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1章 英雄が望むモノ

「……なんだ、今の夢」


 酷い悪夢を見た気がする。

 炎に包まれた場所。誰かと向かい合って、戦って、そして。


(――殺された?)


 ぐっしょりと、嫌な汗をかいていた。

 意識の覚醒に連れて、夢の光景が薄れていく。強烈な、忘れがたい夢だったはずなのに、急速に記憶が掠れていく。


(あれ……? なんだ、この感覚……──まあ、いいいか……?)


 違和感はあるが、いつまでもこのことにかかずらってもいられない。

 そうして少年は体を起こし、ベッドから這い出た。洗面所へ向かい、顔を洗う。

 顔を拭いた後、鏡に映る自身を見つめる。

 ボサボサの黒髪。常に眠たげで、不機嫌そうに見られがちな目つき。

 つまらない顔が、こちらを見ている。

 レンヤは寝癖を軽く直すと、部屋に戻って制服に着替える。

 2017年、四月。新学期。

 新しいクラス、新しい仲間――レンヤの心は、そこに対して特別弾んでいるようなことはなかった。

 彼は今日から二年生。中学から高校へ上がるのならまだしも、それに比べれば二年に上がるくらい大した変化でもない。

 クラス替えで意中の異性と同じになれるか、というような不安や期待を持つ者もいるだろうが、残念ながらレンヤの気になる異性は同学年ではないのだ。

 しかし――レンヤが興味がないのは、自身のクラス替えなどに対してだ。

 この四月から入学してくる生徒に関して言えば、レンヤの心は、弾みに弾んでいる。大いに期待している。

 というか、この時を一年待った。

 レンヤが溺愛する少女が入学してくるのを。

 少女の名は、御巫かんなぎ火真理ひまり

 レンヤの幼馴染にして、妹のように可愛がっている一つ下の後輩だ。



 ――あーもうマジで超楽しみだ、やっとこの日が来た! 長かった! ヒマリがいない一年は! いやまあ別に中学と高校で離れててもちょくちょく会ってたけど、やっぱ学校が違うのは、その差はでかいというか、同じ学校にいるかどうかで会える頻度ってすげー変わるし、ああ、これから毎日会える! ヒマリと登校、ヒマリと昼食、ヒマリと放課後、ヒマリと下校……最高か!? でもアレだな……ヒマリはあまりにも可愛すぎるから高校入ってモテまくったらどうしよう……、あいつ最近また可愛くなったしな、胸もデカくなったし……あの幼い愛嬌と相反する大人顔負けのおっぱいとか殺人的すぎる……危ねえな、危ねえ……やっぱオレが守ってやらねえと!



 などと、かなり気持ちの悪いことを考えつつ、レンヤは登校の準備を終えて家を出た。


 □ □ □


「おはようございます、シイカさん」


 レンヤが学校より先に向かったのは、ヒマリが住まう御巫の家だ。


「あら、おはよ~レンちゃん。ふふ、相変わらず元気ね」

「どもっす! シイカさんは相変わらずお美しい!」

「やだもう……おばさん褒めても何もでないわよ~……? いや、どうかしらね……夫を亡くして寂しい独り身のおばさんから何もでないのかどうか……確かめてみる?」


 彼女は御巫シイカ。ヒマリの母親だ。

 腰までの長く艶めく黒髪。とろんとした垂れ目に、左目の下には泣き黒子が。女性にしては高めの身長。そしてなにより、豊満で妖艶に膨れた胸元。ヒマリも大きいが、シイカはそれを上回る。かつては一切無駄のない凹凸を誇った肉体も、最近は運動不足のせいか若干のたるみがある。その僅かな無駄が、熟れた大人の女性独特の魅力を醸し出している……と、レンヤは勝手に考えていた。ちなみにそのことを指摘すると怒られるので絶対に口にしない。

 最近運動とかしてます? と遠回しに質問したら『もぉ~……おばさんが太ったって言いたいのかな……? いくらおばさんでも傷ついちゃうぞ~……?』と包丁を向けられた。料理中に聞くことではなかった――というかいつ聞いても不味かったな、とレンヤはとても後悔した。

