5章 戦儀の幕開け
この回はちょっとびっくりする展開かもです、ネタバレ気をつけてネ!
薄暗い部屋に、ぽつんと置いてあるテレビ。
そこには、ニュースの映像が。
『――さんが、行方不明となっており、被害者の性別や年代に共通点が見られることから、先日に起きたた事件との関連性も調べており――』
「ケヒ……ケヒヒ、まーたニュースになってら。有名人は辛いねえ……」
□ □ □
「ここ最近の事件については知っているね?」
屋上には、アキラ、レンヤ、トウガの三人が。
「ええ」「あれがどうしたんすか?」
十代の女性ばかりが失踪している事件。犯人は依然見つかっていないが、失踪した被害者がしばらく経って遺体となって発見される、ということが繰り返されていた。
「あの事件……少し気になって、起きている場所を調べてみたんだが、これを見てくれ」
アキラがスマホで画像を見せてくる。
表示されていたのは、この街周辺の地図。事件が起きた場所と日付が記されている。
それだけのデータを示され、レンヤは気づく。
この街から離れ他場所で起きていた事件が、日を追うごとに、この街へ近づいてきている。
「これって……犯人が、ここを目指しているってことすか?」
「ああ……私は、犯人が蛇堂カイザなのではないかと思っている」
蛇堂カイザ。姿を見せていない、最後の《戦儀》出場者。前回の《戦儀》に出場し、最も多く神装者を殺した男。
「……そんな偶然、あるんすか?」
「このタイミングでなんの関係もない連続殺人が起きるなんて偶然はどうだい?」
「蛇堂が一般人を殺した、という事件は以前にも起きています……それに、狙う対象が若い女性というのも、機関が掴んでいるヤツの情報と一致します」
「決まりと考えていいだろう……まあ、今更な話ではあるけれどね。ヤツが危険なことくらいわかっていたが……なりふり構わないクズだということも、肝に銘じなくてはならないね」
空気が沈む。
最初からわかっていた。
これから戦いが始まることも、その相手が恐ろしい男だということも。
それでも、改めて敵の異常さを目の当たりにすると、背筋に氷を差し込まれたような怖気がする。
魔術師は、その存在を世間から秘匿するのが基本だ。
トウガが所属する《機関》も、そのために尽力している。
それを嘲笑うような蛇堂の行為。いかにヤツが異端で、なおかつこれまで捕まらずに好き勝手に邪悪を尽くしてきたかを、思い知らされる。
「……許せねえな」
自分達は、誰かを守る存在だ。
魔術は、人を殺すための道具ではない。
神装者は、レンヤにとってヒーローでなければならない存在だ。
それなのに、それをこんなことに利用するなど。
「オレは……お前を許さねえぞ――蛇堂カイザ」
まだ見ぬ敵の名を呟き、静かに闘志を燃やすレンヤ。
――戦いの幕が上がる時は、すぐそこまで迫っていた。
□ □ □
七月七日。七夕の夜。
人々が星に願いを託す中、魔術師達の願いを叶えるための殺し合いが幕を開ける。
開戦の合図は、《神樹》が放つ光だった。
街のどこにいても見える神樹が、淡い輝きを放っている。
《戦儀》で勝者の願いを叶えるのは、神樹の魔力だ。魔術師同士が戦う際、莫大な魔力が放出される。それを神樹が吸収し、溜め込み、願いを叶えるという大魔術を行う力にする。
神樹自体に魔力の波があり、それが高まった瞬間が、開戦に相応しいとされている。
「いよいよだな……」
レンヤは呟く。
現在、レンヤ達は屋上に集まっていた。
トウガを覗いたいつものメンバーだ。トウガは、独自に蛇堂カイザを警戒すると告げ、どこかへ消えてしまっていた。
集まっていなければ危険だ、というレンヤの言葉も、トウガには通じない。この中でも圧倒的な力を持つ彼に一人だから危険だと言っても、聞いてはくれなかった。
カイザは現れるのか。
現れるとすれば、どこから? どのように?
場に緊張が満ちた時だった。
「――皆さんお揃いのようですね」
声。
レンヤでも、ヒマリでも、ソウジでも、シンラでも、アキラでもない。
この場にいないトウガのものでもない。
女性の声だった。
「初めまして、ワタシは識別名《ユグドラシル》……この《黄昏の戦儀》の進行をスムーズに行うための……そうですね、今風に言えばAIでしょうか? 魔術師がAIというのもおかしな話ですが、この人格は進行役のために作られたものです。……皆様、短い間ですが、よろしくお願いいたします」
いきなり、本当にいきなり――屋上の柵の上に、女性が降り立った。
地面についてもなお広がるほどに長い黒髪、真っ赤な着物、顔は狐面で隠されている。
かつん、と下駄を鳴らして柵からこちら側へ飛び降り着地。
「な、なんだ……?」
「あァ? なんなんだテメエ」
「ですから、《ユグドラシル》と申します。可愛らしく、ゆぐちゃんでもいいですよ?」
表情が読めない上に、声のトーンが一定で、テンションが低いわりに口にしている内容はひょうきん……という、独特の雰囲気を纏っていた。
「ゆぐちゃんとやら」
「はいはい、なんでしょうかアキラ様」
アキラが手を挙げて、ユグドラシルに話しかける。唐突な異常事態にも平然と対応している辺りさすがった。
「キミは……これまでの《戦儀》における、六家から選出される進行役の代わり、ということでいいのかな?」
「ええ、そういう認識で構いません。飲み込みが早くて助かります。……シンラ様、今回の《戦儀》が、ほんの少しだけ仕様を変更して行われることは聞いていますよね?」
「……聞いてるわ。ほんの少しっていうわりには、すごくびっくりしたけど」
