第1章_1.1来訪者
東京都あきる野市にある帝政大学。その敷地内の北側に建てられた第三部室棟二階の一番奥には、ある非公認サークルが倉庫兼用で間借りしている部室がある。
名を『建築物歴史研究クラブ』といい、通称『建史研』、俗称『廃墟クラブ』。
非公認の理由は部員がたったの二人だからだ。
長身でそこそこイケメンの部類に入る高柳和人と、筋肉質で色黒の肌は体育会系を思わせるが全くの運動音痴な副部長の春川大。二人とも無類の廃墟マニアだ。
そんな彼らの至高の喜びは、人知れず埋もれた未知なる廃墟を発見し、いち早くブログにアップすることだ。と言っても現代の日本でそんな物件はほぼないに等しい。要はネットに上がっていない物件ならそれでいいのだ。
そして明日からは夏休み。そのためにバイトでそこそこの資金をため込んだ……はずだったが、和人は溜め息とともに机に突っ伏した。
「そんな簡単に見付かる物件ならなら、とっくに誰かのお手付きだよなぁ……」
気だるそうに背もたれに寄りかかった大も同調した。
「ごもっとも。そもそもネットから情報を仕入れようとするのが間違いだよな……」
「物件そのものはそうだが、ネットからは取り敢えずヒントが見付かればいいんだよ」
ネット探すというのは、直接廃墟の情報を得るためではない。まだ誰にも知られていない物件を探しているのだ。
「ああ。このまませっかくの夏休みを無駄に終わるなんて御免だからな。明日の12時、いつものファミレスで落ち合おう」
「今日は徹夜だな」
帰宅した和人はすぐネタを拾い始めた。
「東北地方に地図から消えた村がある……か。その村は8月の盆の時期になると忽然と現れ、土地勘のない旅行者達を招き入れて姿を消す。今まで行方不明となった者は数百人に上るという……ね。定番の都市伝説だ。パス。次は……」
すると和人の手が止まった。
「ん? 防犯カメラ映った不思議な少年?」
前のめりになってモニターを睨んだ。
「……この店では先月中旬頃から、食品類の万引き被害が多発していた。そして店主が防犯カメラを設置して様子を見ていると、一人の少年が万引きをしている姿が映されていた。しかし店主は首を傾げた。なぜなら、毎回その少年は万引きをした後、店を出て裏にある川の方へと走り去りって行くのだった。そこには川しかなく、そこから先へは何処へも行けない筈なのに、少年はそこで姿を消していたという……か。面白そうだが廃墟関係ないし。そのうち〝ゆるキャラ〟にでもなって登場するんだろう。パス」
別のページを開こうとして和人の手が止まった。その目はある一文に釘付けだった。
「山奥にあったはずの豪邸?」
腕を組み、ゆっくりとモニターの活字を追った。
「今から七十五年ほどの昔、信州のある山道で迷ってしまったときの事だ。三日三晩さ迷い続けてここで死ぬのだろうと思った矢先に突然、こんな山奥にはあまりにも場違いな豪邸に辿り着いた。そこにはこの世の者とは思えぬ程の美しいご婦人がいて、そこで一宿一飯の恩にあずかると、不思議なことに次の日には簡単に麓に戻ることが出来た。後日お礼をしたくて訪れようとしたが、結局たどり着くことは叶わなかった。あれは夢だったのだろうか? 今となっては確かめようがない……か」
和人はこの記事をもう一度読み直した。
「七十五年前っていうと、戦時中の話か」
それは投稿者が戦時中の出来事の一コマとして綴ったブログだった。
何かが和人を動かした。七十五年前に投稿者が訪れた謎の豪邸。仮にこの話が事実で、その後辿り着けなかったということは、普段から人の行き来はほとんど無いのではないか?