 ヒマリとは昔からの付き合いなので、必然シイカとも長い付き合いになる。


「嬉しい誘いなんですけど……マジで遅刻するんでまたの機会に」

「そう? 残念。学校を休んでイイことするのって、とっても素敵じゃない~?」

「素敵だと思います! ホントに! またの機会に! またの機会に! 絶対!」


 シイカの度を越えたからかいには、娘のヒマリも、早くに夫を亡くしたシイカが本当に過ちを犯すのではと、わりと本気で警戒していた。


「ヒマリならまだ寝てるわよ~。あの娘、女子高生になるっていうのに相変わらずよね~」

「ははっ、マジすか、本当に相変わらずだ。ま、それならオレが来た甲斐もあります」

「ありがとうね、レンちゃん」

「いえいえ、オレの使命みたいなもんなんで!」


 そう言ってレンヤは二階へ上がり、ヒマリの部屋の前へ。

 ドアをノック。返事、なし。


「おーい、ヒマリ? まだ寝てんのか? 返事ないならドア開けた着替え中でキャーえっちとかなってもオレ悪くねーからなー? そういう感じのラッキーでスケベなやつきても、オレ悪くないからなー? なー? 頼むぞー」


 そんなことを口にしながら部屋へ入ると、可愛らしいピンクの布団が膨れ上がり、中でもぞもぞと何かが動いてる。


「まだ寝てる……」


 若干、唖然とした。


「ヒマリー、起きろー」


 布団の上から軽く優しく叩いてみる。起きない。

 仕方がない。断腸の思いで、布団を引き剥がす。

 ばさっ、と少女を覆っていたものが取り払われ、彼女が姿を現す。

 いつも綺麗なツインテールに結われている黒髪も、今は激しく乱れていた。布団と同じくピンク色の少し子供っぽいパジャマ。腹部が僅かにめくれて、おへそがちらりと見えているのがとても淫靡。子供っぽいパジャマを押し上げる、子供らしからぬ胸。

 あの親にしてこの子。御巫家の至宝おっぱいはしっかりと継承されていた。


「ふへへぇ……あと五日……」


 だらしなく笑みを浮かべている。口元からは少しよだれが。本当にだらしない。


「五日て。どんだけ寝たいんだよ。せめてあと五分って言ってくれ」

「ふとんがぁ……ひまりのふとんがあ~……」


 眠ったままばたばたと動き出し、もにょもにょとした言葉を吐き出しつつ、レンヤの腕を掴むと、そのまま彼を抱き寄せてしまう。

 この世のものとは思えない柔らかさという概念の究極に抱きしめられ、包まれる。

 人間の肌と肌が触れ合うのは、女性の肉体というのは、こんなにも柔らかく気持ちがいいものなのかと、レンヤは毎度のことながら驚愕し、歓喜し、噛みしめ、感謝する。


「おふとんだあ~……なんか、レンにいみたいな良いニオイするおふとん……ふへへぇ……このニオイ、ひまりすきぃ……」


 破壊力の高い寝言だった。

 レンヤの鼻孔を甘い花のような香りがくすぐった。

 オレもヒマリの匂い好きぃ……と、そのままこの愛おしい生命体を抱きしめたい衝動に駆られるが、ミイラ取りがミイラになるを実践していては本当に遅刻する。布団取りが布団にはならないのだ。

 またも断腸の思いでヒマリを引き剥がす。

 彼女といると、こういった辛い決断を迫られることが多いので、何度断腸の思いをするかわかったものではない。はらわたがいくつあっても足りないのだ。

 ヒマリを引き剥がした後、彼女のぷにぷにの頬をぺちぺちぺちぺちと断続的に叩く。


「いい加減起きろ! 初っ端から遅刻だと新しいクラスメイトからの印象とかヤバいぞ、こういうのは最初が肝心なんだからな?」


 自分が一年だった時、初日から遅刻をし、目つきの悪さや風貌から不良だと思われ、周囲から恐れられてしまい、新しい友達がまったくできなかった辛い過去が蘇る。

 僅かながら先人として、こういった教訓は後輩へ伝えねばなるまいと使命感に燃えるレンヤの言葉を……。


「ふぇあ……? レンにいだ……なにしてるの?」


 ……特に聞いてはいなかったが、彼女はやっと目を覚ました。


「起こしにきたんだよ。それ以外でお前が寝てるとこに勝手に入るかよ」

「わ、わっ、そっか! ありがとう! 結構勝手に入ってるけどね!」


 感謝にひっついてさりげなく不本意な言葉が。ベッドから飛び出したヒマリは、ばたばたと慌てて支度をしていく。

 制服を手に取り、パジャマのボタンを外したところで……。


「……レンにい?」

「どした」


 ボタンが外れたパジャマの胸元からは、深い谷間と白いブラジャーが顔を覗かせている。


「着替えるんだけど!?」

「見たいんだけど!?」

「でてってバカーッ!」


 教科書が詰まったカバンを顔面へ叩きつけられ、レンヤはたまらず退散。

 ラッキースケベとかではなく、ただのスケベだった。

 

