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3章 ――世界の前に、キミを救う

 翌日の昼休み。レンヤ達は屋上に集まっていた。

 レンヤ、ソウジ、シンラ、アキラ、ヒマリ……そしてトウガ。

 現状判明している《黄昏の戦儀》への出場者勢揃いだ。


「…………わわっ、」


 ヒマリはレンヤの背後へ周り、そーっと顔を出す。上級生に囲まれている上に、人見知りするほうなので、この状況は彼女にとって恐らくかなり恐ろしいものだろう。

 中学時代から知りあいのソウジはともかく、シンラ、アキラ、トウガとは初対面だ。

 先程から、アキラがヒマリを見て優しげな微笑みを浮かべているのだが、レンヤからすればその笑みは恐怖だった。

 『こいつが噂の女ね……』というような意味を含んでいる気がする。

 レンヤは周囲を見回し、そして少し緊張しつつ口を開くと。


「陽春の候、ますますご健勝のほどお喜び申し上げます……」

「いや、ンだよそれはよォ」


 ぼかっ、とソウジに殴られた。


「なにすんだよおめー」

「テメエこそなにダルい挨拶初めてんだボケ、校長先生か?」

「だって、どうしたらいいかわかんなかったんだよ……大勢の前で喋ったこととかそんなねえし」

「普通でいいんだよ、普通でよォ」

「おめーにそんなこと言われるとはな……」


 ヒマリはそのやり取りにくすくすと笑っている。アキラも微笑を浮かべ、シンラは首を傾げている。トウガは少し困惑しつつも、なんとか苦笑いを。


「あー……えっと、とりあえず今日集まってもらったのは、《黄昏の戦儀》についてのことで……本当は《六家会議》とかで話すようなことなんだけど、これは内密にして欲しくて……」


 要領を得ないレンヤの言葉。

 《六家会議》とは、六家の当主が集まり、この街の防衛に関することなどを話し合う場だ。

 主な議題は《樹魔》の侵攻に際しての防衛に当たる神装者グリーザーの選定。《樹魔》の出現はある程度予測でき、そこから適切な人選を行う。

 昨夜のように予測が外れることは滅多にない。こういったイレギュラーは、なにか危険なことが起きる兆候であることが多く、緊急の《六家会議》がすぐにでも招集されるだろう。

 今日、レンヤが六家の人間(とヒマリ)を集めたのは、《会議》とは真逆の目的のためだ。

 公平な『殺し合い』のために、細かい規定を詰めていく『話し合い』――レンヤからすれば、それはとても悍ましいものだった。

 レンヤはそんなものに参加しなくてはならない。なぜなら彼は、《赫世家》の当主だから。

 彼の両親は前回の《戦儀》で亡くなっている。

 ソウジやシンラもそうだ。アキラとトウガに、そのことについて彼女達の口から直接詳しくは聞いていないがアキラの《皇白》、トウガの《空噛》も、かつての《戦儀》で出場者を失っているということだけはわかっている。

 だからだろう。

 もううんざりなのだ、魔術師だのなんだのという、狂った仕来りに振り回されて命が散っていくのは。

 これは殺し合いをスムーズに行うためのものではない――その反対、殺し合いを止めるための話し合いだ。


「わかりきった前置きはいいさ。今の焦点は一つだろう?」


 ベンチに座り腕と足を組んでいるアキラが言う。押し上げられた胸元と、ストッキングに包まれた脚が悩ましい。


「……え?」

「彼の話だろう、今大事なのは」


 アキラがトウガを見据えて言う。その通りだった。話の進行は、アキラに任せた方が楽かもしれない。わかりやすさの点でも上だろうし、誰にとってもそちらの方が良さそうだ。


「空噛トウガくん……だったね? キミは、私達の仲間ということでいいのかな?」

「……、」


 アキラにそう問われたトウガの返事が遅れる。

 彼とは昨夜出会ったばかりだが、珍しいことに思えた。常にはきはきと小気味良い返事をする少年だったからだ。

 だがなにせ昨日出会ったばかりだ。さすがに彼も戦闘の疲れが溜まってぼーっとすることくらいあるのかもしれない。


「……あれ、トウガ……?」

「ああ……すいません、レンヤさん」


 すぐに我に返ったトウガは、はにかみつつ頭を下げる。

 それからこほんと咳払いした後、


「『仲間でいいのか』、ですよね……ええと、はい。僕もこの戦いを止める――というか、僕の目的はある男を止めることなんです。それが、この戦いを止めることに繋がると思います。ですから、仲間という認識で構わないのですが……」