《戦儀》の運営、その大部分は六家序列1位の《神樹》が行う。故に神樹家の者であるシンラは、今回の《戦儀》が今までと少し違う、ということだけは聞いていた。
だが具体的なことは伏せられていた。これは一体、どういうことなのだろうか。
「はい、質問」
「なんでしょう、レンヤ様」
「ゆぐちゃんは彼氏いますか?」
「おりません。ゆぐちゃんは、この《戦儀》のために生み出された存在、この人格も仮初のもの。男女交際など用途に含まれていません」
「ゆぐちゃんのバストは!」
「正確なバストサイズは機密事項に設定されているのでお教えできません。シンラ様ほどぺったんこではなく、ヒマリ様やアキラ様のような特盛りではないですね。細身の中学生程度の体型と身長に、薄っすら膨らみかけの魅惑のJC仕様とだけ」
「ありがとうございます」
ぺこり、と綺麗なお辞儀を見せるレンヤ。
「いえいえ、今夜生き残れた際には、是非ワタシを想って致してくれれば幸いです」
ユグドラシルも真似るようにお辞儀。
「私と若干キャラが被ってるのが気に入らないね」
「先輩もだが、テメエも大概だな……」
相変わらずな友人をジト目で睨むソウジ。
「レンにいのえっち……女好き……変態……」
「いや、違う……場を和ませるためのジョーク的な……」
ヒマリに脇腹をつつかれ、アキラに足を踏まれるレンヤ。
「肝心の今回からの仕様変更なのですが、現時点で詳細をお伝えすることはできません。
なぜお伝えできないか、ということに関して共々、《戦儀》が進んだ際には明かされるのでご安心を」
淡々と語りながら、優雅に一礼。
そして、
「それでは皆様、健闘を祈っております。どうか悔いのない《戦儀》を」
風に攫われる砂塵のように、淡い光の粒子となってユグドラシルの体が消失する。
「なんだったんだ……?」
「まあ、なんにせよ、詳細はまだわからないということだろう――そして、確実に何かあるということだ」
左手の甲に右肘を乗せ、右手で顎を擦りつつ、静かにアキラは言った。
「でも《戦儀》が進んだらって……どういうことすかね。脱落者が増えたら、とかってことなら、そんなもの出るわけが……」
今回は――蛇堂カイザを除き、積極的に殺し合う者がいないという、《戦儀》としてはイレギュラーな回だろう。
だからユグドラシル――というより、彼女を作り出した六家の者達が何を仕掛けようが、それは徒労に終わるはずだが……、
「なんにせよ、現状では情報がなさすぎる……警戒したほうがいい、という漠然としないことしか言えないな」
「……まあ、なんにせよ蛇堂さえ倒せればそれで終わりですよね。そうなれば、《戦儀》が進んで明かされる仕掛けなんて全部無駄になるんすから」
「ああ、そうであってくれるといいが……」
アキラの表情から不安の色が消えることはなかった。まだなにか、思い当たることがあるのかもしれない。
「そうに決まってるじゃないっすか。だって、オレらが負けるわけがない。前に約束しましたよね、誰も欠けることなく《戦儀》を終えて、またここにって。だから大丈夫――、」
刹那。
「さーて、ガキが理想を語る時間は終わりだ……ク、ヒ、ヒヒヒ、クッハハハハハハ!
始めようか! こっから先は、楽しい楽しい、大人の殺し合いの時間だ!」
響いた声は、レンヤ達の背後――上方。
給水塔の上に、何者かが立っている。
紫色の長髪に、凶悪な目つきに、鋭い牙のような歯をむき出した笑み。
蛇堂カイザという悪意が、動き出した。
振り向いた時にはもう遅い。
もう、それは始まっていた。
「ショータイムだ! いい悲鳴聞かせろよッ!」
両手を広げ、虚空へ叫ぶ男。
次の瞬間――
上空に、いくつも魔法陣が。そこから何かが出現する。
漆黒の翼、鱗で覆われた体、牙の隙間からは、しゅうしゅうと音を立てて、触れたものを溶かし消し去る涎が滴っている。
ぎょろり、と細長い瞳孔の瞳が、辺りのものを見据え、標的を定めていく。
――竜。いくつものドラゴンが、突然虚空より召喚された。
「なッ……なんだよ……あれッ!?」
驚愕するレンヤ。
「なんで……なんで、《樹魔》が、こんなところにいるの!? 結界の外に! なんでよ!?」
激しく取り乱すシンラ。
日々、《樹魔》を結界の外から出さないように戦っているというのに、その努力の全てを嘲笑うかのよう
な理不尽。
「あれが何かはわからないが、ロクなものじゃないだろう……そして恐らく、あいつが蛇堂カイザだッ! レンヤくん、ソウジくん、シンラちゃん! キミ達は現れた竜を頼む! 一匹も逃がすなッ! 一匹でも逃がせば、一般人から死者が出るッ!」
「先輩はどうするんですか!?」
「私は、蛇堂カイザを止めるッ!」
叫んだ直後、アキラはもう駆け出していた。
唐突なカイザの出現、結界の外に《樹魔》を呼び出すという、これまでの前提をひっくり返す悪夢のような一手。
完全に、初手で全てのペースを持っていかれた。
レンヤ、ソウジ、シンラが驚きで身動きが取れなくなった一瞬。
その一瞬で、アキラは全ての思考を終えて、今すべきことを弾き出していた。
驚愕や恐怖による硬直、思考の遅延――それら一切なく、なすべきことを。
本当に頼りになる――とアキラの背中を見て思う。
「先輩、竜を片付けたらすぐに戻ります、それまで絶対に無理しないでくださいッ!」
竜を召喚し、戦闘をそれに任せるという相手ならば、わざわざ姿を現さないだろう。
この場に姿を現すということは、カイザは全員を相手取って勝つ自信があるということだ。