 □ □ □


「ふふん~、どう!?」


 レンヤ達が通う高校、神樹学園の制服に着替えたヒマリが胸を張る。オーソドックスなセーラー服。赤いリボンの辺りが、一般的な女子生徒よりも前方へ突き出ているだろう、形の良い巨大な胸の分だけ……と神妙な顔で分析するレンヤ。


「どうって、入学式の時に散々見たし、制服が届いた時も自慢されたが、ああ何度見ても可愛いな! 最高だ! この制服はきっとヒマリが着るためにデザインされたんじゃないか!?」

「ふっへへぇ……そうかなあ~?」


 だらしなく幸せそうに緩んだ笑顔を浮かべるヒマリ。このやり取りを一日中していたい欲求がレンヤにはあるのだが、なんのために起こしに来たのか本気でわからなくなりそうなので、いい加減登校することにした。


「今日も仲良しねえ~。いってらっしゃい二人とも、気をつけてね~」

「いってくるね、お母さん!」

「大丈夫です、気をつけます、ヒマリはオレが守ります! いってきますシイカさん!」


 笑顔のシイカに見送られ、レンヤとヒマリは通学路を進み始める。

 穏やかな春の陽気。気持ちのいい天気を、鳥の囀りを、風に舞う桜の花びらを、それら一つ一つの美しさをヒマリと共に賞賛しながら歩いて行く。

 どちらかと言えば、それらを賞賛しているのはヒマリの方で、レンヤはいちいち「でもヒマリのが綺麗だよ」と付け加えているので、ただ春の陽気を出しにヒマリを褒めたいだけなのだが。

 そんな少し前――中学時代まではお馴染みだったやり取りをまた繰り返しつつ、レンヤはそれを噛み締めている時だった。


「――やべえ、くる」

「……えっ、まさか……!?」


 レンヤは『それ』の気配を感じ取った。

 『それ』は、穏やかとかそういった概念全てを破壊する者だ。現れた途端、この幸せな雰囲気は蹂躙され、以降は闘争と破壊が支配する凄惨だけが残る。




「レンヤアアアアアァァァアアアァァァァァァアアアアアァァアアアァァアアアァァッ!」




 咆哮が、響いた。

 どたどたとやかましくせわしない足音を立てながら、その少年は猛然と迫ってくる。

 短めの黒髪に、金色のメッシュがイナズマ型に入れられている。右耳には金色のリングピアス。鋭い目つきに、牙のような歯を剥く凶悪な笑み。学ランはボタンを一つも留めずに全開。