「あン? 『ですが』、どーしたァ?」

「絡むなボケ」

「絡んでねェよ」


 レンヤがソウジを引っ叩く。不満げな声を返すソウジ。

 ソウジは普通に話していても、どうも不良的な威圧感が抜けない。


「いきなり仲間に入れてください、と言っても皆さんより付き合いの短い、何者かもわからない僕を信用することは難しいと思います。そこで、僕の持ってる情報を皆さんに提供させてもらえませんか?」

「情報っていうと?」

「先にも話に出た、僕の目的ある男についてです。この事を皆さんに伝えるのは、僕にとってもメリットがあるんです。僕と皆さんの利害が一致していることもわかるはずです」

「回りくでェーな、んだよその男ってのは」

「ボケソウジ。今ボケのおめーにもわかりやすいように丁寧に説明してんだろうが、黙って聞いとけ」

「ソウジくん、人の話は最後までちゃんと聞くって先生やお母さんに習わなかったの!?」


 今日もちっちゃい委員長、シンラがソウジを見上げて睨みつける。


「俺が先公の言うこと聞くように見えるかァ?」

「見えるかどうかは関係ないでしょ!? 見えなくても聞くの!」


 ぐい、とソウジににじりよるシンラ。彼女としては、顔を近づけて睨みつけるイメージだったのだろうが、身長が足りなくて大樹を見上げる風情だ。

 悔しかったのか、背伸びをした。


「あー、わァったわァった」


 ぽんぽんとボールのように乱雑にシンラの頭を叩くソウジ。


「もうー! それ子供扱いっぽいから禁止ーっ!」

「注文多くねェかァ?」


 ぼやくソウジ。むぅー、と唸るシンラ。レンヤはそれを横目で見て、ため息を一つ。


「あー……夫婦漫才が差し込まれたが、気にせず続けてくれ、トウガ」


 『誰が夫婦だ!(よ!)』と揃った声が響いてくるが、話を進めるためにスルー。


「ええっと……少しだけ心構えをシリアスに寄せて聞いてもらえたら嬉しいです。本当に真面目な話なので……」


 少し困った表情のトウガが、そう言って切り出した。


「僕の目的である男――彼の名は、蛇堂カイザ。この場には六家が五人。そして彼が、最後の《六家》にして今回の《戦儀》の出場者……なにより、前回の《戦儀》で最も多くの神装者グリーザーを殺した男で……僕の父親の、仇です」

 

「なっ……!」


 思わず言葉に詰まるレンヤ。

 反応は様々だが、本質は同じだった。驚愕、動揺……そして恐怖。


「過去の《戦儀》や、今回の出場者についての情報なら、オレ達も調べたが……そんなヤツの情報は出てこなかったぞ?」

「それも当然でしょう……彼については、《機関》による情報統制が行われていますから」

「《機関》って……まさか……!」

「ええ、そのまさかで合っていると思います。《神聖調和天罰機関》――僕が所属している、この世界の平和を守るための組織です」

「なるほど、通りで……」


 《神聖調和天罰機関》。

 この世界には、《六家》以外にも魔術を扱う者は大勢いる。大勢の魔術師が存在しながら、世間からは魔術が秘匿され、世界の平和が保たれているのはなぜか。

 その答えが、この《機関》だ。彼らが魔術を悪用を人知れず未然に防いでくれているからこそ、この世界の平和は保たれている。

 魔術を悪用しようとする者は稀だが、確かにいる。これまでもそういった事件が、世間からはそれとわからぬように処理されたりしたことはあったし、あと一歩のところで秘匿のしようがなく、世間に魔術が露見しかけたこともあった。

 世界の平和は、均衡は、危ういところで保たれている。

 そして今――またその平和が脅かされていると、トウガは言う。

「蛇堂はこの街……どころか、この世界にとって危険な存在です。僕の任務は、彼を止めること。皆さんの協力が得られるのなら、僕にとって願ってもないことなんです。そしてそれは、皆さんの目的とも一致する……そうですよね?」

