4章 宇宙の、この星の、人の歴史の……その意味は、この手のひらの中に……
「では、感想を聞かせてもらおうか」
にっこりと微笑んでアキラは言う。
海へと遊びに行く当日。
待ち合わせの場所で彼女に「先輩、今日も綺麗っすね!」とレンヤが言うと、そんな言葉が返ってくる。
アキラの今日の服装は、大胆に肩や背中が露出した黒のワンピースに、夏でも黒のストッキング、つば広の白い帽子、レンズの大きなサングラス。そしてなぜか、赤いマフラー。
レンヤは『感想すか、了解っす!』と言った後、上から下までねっとりとしつこく舐め回すように真剣な目つきで観察してから……、
「……なんか、未亡人と魔女と海外セレブをごちゃ混ぜにしたみたいな、混沌とした感じですね……いや、いい意味です! ほら、どれも大人の、妖艶で、ミステリアスで、高嶺の花な魅力……的な感じじゃないですか? っていうか未亡人っていいですよね……未亡人の話していいですか? あ、後で良い? じゃあ服の話続けますね! 夏でも黒のストッキングなのはさすがのこだわりっすね! 夏場だと暑苦しく見えるとかで敬遠のされがちですけど、オレはいいと思います! え? 『黒ストじゃないと私のキャラが薄まるだろう』……って、あ~確かに……先輩、黒ストが本体みたいなとこありますもんね、いや! 他にも魅力はたくさんありますって! 黒ストだけじゃないです! オレ、先輩の黒ストが大好きですよ! 先輩の脚、大好きです! 季節問わず着用してくれるのは最高ですよ! 世間の風潮に負けないでください! ……あれ? なんか先輩、赤くないですか? もしかして暑い? ……平気すか? ああ、暑さ対策としてデニール数が低めのやつなんすね。ん? どしたヒマリ? デニールってなにかって? ああ、デニールってのは、ストッキングの繊維の太さを表すもので、冬場は少しも肌色が透けない120デニール。完全に漆黒に包まれた脚線美は、神秘的で妖艶な魅力があって、先輩にぴったりなんだよ。今のやつは、肌色が透ける30デニール。若干、安物のAVで破られるためだけに存在するやつってイメージがあるんだけど、薄っすらと生足が向こうに透けて見えるのは乙だよな……。ところでオレ、黒ストが行為の際に破られるのあんまり好きじゃないんだけど……、ああ、聞いてない? すいません……AVの話はいいですよね、これはソウジにします、でもいつか先輩とそういう時のためにも……え、そんな時こないすか、そんな……ちょ、痛い! ヒマリ、なんで叩くの!? 痛いって!」
そんなふうに、早口でべらべらとアキラの服装の感想を述べるレンヤ見て、ソウジは、
「……なあ委員長、あいつ、なんであんな気持ち悪いんだ?」
「し、知らない……あたしにはよくわからなかった……。……雷轟君、質問いいかな?」
「あン? なんだよ」
「えーぶい、ってなに?」
「委員長には、もう少し大きくなってからだなァ……」
「はぁー!? 子供扱いしないでよぉーっ! おっきくなってるもん!」
「委員長は、一生知らないでいいかもなァ……」
「なんでよー!? なんであたしは一生知らないでいいの!? そんなのやだよ! 教えて教えて教えて! えーぶいってなんなのー!? えーぶいのこと教えてよー!」
ぴょんぴょん跳ねながらぽかぽかと自分を殴ってくる可愛い生き物に、ソウジは憐憫の眼差しを向けた。
□ □ □
「……わたしも、ストッキングにしようかな……?」
勇気を出して大胆に露出させた己の生足を眺めつつ、真剣に思い悩むヒマリ。
ヒマリの服装は、真っ白なワンピースに麦わら帽子。夏を絵に描いたような王道なものだ。
「黒ストの魅力に気がついたかい?」
一人悩むヒマリに話しかけるアキラ。
春にはレンヤの後ろに隠れていたヒマリも、今ではすっかりアキラとは仲良しになっていた。
「はい……だって、先輩の脚を見てるレンにいの目が、ぜったい、おかしい……」
