2章 日常の裏の非日常
月明かりが、辺りをぼんやりと照らしていた。
夜風が頬を撫でる。木々のざわめきが、暗がりが、不気味な雰囲気を醸す夜の森。
山奥の開けた空間に、二人の男が立っていた。
「さて……今日もさっさと終わらせるか」
「レンヤァ、今日こそ勝負しやがれッ!」
「やだよめんどくさい……終わったら疲れてるんだから。あー、さくっと楽に終わったらいいぜ?」
「その言葉ァ、忘れるんじゃねえぞ!」
「二人とも、また戦ってる最中に喧嘩しちゃダメだからね!」
レンヤの背後にはヒマリが。
「わかってるってヒマリ」
会話の途中、突然――空間が歪んだ。
魔術師には、ある役目がある。
ここは特に魔力が濃い場所で、その影響により《樹魔》と呼ばれる怪物が出現する。
魔術師の役目は、《樹魔》を葬ること。遥か昔よりこの役目は果たされ続けている。だからこそ、今日までこの街の平和は守られ、魔術は世間から秘匿され続けているのだ。
そして。
魔術師という呼び方は厳密ではない。
神装者。
なぜ彼らをそう呼ぶのか――。
「《神話再演》――《因子/スルト》」
「《神話再演》――《因子/トール》」
神装者とは、その名の通り――神を装い、戦う者だ。
《六家》は代々、それぞれの家で固有の《神格因子》というものを受け継いでいる。
赫世の家は《スルト》。
雷轟の家は《トール》。
神装者は、親から子へ、《因子》を受け継ぎ、この地を守り続けているのだ。
レンヤの髪が真っ赤に、ソウジの髪が黄金に染まる。各々が持つ固有の魔力の色が、髪という体の部位の中でも魔力を通しやすい場所に表れるのだ。
歪んだ空間から、出現する異形。
それは巨大な石の化物だった。
石で出来た巨人と言えばいいだろうが、一つ一つが人間より遥かに大きい岩石が組み合わさって、人の形を成している。
校舎程の巨体が、一歩踏み出すだけで地響きが。ただ大きいというそれだけで、強烈な威圧感をもたらす。
顔に当たる部分には、琥珀色の宝石のようなものがはめ込まれている。
「う~おっきい……踏み潰されたらぺしゃんこだよ……」
「でっけえ……委員長よりでけえなあ」
「だなァ……一撃でぶっ飛ばすぞォ!」
「いいぜ、合わせろよッ!」
「テメエがなァッ!」
二人は同時に自らの手に魔法陣を出現させる。
レンヤの右手に赤色の魔法陣が、ソウジの右手に黄色の魔法陣が。
そこから、火炎と電撃が弾ける。
北欧神話の神、トールは雷神。スルトは、世界を焼き尽くした炎の巨人だ。神話と同等の力を使えるわけではないが、神装者はその一端を扱うことができる。
己を研鑽し、少しでも宿した《神格因子》の神へと近づくことが、神装者にとっての目的の一つだ。
「「――吹っ飛べッ!」」
業火と雷光が、大気を焼きながら猛進し、石巨人に直撃した。
爆炎。巨体を覆う程の煙が舞って、敵の姿が隠れてしまう。
「まっ、やっただろ。『やったか!? → やってませんでした』なんてパターンは超強い敵の時にあるもんで、雑魚相手にそんなことは――、」
刹那、地鳴りが響く。
立ち込める煙を引き裂きながら、石巨人が一歩前で進んだ。
「……雑魚じゃねえみたいだなァ」
「みてーだなー……」
巨人は両腕を上げて顔を覆い、防御の体勢を取っていた。
「弱点丸出しだが……かってーなオイ……」
忌々しげに呟くレンヤ。
業火と雷光は、巨人の腕を大きく削り取っていた。辺りに岩石が突き立つ。だが、巨人の分厚い腕を少し削り取ったに過ぎない。
「ガード削ってくのはダルい。ガード抜く方向で行くぞ」
「どォやる?」
ソウジが問いを寄こした刹那――空から、隕石さながらの拳が振り下ろされた。
轟音、激震、衝撃、大地が水面のように波打って、飛沫の如き土砂が舞う。
「平気か、ヒマリ!」
「う、うん……レンにいた助けてくれたから!」
レンヤはヒマリを抱えて大きく後方へ飛び、衝撃から逃れていた。
「ほォー……俺の次にいい拳持ってやがらァ」
馬鹿げた威力を見せつけられても、動じぬどころかむしろ牙剥くソウジ。普段はやかましい阿呆だが、やはりここぞで頼れる相棒だ。
「ソウジ、とりあえずどうにかする策は思いついた、試すぞ」
簡潔に作戦を説明。
「了解。しくんじじゃねェぞ?