そんな相手を、アキラ一人に任せるわけにはいかない。
「委員長、やれッ!」
「了解っ……って、もうっ、あたしに指示するなんて……でも、今は仕方ないか……っ! いくよ、《隔離結界術式・ヴァルハラ》、起動!」
シンラの作動させた術式は、魔術師や《樹魔》、魔力を持った存在だけを、別の空間へ飛ばすもの。そこは元の世界と酷似しているが、人間だけは存在しない。
そして、そこにある物をいくら破壊しようが、結界を解けば元の世界には影響がない。
一般人を戦いに巻き込まないために作られた術式だが、破壊することに専念されればあっという間に壊れてしまう。
その前に敵と戦い、倒す――そうすることでしか、もう一般人を巻き込まない道は残されているだろう。
あの竜が解き放たれれば、死者が出る――どころか、この街は滅ぶ。
一目でそうわかるほどに、強大で、凶悪だった。
「レンヤくん! これはもう完全に緊急事態よ、あたし達の手に終える事態じゃない! だから他の魔術師を呼んで! あたしも戦いながら、どうにか隙を見つけてそうするから! まずはこの近くにいる御巫さんを!」
シンラの言葉通り、これはもはや《戦儀》の枠を大きく越えた街の危機だった、
ここから一番近くに住む魔術師はシイカだ。彼女に増援を頼めば、それだけ事態を切り抜けられる可能性は上がる。
敵は大量の竜。今は少しでも戦力が欲しかった。
「ソウジ、委員長! 今シイカさんを呼んでくる! それまで持ちこたえてくれ!」
「おうッ……だがまあ、その前に俺が全部ぶっ飛ばしてやらァッ!」
吼えたソウジが、彼に襲いかかった竜を殴り飛ばす。
二人に背を向け、駆け出すヒマリの手を取り駆け出すレンヤ。
ソウジとシンラは、横目でそれを見送ると、再び竜へと視線を戻す。
「《神話再演》――《因子/ヴィーザル》」
シンラの因子はヴィーザル。
ヴィーザルは主神オーディンの息子で、トールと対等な力を持つとされる。
「誰も傷つけさせない……それがあたしの、神樹家の神装者である、神樹シンラの使命ッ!」
手を振り上げるシンラ。その動きに呼応し、周囲から大量の木のが、蛇のように伸びて、竜を絡め取っていく。
ヴィーザル――その名の意味は、《森》を意味している。
レンヤが『火』、ソウジが『雷』を司るように、シンラは『木』を操る力を持っている。
「《神装顕現》――《万砕の鉄靴》」
シンラの足が、膝まである金属のブーツに覆われる。
ヴィーザルの武器は、この鉄靴だ。
床から伸びて、空中の竜を何体も繋ぎ止めている木を、シンラが駆け上がっていく。
飛び上がり、竜の頭へ踵を振り下ろす。一撃で頭蓋を砕く踵落としが炸裂し、まずは一匹を絶命させた。
竜の死骸の上に着地、次の瞬間にはくるりと空中で弧を描いてその身を回転させ、背後に伸ばしていて木の枝に自らの足を絡ませる。
枝を操作し、自身の体を投げ飛ばす。
鉄靴に包まれた右足を伸ばし、シンラは空中を疾駆する槍と化した。
一条の銀光が、竜を貫く。
毒々しい紫色の体液を撒き散らしながら、竜が落ちていく。
再び出現させた木へ、体が地面と水平になりながら着地。そこから跳んで、また別の竜を蹴り砕く。
一度も屋上の床へ戻らないまま、空中を縦横無尽に動き回り、次々と竜を蹴り殺していく。
その小さな体に見合わず、戦う姿は激しく、凄惨であった。
彼女が『委員長』に拘るのも、レンヤやソウジに口うるさく『ルール』を守るように繰り返すのも、根底にあるのは《神樹》としての使命感だ。
《神樹家》はこの街を守るための家。
街を守る。それがシンラの絶対の正義。
そのためなら、相手に容赦などしない。
神樹シンラ――彼女は、その小さな体に、苛烈な正義を宿していた。
□ □ □
ヒマリを武装化させ、両剣を握り、レンヤは駆ける。
学園を飛び出し、シイカのもとへ走る道の途中――目的地の方向から、爆炎が上がった。
シイカが使うのは火の魔術。
彼女が戦っている。
急がねば、と身体強化に使う魔力をさらに増やし、さらに速度を増して駆けるも……、
レンヤは、
その光景を見た。
倒れているシイカを見下ろし、踏みつけ、呻き声に聞き入りながら、まるで心地よい音楽であるかのように恍惚とした表情をしている男――蛇堂カイザ。
「クヒヒッ……遅かったなあ、ヒーロー。いくらヒーローは遅れてくるっていっても、守りたいモンがぐちゃぐちゃになったあとじゃあ、遅すぎるんじゃねえのか?」
刹那、
思考が消し飛ぶ。
『お母さん……!? う、そ……うそ、うそうそうそ……なんで、そんな……っ!』
霊体のヒマリが震えた声で叫ぶ。
しかしそれはレンヤの耳に届かない。
思考が消し飛び、残ったのは、怒りのみ。
「――――なにしてやがんだ、テメェッッッ!」
足元を爆発させ、激烈な加速で一気に肉薄し、両剣を振り下ろす。
「おーおー、元気だねえ」
カイザが手を前方へかざすと、そこから大量の蛇が伸びる。紫色の蛇が、幾重にも連なり大木のような太さになっていた。
爆破による加速の後では、方向転換は不可能。剣に火炎を纏わせ、振り下ろす。何匹か蛇を焼き殺すも、勢いを殺され、剣に蛇が絡みついて動きを封じられる。
「そんな大切な人間が目の前で殺されそうになってるのを見たような大声出してどうしたよ?」
「もう喋るなテメェッ!」
剣から火を放ち、巻きついた蛇を焼き切る。
そのままカイザの体を縦に引き裂かんと、剣を押し進めるが、
「あっちいなあ、鬱陶しい力だな!」
カイザは、剣を素手で握り止めていた。彼の手が高温で焼かれ、焦げ落ちるそばから新たに肉が盛り上がって再生していく。