「ふふ、あれは性犯罪者の目だね」
「え、え? 先輩って……レンにいにえっちな目で見られても、へーきなんですか?」
「勿論……というか、むしろ大歓迎さ。目でわかるんだ……『ああ、彼は今日の夜は私を脳裏に浮かべて必死に自分を慰めるのだろうな……』とね。その様を思うと快感でしかたがない、思わず私も自分を慰めたくなる」
「え、え、え、……!? 慰め……なんですか!?」
「ちょっと先輩、ヒマリに変なこと教えるのやめてくださいっていつも言ってるじゃないすか!」
「変なことではないだろう? 大切な愛の話さ」
「歪み過ぎじゃないスか先輩の愛……!? っていうかオレのことオカズにして、オレも先輩のことオカズにしてオナニーしてるなら……どうせならもっとえっちなことさせてくださいよ!」
「嫌だよ」
「一蹴! なんで!?」
「だって、キミはまだ私を選んでくれていないだろう?」
「あうあう……、」
「もうしばらくは妄想の中の私で我慢するといい。……残念だったね、優柔不断なラノベ主人公くん?」
がっくりと項垂れるレンヤ。
確かにアキラは魅力的だが、レンヤにはヒマリとアキラを選ぶことなど出来ないのだ。
選べない――が、アキラは日々、レンヤを誘惑してくる。そんな日々に、レンヤの精神は日々擦り切れていく。
「……レンにい、おなにーってなに?」
「ほひゃぁ!?」
唐突なヒマリの質問に、レンヤは奇声を発してしまう。
「おなにーすれば、レンにいはもっとわたしのこと気にしてくれる? 先輩よりも!? だったらわたし、いくらでもおなにーするよ! ねえ、レンにい……わたしにおなにー、教えてよ」
ツインテールを振り乱して叫ぶヒマリ。
上目遣いで、潤んだ瞳でとんでもない要求をされる。
「お、大きくなったらな……!」
「そんないいんちょ先輩の時と同じ対応しても、わたしごまかされないもん! それに、わたしもう大きいよ!」
アキラの真似をするように、胸を張って腕を組むヒマリ。
どーん、とか、ばいーん、とか、そんな力強くて頭の悪い効果音がつきそうだった。
「(もお~……先輩のせいで変なスイッチ入っちゃったじゃないっすかぁぁ~!)」
困った末に、隣の真っ黒な悪魔に、抗議を小声でぶつける。
「はっはっは!」
アキラは本当に楽しそうに、いい加減に笑った。
「ちょっ、先輩、酷くないですか?」
「いやあ、レンヤくんが困ってる姿を見るのは本当に楽しい!」
「酷くないですか、本当に!」
その後もヒマリの無邪気かつ無慈悲な質問をかわしつつ、アキラの邪悪かつ無慈悲な攻撃に翻弄されるレンヤだった。
□ □ □
楽しいお喋り――というには少々ハードだった会話を繰り広げつつ、電車で揺られているうちに、体感的にはあっという間に海へ到着。
「さあ、いよいよだ。みんな、アレの準備はいいかい?」
目的に最寄り駅を降りて、海が見えてきたところで、アキラがそんなことを口にした。
「アレ……? あ~……アレ!」とレンヤ。
「なーる、了解ッス」とアキラ。
「え? あれってなになに……?」とわかっていないシンラに、
「いいんちょ先輩……ほら、アニメとかでよくあるじゃなですか、ごにょごにょ……」とヒマリが耳打ちして、
「わかったわ! いいわね、団結を高めるのは大切なことだものね!」
とシンラがやっと理解する。
「ではいこうか……せーの、」
とアキラが合図をして、
「海だ――――――――――――――――――――――――っ!」(ヒマリ)
「海だ――――――――――――――――――――――――っ!」(シンラ)
「海じゃオラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」(ソウジ)
「ヒマリいいいいいいいいいいいい今日も可愛いよヒマいいい!」(レンヤ)
と、一斉に叫ぶ。
「ふっ、ふふふっ、ふはっ……あんまり揃ってないね」