 レンヤのような『ちょっと悪そうに見える』程度ではない、どう見ても極悪な不良らしい風貌の少年――雷轟奏磁らいごそうじ


「さあ、せっかくここで会ったんだ、勝負しようやァ! ここで会ったっつーことは、つまり俺とテメエが勝負するってことは運命ってことだよなあ、我が宿敵よォ!」

「悪い、今急いでるから後にしてくんね?」


 ソウジは事あるごとにレンヤに『勝負』を挑んでくる。それは殴り合いの喧嘩でも構わないのだが、ソウジが求めているのは、とある特殊な技術を用いての戦いだ。


「あァ!? 俺との戦いよりも大事なことがあるってのか、なあ我が宿敵よォ!?」

「あるわ」

「例えば!?」

「今日の昼ごはんなにかなーとかだよ、我が宿敵よ」

「他には!?」

「晩御飯なにかなーとか……録画してたアニメ早く見てえなーとか、帰りにあの漫画の新刊買っていこうかなーとか……」

「テメエ! 俺のことなんだと思ってやがる!?」

「うるさい何か」

「もう許せねえ、勝負しろやァ!」

「許そうが許すまいがしねえよ」

「ふざけんじゃねえ!」

「ふざけてんのはお前だ、新学期早々遅刻すんのか? また去年みてーに留年に怯える日々を送りたいのか?」

「それは………………やべェなッ!」


 突然勢いが衰えるソウジ。彼はよく遅刻する上に、レンヤと一緒に授業をサボったりしているので、かなり進級が危うかったのだ。

 レンヤの方は進級できるように狡猾にサボったので、ソウジ程ではなかった。


「だろ? じゃあ行こうぜ」

「ああ、しかたねえな……。ん、ヒマリちゃん今日から高校生か? 制服似合ってるな」

「えへへ、ありがとうございます、ソウジさん!」

「おい、こら、ヒマリに色目使ってんじゃねえ殺すぞ!」

「使ってねェわ! いちいち過剰だなテメエ、男子中学生か?」

「オレのヒマリへの気持ちの繊細さは男子中学生以上だぞ」

「……お、おう……。そうか……相変わらずだな気持ちわりいな、テメエは」


 中学時代は、レンヤ、ソウジ、ヒマリの三人で行動することもよくあった。

 久々に何も変わらないレンヤの溺愛ぶりを見て、ソウジは若干引く。

 一年前はお馴染みだった組み合わせに戻った三人。

 久しぶりのそれは、きっとこれからまた『いつも通り』になっていくのだろう。

 そう予感させる程に容易く、昔のように話が弾み始めていった。


 □ □ □


「ヒマリぃぃぃ! 嫌だ……オレは、ヒマリと同じ教室で、ヒマリの隣の席でええええ!」

「行くぞボケ……テメエは二年だろうが……」


 レンヤがソウジに引きずられていく。

 普段はソウジの方がおかしなことをしがちなのだが、ヒマリが絡めば話は別だ。彼女絡みのレンヤの異常さはソウジに勝る。


「あはは……レンにいもソウジさんも、授業頑張ってね~」


 レンヤの醜態に苦笑いを浮かべつつも、元気に手を振ってくれる後輩から引き離され、教室へ。


「はあ~……つまんね、帰るか」

「帰るなテメエ! 俺との勝負はどうすんだ!?」


 席についた途端、何のやる気も感じないだらけた姿勢で机に突っ伏してぼやく。

 そこへレンヤの席にやって来たソウジがいつも通りぎゃーぎゃーと怒っていた。


「ちょっとあなた達! どうしてそういつもいつもやかましいの!? いつもそうやって風紀を乱して! 二年生に上がった自覚というものを――」

「でた」

「うるせーな、いつもいつも」


 レンヤとソウジは思わず顔をしかめた。

 現れたのは背の低い少女だ。レンヤよりもかなり小さいヒマリより、さらに低い。


 彼女は神樹森羅しんじゅしんら

 気の強そうなツリ目。高めの位置でくくったポニーテール。

 シンラは断じて小学生ではない。

 レンヤやソウジと同じ、高校二年生だ。

 だが……小学生が高校の制服を着ているようにしか見えなかった。

 ぺったんこな胸を張り、綺麗に背筋を伸ばして、両手を腰に当てた威風堂々としたポーズで、ぷくーと頬を膨らませ怒りを露わしている。

 全体的にぴしっとした、委員長らしい雰囲気なのだが、どうしても彼女のちんまい見た目と相まって、小さい子が背伸びしてる感があり、可愛らしく思えてしまう。

 ちなみに、言動やポーズ通り、彼女は風紀委員長だ。


「どうした委員長」

「今日もちっちぇーな、委員長」

「うるさぁい! チビってゆーな!」


 ぼこっ、と弱々しいパンチがソウジの腹を捉えた。


「チビとは言ってねーが……おいおい、風紀委員が暴行事件かァ?」

「風紀のための鉄拳制裁よ」

「今、私怨だったよなァ!? 『チビってゆーな!』つって殴ったよな!? 全然風紀のためじゃねえよなァ!? っつか言ってねェし!」

「お前がわりーよソウジ。委員長はちっちゃくねーよ」

「え、ほんと!? 伸びた!? 百七十センチある!?」

「百七十って……それオレと同じくらいだからね?」

「あなたが伸びてるのかもしれないでしょ!?」


 むきいー! と理不尽に怒る委員長。

 シンラは常に真面目でルールを重んじる厳格な委員長なのだが、身長のことを言われるとただの子供になる。


「とにかく! 新学期よ! 新しいクラスよ! 二年生よ! あなた達は今年こそ、しっかりとした自覚を持った行動を心がけて!」

「はーい」

「うぃーす」

「返事に心がこもってない!」

「はいッ、身長百七十センチ委員長殿!」

「了解でありまァーす! 高身長モデル委員長殿!」

「え、ほんと? そんなにそんなに?」


 にやけながら自分の体をまじまじと確認したり、手を頭において、ソウジと自分を比べてみたりする委員長。

 明らかに、身長百三十センチ代の小学生サイズだった。

 どうやら今年も、委員長は身長のことになるとアホになる、可愛い委員長のままのようだ。

 