「よーく見てみろよ、赫世の。お前、火使うってことは赫世だろ? なあ赫世、俺は無敵なんだ、お前が焼こうが斬ろうが、俺は死なない。さあ、どうする?」
「ぐ、ぅ……っ!」
掴まれた剣が動かない。凄まじい膂力だ。
「そのまま捕まえておいてください」
冷ややかな声がしたかと思えば、銃声。
肉が、弾けた。
口元を残し、カイザの顔は消し飛ぶ。眼球が、脳漿が、鮮血が飛び散り、アスファルトにこびりついた。
死んだ。
頭を吹き飛ばされて、生きているはずがない。
これで終わった……とレンヤが思った直後。
口元から上が吹き飛んだカイザの顔、その無惨な断面が泡立ったとかと思えば、先刻のように肉が盛り上がっていき、超速で再生していく。
「痛いじゃねえか、普通なら死んでるぜ?」
あっという間に元の形を取り戻すと首をを捻りながら、なんでもないように喋りだすカイザ。
「……頭を吹き飛ばした程度じゃ、死にませんか……」
現れたのは、トウガだった。
「すいません……レンヤさん。僕の対応が遅れたばかりに、御巫さんが……」
倒れたシイカを見て、歯噛みするトウガ。
「いいや、まだ助かるよ」
天から、光の剣が降り注いだ。
白い光で作られた剣は、カイザの腕を切り飛ばし、彼の肉体を串刺しにしていく。
腕が切られたことで、レンヤは拘束から解かれ、後方へ飛ぶ。
現れたのは、アキラだった。
「先輩……! トウガ……!」
アキラはカイザを蹴り飛ばして、シイカの体を抱きかかえる。
「私も謝らなくてはいけない。カイザを相手にしていたのは私だったのだから……。だが、シイカさんはまだ生きている」
意識を失っているシイカを、離れた場所に横たわらせ、再びこちらへ戻ってくるアキラ。
「――レンヤさん、ソウジさん達の方が危険です」
「ああ、悪いがそっちに戻ってやってくれ。それでいいだろう、トウガくん?」
「ええ、構いません……ですから、ここは僕達が」
「でも、それじゃあ先輩とトウガが……っ!」
「全員で戻るんだろうッ!? 目先のことに囚われるなッ! キミはそのことだけ考えろ!」
カイザの力は驚異的だ。
ここでこの場を離れるというのは、アキラとトウガを見捨てることのように感じてしまうのは当然だろう。
それでも……。
「……っ、わかった……ここは頼む。先輩、シイカさんをお願いします……っ! トウガ、ヤツには……カイザには勝てるのか?」
「ああ、任された」「ええ、任せてください、必ず勝ちます」
それでも、二人を信じるのなら。
二人が任せろと言ったのなら。
自分は行くべきだと思った。
誰も欠けないで、あの日常に帰るために。
□ □ □
『レンにい……お母さん……大丈夫、だよね……?』
アキラ達から離れ、再び学園へ向かう途中、霊体のヒマリが不安そうな声をもらした。
「……大丈夫だ。トウガはオレなんかより強いし、先輩が判断を間違えるわけがない」
危機に陥った母から娘を引き離す。そこに葛藤がないはずがなかった。
ままならない。
全てを救うという願いは、つまり――全てのものを危険に晒すということだ。初めからシイカを助ける、と優先順位をつければ、シイカだけは確実に助けられたかもしれない。でも、それではソウジとシンラが助かる可能性はなくなる。
突きつけられる、残酷な選択だ、過酷な試練が。
悪辣な天秤が揺れる。
必死に走り抜いて、やっと学園に到着した。
校庭には、竜の死骸が無数に広がっている。千切れた羽や尻尾、生首が。
転がる生首から発せられる憎悪に満ちた視線がレンヤを射抜く。彼はそれを意に介さず進む。
脚に魔力を集中、校舎の壁に向かって踏み出し、一歩一歩を壁に突き刺し、強引に垂直な道を駆け上がっていく。
一気に屋上までに辿り着いたレンヤの視界に飛び込んできたのは――――、
血を流し倒れているシンラと、それを抱きかかえるソウジの姿だった。
「…………ソウジ?」
「…………レンヤか」
ゾッとする程に、冷たい声だった。
いつもの彼は、レンヤの名を呼ぶ時にそんな声は絶対に出さない。彼が宿敵の名を呼ぶ時は、常に戦いへの渇望が滲んだ声色だった。
「……委員長は……?」
「――――死んだよ」
「そ、んな……嘘……だろ……?」
「ああ、だったらよかったな」
ソウジはシンラを抱えたままゆっくりと歩き、屋上の隅へ彼女の亡骸をそっと寝かせる。
彼の瞳から、何かが溢れた。
それを拭うと、振り返り、一歩、また一歩と、レンヤのもとへ近づいてくる。
「ソウジ……、ごめん……オレ……間に合わなかった……ああ、……ああああっ……」
守れなかった。
その事実は、レンヤに重く伸し掛かる。
あの日から――幼い頃、自身を救ってくれた憧憬に出会った日から、ヒーローに憧れた日から、ずっとずっと、この時のために備えていたのに、それなのに。
憧憬に出会った日から今日まで全ての想いが、努力が、なにもかも無駄だったのではないかという絶望感に。
シンラの厳しくも優しい言葉が、あの小さな少女の笑顔が、失われたという事実に。
レンヤの心が、粉々に砕かれていく。
『嘘……嘘……なんで、シンラ先輩……』
顔を覆うヒマリの目からも、涙が溢れていく。
「いいんだよ、レンヤ」
「…………え?」
「いいんだ……悲しむ必要なんかねェよ」
「……お前、なに言って……」
「だってよ――テメエは今から、俺と戦うんだからな。悲しんでる場合じゃねェぞ?」
「……ああ? 本当に、なに言って――、」
そこで気づいた。
《戦儀》で勝ち抜いた者には、願いを叶える権利が与えられる。