アキラが笑う。
「おい、ボケレンヤ、ボケ、てめー、ちゃんとやれよ」
「やったわ、アホソウジ、アホ。おめーこそなんかちょっとちげーんだよ」
「も~、二人ともちゃんとやってよね! もう!」
妙なこだわりを見せるシンラに怒られる馬鹿二人。
アキラとしては、なんでもよかったようで、その様を見て笑っている。ちなみに彼女は大声を出すのが恥ずかしいので叫んでいない。提案しておいて。
ヒマリは「レンにいのばかばかばかぁ……恥ずかしいようばかぁ……」と赤くなってしゃがみこんでいた。
そんなわけで、一向はとうとう海に到着したのだった。
□ □ □
「ねえ、レンにい……ぱ、ぱ……パンツ……わたしの、パンツ見たくない?」
砂浜にシートを敷いてパラソルを立て、荷物を置いて拠点の構築が完了した時だった。
あとは水着に着替えていざ海へ……という前に、いきなりヒマリが信じられないことを言い出した。
「――――――見たい」
レンヤは『どうした急に?』と返すつもりだったのだが、意より先んじて本能が叫んでいた。
「い、いいよっ……レンにいにだけ、見せてあげる……」
海の家が立ち並び、建物の陰に人気のない場所が。そこへレンヤを誘い込んで、ヒマリはこれまでからは考えられない大胆で不埒な、シンラが聞いたら卒倒しそうなことをしている。
「ま、マジか……!? なんだ……? 夢か……? 夢ならおっぱい揉んどくか……」
すっ……と胸に手を伸ばす。
「えっち! へんたい! 夢じゃないよ!」
腹パンされた。かなり弱めの。
「パンツ見せてくれる人に変態って言われた……」
「それとこれとは別!」
「別ですか」
「別!」
パンツはいいが、胸はダメなのだろうか……と女子の貞操観念について考え込むレンヤ。
「気を取り直していきます……ぱ、パンツ、見せてあげるね……」
「気を取り直してくれるのか……!」
レンヤにはなにがなんだかよくわからないが、今日のヒマリは大胆だった。
ヒマリが背中を向ける。
そして。
彼女の手が、ワンピースの裾に伸び、ちょこんと摘むと、。
少しずつ、ゆっくりと、
裾が引き上げられる。太腿の露出が増え、やがて境界が近づいてくる。
そこが太腿なのか、お尻なのか、わからなくなる――そして。
パンツが、見え――――、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお………………!!!!!!」
パンツが見え、
「おおおおおおおお…………??????」
見えない。
パンツが見えない、というかパンツではない。
「水着じゃん」
「えへへぇ! 残念、水着でしたあ!」
(可愛い……)
だが、レンヤはちょっとだけイラっとした。
「へえ~……可愛いなあ、この水着。すごく似合ってるぞ。ああ、ヒマリのお尻も相変わらず可愛いなあ、太腿も可愛いぞ、絶妙な肉付きだ、このちょっと油断してる感じがいいんだよな、委員長は痩せ気味だし、先輩はわりと引き締まってるからな、このちょっと肉がついてるのが安心感があるんだよな……ん? ヒマリ、ちょっと太ったんじゃないか?」
「太ってないよっ!」
「ほぎゃッ」
裏拳がとんできた。
「ううう……じろじろ見ないで」
再びワンピースの裾を下ろして水着を隠し、蹲ってしまう。
「ごめんごめん、ごめんって。ちょっと仕返しな」
「う~……だって、わたしだって先輩みたいに、『ゆーわく』とか『のーさつ』とかしたいもん」
「ああ、そういう……」
(……可愛い)
らしくない大胆な行動の真意がわかった。
夏の暑さでおかしくなったのかと思ったが、それよりずっと可愛らしい理由だ。
「まあ、ヒマリにはヒマリの良さがあるからな」
「えぇ~……なに、わたしの良さって?」
言いながら、ヒマリは立ち上がると、ワンピースを脱ぎ去った。
「ウオッ」
思わず声が出た。
頭ではわかっている。