……《神装顕現》――《雷鳴の篭手》」
ソウジの両腕に銀色のガントレットが。黄金のラインが走り、バチバチと弾ける雷を帯びたそれは、トールが持つ槌『ミョルニル』を、よりソウジの魂に合う形へ作り変えたものだ。
レンヤが握るのは、赤い剣身を持ち、一つの柄の両端から刃が伸びる奇剣。左右どちらも同じ形の刃を持つその剣は、手の上に柄を乗せれば左右へどっちつかずに傾く様が、天秤によく似ていた。
《神装顕現》。
《神話再演》により、《神格因子》の力を借りた後に、《因子》となった神に由来する武器を呼び出す技術だ。
「おめーもなッ! 行くぞ、ヒマリ!
……《神装顕現》――《終炎の天秤》」
「うん、行こう、レンにいっ!」
ヒマリの姿が光に包まれ消失し、武器へと姿を変える。彼女の能力は少々特殊で、自身を武器に変えることができる。
レンヤもソウジのように、自分で武器を出すことはできるが、ヒマリを武装化させた方が戦闘能力は飛躍的に上がる。
レンヤは魔力を脚部へ集中、飛び上がる――同時、ソウジは 右腕を引き絞り……レンヤがソウジの拳へと着地。刹那、ソウジは右腕を振り抜き、レンヤを上空へ射出した。
天高く打ち上げられたレンヤ。空気を引き裂き、全身に風を感じつつ、石巨人の背丈を越えた高さから、相手を見下ろす。
石巨人の顔にはめ込まれた宝石も、ここからならばよく見える。
あれは《魔核》。魔力の結晶で、《樹魔》のコアだ。あれを壊せば、《樹魔》は倒せる。
両剣を手に持ったまま、振りかぶる。
「ヒマリ、切り替え!」
『りょーかいっ! 《神話再演》――《因子/クロノス》』
レンヤの背後には、薄っすら透ける霊体となったヒマリが。
銀色の時計板のような魔法陣が出現。魔力が満ちる。
これは、レンヤだけが使う異端。
レンヤは《スルト》に加え、さらに別の神格である《クロノス》も扱うことができる。
神格は一人に付き一つが原則なのだが、武装化したヒマリと神格を共有することで、レンヤは複数の神格を扱うことができる。
ただし、《因子》を扱うには大量の魔力を消費する。二つの《因子》をどちらも同時に扱える訳ではない。
なのでこの瞬間、レンヤは《スルト》から《クロノス》に切り替えていた。
火炎操作から、時間操作へ。
そして。
『減速術式作動、魔力充填完了……いけるよっ!』
「オオォ――――……らァッ!」
両剣を投擲。射線は通っている、そのままの軌道なら《魔核》へ一直線に進み、突き立つだろう。
だが、石巨人がさらにガードを上げた。両剣は分厚い石の腕に阻まれるも……。
「ドンピシャだ……ッ! 《神話再演》――《因子/スルト》! ソウジ、行けるかッ!?」
「任せろッ!」
レンヤは足元で爆発を引き起こし、さらに空を駆ける。投擲中に落ちた高度を戻すと、次は地上へ向けて手をかざす。
そこには、先刻巨人の腕から削り取った岩の上に立つソウジが――彼の乗った岩、その下方に爆発を引き起こす。
「ひゃっほおぉぉぉ――――――――うッ! たまんねえなァオイ!」
打ち上げられたソウジは、夜空へ吼えながら拳を振りかぶっている。
先程、両剣を投擲した位置よりもさらに上方。ここなら再び、《魔核》への射線が通っている。
そして石巨人の腕に突き立った両剣。
今度の弾丸は――レンヤ自身だ。
弾丸を撃ち放つのは、相棒の拳。
条件は。
揃った。
「ブッ飛びなァッ!」
ソウジはレンヤの足裏を殴りつけて、彼の肉体を弾き飛ばす。
弾丸となったレンヤは、そのまま《魔核》へ。
この後、先程と同じ展開になるのなら、石巨人はさらにその堅牢な腕を上げて、弱点への道を塞ぐ。レンヤの体は岩石へ叩きつけられ、無残に潰れる――などという末路は迎えない。