和人は急いでこの話に関して、他にも似たような話がないか調べた。
翌日。和人と大は勝手に作戦会議場と位置付けたファミレスで、持ち寄った資料を基に検討を始めた。
「やっぱこの〝物件〟で決定じゃね?」
和人が調べてきた物件『信州の山奥にあったはずの豪邸』とまったく同じ情報を、大も入手していた。
「まさか同じネタ掴んでくるとはね。でも場所の特定は出来なかったよ」
「俺もだ。この人の記事から、長野県北部の周りだろうと思ってググってみたけれど、それらしい物件は見付からなかった」
「でも行ってみるか?」
「ああ、長野なら遠くはないし、行き当たりばったりは廃墟探しの醍醐味だしな」
「よし決定。明日出発だ!」
そして翌日二人は、長野の山奥にあるであろう物件を、当てもなく探すという旅に出た。
これまでにも経験はあった。とりあえず一週間程の最低限の水と食料を用意し、電車とバスを乗り継いで山へ立ち入ると調査を開始。夜になったらテントを張って休憩し、日が上る頃には再び探索するというやり方だ。
しかし、民家の面影すらない山の中。思っていた以上に探索は難航した。そしてあっという間に五日が過ぎてしまった。
「なかなか見付からないなぁ……」
「そうだなぁ。もしかしたら、この辺りじゃないのかなぁ。何日も同じ場所を回っている気がするし。googlemapにも映ってないなら、とっくに朽ち果てて森に埋もれているのかもな」
「う~ん、これは外れ物件だったか」
そして日も暮れかけ、もう諦めようとしたそのとき。和人がある事に気が付いた。
「あれ? これってもしかして祠じゃないか?」
大もそれを見た。巨大な樹木の根っ子に隠されるように、膝丈程の小さな祠がそこにはあった。紛れもない人工物。誰かの手が入っていた証拠だ。
しかもその祠の裏には細い獣道のような道があった。二人は吸い寄せられるかのようにその道に入っていった。
獣道を進むこと約一時間。突然、目の前が開けると、二人が今まで見たことのないような大きな日本家屋が姿を現した。
「これは……」
初めこそ言葉を無くした二人だったが、今までの疲れが一気に吹き飛んだように、彼らのテンションはMAX値にはね上がった。
「すげーっ」大が思わず言うと、和人は
「ああ、まさにこれだよ」
と予想以上の展開に驚きを隠せず、二人は抱き合って喜んだ。
巨大な日本家屋の周りには、これまた広大な敷地を囲う瓦屋根付の塀が続いている。
そして中央の巨大な合掌造りの瓦屋根から左右へと広がる家屋は、まさに圧巻だ。
ただしそんな家屋にも所々崩れた箇所があり、和人も大も廃墟であることに期待を膨らませた。
大が和人に言った。
「でも、本当に誰も住んでないのか?」
「そうだな。灯りは点いていないな。取り合えず、入ってみようか」
二人は庭から入り屋敷の玄関まで来ると、今にも外れそうな引き戸をノックしながら大きい声で言った。
「ごめん下さーい!」
「……」返事はない。
さらにノックをして、言った。
「ごめん下さーい!、どなたかいませんか~?」
「……」
しばらく待ってみたが、返事がなかった。
「はい、廃墟決定!」
目の前で軋む戸が引き開かれたのは、その時だった。
そしてそこに現れた少女に二人は一瞬で心を奪われてしまった。
すでに辺りも薄暗くなってはいたが、少女の姿はハッキリと見えた。
巫女装束の格好で身長は150センチ程、小顔に大きい瞳が印象的な色白の少女で、前髪が切り揃えられ、腰まで伸びたストレートの黒髪が清楚な感じを引き出している。
「……あっ、ああ、すいません。ちょっと道に迷いまして……」
とっさに和人は嘘をついた。
しかし少女は、ふうん、といった表情で自然な応対をした。
「こんな時間に? で、どちらへお越しですか?」
「あぁ、何処というか、ちょっと森林浴がてら自然の中を散策していたら道に迷っちゃて」
「森林浴? 散策? それにしちゃ随分な荷物だこと」
少女は二人の所持品を繁々と見ている。
「あっ、これはそのう……」
しどろもどろの二人に、
「怪しいわね」
突如、少女の目付きが鋭くなった。
すると二人は、
「い、いや。本当に怪しい者では……」
「そ、そうだよ……」
ますます眼光を鋭くして少女は訊いた。
「これが最後通告。心して答えなさい」
「は、はい」
急激に気温が低下したような感覚に襲われ、二人は血の気が失せ震えた。
「で、何しに来たの?」
**
「ハハハハッ」
「そうなんだ。美幸ちゃんは十八歳なんだ。じゃあ学生?」
「学校へは行ってないわ。先祖代々の家業をやってるから」
そう言って美幸は両手を開いて巫女装飾をアピールした。
――美幸に凄まれた二人は、正直に廃墟探しをしていたと自供。本能的に身の危険を感じ取ったようだ。そして嘘をついても見透かされると思い正直に話したところ、
「えー、私ってぇ、そんなに怖かったですかぁ?」
ちょっと舌足らずに上目使いをした美幸に二人が頷くと、
「あぁ?」