水着だとわかっている。それでも、『服を脱ぐ』という仕草の破壊力、そしてそもそも、水着だろうが、脱衣により一気に肌の露出は増えるという瞬間の高揚感。
つまり、下に水着だろうが、女の子が服を脱ぐ様というのは、興奮するということだ。
「……そういうとこだよ、ヒマリの良さは」
これが天然でできるのだ。
全てを計算し尽くしたアキラに勝るとも劣らない、彼女だけの魅力だった。
「……え? なに、どこ?」
□ □ □
水着に着替えたレンヤとヒマリが拠点に戻ってくると、付近の砂浜でソウジが驚くべきことをしていた。
シンラを、埋めている。
「おまっ……、ソウジ、とうとうあまりに委員長がうるさいからって…………消す気か」
「ちげェよボケ」
「えっ、雷轟くん、そんなにあたしのこと嫌だった……!?」
体を砂に覆われ、首から先だけ出ているシンラが焦る。
「別に嫌じゃねェよ?」
「そ、そっか……よかったあ……」
「この俺が子供にいちいち何言われよォが気にするかよ」
「誰がミジンコよ!」
「言ってねェ!」
ばさっと砂が舞い上がる。砂に覆われていた部分から、シンラのちっちゃい足が飛び出して、ソウジを蹴っ飛ばした。
「あーあーあァー……やり直しじゃねェーか」
「あ、ごめんなさい……」
足が出た部分を再び砂で埋めていく。
「なにしてんだ?」
首を傾げるレンヤ。
「まァ見てな」
しばらく見ていると、体を覆って盛り上がった砂を、ソウジが器用に成形していく。
やがて、砂はアキラもかくやというスタイルのいい女性の体を模した形に。
シンラの小学生顔に、巨乳美女の体がくっついてるのはシュールな絵だった。
出来上がったそれを、ソウジがスマホで撮影し、身動きの取れないシンラに見せる。
「わーっ、すごい! 完璧! これがあたし! うんうん……ありがとう、雷轟くん……」
「お安い御用だ」
「あっ、あの……ここ、ここを、もうちょっと……」
身動きが取れないので必死に顔だけ動かして、画面のある部分を示そうとする。
「なるほど、任せなァ」
ソウジはそれで理解したらしい。再び作業に取り掛かる。
シンラの胸に、砂を盛り始めた。盛って盛って、さらに盛った。
「サービスだ、爆乳にしといたぜェ」
再び撮影したものをシンラに見せる。
「完っ璧……♡」
満足気な委員長だった。
シンラは自分の体のことになると途端に知性が下がるが、それにしてもあまりにも強烈な光景だ。
「いいんちょ先輩、どうしちゃったの……?」
呆然とするヒマリ。
お前もさっきおかしかったからな、という言葉を飲み込むレンヤ。
「夏は人を狂わせるんだなあ」
□ □ □
照りつける日差し。風に運ばれてくる潮の香り。その場に留まっていられない程に熱せられた砂。波の音。てくてくと歩いているヤドカリが、波にさらわれてどこかへ行ってしまう。
「うーん……来たなあ、海」
着替えも終わり、いよいよ水の中へ。
というかどうしてソウジとシンラは、海に来て真っ先にすることがあれだったのだろうか……という疑問はさておき。
レンヤはヒマリの姿を眺める。
派手め赤色の水着、谷間はもちろん、トップスの布地、その下方からも零れそうになっている胸の迫力がに圧倒される。それはいい、それはいいが……、
「なんだその格好」
小脇にビート板、さらに浮き輪、そしてゴーグルとシュノーケルをつけていた。
「いろいろもってきたんだよ!」
「泳ぎの練習がしたいのか、浮かびたいのか、潜りたいのか」
欲張り過ぎであった。
「っていうか、ヒマリ泳げないじゃん」
そんなわけで、ゴーグルとシュノーケル、さらに浮き輪も没収。
「あ~……せっかく持ってきたのに」
「いい加減泳げるようになろうな」
小中の頃は「可愛いなあ」で済んでいたが、さすがに泳げない女子高生というのはどうなのだろうか。それ以前に、安全面の不安もある。
ビート板を使って泳ぐ様を見たり、ヒマリの手を引いてフォームを教えたりと、いろいろやってみるが、なかなか上手くいかない。