 □ □ □


 ソウジが学校をサボるのは、『修行!』などと言って他校の不良に喧嘩を売りに行くという、頭が前時代的すぎるとしか言いようがない、どうしようもない理由だ。

 そして、レンヤのサボりの理由は――。

 レンヤは新学期早々、授業をサボって屋上へ向かった。

 誰もいない廊下。授業の声が教室から響いてくる。ドア一つ隔てただけで、廊下と教室が別世界のように隔絶されたように感じる。授業が進行している世界から飛び出した時の解放感、高揚感が、レンヤは気に入ってた。

 階段が上がり屋上へ連なるドアを開ける。

 気持ちのいい風が吹いた。

 瞬間、手に持っていた文庫本と、舞い上がりそうになるスカートを抑える少女が。

 ――いた。ベンチに座っている彼女が、レンヤのお目当てだ。


「おや……まったく、悪い子だ。新学期早々サボタージュとは、不良だね」

「先輩の方こそ」

「こんなにいい天気なんだ。授業なんて受けてる場合じゃないだろう?」


 太腿の辺りまで伸びた黒髪が風になびく。前髪はかなり長めで、目にかかる程だ。

 黒のストッキングに包まれた脚を組み直す。そんな仕草一つとっても妖艶で神秘的な、犯し難い魅力があった。

 もう春だというのに、赤いマフラーをしていて口元がすっぽり隠れている。


 彼女は皇白暁おうじろあきら

 一つ先輩の三年生。レンヤがクラス替えに大して興味がないのは、彼の目当ての異性が一つ年上と一つ年下だ。尤も、今年もソウジやシンラと同じクラスになれたのは僥倖だが。

 アキラはいつも、こうやって授業にも出ずに屋上で本を読んだり、昼寝をしたりしている。

 彼女が視線を上に向けた。

 そこには恐ろしく背の高い大樹が聳えている。

 通称、《神樹》。

 この神樹学園の名前の由来にもなっている、街のシンボルだ。

 学園から離れてもその異様は目を引く。この街のどこにいても、あの大樹がはよく目立つ。

 そんな化物のような大樹が作る木陰で、アキラは優雅に読書に勤しんでいる。

 ちなみに委員長の『神樹』という名字の由来も、この大樹から来ている。

『神樹はでけーのにこっちの神樹はちっちぇーな』というソウジの無神経な発言に、シンラが怒り出すというやり取りは、レンヤも見慣れたものだった。

「それで? 今日はどうしたのかな、レンヤくん?」

 アキラはどこか気取った、芝居がかったような喋り方をする。シンラあたりがすれば面白くてしょうがないだろうが、アキラのような大人の魅力を備えた女性には似合っていて、様になっていた。