願いで人を生き返らせることは可能か? 大切な人の命の前に、手段の確実性など、どうでもいいことだろう。
ただ目の前に可能性がある、それだけでそこへ手を伸ばすには充分だった。
「……本気か?」
「もしもヒマリちゃんが死んだら、同じことを俺に問うか?」
「…………わからない。それでも……それでもオレは、お前と戦うなんて……」
「ハッ、大したヒーローぶりだな、仲間とは戦えねえか?」
「当たり前だろ……! シンラだってそんなこと……」
「あァー……もういい、もういいんだ……わかったぜ」
「なんだよ?」
呆れたように、深くため息をつくソウジ。
瞑目して肩に手を置き、ボキボキを首を鳴らした後――目が見開かれ、闘志に満ちた鋭い眼光が、レンヤに突き刺さる。
……すう、と息を吸って、
ソウジは、
「ごちゃごちゃうるせェんだよ、ヒーローッ! テメエがそこまでごっこ遊び貫きてえってんなら、付き合ってやるよッ! テメエが戦えねえってんなら、理由を作ってやるッ!」
「どういう、意味だ……?」
「ヒマリちゃんを殺す。アキラ先輩でもいいか? まあ、二人とも殺せばいいよなァ?」
「なんで……嘘だろ、ソウジ……お前、本気で……」
「何度も言わせるじゃねェよボケカスが。テメエだって、大切な女がいるんだからわかるだろうが? わからねェとは言わせねェぞ!? 俺はもう選んだ――テメエは、どうすんだよッ! あァ!? 答えろよオイッ!」
ソウジの叫びに、レンヤは……、
「ちくしょう……ッ! ……クソ、なんで……こんな……クソッ、クソッ、クソがァァッ、ちくしょオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」
嗚咽を漏らして、慟哭し、葛藤し、絶望し、苦悩し、理解し――選択した。
ソウジはもう、絶対に止まらない。
願いのために、レンヤを、アキラ、トウガを、大切だった仲間を殺す。
ならばそれは、レンヤが――英雄が討つべき悪だ。
「さあ、始めようぜ宿敵ッ! こんな形になったのは不本意だがなァ、それでも……それでも俺は、ずっとテメエとこうなる時を待ってたんだからよォッ!」
「オレは……ッ、オレは親友と、戦うことなんて望んじゃいねえんだよッ!」
「いい加減しつけェな! もうごちゃごちゃ語り聞かせてもわかんねェみてえだからよォ、一発ぶん殴ってわからせてやるよォッ!
《神装顕現》――《雷鳴の篭手》ッ!」
「そいつはこっちの台詞だソウジッ! こんなこと間違ってるって、ぶん殴ってわからせてやるよッ!
《神装顕現》――《終炎の天秤》ッ!」
親友との戦いを以て、本当の意味で、レンヤの《戦儀》は幕を開けた。
□ □ □
足元を爆破させ、加速――最速最短の突きを狙う。
剣と拳だ。
速度を互角にまで持っていけば、リーチで勝るこちらの攻撃が先に届くと考えての初手。
ソウジはそれを読んでいた。
確かにリーチで勝っている剣の方が、攻撃が届くのは早いだろうが……、それは同時に攻撃した場合の話だ。
レンヤが右手で放った突きを冷静に見極め、ソウジは左手の甲で体の外側へ弾く。
それも、切っ先を狙ってだ。少しでも狙いがズレていれば空を切り、そのまま突き刺されていたであろう綱渡り。
すると、突いた方の逆の剣が、レンヤの体へ向かう。
両剣の致命的な部分で、両端から刃がある以上は、常に敵に向けた方と逆の刃が自身へ当たる危険性があるのだ。
この武器の扱いが未熟ならば、振り回しているだけで、自身を刻むだろう。レンヤはそんな愚は犯さない。
だが――、ソウジによって意図的にその構造上の弱点を狙われれば別だ。
大きく身を引いて、弾かれて回転したことにより使い手を襲った刃を躱す。
仰け反った隙をソウジは見逃さなかった。
「ぶっ飛べェッ!」
左手を外側へ振った勢いそのまま、右の拳を振り抜いた。
人間の肉体が冗談のような勢いで吹き飛んで、ワンバウンドして屋上のフェンスに突き刺さる。
「痛ゥ……ッ、まだまだぁッ!」
即座に立ち上がり、再び斬りかかる。
だが、近距離でのやり取りならばソウジが上だった。
リーチの差を物ともせず、両剣での斬撃を捌いて拳を叩き込んでいく。
今度は顔面を拳が捉え、レンヤの体が宙を舞って、地面に叩きつけられる。
よろめきながらも立ち上がるレンヤ。
「……お前、こんなに強かったか……?」
「ハッ……ずっとテメエは俺の勝負から逃げてたからな。俺ァその間も、ずっと……ずっとテメエに勝つことを考えてたぞ!」
久しぶりの全力での戦い。
それはこれまでの二人の戦いとはかけ離れていた。
レンヤはソウジに勝っているはずだった。遅れを取ったことなどない。ソウジはレンヤの背中を追っているはずだった。
それは、出会った頃から変わらない二人の関係のはずで……。
□ □ □
『――――テメエが赫世レンヤかァッ!」
『…………誰、お前?』
『なんで知らねェんだ!? 俺は「雷轟」だぞ!? 雷轟ソウジ! 俺はいずれ六家で……いや、この世界で最強になる男だッ! 今すぐ覚えろ!』
『はあ……最強ね、頑張れよ』
『覚えろォ! 覚えねェならこの拳で、その気の抜けた脳みそに叩き込んでやらァ!』
『お前、声でけーな……』
『話聞けやァ! ああもうめんどくせェ! 細けェこたァどうでもいい、俺ァ、テメエと勝負しにきたんだ! 赫世レンヤ、俺と勝負しろやァ!』
『やだよ、めんどくせえ』
『問答無用ォオオオオ!』
こうして、二人は出会ってすぐに魔術を使った戦いを繰り広げた。