「うーん、ダメだなあ」
「水に顔をつけられるようになっただけすごいよ!」
「自分で言っちゃう?」
「もっと褒めて!」
「よしよし、すごいぞ。水に顔をつけられるなんて天才だな、魚か?」
頭を撫でると、ヒマリは満足そうにしていた。
確かにヒマリは少し前まで、水に顔をつけることができず、まずそれを克服する特訓をレンヤとしたことがあった。
ヒマリは、ちょっと自分に甘かった。
「まだちょっと水を怖がってるんだよなあ、力んでる……水を怖いものだと思うからダメなんだよいいか? 水を――――オレだと思え」
「レンにいが、水」
「そう」
「レンにいが水……わたしは今、レンにいに包まれて……」
「そう……ヒマリは今、全身をオレに包まれている」
「なんかえっちだよぅ……」
ぶくぶく……と沈んでいく。
ヒマリを引っ張り上げてレンヤは言う。
「でも、それは怖くないだろ?」
「う――ん……? そうかも……?」
そして、再び実践。
先程よりもスムーズな動きで進んでいく。レンヤが手を離しても、ヒマリはしばらく一人で進んだ。
ばしゃとヒマリは水から顔を上げて、
「どうだった!?」
「おお、いけるいける、泳げてる」
「ほんとぉ!? やったあ!」
跳びはねて喜ぶと、連動して彼女の胸も大きく上下する。
「おお……っ!」
「あ~、もうレンにい、やらしー顔してる~」
ヒマリが自分の胸の両腕で覆う。その時だった。
「わっ、とぉ……!?」
一際高い波にさらわれ、体勢を崩しかける。バランスを取ろうと咄嗟に手を広げた時に、指が水に引っかかり――、
「あ、」
水着が、
「わ――――――――――――――――――――――っ!?」
「おわ――――――――――――――――――――っっ!?」
水着が、脱げた。
ヒマリが自分の手で胸を隠すよりも早く――――レンヤは自らの両手で、ヒマリの胸を包み込み隠していた。
「…………………………あ、え?」
「……ん?」
仕方のないことだった、と後のレンヤは語る。周囲に自分達以外の人間もいる。ヒマリの胸が衆目に晒されてしまっては、レンヤはもう生きていけないと思っていたのだ。
(ヒマリのおっぱいはオレだけのものだ……)
彼女の顔が茹でダコのように真っ赤になる。
対して、レンヤの顔は菩薩のように穏やかであった。
――――宇宙の真理が、この手の中にあると思った。柔らかさ、手触り、指が沈み込んでいく弾力……ありとあらゆる気持ちよさという概念の頂点が、この手に伝わっているのだと思った。マシュマロのような……などという定型句があるが、あんなものは戯言だ。マシュマロ? ああ確かに、あの可愛らしいイメージで形容することには趣があるだろう。だが、否、断じて否だった。マシュマロ如きが? たかが一洋菓子風情が? どうして宇宙の真理を表現できようか。柔らかさ、という点では近いだろう。しかし、手触りも、大きさも、なにもかも違う。まず両手で掴んでも有り余るほどのボリュームになって出直して欲しい。……おっぱいくらいの大きさのマシュマロがあったら、それはそれで素敵だとは思うが。大きさはさておき、手触りもだ。人の肌というのは、手に吸い付くような独特の感触がある。それがヒマリのすべすべの瑞々しい肌ならなおさらだ。そういえば時速六十キロで走行している車から手を出すと……というような言説もある。それも所詮、マシュマロと同じ戯言だ。あれは弾力の方面からのアプローチだろう。だが、マシュマロも、時速六十キロも、所詮はおっぱいの本質には近づいていないのだ……本質とは、それは……。
レンヤは――、もみ……もみ……と、丁寧に、真心を込めて、ヒマリのおっぱいを揉んだ。
「ひゃぇ、ぁ、う……ゃんっ……、」
艶っぽい声を漏らすヒマリ。
そう、これだ。
マシュマロが、時速六十キロが…………可愛らしいリアクションをするだろうか?