 トウガの視線がレンヤへ向けられた。

 《機関》に所属し、父の仇を追う少年。

 彼とは出会ったばかりだが、彼の言葉に嘘はなく、信頼できると思った。


「……ああ! 一緒に守ろう、この街を!」


 拳を突き出すレンヤ。

 トウガがきょとんとしていると、ソウジが真っ先にそこへ拳を突き出してくる。

 慣れない手つきながら、トウガも真似するように拳を突き出す。


「お姉さんとしては、こういう爽やかなのは少し照れくさいかな」


 そう言いつつ、アキラも拳を重ねてくる。


「クラスで一致団結するのは大事なことよ、運動会とかでもそうなんだから!」


 と、シンラがよくわからない委員長理論を口にしつつ、同様に拳を。


「……えっと、私はあまりお役に立てないと思うんですけど、でも頑張ります……!」


 いつもの無邪気さは潜め、人見知り発動中のヒマリがおずおずと拳を加える。

 レンヤ、ヒマリ、ソウジ、シンラ、アキラ、トウガ……ここにいるメンバー全員が全員にチームワークや信頼があるわけではない。まだ出会ったばかりの者同士もいる。

 それでも、六家の内五家が集まった。

 最善というのならば六家中六家が戦いを放棄することだったが、次善ではあるだろう。

 蛇堂カイザ。かつての《戦儀》の出場者にして、《機関》から危険視される程の男。

 敵は凶悪にして強大。

 だが、トウガという頼りになる新たな仲間も増えた。

 だから――きっと、レンヤが当初願っていた通り……この場の誰も殺し合いになど参加することなく……。

 そんな願いを込めて、レンヤは叫ぶ。


「この馬鹿げた《戦儀》を乗り越えて、誰も欠けることなく、またここに集まろう!」


 応ッ! と、気迫に満ちた声が屋上に響く。

 その声を聞いて、レンヤは。

 不安だらけではあるけれど、それでもきっと大丈夫だと――そう強く想った。


 □ □ □


「えーっと、この隠れてる可愛いのがヒマリです」


 放課後。

 レンヤは再び屋上へ来ていた。

 屋上のベンチにはアキラが。そしてレンヤの背後には、人見知り発動中のヒマリが。

 レンヤの背中からぴょこんと少しだけ顔を出して恐る恐るアキラの方を伺っている。

 小動物的な可愛さだ。このままずっとこの生き物を観察していたいが、さすがにアキラに怒られてしまうので話を進める。


「……ほぉ~……ふむ…………なるほど、噂通り可愛いねえ?」


 ヒマリがびくっと身を強張らせたのが背中に伝わってくる。ぎゅっとレンヤの背中と腕を握りしめてきて、さらに体を寄せてくる。

 背中に温かさと弾力が伝わり、幸せに包まれるが――包まれている場合ではない。


「先輩……まさか、そっちのケが?」

「そ、そっち……とは、どっちだい?」


 ――あれ、なんだろう。

 一瞬、アキラが動揺したように見えた。ただの冗談なのに。こんな軽口で取り乱すような彼女ではないのだ。だからこそ、レンヤはいつも手玉に取られている。

 ――もしかして、図星? 