六家の者は、幼少の頃より魔術を学ぶ。ソウジはそれなりに自分の魔術が扱えるようになり、《樹魔》にも遅れを取らないようになった頃、レンヤの存在を知った。
自分と同年代で、自分より圧倒的に強い魔術師。
それは、絶対に許せないことだった。
戦うことは、楽しかった。
強くなることは、楽しかった。
勝つことは、楽しかった。
だが――負けることは、許せなかった。
そして、自分より強い存在も、当然許せるはずがなかった。
だからソウジは、レンヤに挑んだ。
結果は、レンヤの圧勝。
『ちくしょうッ! なんで、なんでだァ!?』
『さーな……、まあ……オレは別に最強になりたいわけじゃないけど、それでも誰にも負けられないんだ。だって、オレが誰かに負けるってことは、誰かを守れないってことだから』
『はァ……? 誰かを守るだァ……?』
『そうだ。オレさ、ヒーローになりたいんだ。男だったら誰でも憧れるだろ? 誰かを守るヒーローによ』
『いや、全然』
『はぁ!? なわけねーだろ!?』
『ボケかテメエ? 男が憧れるのは最強に決まってんだろうが。別に俺は、誰かを守るために強くなりてーわけじゃねェ。俺が強くなりてェのは、俺のためだ』
『そうかよ。ならオレは、お前にゃ負ける気しねーな』
『あァ!? どういうことだよ!?』
『自分で考えろバーカ』
『あァ!? やんのかテメエ!?』
『やらねえよめんどくせえ!』
それから、レンヤとソウジはいつも一緒だった。ある時は共に《樹魔》を倒し、ある時は共に、大勢の不良を相手に大立ち回りを演じ、二人だ思いつく限りの馬鹿をやって、げらげら笑いながら過ごした。
レンヤは気のいいやつだった。一緒にいて楽しい。だが、自分より強いのだけは許せない。
毎日、毎日、事あるごとに勝負を挑んだ。
レンヤは自分より強いのに、戦いが好きではない。
ソウジは、こんなにも強さを求め、戦いを愛しているのに、そうではないレンヤに勝てないことが、どうしても納得できなかった。
――――だが、今やっとわかった……今さら、わかってしまったのだ。
『危ない、ソウジくん……ッ!』
シンラは、ソウジを守って死んだ。
竜の爪にその身を引き裂かれ、血を流すシンラ。
『なんで……なにやってんだよテメエは!?』
『えへへ……なにしてるのかなあ……あたし……』
『なんで、俺なんかのために……』
『委員長がクラスメイトを守るのは当然でしょ、とか……六家序列一位の《神樹》の役目とかいろいろあるんだけどね……でも、そんなの、きっとどうでもいいんだ……。
あたしね……ずっと、誰かに与えられた「役目」だけをこなして生きてきたんだ……でもね、今は違う……これだけは、違うの……あたしが自分のしたいことをしたの……。
……大好きな男の子を守るっていう、したいことを……』
『そんな……なんで、俺なんか……』
『もお……「なんか」ってゆーな! そんなこと言うと、チビって言われた時よりも怒るんだからね? わかんないよ……でも、体が勝手に動いたの』
『俺だって……お前のこと……』
『こんな時くらい、名前で呼んでよ』
『……好きだよ、俺だってお前が好きだ、シンラ……だから……』
『ありがとう……ソウジくん……あんまりレンヤくんと喧嘩ばっかりしてたら、だめ……なんだからね……』
それが、シンラの最後の言葉だった。
そして、ソウジはシンラのために拳を握る。
あれだけ探し続けた強さが、こんなにも近くにあった。
なにもかも、気づくのが遅すぎた。
それでも――。
□ □ □
「本気でこいよ、レンヤァ! 俺ァ、テメエを殺すぞ!? テメエはどうだ!? 覚悟がねェなら、テメエはこのまま終わりだッ!」
「クソがッ……いい気になんなよ――《クロノ・アクセラレート》ッ!》
両剣を右へ回転させる。両剣を時計の針に見立て、右への回転に『時計の針を進める』という意味を込め、時を加速させる術式。
レンヤに肉体が、加速する。
ソウジも、この戦いが始まってから、自身に雷の魔力を纏わせ、肉体を加速させていた。
剣と拳による、高速のぶつかり合いが始まった。
速く、もっと速く。この打ち合いで、速さで優れば、相手に攻撃を叩き込むことができる。
二人の肉体加速は、どちらも負荷がかかるものだが、その負荷はレンヤの方が遥かに大きかった。
速さは拮抗している。
が、レンヤの口端からは、鮮血が滴り始めていた。
『レンにい……もう、やめよう……死んじゃうよ……、そんなに加速術式を使い続けたら、本当に、死んじゃうよ……そんなの、いやだよ……』
レンヤの肉体の状態を把握できるヒマリは、悲壮な涙声で訴える。
しかしレンヤは。
「ここで負けても死ぬのは同じだ……だがなあ、オレは負けねえし、死なねえし、ヒマリを絶対に守り抜くッ!」
さらに両剣を右へ回転。加速を一段上へ。
「か、はァ……ッ!」
夥しい量の血液を吐き出し、屋上の床を真っ赤に染めていく。
だが――、
肉体への負荷を度外視した加速による一閃。
「……チッ、」
左手が宙を舞っている。
ソウジの左腕――その肘から先が、レンヤの一閃により斬り飛ばされた。
「こんなもんかァッ!」
同時、ソウジも肉体へ凄まじい量の魔力を流し込み、加速。
残った右手による、この戦い始まって以来――どころか、彼の人生最大の冴えを見せる一撃を放つ。
骨が砕ける音が響いた。
ガードしたレンヤの左腕を砕き、彼の体を再び地面へ叩きつける。
左腕を斬り飛ばされたソウジ。
左腕を、打ち砕かれたレンヤ。
互いに残ったのは、片腕だけ。
「……次で決めようや、レンヤ」
「おう、上等だ……ソウジ」
満身創痍の二人。