否。
柔らかさ手触り弾力…………それら全てが究極な上に、さらに揉むと可愛い反応をし、相手に快感を与える、それがこちらの快感に、幸せになる……。
この世界には、こんな素晴らしいものが存在している。
レンヤはゆっくりとヒマリを抱きしめ、ぽんぽんと頭を撫でた後に、その状態のまま水着のもとへ近づき、ヒマリに渡す。ヒマリはレンヤの陰で水着をつけ直す。
「…………、」
混乱のあまり言葉を失ってしまうヒマリに、レンヤは……、
「ありがとう……」
涙であった、
一筋の涙が、男の瞳から流れていた。
そして、男は駆け出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――――っっっっっっっっっっ!!!!!!」
砂浜まで走り込んで、膝から崩れ落ちてズサァーと滑る。
その間、両手は力強く広げられ、高く掲げられて、震えている。
「ぬわおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――っっっっ!!」
男は砂浜を転がりだした。
ごろごろごろと、十六歳の、育ちきった一人の男が転がっている。
「ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――――っっっっっ!!!」
宇宙の真理をその手に掴んだ男の中にあったのは――――――感謝だった。
ひたすら、ただひたすらに、138億年前の宇宙の始まりや、46億年前の地球の始まり、そこからこの瞬間へ連なる人間の営み全てに感謝した。
宇宙の、この星の、人の歴史の……その意味は、この手のひらの中に……。
「オレはもう……この手を洗わない……」
感動のあまり、レンヤはアイドルと握手した直後のような台詞をもらした。
□ □ □
「なあ、委員長」
「んー」
「俺、時々本気であいつと知りあいなの恥ずかしいことあるんだよなァ」
「あたしもー」
砂浜で転がりまわるレンヤを見ながら並んでかき氷を食べているソウジとシンラは、心底ドン引きしつつも、かき氷おいしいなあと思っていた。
□ □ □
「本当にいつか捕まるだろうね、キミは……というか、キミが野放しになっている事実に対し、日本の警察へ苦言を呈したいよ」
「事故ですから……」
「ヒマリちゃんは揉まれたと証言しているけど?」
「揉みましたよ」
「開き直ったね」
赫世レンヤという一人の人生を変えた出来事が起きてからしばらく経って、現在はビーチパラソルの下でいつものように読書をしている
「……先輩、泳がないんすか? これじゃ屋上にいる時といっしょっすよ」
「いやだよ、暑いし、海水はべたべたするだろう?」
「海行こうって言ったの、先輩でしたよね……?」
「こうやってみんなが楽しそうにしているのを見るのが好きなだけなのさ、別に私が泳ぎたいわけじゃないさ」
「先輩も泳いだほうが楽しいっすよ」
アキラは上にパーカーを着ていた。胸元が盛り上がっており、パーカーの下には水着姿があるはずなのだが……。
「……笑うなよ?」
「え?」
「私は――――泳げない」
「え――――――――――っ、マジっすか!??!??!??!?!?!?!?!?!」
アキラが珍しく顔を真っ赤にしている。
「海にもかなり来ていない。水は怖い、溺れて死んでしまう」
「ヒマリ以下じゃないすか」
「……秘密にしてくれないと困るぞ? 誰かに話したら、キミを警察に突きだそう」
「泳げないのになんで海…………あ、」
そこでレンヤは気がついた。アキラの複雑で面倒くさい女心に。
「先輩、こういうのどうすか……?」
思いつきを提案してみる。
「……ふむ……なるほど、いいね」
「でしょ!? じゃあ……、」
「その前に、一つお願いをしていいかい? この条件が飲めないなら、その話はなしだ」
「いいっすよ、なんすか?」
「では、これを私に塗ってくれ」
パーカーを脱ぎ捨て、さらにしゅるりと鮮やかな手つきで水着の紐を外すと同時に仰向けになる。絶妙なタイミングで脱ぐ動作と仰向けになる動作が行われるため、胸を拝むことは叶わない。
この星の大地と、アキラの体に挟まれ、彼女の形のいい胸が魅惑的に押しつぶされる。
大きな胸が、背中側から見ても横にはみ出していた。
「すごい……、……オレになんのデメリットもない……得しかない……百万円払って塗らせていただきたいくらいなのに……」