「だから……可愛い女の子が好きだったり?」

「……ああ。なるほど。もちろん、可愛い女の子が嫌いな人類なんていないだろう?」

「確かにそうかもっすけどー。ほら、ヒマリ、怖くないから出てこい」


 怖くないよな……? と少し不安になる。アキラが少々守備範囲が広めで、同性も有りなのだとしたら……、


「……」


 ヒマリとアキラが淫靡に手を組み合って見つめ合う様を想像する。


「うーん、アリっちゃアリ」

「どうしたの、レンにい?」

「どうしたんだい、レンヤくん? なにやら意識が危ない方向に飛んでいる気がするんだが」

「なんでもないっす。ほれ、ヒマリ、挨拶挨拶」

 ヒマリがレンヤの背中から出てくる。

「えっと、初めまして……この春からこの学園の一年生になりました、御巫ヒマリです。色々と至らぬ点はあると思いますがどうか……」

「微妙に堅いな! そんなかしこまらなくていいぞ、この人見た目程センパイセンパイしてないというか、結構フランクだから」

「それはどういう意味かな? 実は私のことを内心ナメているという告白かい?」

「いやいや違いますって! いい意味で! いい意味でフランクっていうか!」

「なるほど。確かに私は美人で優しくて親しみやすい先輩であろうことは間違いないね」

「でも先輩、友達いないですよね」


 そこまで言ってねーと思いつつも、実際に美人だし、面倒なので細かいところは流す。


「う、うるさいな……美人で優しくて親しみやすくて、ミステリアスで孤高の先輩なのだよ、私は」


 アキラは友達がいない。本当にいない。常に屋上に一人ぼっちで、事務的な連絡以外で誰かと話しているところも見たことがない。


「なんでですかね、先輩面白いのに」

「キミ、結構容赦ないな……日頃の意趣返しかい?」

「え?」

「天然でそれか、なおのこと残酷だ……」


 レンヤの善意のフォローが、アキラの傷口を抉っていた。


「私は……別にいいんだよ。あまり他人に興味はないし、一人で本を読んで、たまにキミとお喋りして、それで満足なんだ」


 口を尖らせたアキラ。彼女の言葉は恐らく事実なのだろう。それはこれまでの態度からわかる。だからレンヤは嬉しかった。

 アキラを独り占めにできることが。……もしもアキラが今からでも社交的になろうとして、常に誰かに囲まれるようになってしまったら、レンヤは自分が構ってもらえる時間が減って寂しい思いをするだろう。

 アキラは見た目もいいし、理知的でユーモアもある。本気で作ろうと思えばいくらでも作れるだろうが、人付き合いを好かないのも事実なのだろう。


「ふ~ん、そうなんすかあ~」

「……何をニコニコしているんだい?」

「別にぃ~」


 その時、


「……………………むぅー……、」


 横にいたヒマリが膨れっ面でこちらに険しい視線をやっていた。


「……なんか…………わたしの知らないレンにいだ……」

「え、そんなこと……ない、よな……?」

「あるもん……、デレデレ鼻の下伸ばしちゃって……、……どーせわたしな子供っぽいですよぅーだ……、確かに先輩はとっても大人っぽくて美人さんだけど……でも、わたしだって……先輩はお胸が大きいけど、わたしも結構あるもん……お母さんもすごいし……だから、わたしだって、大人の魅力とか、がんばれば、出せるかもしれないもん……ぶつぶつ……」


 こうやって膨れている時点で大人の魅力には程遠いが、別の方向性でとても魅力的だった。

 いじけたヒマリもとても可愛い。今すぐ抱きしめたい。

 だがこんな状態でそんなことをすれば怒られる。

 いや、いつしようが怒られるが。


「ほぉ? 私も胸にはそれなりに自信があるよ。比べてみるかい?」


 腕組をしたまま立ち上がるアキラ。

 ヒマリの前に立つと、胸を張った。

 対抗して胸を張るヒマリ。

 確かに両者共に、とてもつもないものを持っている。

 勝負は互角だった。

 その勝負自体が、とても素晴らしいものだった。

 レンヤはスマホで写真を百五十枚取りたい気持ちを抑え、必死に脳内にその光景を焼き付けた。


「じー……………………(おっぱいガン見)」

「……、あう」

「……、むう。その、なんだ……提案した私が言うのもなんだが、少々照れるね」


 二人が同時が顔を逸して、頬を染める。

 妖艶な先輩と、純心な後輩。

 正反対に思えた二人だが、胸を凝視された時のリアクションはとてもよく似ていた。

 レンヤはとても幸せな気持ちになった。


「ありがとうございます……」


 いきなり何かを拝みだすレンヤ。


「ヒマリちゃん、一つ聞くがアレのどこを気に入っている?」

「カッコイイ時はカッコイイんです! カッコイイ時は……。お、皇白先輩はどうですか?」

「アキラで構わないよ?」

「え、えと、じゃあ……、アキラ先輩で」

「それでいこうか。ふむ、改めて聞かれると難しいな、確かに普段はわりとどうしようもない男だね」

「いやいや、そんなこと……、」


 言いかけるレンヤ。今しがたの行いを省みて『そんなことないだろ』と言うには、さすがの彼も面の皮の厚さが不足していた。


「そんなこと……あるな、うん」

「ではヒマリちゃん。この普段はどうしようもない変態の、カッコイイ時というのは?」

「ボロカスっすね」

「えっと……、少し長くなってもいいですか?」

「構わないさ」


 アキラはベンチに腰掛け、レンヤとヒマリにも座るように促す。左からアキラ、レンヤ、ヒマリという順に座る。

 憧れの先輩と、溺愛する後輩に挟まれて、レンヤはまたとても幸せになった。


「……レンにいは、わたしのヒーローなんです」

「ほお、ヒーローね」


 ヒマリは目を輝かせながら、その話を語り始める。

 アキラも楽しげに笑いつつ、その話に耳を傾ける。



 □ □ □

 