再び体が凍えるような大気に包まれ、二人は直立不動で答えた。
「い、いえ。そんなことはないです」
そして客ではないが邪な人間でもないと見抜いた美幸は、暇潰しの雑談相手にするため家に上げたのだ――。
「そ、そうなんだ。じゃあ、お父さんやお母さんの手伝いをしているんだ?」
和人はお茶を一口啜った。
「親はいないわよ。生まれてすぐに亡くなったから。五年前までお婆ちゃんと一緒だったけれど、今は私一人よ」
「あっ、嫌な事聞いちゃったかな? ごめんね」
慌てて取り繕う二人に、美幸はさらりと答えた。
「別に。気にしないから」
「でも、こんな所に一人で怖くないの?」
もっともな質問を和人が投げると、
「怖い? 私が? 何で?」
「だって、もし変な輩が来ても、誰も助けに来れないじゃん」
美幸は、ああ、と頷いてから、
「別に問題ないわよ。あなた達だって、変な事しようとしたら命の保証はないからね」
一気に気温が下がる感覚。二人は本日三度目の冷却体験をした。
実際〝人間〟が相手なら、刃物を持っていようが銃を持っていようが、美幸には何の脅威にもならなかった。和人と大には見えないが、今美幸の右肩にはイズナが乗っている。相手が数人がかりでも瞬殺(そこまで必要はないだろうが)しようと思えば容易かった。
「それに見ての通り、この家は江戸時代にまで遡れるくらいの長い歴史があるの。だから簡単には離れられないし、こういう場所で長く暮らしていると、何て言うか古い物には何かが宿っていそうな気がして、そういう物に囲まれるのが好きになるのよね」
すると和人と大はお互いの顔を見合わせてから美幸を見て、大きく頷き言った。
「そうなんだよ、それだよ。それ!」
急に二人が大きな声で言ったので、美幸は少し上体をそらして驚いた。
「な、何が?」
「時間が経ち過ぎるとそれは遺跡になるんだ。でも然程時間が経っていない物件には、目には見えない何かが宿っているんだよ。それを感じ取れるのがまさに廃墟なんだ」
「そうなんだよ。人の残留思念というか、思いというか。ここで暮らしていた人は、どういう思いで暮らしていたのだろうとか、どういう生活だったのだろうかとか、廃墟からはそんなことが想像できるんだよ」
真顔で語る二人に美幸は、
「へえ、面白いこと言うのね」
同時に肩の上のイズナが美幸に言った。
「こいつら変わってるな。だから結界の中にも入って来れたのかもな」
美幸は視線をちらっとイズナに向けてから小さく頷いた。和人と大にはイズナの声は聞こえないし、美幸が頷いたことにも気付いていない。
美幸は物心付いたときから祖母の時江と一緒に暮らしていた。そして高校卒業程度の学力と転換師としての術を時江から学んだのだ。
しかし美幸が十歳になった日。時江は突然、今日から一人で暮らしていきなさいと言って、どこかへ去ってしまった。
突然の独り立ちにはじめこそ戸惑った美幸だったが、孤独ではなかった。しゃべる相手ならイズナが居たからだ。
イズナは昔、新川家の裏山で瀕死の状態で動けなくなっていたところを美幸に見付けられ、命を救われたのだ。妖怪同士の争いだろうと時江は言っていたが、イズナはそのところだけ記憶を亡くしていた。
しかし美幸に救われたことに恩を感じ、これも何かの縁だとして、それ以降イズナは美幸に従ったのだ。
転換師を名乗る以上、どのみち妖怪を従える必要がある。だったら自分がふさわしいと、自ら使い魔になることを望んだのだ。
もっとも、五百歳を超えた血気盛んな若者であるイズナが、幼い少女にいいように扱き使われるとは思っておらず、気付けば後の祭りだったようだが……。
それからイズナとこの屋敷で暮らし始めたのだが、こんな山奥では訪れる人もなく、それ以前に周囲に張られた特殊な結界のため、転換師に会うことを強く望んでいる者でない限り、この屋敷にはたどり着くことは出来ないようになっていたのだ。
しかしどうやらこの二人は違うようだ。なぜ何の関係もないこの二人が、結界を越えられたのかはっきりしないが、儀式と全く関係ない人と話が出来るのは、美幸にとっても新鮮な出来事だったのだ。
だがそんな気持ちとは関係なく、彼らを屋敷に招き入れてしまった事が、この後の美幸人生を大きく変えてしまう事になるとは、この時の美幸自身に分かるはずもなかった。
**
これまで訪れた廃墟が、なぜ廃墟となったのかという歴史的な話を上手く折り込み、まるで物語を読むかのような和人の語り方に美幸は引き込まれ、時間が経つのを忘れていた。
そして外から鳥の囀ずる声が聞こえてはじめて美幸は、壁際に歩み寄り立て付けの悪い雨戸を一つ開けた。外はうっすらと明るくなっていた。
夜通し廃墟話で盛り上がっていたのだ。
途端に三人は、疲労感と睡魔に襲いかかるのを感じた。そして誰からともなく吹き出し、爆笑しながら二人がその場で横になったので、美幸は慌てて毛布を用意すると、睡魔に瞬殺された彼らに掛けてあげた。
さっきまで廃墟話で盛り上がっていた部屋は、すっかり寝息に変わっていた。