第03話
「よ、よしっ」
「こ、これぐらい大丈夫ですわ……」
いざ、気持ちよく更衣室から出てきたわいいものの、目の前の汚れ達に少なからず引いていた。
私だけだけでなく、うみちゃんもかなり引いている様子だった。
私たち二人は言っている事と、表情が一致しない。
でも、
「がんばらなくちゃっ!」
私はもう半ばヤケになって、更衣室隣にある倉庫を開いた。
倉庫と言っても鍵が不要なほど簡易で小さなプレハブ小屋で、そこにはデッキブラシなどの掃除用具が埃を被って置かれている。
掃除用具のほかに、ビート板や浮き? のようなものも入っていたが、もちろん埃だらけ。
もちろんその倉庫にも蜘蛛の巣の魔の手は及んでいた、がそんなこと気にしてられない!
と、ガっとデッキブラシと、バケツと、ホースが何重にも巻かれたホースケースを何回かに分けて取り出した。
「うおおおおおおおおおおおおおおお」
そのまま舞う埃に咳き込まないように堪えながら、ホースをケースから取り出して持って走った先は手洗い場。
手洗い場には目を水で洗うための、細かい水が出てくる、横に細長で上向きの吹き出し口のある蛇口も設置されている。
その横にある普通のねじって、上向きにすることの出来る蛇口にホースをぐいっと差し込んだ。
「開栓っ!」
蛇口のハンドルを目いっぱい回すと、バシャアアアアアアアアアアアという音と共にホースの先から水を吹き出し始めた。
「強すぎたっ!?」
水圧におもわずホースを手放しそうになったが、ざらざらしたプールサイドの地面で踏ん張りながら、ハンドルを先ほどとは逆に回した。
「よしっ!」
水圧が手頃になると、水の向ける先をプールの中へと向ける。
「うみちゃーん、デッキブラシ持ってきてくれるー?」
「……はっ! は、はい! 今すぐ持っていきますわっ」
私が目にもとまらぬ速さで、作業に取り掛かったのを見たことで、呆然としているようだった。
しかしうみちゃん、それからの立ち直りは一瞬で、すでに私に声をかけながら倉庫へとダッシュ&デッキブラシを二つ取り出し、そしてダッシュ!
プールの底に降りる時は、端のハシゴを使って、じっくり降りていく……そこから! ダッシュ……はせずに、しっかりとした足取りで私のもとにきた。
「はい、ハジメさん!」
「ありがとうっ!」
「私も負けませんわあっ!」
私にデッキブラシを一つ取り出した途端、私がホースで最初に水をかけた場所にデッキブラシを走らせ始めた。
うみちゃんは、お嬢様でおしとやかだけれど、幼少期の頃の熱い思いを忘れていない――隠れ熱血少女なのだ!
その楽しそうなうみちゃんが、嬉しくて、微笑みながら彼女に負けじと叫ぶ!
「負けないよおおおおお!」
私と、うみちゃんの楽しい時間が始まる。
勢いで始めそうになったものの、一度デッキブラシを走らせる手を止めた。
そしてプールからあがったうみちゃんが、洗剤が入ったボトルをよいしょよいしょと持ってきて、なんとボトルを振りかざるようにしてプールにぶちまけた。
遠心力で遠く広く飛ばされた洗剤の泡を見て、再び始まる。
そこからは、世間話をデッキブラシの音にかき消されないように大きな声で話しながらデッキブラシを二人扱っていた。
水の出るホースは、一定時間でえ私とうみちゃんで代わりばんこ、もちろんホースも手放さずに、ホースとデッキブラシを扱いながらプールを駆ける。
「ねー! うみちゃーんっ!」
「なーんですのー!」
「滝浦さーんて知ってるー!?」
「私の前で、ほかの女のことなんてっ!」
「うーわきーじゃなーいよー!」
「わかりましたーわー!」
その時冗談めかして答える際に、うみちゃんが一瞬だけ表情を変えたのに気づくことはなかった。
ちょうどプールの端と端の対角線上で、会話している瞬間だったからだ。
「そーれでー、知ってるー?」
「ひとーなーみでーよけれーばー!」
その後、大声のキャッチボールの際に人並みにしては少し細かい滝浦さんのことを教えてくれた。
本当なら関わり合いのなるはずのなかった滝浦さん、でも昨日の水面を見つめる滝浦さんが、あれを見た以後ちょくちょく脳裏に浮かんでしまうのだ。
ほんの少しの好奇心だった。