「まさか用もないのに私に会いに来た、なんてことはないだろうね?」

「まあ……用がなくても会いたいですけど、一応ありますよ。読みましたよ、この間先輩に借りてた本」

「キミはなかなか軟派だね。そういう浮いた台詞を安売りするのは感心しないぞ?」


 アキラは、レンヤから本を受け取りながら、挑発的な微笑みを向けてくる。


「先輩にだけですよ」

「平然と嘘をつくのも頂けないね。私と、ヒマリちゃんだけに、だろ?」

「……まあ、そうですけど。先輩、ヒマリのことどれくらい知ってましたっけ?」


 アキラとは高校に入ってからの付き合いだ。

 ちょうどレンヤとヒマリが、高校と中学で離れ離れになっている間に始まった付き合いなので、ヒマリのことはレンヤが口にする断片的な情報でしか知らないはずなのだが。


「彼女のことはよく知っているよ? ソウジくんから一通りは聞いているね。キミ、年下が好みだったんだね、年上のお姉さんとしては悲しい事実だ」

「……あの野郎ッ、絶対ッ、確実にッ、殺すッ!」

「っはは、自業自得だろう。私には件のヒマリ嬢のことは隠していたのかい? 浮気だねえ、二股だねえ……いや恐れ入った! まさかキミにそんな甲斐性があるとは!」

「別に……隠してたわけじゃないですよ」

「おや、浮気が露呈した時のような台詞だ」

「その……なんていうか、恥ずかしかったんですよ、先輩にそういうとこ知られるの」

「……ははっ、それはそれは……」


 くらり、と倒れそうなポーズを取ってみせるアキラ。


「どしたんスか?」

「年下の男の子が見せるいじらしさが可愛くてね。お姉さんはそういうのに弱い」

「だって、なんていうか……」


 上手い言葉が見つからなかった。

 レンヤはヒマリの前では当然として、ソウジといる時もそれなりに間の抜けたことばかりしているが、アキラといる時は必要以上に自分をよく見せたいのだ。

 年上の女性に、背伸びして追いつこうとしている。

 そういう健気な部分をアキラは見抜いて、そこにぐっと来ているというわけだ。


「……ただまあ、キミのそういうところは好ましいが、やはり普通に二股一歩手前という風情だね」

「二股って……オレは別にヒマリと付き合ってるわけじゃないですよ。もちろん……残念ながら、先輩とも」

「ヒマリちゃんと付き合いたいとは思わないのかい? 溺愛していると聞いたが」

「ソウジ殺す……。……そうっすね……まあ、できれば結婚したいですけど、なんていうか、ヒマリは守る対象だから、そういう目で見れないっていうか。妹みたいなもんなんですよ」

「うー……んん? おかしいな、もう一度言ってくれないか?」

「え、だから……結婚したいですけど、別に付き合う気はないっていうか」

「いずれ結婚すると?」

「先のことなんかわかんないですよ」


 アキラは瞑目し、腕を組んで唸りだしてしまう。

 彼女が腕を組むと、大人の魅力が詰まったものが押し上げられて悩ましい。


「結婚したいけど、妹的な存在だから我慢していると?」

「……近いかもしんないっすね」

「なかなか堂に入った変態だね、キミも」

「どこがスか。しょうがないじゃないですか、見ますか、ヒマリの写真。めっちゃ可愛いですよ!?」

「親か」

「お兄ちゃんです」

「赤の他人を妹扱いというのもなかなかだね」

「お兄ちゃん的な存在です」

「兄妹プレイだね」

「いいじゃないですか別に……」


 項垂れるレンヤを見て、アキラは笑う。


「では、姉弟プレイと洒落込もうか? 私は有り余る母性の捌け口を探しててね、ちょうどいい捌け口が近くにいる気がするのだ、どうだろう」

「いいんですか!? はいはい! 捌け口でーす! 捌け口ここでーす!」

「食いつきが良すぎて引くなあ」

「えぇ~……」

「本気のがっかり具合にも引きそうだ」



 思わず笑みを零すアキラ。

 相変わらずからかい甲斐あってなによりだった。



「ところで、私のことはどうなんだい?」

「はい?」


 余裕に満ちた微笑のまま首を傾げてみせるアキラ。

 これは先輩ルートへの分岐点だろうか、セーブしておきたい……とレンヤは慎重に答えを考えるが……。


「二股は……よくないですよね」


「ああ、よくないね。人は時に、選択を迫られる。何かを選ぶということは、何かを選ばないということだ。どちらも選ぶ、なんて子供のワガママは往々にして通らない。特に恋愛なんてものはその代表例ではないかな」


「じゃあ、選べないなあ……」

「どうして?」

「だって、……ああ、これはもしもの話っすよ? もしも先輩を選んで、それでいい感じになったら、もうヒマリにセクハラできないじゃないっすか」

「……そんな最低な理由で私はフラれたのか……?」


 本気で理解できないという顔になる。


「いやフッてないですよ!」

「似たようなものだろう。フラれるならせめて、ヒマリちゃんを選ぶからという男らしい理由がよかったが、そこからは遠い、現状維持で優柔不断の最低なラノベ主人公、温いハーレム野郎の答えが返ってきてしまった」

「そんなボロカスに言います?」

「充分手加減しているよ。相手が相手ならビンタして立ち去られてもおかしくない発言だと思うけれどね」

「マジですか……。でも、オレ、今のままがいいんですよ。ヒマリがいて、あいつのこと守って、ソウジと馬鹿やって、委員長に怒られて、先輩とお喋りして……。今までの日常が気に入ってて、そこにヒマリが増えるわけだから、もう文句ないんですよ」

