このままではとても無事に済みそうにない。俺は思わずとなりにいた人の手を掴んだ。その手が握り返してくれた。カスミさんだった。あの時、あのまま勢いでチューしておけば良かった。たとえ殺されたとしても。
海面が間近になったところで急に降下速度が落ちた。それでもかなりの衝撃で海面に叩きつけられた。ケツを馬に蹴られたような衝撃! そして身体が振り回されシートベルトが腹に食い込む! 痛てぇ。どこがどう痛いのかわからないほど痛てぇ。
「海に飛び込んで! ヘリは直ぐに沈みます!」
パイロットの声だ。沈む? そりゃ大変。早くでなきゃ。あれ? 腰が上がらない。どうしたんだろう。
「タダ飯食らい! シートベルトを外せ! 溺れ死ぬぞ!」
時々命令形になるカスミさんの声で意識がシャキッとした。軽い脳震盪を起こしていたらしい。シートベルトを外し機外に出る。すぐそこは海。テイルローターが折れてなくなっていた。ヘリ本体はまだ海面に浮いているが時間の問題だ。
俺はカスミさんやパイロットと一緒に、中にいた人達を手当たり次第引っ張り出し海に放り込んだ。全員救命胴衣を着けているから溺れる心配はない。真横で大きな破裂音。なにか爆発したのかと思いギクリとしたが、救命ボートふたつが広がった音だった。全員が脱出したところでヘリが海面から姿を消した。
ふたつの救命ボートにつかまり、各々助け合いながら這い上がる。サヨリさんを引き上げるとき、さきに神剣の入った袋を渡された。祭主様には重すぎたので、サヨリさんが代わりに持ち出したのだ。サヨリさんを引き上げたあと神剣を返そうとしたら「代わりに持っていてくれ」と言われた。
「俺みたいな凡人が持っていていいんですか?」
「それはあまりにも禍々(まがまが)しい。わしには長く持つのは酷だ。姉上はとなりの船に乗っているようだし。彰人が持っていてくれ。むしろ凡人の方が安全だろう」
凡人であることがこの世界に来て初めて役立った。確かに手にしていても何も感じない。俺にとってはただの荷物だ。なんて皮肉な……と思ったとき、カスミさんが悲鳴を上げ俺にしがみついた。ずぶ濡れのブナタロウが俺たちの乗る救命ボートに飛び込んだのだ。そして思いっきり身体の水を払った。
パイロットふたりがそれぞれのボートに分乗し、乗員の安否を確認する。俺の乗ったボートにはサヨリさん、カスミさん、溝口、ブナタロウの計6名(?)。いずれも怪我は無い。となりのボートも無事のようだ。カスミさんが乗り合わせの再考を強く提案したが、パイロットさんに却下された。ここは潮の流れが速い。今回たまたま全員が無事ボートに乗り込めたが、再度海に落ちたら流される危険があるという。自走できないボートでは救助が出来ないのだ。
その危惧は直ぐに実証されることになった。ボート同志を繋留していたロープが潮流に翻弄され外れたのだ。たちまち離れてゆくボートの中から「ククリー! ククリー!」と声が聞こえた。祭主様、この小さなボートではたちまち船酔いしてしまうだろうな。可哀想に。
「空対艦ミサイルだ!」
溝口の声に空を見上げると、ふたつの飛翔体が関門大橋に向かって飛んでゆくのが見えた。姿は見えないが攻撃機から発射されたものだろう。こんどこそ命中と思ったが、ふたつのミサイルは突如目標を見失ったように迷走した。ひとつは海に落ち、ひとつは山の斜面に落ちて爆炎が上がった。いったい何が起きているんだ?
上空をジェット機が通り過ぎる音が聞こえた。遠くでドン、ドンと何かが破裂する音。だが間もなく静かになった。
祭主様たちの乗るボートを見失った。高雄も関門海峡大橋も見えなくなった。陸と島影は所々に見えるけど、どれが本州でどれが四国、九州なのかわからない。とにかく今は疲れた。ヘリからの脱出に体力を使い果たした。少し休みたい。
休みたいけど困ったことがひとつ。さっきから俺の腕に押し付けられている柔らかなもの。海水で冷え切っているけど、サヨリさんのとはその大きさが比較にならないけど、間違いなく女性の象徴である部分。カスミさんが俺の腕にしがみついたまま硬直してしまったのだ。1メートル弱の距離はカスミさんの精神的限界を越えてしまったらしい。
こう言うとき、男ってどうすれば良いのだろう。
「怖がらなくてもいいんだよ、カスミ」と頭をナデナデする。
……。
殺される。あとで間違いなく殺される。
ブナタロウの背中を撫でていたサヨリさんが海原を見つめ言った。
「潮の香りが懐かしい」
さすが神様は肝が据わっている。ヘリの墜落にもまるで動じている様子がない。てか船を楽しんでいる。
「昔はよく小舟で対馬まで出かけた。これよりは大きな船だったが良く揺れた。姉上は天鳥船を好んだが、わしとタキツは船が好きだった」
「昔ってどのぐらい昔の話ですか」
「夢と現が区別つかなくなるぐらいの昔」