「そのうち払ってもらおうか」
「やらしいお店みたいですね」
「キミだけの性奴隷さ」
「すげえ台詞」
「ま、嘘だけどね。うちの店はラノベ主人公お断りさ」
「やっぱりすか……」
漆黒の髪とのコントラストが映える雪のように白い肌に、オイルをたらしていく。
一通り塗り終わった後、脇の付近を重点的にまさぐっていく。脇よりもほんの少ししたに、曖昧な境界線はあった。
一体どこからがおっぱいで、どこまでが脇なのか、それは誰にもわからないことだ……と思いながら、レンヤはオイルで手を滑らせて(故意)、指先ではみ出ている胸を突っついた。
刹那、脚を振り上げて、彼女の踵がレンヤの背中に突き刺さる。
「痛い……」
「やることが小さいなあ……後ろから鷲掴みにするとか、そういう発想はないのかい?」
「そしたら怒るじゃないですか」
「もう怒っているよ、アキラは激怒したよ」
「――下乳とか横乳とかいろいろありますけど……、
『仰向けになった時に背後から見えるはみ出てる乳』――『背乳』を、オレは推したいと思ってます」
「レンヤくん、キミに一つオススメのものがあるんだ……『会話』というんだが、知っているかい?」
「そんなもの知りません、オレはおっぱいのことしか知らない」
「あっはっは、ダメだこいつは」
呆れたように笑い飛ばしながら、アキラが水着を着なおして、準備は整った。
いよいよレンヤの提案が始まる。
□ □ □
レンヤとアキラは、これまで遊んでいた場所から少し離れた、人気の少ない場所に来ていた。
ここなら他のみんなにアキラが泳げないことがバレる心配をせずに、練習ができるというわけだ。
「はっ、離すなよ……絶対に離すなよ……」
「フリすか?」
「違うに決まってるだろう馬鹿キミは溺死しろ!」
「溺死しそうなのは先輩のほうっすけどね」
いつもの妖艶な雰囲気はどこへやら、ぷるぷると震えながら海水に入ったアキラは、終始レンヤに掴まったままだった。
「……先輩、よくそのキャラで泳げませんでしたね……。オレだったら、泳げなかったらそのキャラで行くのやめますよ、もっと泳げなそうなキャラでいきます」
「どんなキャラだそれは……」
「ヒマリみたいな?」
「わ、私だって前はもう少しマシだったんだ……本当に久しぶりすぎて、慣れてないだけだ!」
「先輩」
「な、なんだ」
「オレ、一生先輩に泳げないでいて欲しいんスけど」
「な、なんてことを言うんだ……」
「だって……泳げない先輩……可愛すぎる……」
「は、はあ……!? 本当になんてこと言うんだ、失礼だと思わないのか人が苦しんでるのにそんなこと!」
「いや別に? 可愛いので……」
「ぐ、覚えているといい、ここでのことは全て陸で……あっ、ちょっ、ばかっ、手、離したらやだ、ばかばかっ、ばかぁ! ちょっと! おい! おい! もう! レンヤくん!」
「これが萌え……」
「それやめろ! 私はいつも可愛いだろうが!」
「いつも可愛いけど、今はもっと可愛いです」
「人を嘲笑うことが生き甲斐の人間の皮を被った悪魔め……」
「いやあ、先輩ほどじゃ」
そんなふうに、日頃散々弄ばれた仕返しと、いつもは見られない可愛いアキラを見たいがために、彼女を弄び続けたので、結局さっぱり練習にはならなかった。
□ □ □
「誰だ海なんて行こうと言い出した馬鹿は……」
「先輩ですね」
ずぶ濡れになって幽霊のようになったアキラは、怨念で人が死にそうなほど禍々しいオーラを発している。黒いオーラは全てレンヤに向けられているが、レンヤはとても幸せそうにニコニコしていた。可愛いアキラを見た幸せで、彼女からのオーラは全て相殺できる。
それからも、 スイカ割りでソウジが盛大に狙いを外したにも関わらず、あまりのパワーに余波で吹っ飛んだスイカが波にさらわれかけたり、
いつも通り勝負勝負とうるさいソウジと泳ぎで勝負したり(レンヤが勝った)、
みんなでビーチバレーをしたり、焼きそばを食べたり、
最後には花火をして、その日は一日遊び尽くした。
□ □ □
楽しいだけの時間は、これで終わり。
彼らは、ただ遊んでいればいいだけの、どこにでもいる普通に高校生ではない。
これより始まるのは、命の取り合い。
命がけの、大切な者を守るための戦いが、始まろうとしていた。