第1章_1.3美幸の冒険
「一度は来てみたかったのよ。外の世界。しかも東京っ!」
〝外の世界〟とは大袈裟かもしれないが、実際のところ美幸は生まれてから一度も山の麓より外へは行ったことがなかったのだ。
敷地内には畑と田んぼがあり、井戸もある。足りない分は麓のスーパーに行けばよかった。勿論、興味はあった。しかし切っ掛けがなかった。
だが住んでいた家が焼失してしまった。だから美幸は二人と一緒に上京し、和人のマンションに住むことにしたのだ。
駅にも近い2LDKの広い物件。これから転換師として活動するのにも、隣近所に無関心な都会の住宅事情は都合がよかった。一部屋を勝手に自分の部屋と宣言し、憑依されたままの和人と大との三人で、奇妙なルームシェア生活が始まった。
美幸は上京する前、焼失した家の周辺にこれまで以上に強力な結界を張った。誰も近付けさせないためだ。もし転換師を必要として訪ねて来る人が近くに来れば、その結界に付与した『道標』によって、このマンションに辿り着けるようになっている。
逃げ出した憑き物達も、どのくらいの力が残っているか分からないが、ほとんどが影響が無いくらいの状態にまで弱っていたはずだ。再び人に影響を与えそうな憑き物はまた狩り直せばいいだけだ。
美幸は〝自分の部屋〟で横になり、ひと段落付いたことにホッと一息ついた。
それから二人に憑いた四体について、考えていた。
下僕にしたのはいいが、イズナのような働きは期待できない。
それに今は古狐狸虚と邪蛇が主憑依となっているようだが、潜んだ二体の方がさらに格上の妖怪なのだ。それがどういう訳か、あの一瞬だけ気配を現した以降は表に出ることはなかった。
「考えても分かんない事はしょうがないか……」
勢いよく起き上がると、
「まずは生活できるようにならないと」
これまで転換師で手に入れたお金はそれなりにあった。しかし家と共に全て焼失してしまった。そして憑依状態の二人を外に出す訳には行かない。となると、自然と働き手が決定した。
「こっちでも転換師で稼ぐしかないかぁ」
「どうやって客を呼ぶんだ?」
イズナが聞くと、
「我に策あり。ふふふ」
美幸は部屋に『檻の結界』を張り、その中で二人を留守番させると、イズナと共に人通りの多い駅前にやってきた。
そして鞄の中から手書きのビラを数十枚取り出すと、電信柱や店の窓ガラスと、許可なくところ構わず貼っていった。
「効果あるのか?」
「漁業と一緒。これは網」
「漁業?」
美幸が貼り付けたビラには『あなたの不幸を払います』と書かれていた。
「おい、勝手に張って大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。結界の応用よ。どうせ普通の人には見えないし」
美幸の言った結界とは、転換師に会う事を強く望む人だけを受け入れ、他を排除するものだ。つまり必要としない人はこのビラの存在自体を認識することができず、必要としている人には夜の灯台のように目に留まるのだ。
それに『道標』が付与されていた。焼失した家の周りに張った結界にも付与したものだ。
これによって必要とする人には、美幸のところまで導かれる。
大都会の人通りの多い駅前。ここで〝網〟を張れば、客は釣れる……じゃなく連れてこられると、美幸は考えたのだ。
「結界にも色々は使い方があるんだな?」
「結界師って言われる人たちがいるからね。本当はもっとあるらしいけど。私がおばあちゃんに教わったのはこれだけなの。さて、網も張ったし、後は待つだけね。我ながらグッドアイデアでしょ?」
「網と言うより罠だよな」
「何?」
「いや、何でもない。早く客が来るといいな」
**
びらを貼り出した直後からその効果は現れた。
『不幸』とは人それぞれ、大小様々、形も様々だが、当人にしてみたら決して小さくはない問題だ。
「まー君を捜して欲しいの……」
チャイムが鳴り出ると、小学四年生の詩織ちゃんは開口一番にそう言った。
飼っていたハムスターが何処かへ行ってしまったので探して欲しい、というのだ。
上京して記念すべき第一号の依頼人だ。
聞くところによれば『まー君』は先月の誕生日に両親から買って貰ったという。詩織ちゃんが学校に行っている間はゲージに入れておき、学校から帰ると毎日まー君と遊んでいたのだ。しかし昨日、家に帰るとゲージの蓋が開いていて、まー君の姿は何処にも見当たらなかったという。家の中は全て探したが見付からなかったそうだ。
今にも泣きそうな少女から一通り話を聞いた美幸は、見つかったら連絡をするからと言って詩織ちゃんを家へ帰した。
「イズナ出番よ。頑張ってね。なんたって記念すべき第1号のお客様なんだから」
しかし、イズナはそっぽを向いた。
「なんでこの俺様が、ネズミ探しをしなきゃいけないんだよ!」
そんな抵抗などお見通しといった表情で、美幸は言った。
「へえ、小さな子があんなに必死になって助けを求めているのに、無視できるんだ? イズナって結構冷たいのね~」
「ああ? 何言ってんだよ。そんなの俺の仕事じゃねえだろ、自分で探せよ!」
「あ~あ、可愛そうな詩織ちゃん。大親友のマー君が突然いなくなって、これから毎日どうやって生きていくのかしら」
「うっ、うるせえよ……。な、何だよ。まるで俺が悪者みたいじゃねえかよ」
イズナが動揺している。もう一押し。
「きっと彼女はこれから先、絶望と悲しに打ちひしがれながら生きていくのねぇ~。あんな幼い子だもん。心に闇を抱えて、憑き物に狙われなければいいけれど……」
目元にうっすらと涙を浮かべてきた。カウントダウン。
「あなたは詩織ちゃんの喜ぶ笑顔が見たくないの? まー君を見付ける事が出来たら、すごく喜ぶと思うけどなぁ」
――はい、落ちた――
イズナは目にも留まらぬ速さで、ベランダから飛び出して行った。もう長い付き合いになる美幸には、イズナの性格もよく分かっていた。
使い魔と呼ばれる妖怪にも、人間同様に個性があるのだ。イズナは口は悪いが情に脆い。だから子供の願いを無下にすることはないと、確信していたのだ。
それにイズナは鼻が利く。と言っても犬のような匂いを嗅ぎわけるのではなく、生き物の気配を感じ取る能力に長けている。
ある意味で今回のような動物探しの仕事は向いている。美幸は一人で納得した。
そして僅か数分後。近くの公園の遊具として使われているタイヤの中に、まー君を発見。無事保護した。
成功報酬は516円だった。少女が手持ちのお金の全額だといって渡したのだ。
美幸はこの記念するべき516円を、大切な物を入れるカンケース入れると、押入れの奥にそっとしまった。
それからも順調に仕事が入り、生活に困らない程度の資金も溜まったある日のこと。
自分の子供の様子がおかしいので見てもらえないか、という母親がやって来た。
その母親からは明らかに妖気が感じられた。