「なるほど。なら私と大人の階段を上るルートなしだな。もう少し平和な共通ルートを楽しむと良い」

「大人の階段!? そんなルートが!?」

「今断たれたけれどね。ああ、そして残念ながらキミの人生に共通ルートでのえっちなシーンは実装されない。されそうになったら私が全力で阻止しよう、気に食わないからね」

「そんなあ……」

「ふふ……覚悟しておくことだね、キミはいつか選択を迫られる。まあ、それまでは楽しい日常を過ごすといいさ」

「まーた先輩はそうやってなんか意味深なこと言うー」

「ははは、なにせ私はミステリアスなお姉さんだからね。なんだからそれっぽいことを言うのがクセなのさ。たっぷりと深読みしてくれたまえ」


 お馴染みになったやり取りを交わし、二人は笑う。

 レンヤは、アキラとのこの時間が気に入っていた。アキラと話すために、授業までサボって密会を繰り返しているのだ。


「それで、どうだった? そろそろ感想を聞かせてくれないか?」


 先刻レンヤから受け取った本の表紙を指で示す。


「面白かったです! 主人公の最後の決断のシーンが……あそこ泣きましたよ」

「だろう? ああいうのは好みかい?」

「う~ん……オレはもっと、みんな幸せになるのが好きなんですけど……でも、切ないのも好きですね」

「……そうか。私は全員が全員、なんの傷もなく幸せになりました……なんてオチはしらけてしまうタチでね。そこは少しキミとはズレるかな」

「子供なんすかね、オレ」

「好みはそれぞれさ。子供なのが悪いことではないし、私は好みだよ?」

「年下好き? ショタコン?」

「キミはショタというには育ちすぎだけれどね」


 そうやって取り留めのない会話を繰り返していくうちに、ふとレンヤは今朝見た夢のことを話そうと思った。

 本当になんとなく、それを切り出した。話題なんてなんだってよかったのだ、アキラと話せればそれで。


「そういや先輩、今朝、なんかすげーいやな夢見たんすよ」 

「ふむ、というと?」

「誰かに殺される夢なんすけど……あれ、どんなだったっけな……なんか、すげえ怖かったことだけ覚えてて、肝心の内容が出てこないんですけど」

「私にも経験があるよ。それは、今朝で間違いないんだね?」

「そっすね。へえ、先輩も怖い夢とか見るんすか? ってか先輩、怖いものとかあるんすか?」

「か弱い乙女に失礼だね、勿論たくさんあるとも。……ああ、そうだ、一つ提案があるんだが」


 アキラが左腕にしていた時計を見ながら言う。


「なんすか?」

「一つ、私の膝枕で眠ってみるのなんてどうだい? お姉さんの柔らかい太ももの安眠効果は保証しよう。これで夢見もいいはずだ」

「マジッスカ!?」

「相変わらず食いつきがいいね……今行われている授業が終わるまでなら構わないよ。次の授業には出ようと思うから、それ以上はなしだ」


 ぽんぽん、とストッキングに包まれた美しい太ももを叩くアキラ。

 ごくり、と生唾を飲み込むレンヤ。

 夢にまで見た瞬間だった。これで悪夢なんて見るわけがない。

 というか目覚めているのに夢のようだ……それも淫靡な。夢オチじゃあるまいなと頬をつねってみる。痛い。


「じゃ、失礼して……」


 そう言って体を倒して、太ももへ頭を乗せようとした時だった。

 腕時計で時間を確認していたアキラが、すっと立ち上がる。


「――残念、時間切れだ」


 レンヤはそのまま頭をベンチをぶつけてしまう。


「いってぇッ!」


 同時、授業が終わったことを告げるチャイムが響く。


「惜しかったね、お姉さんの膝枕はおあずけだ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるアキラ。そこでやっと気づく。最初からあの提案はオチが計算されていた。時計をみながらの提案はそういうことだったのだ。