「なーるほーどー!」
「おーやーくに立ーてましたーかー!」
「あーりーがーとーうーうみちゃーんっ!」
お礼を言うと、今度は近くで掃除していたために頬を赤らめるうみちゃんが見えた。
それは、とっても可愛かったのだ。
「声が……げほげほ枯れて」
「ちょっと一休みじようがあ」
大声で叫び続けた結果、私たちの声は枯れてしまっていた。
さらに叫び続けながら、いろんな体の部位を使ってのプール掃除で、お互い体力を消耗していた。
「じゃあプールサイド――」
すぐそこのプール壁をよじのぼって、行くために歩き始めえて、その時気が抜けた。
「あ」
まだ藻が残っていた部分を思い切り踏んで、そこから面白いように滑ってしりもちをついた。
「きゃっ」
つい声を上げた、水着ごしとはいえ、冷たいものは冷たいし、ぬるっとしてるし、そしてお尻がちょっと痛い。
少しの間立ち上がれないでいると、手元にあったはずのものなくなっているのにまず気づいた。
「あっ」
顔を上げると、暴走するホースから噴き出る水に思い切りかかるうみちゃんの姿。
頭から水を浴びて、水を含んだ前髪で顔の上半分が隠れた。
水も滴る……いい女?
「あの、ごめ――」
「休憩終了……これから、私の番ですね」
怒ってる……!
飛び跳ねていたホースを一発で手に入れると、ギラリとうみちゃんの瞳が光るっ!
「お返しですわああああ!」
「ああああっ!?」
そうして、私が追われ、うみちゃんが追う。
「ごめんってばー!」
「一度まともにお喰らいなさいっ!」
……うみちゃんは、私より背がちょっと高くて。
それで胸もオッキイ、というか水に濡れたことで体操着がスクール水着に張り付いて、ものすごい存在感を――!
いつもは長くしてる髪も、今掃除しているときには、お団子にしていた。
それが解けかけたのは私のせい…せいだけど。
すっかり大人な身体付きになっても、やっぱりうみちゃんはうみちゃんだった。
そこからは掃除なんて関係なくなって、二人遊んだ。
久しぶりに、はっちゃけているうみちゃんと遊んでいると幼少期を思い出して、楽しかった。
「ははは……」
家に帰って冷静になる、このドロでところどころ土色になった体操着とスクール水着を洗わなければならなかった。
結局遊んでいたら、夕方になって様子を見に来た校長先生に『掃除終わる前に遊んじゃだめでしょー』と笑顔で説教を受け、掃除用具を片付けた後、撤収。
そのあと、興奮冷めやらぬ状態で別れて帰路に就く。
また同じ場所で見つめ合う滝浦さんも目に留まったが、それは別にどうでもいい。
楽しかったー! こんなにはしゃいだのいつ以来だろー!
と思って家に着いた途端に、スイッチが切り替わった。
プールケースの中にあるビニール袋に入っている汚れた、スクール水着・体操着のシャツ。
思わず『ああ……すっかり忘れてた』と、気が重くなった。
今は風呂場でゴシゴシゴシゴシ……
「はじめ、そろそろ風呂入りたいんだが」
「お父さんはまだ待っててよ! それに私がお風呂先に入るからっ!」
そう強い口調で言うと『やれやれ横暴だなあ、一家の家長なのになあ』とブツブツつぶやきながら風呂場をあとにした。
「くっ~! さっさと落ちろー!」
汚れと、さっきまで気分上々だった私が恨めしかった。
* *
翌日、金曜日。
昨日のプール掃除が、今頃になって体に響いていた。
「今日も遅刻寸前でだったわね? だらしない」
「ななちゃん?」
私が授業を終えて、一息付こうとして机に突っ伏していると、頭上から声が聞こえてきた。
見上げると、見慣れた顔があった。
「いや~、ギリギリまで体操着干してたらねー」
「言い訳はいいわ。それより、あなた第三水泳部を復活させようとしてるんですって?」
昨日旧第一水泳部を掃除しているのを、旧第一プールに面している第一運動場で、競技練習をする陸上部員などに見られていたらしく、クラスの一部で噂が広がっていた。
確かに今日の朝も、クラスメイトが話しかけてきてその真偽を聞いてきた。
そして、目の前にいるのは能代奈々、私はななちゃんって呼んでる子。
今では珍しいツインテールに、私と同じぐらいの中ぐらいの背……胸はちょっと負けてるかも。
