第2章_2.3対決
目の前で河童の親子が捕食され、それをただ見てるだけで何も出来なかったイズナは、何よりも自分自身に腹が立った。
その怒りを一気に爆発させると、イズナの身体は白い霊体を纏った光を発した。
そして、捕食者めがけて突進して、さらに巨大化した爪であっという間に捕食者を八つ裂きにした。
そこで美幸たちが合流した。どうやら表の連中をなんとか押さえ込んだらしい。
状況を見た美幸は、河童の親子が居ないことを理解し、少年を安全な場所に避難させた。
痛恨の表情でイズナは言った。
「お前ら、先に帰ってろ」
今まで見たこともないイズナの静かで強烈な怒りに、美幸は気圧されながらも言った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。何一人でカッコつけているのよ。表にいたって十分に感じ取れたわよ。あれは捕食者、あなたより上位の種族でしょ? あなた一人で勝てる訳ないでしょ。せいぜい奴が着ている人の器を壊す程度でしょ」
美幸も時江から聞いたことがあった。詳細は不明だが、人型で体全身が白く光り、あらゆる魂を喰らい続ける『捕食者』と呼ばれる種族が存在するということを。
イズナも、憑依体の魂を喰らう事があるので、種族上は捕食者に分類される。だが、イズナに喰われた魂は強制的に帰化されるだけなのだ。だからその魂は、次の輪廻転生の機会を待つ事が出来る。
しかし『捕食者』は違う。捕食者は魂を喰らう事で、そのエネルギーを糧に生命を繋いでいる。一度取り込まれた魂は、拷問にも似た苦痛を味わい続けながら消滅するだけなのだ。帰化して輪廻転生などあり得ない、苦痛の末の消滅。
「じゃあどうすんだ! もうあの魂は諦めろってか?」
美幸は一つだけ、魂を苦痛の先の消滅から救える方法を知っていた。それはイズナ自らが捕食者に捕まり、取り込まれてから捕食者の中で魂を見つけ、イズナがその魂を喰らえば、その魂はその瞬間に帰化され、苦痛から逃れることが出来るのだ。
だがそれは、イズナ自らが捕食者の糧となり、魂が尽きるまで苦痛と共に消滅するのをひたすら待つことを意味する。
「…油断してた。言い訳にしかならねえが、それは正直認めるよ」
こんなにも素直に自身の非を認めたイズナを、美幸は見たことがなかった。
「でも美幸、お前いま何か方法があるって顔したな? それを教えろ」
「そ、それは……」
「早く教えろっ! 奴ももうすぐ復活するぞっ!」
イズナによって、手が切り落とされ、脚が切り落とされ、胴体が裂け、頭部も切り落とされた捕食者の体は、ゆっくりとだが一つに合体をして、元の体に戻ろうとしていた。
「まあ落ち着くのじゃ」
犬神だった。
「わしに考えがある。必ずしも成功するとは限らんが、試す価値は十分あると思うぞ」
「犬神様? あの捕食者を倒す方法があるのですか?」
「言った通りだ。必ずとは言わぬが、試す価値は十分にあるぞ」
「やってやるよ。勝つか負けるかじゃねえ。やるかやらねえかだっ!」
美幸達の前にそれはゆっくりと現れた。イズナによって人間の器は完全に破壊されたものの、白く光る思念体の状態で人型をしている。捕食者の本来の姿だ。
がしかし、ゆっくりと漂っているだけかと思っていた次の瞬間、捕食者はイズナの隣に瞬間移動して襲い掛かった。
だがイズナは逃げようとはせずに、自ら捕食者の口に飛び込んでいった。
「イズナ、一分よっ! 必ず戻ってきてねっ!」
美幸はそう叫ぶと、急いで少年から取り戻した霊音の指輪をはめ、霊音を奏でながら祝詞を唱えた。
それはイズナに使い魔として力を強化させると同時に、捕食者の動きを鈍らせるという共鳴祝詞だ。これは普段の数倍の霊力が必要で、美幸でも一分くらいしか持たない。
それをサポートするのが犬神と古弧狸虚だった。美幸が祝詞を唱えると同時に、二体が捕食者に攻撃を仕掛けたのだ。