「はめられた……」

「浮気者には制裁が必要だと思ってね……。ああ、それから――私の怖いものはね、キミと同じさ」


 アキラは天を仰いだ――いや、神樹を見上げているのだ。


「殺したり、殺されたり……そういうのは怖いさ。でも、仕方ないんじゃないかな」


 なぜなら……とどこか悲しげな表情で、アキラは続ける。


「――そういう存在だろう、私達は・・・


 視線は神樹に向けたまま。

 沈黙が満ちる。

 そして。


「…………でも、オレは……それが嫌だから……」




「――だから、英雄になりたいって?」




 英雄になりたい。

 それは、レンヤが日頃から繰り返す口癖だった。

 アキラの言葉を契機に、レンヤの脳裏にあの光景が浮かぶ。

 幼い頃、どうしようもない危機に陥った。あと少しで、死んでしまう、そう思った時だった。

 レンヤの前に、英雄が現れた。

 英雄は、あっという間に敵を倒して、レンヤを救った。

 だから――憧れた。

 誰かを救える、英雄に。


「ええ、そうです……オレは、必ずなりますよ」

「ふふ……ああ、青臭い、大変好みだ。応援しているよ、頑張りたまえ、未来の英雄くん」


 そう言って、いつもの通り、神秘的に、妖艶に、意味深に笑って去っていくアキラ。

 風が吹いて、神樹が揺れる。

 アキラは言った。


『ふふ……覚悟しておくことだね、キミはいつか選択を迫られる。まあ、それまでは楽しい日常を過ごすといいさ』


 いつか選択を迫られる、と。

 あれは冗談でもなんでもない。

 近づいている、そういう時が。

 近づいている、日常の終わりが。

 時は待ってくれない。時はただ刻まれる。


 レンヤの愛している日常には、タイムリミットがある。


 □ □ □

 

 赫世レンヤは、どこにでもいる普通の男子高校生――――ではない。

 レンヤは、魔術師と呼ばれる存在だ。

 厳密には、魔術師ではなく、神装者グリーザー

 だが、神装者グリーザーというのは、魔術師の一種を示す言葉なので、レンヤを魔術師と表現するのは間違いではない。

 魔術。通常では考えられない、異能の力。火や雷など、超常の力を操る術を磨き、それを以て魔術師は殺し合いを繰り広げる。

『殺したり、殺されたり……そういうのは怖いさ。でも、仕方ないんじゃないかな』

『――そういう存在だろう、私達は・・・

 先刻のアキラの言葉は、そういうことなのだとレンヤは解釈している。

 そう、アキラもまた魔術師なのだ。

 ソウジの言う『勝負』とは、魔術を使った勝負のことだ。

 レンヤ達は、いずれ魔術を使った殺し合いに身を投じることが決まってる。

 この街の人間が皆そうというわけではない。極少数の人間が、その事実を世間に隠しながら暮らしている。


 《神樹六家》。

 この街を代々守ってきた、六つの家系。

 神樹。空噛。

 雷轟。蛇堂。

 皇白。赫世。


 つまりは。

 雷轟ソウジも、

 神樹シンラも、

 皇白アキラも、

 赫世レンヤの周りにいる人間は、魔術師ばかりだ。御巫ヒマリも、六家ではないが、魔術師の家系だ。

 あの巨大な《神樹》は、ここに強力な魔力源がある証だ。

 この街には、魔術師が集まっている。

 そして、集まった魔術師には、共通の目的がある。

 その目的を果たすために行われる、狂った仕来り。

 《黄昏の戦儀》――魔術師同士の、殺し合い。

 レンヤは、この殺し合いを止めようとしている。そのためには、ソウジ、シンラ、アキラの協力がいる。彼らの協力があっても、難しいかもしれない。

 参加者の枠は、六つ。四人が協力しても、残りの二人が殺し合いに積極的なら、戦いは避けられない。数の上では有利でも、どんな恐ろしい魔術師が参加してくるのかわからない。

 それに、不安になる要素は他にもある。

 《黄昏の戦儀》を勝ち抜いたものは、願いが叶うというものだ。『なんでも願いが叶う』と言われて、人は平静でいられるだろうか? そのためなら、どんなことでもしようと思わないだろうか?

 レンヤは、ソウジ達を信じたい。だがそれでも、なにかあったら……。自分だってそうだ、もしもヒマリに何かあれば、自分は願いに縋るのではないか?

 不安は尽きない。

 今朝の悪夢は、そのせいかもしれない。戦いが近づいて、不安でしかたないのかもしれない。

 アキラはそれすらも、見抜いていたのだろうか。

 なんにせよ、レンヤが目指す形は一つだ。

 殺し合いなんて、しない。願いなんていらない。


 欲しいのは、誰もが笑って終われる、子供の理想みたいなハッピーエンドだ。

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