整った顔立ちの、吊り目で、美人と可愛いの間のような女の子。
昔は私と、うみちゃんと、ななちゃんで海で、山で、森で、川とかでたくさん遊んだ。
もちろんみんなでプールに行くことも多かった、三人泳ぐことが好きだったのだ。
それからも遊んでいたんだけど、小学校も高学年になる頃には突然ツンツンとし出した
最初はケンカばっかりだったけど、しばらくして彼女は”ツンデレ”? というヤツなどと知って、今では少し微笑ましく思えている。
表面上私に辛く当たっているように見えても、心根は変わっていないのを知っている。
実際、私が転んだ時にはいつでもすぐに駆けつけて、絆創膏を無言で差し出すのだ。
その時にお礼を言うと、顔を真っ赤にして照れるななちゃんは、昔の面影があって。
「うん、そうだけど? 入りたい?」
「な、なななな!? そんなことある訳ないわっ! それよりも私のいる第一水泳部に入らないなんて……ふんっ、臆したの?」
ななちゃんは結構前からこんな感じで、時々絡んでくる。
私も手馴れたもので、今は軽く受け流す。
ここでケンカになってもしょうがないからね、きっと彼女も喧嘩したいわけではない……はず。
なんで私に対してツンツンしてるかは、今も分からないけれど。
彼女は、あの第一水泳部のホープらしく、ほぼ毎日のように部活に行っているみたいで、時折、第一水泳部でこんなことがあった~、どう羨ましい? と自慢してくることもある。
実際に、野望を抱いてからも一度第一水泳部を訪れると、彼女は真剣でいて、その力強さの中にしなやかさも兼ね備えている、ななちゃんの泳ぎには圧倒された。
うみちゃんとは遊んで、ななちゃんとはよく競って泳いだ、ななちゃんはその頃から泳ぎが上手で、負けてばっかりだったなあ。
ちょっと悔しいけど、彼女が勝って、私にサインと笑顔を向けるのが、とても可愛いらしかったのだ。
「じゃあ、そういうことでいいかな」
「むうっ! そうやって軽く受け流しているつもりなのも、実際はうらやましいことの裏返しなんでしょう?」
「まあ、それは違うかな」
その時に私は立ち上がる、思わぬ行動だったのか、びくっとするななちゃんをじっと見つめる。
「な、なによ」
「ななちゃん……私ね」
すぅと息を吸い込んで、というより深呼吸。
自分は”親友”だと今も思っている相手に告げること。
「私ね、ななちゃんのいる第一水泳部を倒しに行くんだ」
そう、しっかりとした口調で、はっきりと言い放った。
そこまで大音量ではなかったけども、クラスがしんと静まり返った。
「な……っ! ななななななななななななななあっ!?」
ななちゃんは驚きすぎていた。
そして、堰を切ったようにヒソヒソ声が始まり、重なる。
私たちを囲むようにして、視線を向けながら話し出すのだ。
そんな中で、まったく違う表情をしていたのはうみちゃんと滝浦さんだった。
うみちゃんは『まあまあまあ! もう後戻りできませんわねっ!』と、とても嬉しそうだった。
一方で滝浦さんは、あっけにとられた様に、きょとんとした顔で私に視線を向けていた。
彼女が私を見つめる、というのは初めてかもしれない。
なにせ、二人ともども関わり合うことがないだろうと考えていた相手だったのだ。
私は、あっけらかんとして。
他の視線に返すこともなく、ななちゃんを見つめ続けた。
すると動揺が引き、そしてニヤリとした笑顔へと変えていく――ななちゃん。
「面白いじゃないの……やれるものならねえっ! あーはっはっはっはっはっ!」
爆笑だった、ニヤリからの心の底から笑っていた。
それに少しだけ驚きつつも、私は続ける。
「私が勝ったら、第三水泳部に来てよね」
「面白い、考えてもいいわ……こちらが勝った場合の条件を提示したいところだけれど、第一とのハンデを考えてそれはいらないわね」
「ありがとう、ななちゃん」
「ええ、こんな勝ちが決まっているからあまり面白くはないですけれど」
「言うね~」
二人おでこをぶつけ合って、超接近で笑っていても、瞳はそれぞれギラギラと輝いていた。
どっちも新しいおもちゃを見つけたかのように、とっても嬉しそうに。