古弧狸虚が捕食者の体の一部に触れる。すると、捕食者の光がその部分だけ消えた。僅かな時間だが、古弧狸虚には相手の霊力を無力化するという力があるのだ。
その無力化された箇所を、犬神が至近距離からの打撃と弩咆を浴びせ、完全に消滅させる。もちろん捕食者は再生するが、切り裂かれるよりは再生に霊力を消耗する上に、美幸の祝詞で動きが鈍っているので、さらにより多くの霊力を消耗せざるを得ない状況なのだ。
ただしそれも祝詞の効果があればこそだ。
約束の一分が過ぎ、美幸の力も限界を超えてしまっていた。徐々にだが確実に効果が薄れ、大きな唸り声と共に捕食者が力を取り戻していった。
**
真っ暗な闇だけの空間にイズナはいた。
捕食者に取り込まれた経験なんて今までなく、光も音もない暗闇の中、イズナは霊力を瞬く間に消耗しながら、河童の親子の魂を探した。しかし、いくら妖気を探っても何も感じ取る事が出来なかったのだ。
そこは完全に『無』の世界だった。
―どこだ? どこ行った?―
「とっとと出てこいっ!」
時間ばかりが過ぎていく。己の意識が消えそうになりながらも、イズナは叫び続けた。
「くそっ、おれもここまでか……」
諦めかけたそのとき、僅かに何かが反応した。イズナは最後の力を振り絞り、その方向に妖気を探るべき感度を上げた。
「そこか?」
イズナはその妖気の感じる方向に飛びかかった。
**
美幸が膝を付いてしまった。必死に祝詞を唱え続けるが、効果が消え始めている。
しかしイズナは一向に出てくる気配がない。
「あともう少しじゃ、頑張るのだ」
美幸が力尽きるその直前、突然犬神が上空にジャンプをすると、捕食者の頭上から怒砲の一吠えを放った。
その衝撃がすさまじく、美幸は後方へと吹き飛ばされ気を失いかけたが、攻撃を受けた捕食者が口から何かを吐き出したのが見えた。
イズナだった。
しかし地面に叩きつけられ、ピクリとも動かない。
そんなイズナ目掛け、捕食者が再び襲いかかろうとした。
が、再び犬神の怒砲の一吠えを正面から受けた。さっきより数段威力のある怒砲だったので、その直撃を受けた捕食者は、川岸の反対まで飛ばされ、護岸のコンクリートに強く叩きつけられた。
「よしっ、今のうちに全員逃げるぞっ」
**
それから三日後。イズナはようやく意識を取り戻した。
「痛てててて……」
「体の具合はどう?」
「ああ、最悪だ……手足がちぎれたみたいだ。どうなったんだ?」
「捕食者に妖気のほとんどを吸いとられちゃったからね。体が原形を留めているのが不思議なくらいよ」
「捕食者はどうなった? あれからどれだけ時間が経ったんだ?」
「捕食者からあなたを救出した後、みんなで一目散に逃げたわよ。あんなのとまともにやり合って勝てる訳ないから」
「そうか……」
結果としてイズナは、河童の親子の魂を食べる事が出来た。
長い沈黙の後に、犬神が静かに言った。
「最善は尽くした。これ以上は悔いても致し方ないだろ」
そう言って犬神は大の体から消え、邪蛇が現れた。
「ちくしょう、何だったんだ? あのジジイ。突然表に出てきやがって」
美幸は独り言のように呟いた。
「きっと犬神様には分かったのね。子供を思う母河童の気持ちが。だから何とか手助けしたかったのね。主格の交代はそのために行われたんだと思うわ」
するとイズナが問い返してきた。
「主格の憑依体を押し退けて交代するなんて、普通はないがな」
「まぁ、古弧狸虚や邪蛇より霊格的には上位だからね」
「……確かに。でも普通は上位の奴が主格になるはずだろ?」
「何か事情があるんじゃない?」
「そんな呑気なこと言ってられないかもな。気を付けろよ。あっちの方には烏山天狗がいるんだ。犬のジジイはともかく、好き勝手されたら手がつけられねえぞ」
「そうね、気を付けないとね」
美幸はベランダの窓越しに空を見た。茜色に染まった空に一本の細い雲が漂っている。
続く