汗と血に塗れた。視界が揺らぐ、足元がふらつく、今にも意識が途切れそうだ。
残った魔力を、一撃に注ぐ。
限界まで、肉体加速。
勝負は一瞬で決着すると、両者共に確信していた。
二人は、同時に踏み出す。
先に仕掛け始めるのは、リーチで勝るレンヤ。右手での突き、ソウジの拳が届くよりも早く、レンヤの剣がソウジを捉える。
左腕がない以上、突きを防ぐことはできないと踏んだ――が。
ぐちゅり、と瑞々しい肉が裂ける音がした。
肘先が消失した左腕、その断面を突きへ合わせたのだ。剣が肉と骨を引き裂き、僅かに進んで動きを止める。
「ぐっ、ぎッ、ああああああ……ああああああああああああああああああ…………ッッッ!」
痛みに叫び、表情を歪めるも、ソウジは次の瞬間には笑っていた。
「……はあ、……はあ……っ……これで、俺の、勝ちだァッ!」
剣はソウジの左腕に突き刺さり、封じられた。
右拳を振りかぶるソウジ。
このままでは負ける――そう思った刹那、レンヤは剣から手を離し、さらに右腕に爆発を起こして拳を加速させ、最短での拳打を放つ。
後は、速さの勝負だ。
ソウジの拳と、レンヤの拳、どちらが速いか。もしも同等ならば、次は力の勝負に……レンヤは、そこまで勝負がもつれ込むと予測していた。
だが――
「…………なん、で……なんでだよ、ソウジ……」
レンヤの右の拳が、ソウジの胸を貫いていた。
血の生温さが、肉の柔らかさが、右手に伝わってくる。
思わず右手を引き抜くと、ソウジの体が頽れる。
血に濡れた手で、その体を受け止める。
「やっぱり……強ェなあ、テメエは……」
「ふざけんなよ……なんだよ、最後のは……ッ!」
あの瞬間、レンヤとソウジの拳はぶつかり合い、勝負はまだわからないはずだった。
だが、ソウジは拳を放つことはなかった。
わざとレンヤの拳を受けたのだ。
「ハッ……気にすんな、どうせテメエが勝ってただろうよ……そん時、手が使えねェと困るんでな……」
ゆっくりと、震える右手を伸ばして、レンヤの額へ触れるソウジ。
魔力が宿り、光が灯る。
正体のわからぬ術式が作動した。
「なあ、頼むぜ……俺に勝ったんだ……必ず、テメエが勝ち抜けよ……」
「おい……なに勝手に死のうとしてんだよお前は!」
「すぐにわかる……悪ィな、こんな役目押し付けてよ……でもよ、信じてるぜ親友、俺の全てを、テメエに……託す……」
それだけだった。
何も理解できないまま、ソウジは物言わぬ躯となる。
「なんだよ…………なんなんだよこれ……ッ!」
理解など待たずに、次々に襲いかかる絶望を前に、レンヤはただ慟哭することしかできなかった。
「――なんだ、意外ですね……殺したんですか?」
もうこれ以上、信じられないことなんて起こるわけがないと思っていたのに。
それでも容赦なく、絶望は畳み掛けられる。
声の主は、トウガだった。
「なんだよ……どういう、意味だよ?」
「殺すとは思ってませんでしたよ。この時点での……御巫ヒマリが生存している時点でのあなたは、まだ甘さを捨てられていないはずですからね」
「なに、言ってんだ、お前……?」
まるで別人だった。同じ顔でも、中身が入れ替わっているような、そんな豹変。
こんな状況で、シンラとソウジの亡骸を前にして、平然とわけのわからない言葉を紡ぎ続けるこの男は誰だ?
本当に、レンヤの知っている空噛トウガと同じ人間なのか?
蛇堂カイザを倒すと、共に戦うと言ってくれたあの少年が、こんなことを言うはずがないのに……。
「……トウガ、お前、先輩やシイカさんはどうした? 蛇堂カイザはどうなったんだよ?」
「気が動転してて視界に入りませんでしたか? ここにいるじゃないですか」
そう言って彼は、何かを掲げた。
そして、
レンヤは今更になって――本当に、今更になって、それに気づいた。
トウガが持っていたのは、
アキラと、シイカと、カイザの――生首だった。
髪の毛を掴み上げて、切断された首をまるでサッカーボールかなにかような気軽さで持っている。
「…………あ、……あ?」
気が触れそうだった。シンラが死んだ、ソウジが死んだ、もうこれ以上の絶望なんて、驚愕なんてないと思っていたのに。
アキラも、シイカも死んだ。
冗談のようだった。
悪夢のようだった。
しかし、醒める気配はない。醒めない悪夢が続いていく。
「よく見てくださいよ。これがあなたがしたことの――いや……これからあなたがすることの報い、と言った方が適切でしょうか」
トウガが生首を無造作に投げ放つ。
ごとん、と骨がコンクリートにぶつかる鈍い音が響いて、目の前にアキラとシイカの顔が転がってくる。
「……お母さん……?」
ヒマリが、霊体化を解いて、シイカの生首を持ち上げて見つめる。
「なに、これ……? あ、は、あはは……いみ、わかんないよ……、こんなの、うそだよ……、こんなの、現実なわけないよ……」
銃声。
シイカの顔が、潰れた柘榴になった。
ヒマリの顔へ鮮血が飛び散る。
「……え?」
「壊れるのはまだ早いぞ、《赫世の巫女》。これから思い知ってもらわないといけないんだ、もう少しまともでいてもらわないとな……でないと――」
銃声。
「あああッ……あああああああああああッッッ!」
ヒマリの右脚が、撃ち抜かれた。
「――キミが壊れていく様を、赫世レンヤに見せつけられないだろ」
「トウガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! お前ッ、……殺すッ!」
なにもかも、全てが吹き飛んだ。