「《遅延起動》――《クロノ・ディセラレイト》」
石巨人が腕を動かそうとした刹那、突き立った両剣から魔法陣が広がる。
時計盤のようなそれは、《クロノス》――つまり、時を操る神の力が作用していることの表れだ。完全に時が停止している訳ではない。『停止』ではなく、『減速』。それで充分だった。親友によって放たれた速度を以てすれば、その数瞬のみで事足りる。
「こいつで、終わりだッ!」
炎に包まれた拳を振りかぶる。肘から炎が噴出し、拳を加速――そのまま振り抜く。
流星の如き勢いで石巨人の《魔核》へ突っ込み、そのまま拳を叩きつける。
琥珀色の宝石に突き刺さった拳。
そこから亀裂が広がり、硬質な音が鳴り、次の瞬間全てが砕け散った。
《魔核》も、石巨人の本体も。
石塊の雨が降り注ぎ、戦いの終わりを告げる。
「どォらァッ!」
ソウジが地面を殴りつけ、土砂を散らして着地。
レンヤは地面に叩きつけられる寸前、足元から炎を噴出して勢いを殺してスマートに着地。
「どーよ、しっかり決まったろ」
「あー、ご苦労ォ。ってなわけで勝負と行くかァ!?」
「いや……疲れたし帰るぞ」
「アア!? 話が違うだろうがァ!」
「楽に終わったらって言っただろ! 結構強かったじゃねえか、でけえし、硬えし!」
「あんなもんデカくてかてェだけのカスだろうがッ! 雑魚だ雑魚!」
「雑魚だあ? じゃあおめーあれがもう一回出てきたら一人で勝てんのか!?」
「楽勝に決まってんだろうがァ!」
「も~、結局また喧嘩してるし……」
そうやって二人が言い合い、ヒマリがそれに呆れている時だった。
――空間が歪み、
再び、地鳴りが。
先刻より、さらに大きく、そして――これが決定的な差異。
数が多い。現れたのは、先程を上回る大きさの石巨人が……三体。
「……おいおいおい、どーなってんだこれ……委員長とアキラ先輩呼ばねえとまずいんじゃねえか!?」
「こんなもん、俺一人で倒してやらァ!」
「クソボケがっ! っざけんな、おめーッ、死ぬ気か!? そんな間抜けオレの前で絶対やらせねえからな! オレの前で死んだら殺すぞッ!」
突っ込もうとするソウジの襟首を掴んで強引に制止する。
本格的にまずい。応援を呼ぶにしても、時間稼ぎの方策を考え無くてはならない。
「一先ずデカブツどもの注意を引きつけるぞ! なにするにそっからだ!」
全てをひっくり返せる都合のいい一手などなかった。地道に時間を稼ぎ、打開策を考え、仲間を呼んでこちらの戦力を整え、そうやってどうにか遥か先にある勝利を這いずって目指すしか無い状況……すなわち、絶望的な逆境だ。
そして、絶望はここでは終わらない。
一体の石巨人が、突然別の巨人の体を掴み、握り砕いた。
仲間割れ。そんな単語が浮かぶ。《樹魔》がそんなことをする例は、皆無ではないが希少だった。だが、見立ては外れた。
仲間割れなどではない、その真逆。
あれは連携だ。
石巨人は、仲間の体から削り取った岩石を投げつけてきた。
馬鹿馬鹿しい質量の砲弾。防ぐ――否、間に合わない、回避なら? それすらも――、ならば、どうなる……考えるまでもない。
死。
自然と最悪の結末が脳裏を掠めた。
その瞬間だった。
轟音。気がつけば、放たれた岩石が何かに激突していた。透明な巨大か壁。辺りには薄っすらと冷気が満ちてる。
壁は――氷だった。
氷。当然、レンヤでもソウジでもない。
《木》を操るシンラでも、《光》を操るアキラでもない。
巨大な氷の上に、誰かが立っていた。