 『――世界の前に、キミを救う』




 ヒマリは小さな頃、そんな決め台詞を持つ、漫画の中のヒーローに憧れていた。

 困っている人を助ける、悪いやつをやっつける、みんなを笑顔にする、最強の、ヒーローに。

 彼は世界を救うという使命を背負っている。

 だが、世界の前に、目の前の人を救っていき、その小さな積み重ねが、やがて世界を救うことになる……そんなありきたりな筋のお話が、ヒマリは好きだった。

 だが、ヒマリは女の子だ。力もあまり強くない。足も遅い。運動は苦手だ。

 同じクラスの活発な男子なんて、恐怖の対象だった。

 だから、そんな自分は憧れるヒーローにはなれないだろうと思っていた。

 内向的なヒマリは、そうやって本の中の世界に、憧れだけを積み重ねていく。


 ある時、校庭で使う場所を譲れと、理不尽な要求をしてくる上級生達がいた。

 ヒマリは怖くなって、友達の後ろに隠れてしまう。

 自分達よりずっと体が大きくて、力の強い同級生に向かっていく友達がいた。

 ヒーローにどれだけ憧れても、現実のヒマリはなんの力も持たない、臆病な少女だ。

 怖かった。

 逃げたかった。

 それでも――もしも憧れたヒーローがこの場にいたら、どうしていただろうかと、そんなことが頭を過ぎってしまった。

 気がついたら、体が動いていた。

 上級生が拳を振り上げていた。飛び出したはいいものの、恐怖で竦んで動けなくなるヒマリ。

 もうダメだと、そう思った瞬間だった。

 

 ――その背中を、ヒマリはずっと覚えている。

 

 颯爽と表れた少年が、上級生を殴り飛ばした。

 彼は振り向くと、こう言った。


「世界の前に、キミを救う。…………決まった……」


 満足げにガッツポーズする少年――それが、赫世レンヤだった。


 □ □ □


 レンヤはずっと、ヒマリが読んでいたものと同じ漫画のヒーローに憧れていた。

 そのためにいつも、誰かを救うイメージトレーニングはかかしてないし、必殺技と決め台詞の練習もした。

 だが、いざその光景を――ヒマリに拳が振り下ろされようとしているのを見た瞬間、全てを忘れた。

 勝手に動いた体は、レンヤのイメージ以上の拳を放ち、相手を倒していた。

 そして、思いだしたようにその台詞を口にすると……どういうわけか、助けた女の子が泣いていた。


 それから、レンヤはヒマリを守ると誓った。臆病なくせに正義感だけは人一倍な彼女は何かとトラブルに巻き込まれてしまう。

 そんな時はレンヤの出番だ。

 どんな相手でも、レンヤは負けない。ちょっと人数が多いとか、ヤバい相手の時はソウジも呼べば無敵だった。

 

 ヒマリにとって、レンヤは本の中から飛び出してきたヒーローだった。

 あの時から、ヒマリはレンヤにべったりだ。

 一つ年上に、強くて優しくて面白くて頼りになる、でも普段はちょっとおかしくてえっちな、そんなヒーローは、ずっとヒマリのことを守ってくれていた。


 あの日のレンヤは、ヒマリの救いだが。

 レンヤにとっても、ヒマリの存在は救いなのだ。


 かつて、レンヤは名前も知らない誰かに命を救われた。

 《樹魔》に襲われたレンヤは、その時はまだろくに魔術も使えなく、低級の《樹魔》にすら為す術無く殺されてしまう程に弱かった。

 そんなレンヤを、救ってくれた人がいた。

 優しげに笑う、髪の長い女の人だったと思う。

 絶対に忘れるはずがない鮮明な記憶のはずなのに、その時に抱いた衝動に突き動かされて生きていると言ってもいいはずなのに、なぜだからそのヒーローの顔は曖昧だった。

 《樹魔》を倒せる以上、魔術師であることは確実だ。

 だが、思い当たる人はいなかった。一度シイカに聞いたこともあるが、彼女にもわからないという。

 もうこの街にはいない、たまたまその時にここに立ち寄っていた魔術師かもしれない。

 レンヤはいつか、その人のように誰かを救える人間になって、その人に胸を張れるようになって、ヒーローと再会するのが夢だ。

 