理性も、現実感も、ヒーローになりたいという願いも、みんなで帰るはずだった日常への想いも、なにもかも、全てが。
黒い殺意で塗りつぶされた意識のまま、レンヤはトウガへ襲いかかる。
「あなたは最後だ、そこで指を咥えて見ていてくださいよ」
鋭い蹴りがレンヤを捉えて、あっさりと元の場所まで押し戻される。
「なんなんだよテメエはッ!? なにがしてェんだッ!? 答えろ、トウガァッ!」
「復讐ですよ」
「……復讐、だと……? オレが、テメエに、なにしたってんだ……?」
「理解できるとは思えませんが、教えてあげましょうか。赫世レンヤ……あなたは、これから世界を滅ぼします。御巫ヒマリを守るために、何十億人も殺します。だから……その前に僕があなたを殺して、世界を救います」
淡々と、当たり前の事実のように、到底理解できないことが語られた。
「お前……イカれてんのか?」
アキラやシイカを殺した相手に、今更のようにそんなことを言った。
「それはこっちの台詞ですよ」
苛立たしげに言うトウガ。
「何を根拠に、お前はそんなことを言ってやがる……?」
「根拠も何も、見てきたんですよ。僕の大切な人も、大勢殺された」
「……、」
会話にならないと思った。
「わかっていないようですから教えておきますが、僕はこの時代の人間ではありません」
「……は?」
「僕は、未来から来たんです」
「そんなこと、できるわけが……、」
「できるんですよ。あなたが持っている時間を操るクロノスの因子は、そのためにあるんですから。どうやったか? 現時点でそんなことはできない? 当たり前じゃないですか。時間を移動する方法は、これから生み出されるんですから」
ありえない、信じられない、できるわけがない――そんな思考の逃げ道を、トウガは丁寧に磨り潰していく。
「僕があなた達より圧倒的に強い力を持っているのは? こうしてあなたの大切な人を殺したのは? 尋常なことではないでしょうこれは。……でも、僕がしていることなんかよりも、あなたのしたことのほうがずっと異常だ……だって、」
冷たい、氷のような瞳。
しかしそこには、溶岩のような憎悪が宿っている。
憎悪の視線が、ヒマリを貫く。
「あなたは、世界を焼き尽くしたんだから!」
銃声。
「ああああッ……い、だい、やめて、もう……痛い、痛い、やめて……やめて……」
ヒマリの左腿が撃ち抜かれた。
「たった一人! 一人殺せば、それでよかったのに!」
銃声。
「ああ、ぐぅう、あがああ、い、づ、ぁあ……や、め、……おね、がい……だから……、」
ヒマリの右腕が撃ち抜かれた。
「あなたはそんな簡単な計算もできなかった!」
銃声。
銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。銃声。
「これだけやっても死なないんですよ? もう御巫ヒマリの異常性もわかりましたよね?」
ボロボロになって、血まみれになって、穴だらけになって、涙を顔をぐしゃぐしゃにして、脚も腕もおかしな方向に曲がって、ただの肉袋になったヒマリ。
それでも、彼女は、生きていた。
「トウガぁ……殺す……、テメエ、だけは……ッ!」
「そう……それですよ、その気持ちです。それが僕があなたに抱いてる殺意です。あなたにとって、彼女は世界よりも重い。だからこそ、彼女を傷つければ、わかってくれますよね……世界を滅ぼされた僕の気持ちが」
「――――、」
言われて、理解した。
彼は狂ってなどいない。
彼の言っていることは、全て真実。
レンヤは、ヒマリのために世界を滅ぼした。
トウガは、世界を滅ぼされた恨みを持って、過去へやって来た。
全てが、繋がっていく。
――あの夢。
そう、かつて見た夢――あれは、世界を滅ぼしたレンヤのものだった。
なぜ未来の自分がしたことを、夢として見たのかはわからない。だがあれは、まぎれもない現実なのだろう。
だからこうして、トウガはレンヤに復讐しに来た。
「そう簡単に死なないみたいですけど……たかが不死、僕にとっては大した障害じゃありません。先程も蛇堂カイザを殺してきたところですし」
トウガが青色の銃を再びヒマリへ照準。
魔法陣が出現。そして、銃声。
「《概念術式》というものがあります。自身の持つ魔力から、概念を抽出し、それを作用させるもので、僕の場合は『氷』から『凍結』という概念を抽出し、《概念凍結》を可能とします。どういうことかと言えば……、」
淡々と、教師のように説明していく――――ヒマリを殺す方法を、説明している。
「彼女が持っているなんらかの《再生能力》、これを術式ごと凍結させます。言ってしまえば、なんでも凍らせられるということですね……それがたとえ、不死の術式だろうが」
銃声。
ヒマリの頭蓋が撃ち抜かれ……彼女はそれきり、動かなくなった。
「…………あ、」
もはや慟哭すら枯れ果てた。
「あっけないですね……少しは胸がすくかと思いましたが、虚しいだけだ。復讐なんて、くだらないですね。それでも僕はこんなくだらないことをする以外に……もう、したいこともありませんが」
最後に、銃口をレンヤに突きつけた。
「あなたを殺すのは、これで二度目です――――そして、これが最後になることを祈ります」
幕引きを告げる銃声。
弾丸はレンヤの頭蓋を一度、胸を二度貫き、確実にレンヤの命を奪った。
シンラが死んだ。ソウジが死んだ。
アキラが死んだ。シイカが死んだ。カイザが死んだ。
ヒマリが死んだ。レンヤが死んだ。
「………………どうして、こんな…………、」
たった一人残ったトウガは、虚ろな瞳で自らの手で葬った相手を眺めていた。