綺麗に肩より少し上で切りそろえられた、青色の髪。神樹学園のものではない、どこかの学校の制服を、きっちりと一切の着崩しなく着ている。
几帳面で真面目な雰囲気だが、そこに反して目つきは獰猛で鋭い。
琥珀色の瞳。全てを見下すような、氷の視線。
冷たく、硬質な、氷のような印象の少年だった。
少年は巨大な氷から飛び降りて、レンヤとソウジの前に立った。
「初めまして……僕は空噛トウガ。《フェンリル》の因子を持つ神装者にして、六家が一つ、《空噛》からの《黄昏の戦儀》への出場者です」
「空噛……ッ!」
出場者の詳細がわからなかった、レンヤ達以外の残りの二つ六家。
空噛と蛇堂。レンヤの目論見、その成否はこの二家から出場する神装者次第だと言えた。
緊張が走る。どういうタイプの人間か、好戦的なのか、願いはあるのか、戦儀に対してのスタンスは……今まさに石巨人の脅威があるというのに、レンヤの意識は少年へ注がれてしまう。
「あ、ああ……初めまして。オレは赫世レンヤ。こっちは雷轟ソウジだ。今はこれだけで充分だよな、細かい自己紹介してる場合じゃねえし」
この状況で妙に落ち着いた相手に戸惑いつつ、最低限の情報を告げる。
相手は《空噛》。六家ならば今伝えた情報だけで、レンヤとソウジが六家の神装者で、赫世は《スルト》、雷轟は《トール》の因子を持っているところまで理解できるはずだ。
その情報を元に、連携を組み立て、なんとかしてあの石巨人達を打開できれば……とレンヤは考えていたのだが。
「いえ……できればもう少し詳しく、お二人のことを聞かせてもらえませんか?」
などと、抜けたことを言う。
「……はぁ? だからそんな場合じゃなくて……、」
レンヤの言葉の途中、それを遮るようにトウガが口を開き、
「《神装顕現》――《氷刻の縛鎖》」
起句と共に表れたもの、それは。
澄み渡る青空のような色をした拳銃。青色の拳銃には、透き通る氷のような刃が装着されている。それが二挺。銃剣の二丁拳銃だ。
トウガは双銃を握ったかと思えば、発砲。だが弾丸は石巨人とはまるで別の明後日の方向へ放たれていた。
いつの間にか、空中のいくつも氷で出来た立方体が浮いている。弾丸はそこへ当たると、軌道が急変。何度か氷のキューブへぶつかり軌道を変え、そして。
三体の石巨人。それぞれが腕を振り上げ、弱点となる《魔核》を防御しようと試みるも。
防御をすり抜けた氷の弾丸が、正確に《魔核》を撃ち抜き、一瞬にして三体を同時に倒してみせた。
それを目の当たりにしたレンヤは、
(強い……ッ! 飛び道具を持っている分、弱点を狙いやすいだろうが、そこを差し引いても……単純に神装者としての能力が圧倒的だ。敵を倒す術を見つけるまでの判断の速さ、狙いの正確さ、ガードをかいくぐる攻撃方法、容易く《魔核》を撃ち抜く威力……現状のオレ達よりも、確実に全てにおいて上……ッ!)
驚愕、戦慄、続いて湧く疑問。
(……勝てるのか、こんな相手に……?)
もしもトウガが『願い』を持っていたとすれば、その時点でレンヤ達の目的は潰える。
彼が本気で勝ちに来たなら、レンヤもソウジもシンラもアキラも、手も足も出ずに敗北してしまうだろう。
それほどまでに、彼は圧倒的に思えた。
「これで、『そんな場合』になりましたよね?」
涼しげに、優しげに、そんな言葉を口にして笑う。
余裕に満ちた態度が、力の隔絶を痛感させる。
――空噛トウガ。
これまで姿を見せていなかった、圧倒的な力を持つ神装者。
彼はどうしてここまでの力を持っているのか。
彼は一体、何者なのか。
レンヤの中で、動揺と疑問が尽きなかった。