 救われてからのレンヤは、ヒーローという存在に憧れ、想い焦がれ続けた。

 誰かを救いたい、誰かを守りたい。

 そんなことを願っても、現実にわかりやすい悪など、救いを求める存在などいない。

 想いだけが空回りする日々の中で、レンヤはヒマリに出会った。

 

 ヒーローに憧れ、救いを求める誰かを探し続ける少年。

 ヒーローに憧れ、それでもヒーローにはなれない、救いを求める少女。


 パズルのピースがはまるように、二人は出会った。


 □ □ □


「……なるほど。お似合いの二人だね、ちょっと妬けてしまうな」

「ふっ、ひっ、へへっ、そうすか? お似合いすか?」

「えへへぇ……そうなんです、レンにいはちょっと変だけど、わたしの憧れで」

「レンヤくん、笑い方が気持ち悪いな……」

「ひどい……」


 項垂れるレンヤを、よしよしとヒマリは慰める。


「次は、アキラ先輩のお話が聞きたいです」


 ヒマリがそんなふうに切り出す。


「私の話かい?」

「レンにいとはどうやって知り合ったんですか? レンにいがしつこく言い寄ったとか……?」

「ヒマリさん? オレのことなんだと思ってるの?」

「レンヤくんに憧れてるといいつつ、しっかりレンヤくんの気持ち悪さを認識してる辺りが好感が持てるね」

「ヒマリと先輩が仲良くしてくれるのは嬉しいけど、仲良くなり方が若干嫌だな」

「共通の知人の話題というのは弾みやすい、初対面なら特にね。……で、私とレンヤくんの出会いだったかな? 何も劇的なことはない、ありふれたものだったよ。だろう、レンヤくん?」


 レンヤは首を捻る。


「そうすか……? 劇的じゃないですか?」

「うん? 私はそう記憶しているが……まあいい、大した話ではないが、ヒマリちゃんばかりに話させるのも不公平だ。私も語るとしようか」


 □ □ □


 それは本当に、アキラにとっては何も劇的なことではない、ありふれたことだった。

 いつものように、アキラが屋上で本を読んでいる時だった。

 血まみれの少年が、屋上に入ってきた。

 少年はふらふらとした足取りで、数歩進むと、そのまま倒れ込んでしまう。

 思わず本を投げ出し駆け寄って、少年を抱きとめた。

 アキラは少年の顔を見て微笑むと、彼を膝に寝かせて、読書を再開した。

 

 少年は、いつものように誰かを助けて戦ったのだろう。

 アキラはここで出会う前から、少年のことをよく知っていた。

 

 □ □ □


「ほら、なにも劇的ではないだろう?」

「いや、めっちゃ劇的っすよ」

「……ち、血まみれなのは、普通なんですか?」

「膝枕してもらってるんすよ!? ここまで劇的なことありますか!? オレ、あの時ふらふらで覚えてないんすけど……チクショオオオオオオォォッ!」

「そっち!?」

「あっはは、なるほど、確かに後にも先にも私の太腿を貸してあげたのはあの時くらいか」


 アキラが上品に笑顔を咲かせる。

 あの日から、孤独だったアキラの生活が少し変わった。


「……そういや、なんで先輩はオレのこと知ってたんすか?」

「キミは入学当初から有名だったよ。気に入らなければ上級生だろうとぶっ飛ばす、とんでもない一年生が入ってきた、ってね」

「……ぜってーソウジのが悪名高いっすよ」

「キミらはセットで目立っていたさ」

「納得いかねー……」


 レンヤが不満げに眉を顰めていると、ヒマリがレンヤの腕をつっついてくる。


「ん、どした?」


 ヒマリは無言で、ぽんぽんと膝を叩く。


「……わたしは、いいよ……?」

「マジ!?」

「おやおや、ヒマリちゃん……女が自分の体を安売りするものではないよ? そうやっているとその変態はいつしか体目当てになってしまうだろう?」

「え、そうなんですか……!?」

「ならないよ!? 先輩、ヒマリに変なこと教えないでくださいよ!」

「自分の身は自分で守らないといけないからね……気をつけるんだよ、ヒマリちゃん?」

「はい! 気をつけます!」

「そんな……ヒマリの、膝枕……、」

「言っただろう、レンヤくん……そうやって二股を狙っているうちには、キミにいい思いはさせないと。二兎を追う者は個別ルートに入れず、とよく言うだろう」

「ハーレムルート……」

「そんなものはないのさ」

 

 そう言ってアキラはまた楽しそうに笑う。

 確かに、アキラにとってレンヤとの出会いは、ヒマリとレンヤのそれのように劇的ではなかった。

 しかし、彼女はそれだけで。

 たったそれだけで、救われているのだ。

 それこそ、ヒマリとレンヤの劇的な出会いのように。


 ありふれたあの出会いは、アキラにとっての救いなのだ。


 □ □ □


 ヒマリとアキラの顔合わせは、思っていたよりも上手くいった。

 レンヤという共通の知りあいがいたからか、二人の話も弾んでいた。

 これで、ヒマリが入学したら予てからアキラを紹介するという、レンヤの細やかな野望は達成できた。

 トウガという頼もしい仲間も増えて、なにもかも上手くいっていると、レンヤは感じていた。

 

 時が流れていく。

 《戦儀》が始まるのは七月。

 それまでに、今よりももっと強くなって、蛇堂カイザを確実に倒せる力を手に入れなければならない。

 譲れない使命があり、大切な人がいる。そんな中で過ごす日々は、あっという間に過ぎていった。

 ヒマリの入学した春から、季節は巡り――夏が来た。

 いつもならば、夏休みに浮かれるところだが、今年はそうはいかない。


 いよいよ、戦いの時が迫っているのだ。

 三ヶ月、準備はしてきた。

 

 ――戦いが近づいてきた緊張感が漂い始めたある日。

 アキラがこんなことを言い出した。


 □ □ □


「――海なんて、どうだろう?」


お馴染みになったメンバー、レンヤ、ヒマリ、ソウジ、シンラ、アキラが集まっている時のことだった。トウガもたまに集まりに顔を出すが、彼は基本的になにやら忙しいようで、たまに顔を出す程度だ。唐突な言葉にレンヤは、


「どうだろう、って……」


 と戸惑う。


「こんな時にっすか?」

「こんな時だからこそだろう?」


 迫る《戦儀》。確かにこれまで、互いの結束を高めるというような意味でも――これは明確には口にしなかったが、もしものことがあるかもしれない、そうなってしまったら……ということで、精一杯今できることを楽しもうという意識が、レンヤ達にはあった。

 みんなどこかで、漠然と怯えている。

 《戦儀》がなくたって、《樹魔》との戦いで命を落とすかもしれない。

 《魔術師》とは、そういう存在なのだ。

 アキラは、その辺りの言葉にしにくい部分を、間接的にとはいえ口にしていた。

 死んでしまうかもしれない。

 だからこそ、楽しめることは楽しんでおこう。


「いいじゃないか、どうせレンヤくんがみんなを守ってくれるんだろう?」

「……まあそうっすけど。………………そうっすね」


「おい、どこを見て言っているんだ?」


 レンヤの視線が僅かに下方へ。

 アキラ、ヒマリの胸元を見て頷き、その後シンラの胸元を見て、ため息をついた後に、ソウジと顔を見合わせて肩をすくめた。


「失礼! し! つ! れ! い! なんだかわからないけどすっっっっっっっっごく失礼だった気がする!」


 ぴょんぴょん跳ねてぎゃーぎゃー抗議するシンラをスルーしつつ、レンヤは考える。

 海にいけば、ヒマリやアキラの水着が見られる。

 それが全てな気がした。


「行きましょうか、海!」


 ただし、これが最後だからではない。

 またここへ、戻ってくるために。

 みんなが揃ってるここへ、戻ってくるために。



 『ここ』とは何かを、みんなの胸に刻みつけておくため――そんなことのために、今日も明日も全力で楽しんで笑って、その先の時に備えてるのだ。



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